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会心登山  



会心登山の記憶はそれこそ山のようにあり、いくつかを選ぶというのは至難の作業だったが、敢えて絞ってみた。




烏帽子山で昭元山吾妻山を
(吾妻山系、1972. 04. 30


前日に、家族で浄土平に遊び、気持ちのよい吾妻小屋に宿泊。翌朝、一人で西吾妻までの縦走に出掛ける。一切経山、家形山、兵子、烏帽子山、昭元山、東大巓、藤十郎、西吾妻と峰々の名前を挙げるだけで、それぞれの素晴らしい思い出がよみがえる。ひと山越えるごとに、新しい光景が現れ、目的地に近づいていく。雪はしっかりと締まっていて、ワカンでなんの苦労もなしに歩くことができた。快晴に恵まれ、ひとけのない大雪原を快哉を叫びながら大満足の10時間だった。


無人の尾瀬ヶ原
(尾瀬、2011. 08. 01


会心登山というより、非常に珍しい経験をしたため、強烈な印象が残った。真夏の週末で、高山植物が最盛期というのに、人ひとり歩いていない尾瀬ヶ原を山の鼻から見晴まで歩いたのだ。初冬の静かな尾瀬に憧れていたが、この日は静寂を楽しむというのではなかった。むしろ、あり得ない光景に違和感をもちながら歩いた。3日前に尾瀬に入ったときが新潟・福島を記録的豪雨が襲ったときで、その後ハイカーの姿が消えてしまったのだ。百花繚乱の花たちはすでに元気を取り戻して咲き誇っているというのに。


バラ谷の頭
(南ア深南部、2010. 05. 28)


南ア深南部の魅力はその静けさにあるが、寸又峡温泉から黒法師岳、蕎麦粒山、沢口山を一周するコースも魅力に満ち溢れていた。中でも最も愉快だったのはバラ谷の頭から鋸山あたりの、笹薮で覆われた領域。あまり人が入っていないので、踏み跡はうすく、それに反してけもの道は実にしっかりとついている。人間がけものに遠慮して歩かせていただいているという感じが好ましかった。陽が射し始めたシロヤシオ、ミツバツツジ、オオカメノキが咲き誇る稜線も素晴らしいものだった。


涸沢から北穂高の北尾根
(穂高、1964. 05. 06)


春山合宿が終わり、小梨平のテントに一人残る。目が覚めたのは8時頃、そのまま下山する予定だったが、あまりの好天にもう一度歩きたくなり、急遽9時に出発する。天狗沢で聞いた奥穂側からの落石の音、とくに難しいとも思えなかったジャンダルム、奥穂からの下りでグリセードをしていてスピードが出すぎて慌ててピックを打ち込んで止めたこと、白出のコルから涸沢まで尻セードで15分で下りたことなどが強く印象に残っている。遅い出発と長距離コースが心配だったが、明るいうちに上高地に戻ることができた。岩と雪がミックスした春山のよさを満喫した一日となった。



地蔵岳(子守岳)付近
(大峰奥駈道、2008. 05. 10)

 
大峰の奥駈道を6日かけて縦走した。どの日もそれぞれの思い出があるが、深仙の宿から行仙宿に行った4日目はもっとも印象深いものだった。11ものピークを越えて歩いたのも、初めての経験だったし、出発時は小振りだった雨が途中から小台風並みの天候となった。途中でヒノキやミズナラの巨樹や数々の花があったので、元気づけられたが、行仙宿に着いたときは低体温症寸前だったのも忘れられない。ゆっくり休む機会がなかったため9時間半のコースタイムを8時間半で歩いた。左の写真は、大雨になる前の穏やかだったときのもの。


次郎笈のビロードの斜面
(剣山山地、2010. 10. 01)

次郎笈は剣山に比べて目立たない存在だが、自分としては、どちらかというと次郎笈の方が気に入っている。地味なのに山容がより優れているから。北岳に対する間ノ岳、甲武信岳に対する木賊山も同様に割を食っているので、気の毒に思っている。次郎笈のもう一つの魅力はその山肌の美しいことで、淡い色のビロードで覆われているような斜面は心を和ませてくれる。この時は、白髭避難小屋に泊まり、三嶺を越えて祖谷渓まで歩いたが、三嶺一帯も同じように美しい山肌が敷き詰められていた。




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