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2010. 05. 27 - 30
 前黒法師岳、黒法師岳、バラ谷の頭、蕎麦粒山、沢口山

  


昨年の11月に浜松に行った際に黒法師岳を歩こうと計画していたが、越後三山での怪我が治らないので、朝日岳の日帰り登山に切り替えた。そのときと同様の計画で再挑戦。5月なのでヒルの問題があるが、日が長いので、かなり気楽になる。早い人は3日で歩いているが、最近コースタイム以内で歩くのが困難になってきたし、ゆったりの気分を楽しむ方がよいので、4日行程とする。道迷いによるロスタイムがあっても、十分対応できるだろう。前夜に東京で食料の買い出しをしたのち、島田駅前のホテルに泊まる。翌朝、一番の大井川鐵道で千頭へ行き、バスに乗り継いで、二度目の寸又峡に朝早く到着する。

同行: 単独


2010. 05. 27 寸又峡温泉から前黒法師岳経由でヘリポートまで

コースタイム

0820 寸又峡温泉、0905-10 登山口、1013-37 林道、1108 栗ノ木段(1197b)、1200-13 休憩、1257-1300 白ッカレ、1426-46 前黒法師岳(1943b)、1613-18 休憩、1638 ヘリポート

天気はそれほど悪くもないが、寸又峡からも朝日岳は見えなかった。大間川の流れは、前日までの降雨のため、かなり白濁している。マルバウツギの白い花が多い。夢の吊り橋を遠く下に見ながら、飛龍橋へと進む。こちらの橋はかなり高い所に架かっているので、ほとんど上下することなく、対岸に渡れる。モミジの頃には絶景になる所だ。

登山口からはすぐに急登となる。どうということのない道だが、重荷の時に足を滑らせると、頭から逆さまに落ちることになるので、用心して歩く。やがて、湯山集落跡を通り過ぎる。かなりの規模で、通り過ぎるのに5分以上は歩いた。江戸時代から、ここのヒノキ、ツガ、ケヤキ等が建築用材として珍重されたので、その時の林業関係者の集落跡だ。鈴鹿の集落跡と似たような石組みが並んでいるが、鉱工業のための施設などはこちらにはない。それにしても、近くに水場などはなさそうなのに、なぜこのような所に居を構えたのだろう。

上に明るい空が覗き始めたところで、少し道を見失ったが、明るい尾根に出てしばらくして、道と合流する。そこから林道まではすぐだった。雨がよけられる小屋がある。ここから朝日岳が正面に見えるのだが、7合目辺りまでしか見えない。少し早いが一回目の中食をとる。少し雨も降ってきたが、雨具を取り出すほどでもないので、そのまま出発。ヒメシャラ、シロヤシオ、イワカガミ、ミヤマカタバミなどを見ながら、栗の木段、白ッカレと足を進める。途中で、左手首から血が流れているのに気がついた。木に引っかけた覚えもないので、傷の形からいって、ヤマビルにやられたらしい。翌朝に気がついたが、左足首の上もやられていた。靴下が赤くなっていたので気がついた。ヒル退治用にアルコールも持っていたが、姿が見えないのでは使いようがない。白ッカレでも展望はほとんどなかったが、沢山のミツバツツジが霧の中に浮かんでおり、好ましい雰囲気だった。そこから倒木の多い、300bほどの登りを終えると前黒法師となる。長いことザックを下ろしていなかったので、腰を下ろしてゆっくり休む。ここは天候に関係なく、展望がない。




シロッカレのミツバツツジ


前黒法師を越えると、もう日帰りのハイカーの領域でなくなるので、道が薄くなる。といっても、歩くのに困るといったようなことはほとんどない。ほとんど消えかけている林道を越えて、再び尾根に登って進むと、広い笹原になる。なかなか気分のよい所だ。笹原の向こうを10頭ばかりのシカの群れが走り去っていった。やがて、今夜の宿泊地であるヘリポートに到着する。大きなカツラの木の下のサイトが気持ちよさそうなので、そこにテントを張る。大きな落石がゴロゴロとあるのが少し気になるが、一晩は落ちないだろう。雨がパラパラと落ちてきたので、食事はテントの中となってしまう。近頃お気に入りになってきた具沢山のキムチ鍋。18時半頃になって、雨があがり、南側の稜線が雲の合間に見えるようになった。天水、板取山、八丁段、蕎麦粒山、三ッ合と並び、右端には千石平がわずかに顔を見せている。これがこの日の、唯一の展望だった。




倒木帯を越えて歩く


笹原の中を歩く 




ヘリポートテント場から見た天水・板取・八丁段の夕暮れ



2010. 05. 28 黒法師岳、丸盆岳経由でバラ谷の頭まで

コースタイム

0618 ヘリポート、0703-06 二ッ山(1810b)、0824-41 コル、0945-1019 黒法師岳(2067b)、1052 等高尾根分岐、1150-1208 丸盆岳(2066b)、1240 等高尾根分岐、1315-50 黒法師岳、1432-1549 水場コル、1618 バラ谷の頭(2010b)

4時半に目が覚める。5℃。ガスがかかっているが、晴れていく気配だ。はたして、出発するときには、北西の方向に黒法師岳の三角錐がスッキリと顔を出す。尾根通しに進み、二ツ山を越えて、進行方向が北西に変わる。色々な鳥の声が聞こえるが、声と名前が一致しないので残念だ。ふと見ると、写真に撮れる距離にヒガラ(フィフィ)が止まっている。その他、ブッポウソウ(ギョギョ ギョギョ)らしき声も聞いた。コルに着く。このあとは標高差300mほどの登りだが、少し歩きにくい登りらしいので、一息入れることにする。一瞬東側の山が見えたが、すぐにガスに包まれた。




ヘリポートの近くから見た朝の黒法師岳



コルからの登りは、ほとんどが笹の中にある薄い踏み跡を辿ることになる。ただ、急斜面になると、その踏み跡はなくなる。誰もが勝手な所を、笹に掴まりながら腕力で登るためだ。傾斜がゆるむと、なんとなく踏み跡らしきものが目につく。そんなことを何度か繰り替えしているうちに、黒法師の山頂に着いた。

樹に囲まれているが、とても雰囲気のよい広場になっている。有名な三角点をカメラに収めていると、先着していた高年登山者が笑っていた。戸中川の方から日帰りで来て、このあと丸盆岳に行ってから、下山すると先に出発した。中食を取っていると、やはり日帰りの若者が上がってきた。「今朝は東京からも富士山が見えたというのに、ガスで残念だ」と、しきりに天気を気にしている。「基本的には晴だろうから、そのうち見えるようになるのでは」と慰める。バラ谷の頭に行くか、丸盆に行くかと迷いながら下り始めた。すぐにこちらも出発する。彼は分岐点で立ち止まり、どちらに行くかまだ決心がつかないようだ。

下りて行ってすぐの所にミヤマサクラソウがポツンと咲いていた。意表をつかれた思いだった。ガレ場を通り過ぎて、しばらくするとガスが切れ始め、丸盆への美しい稜線が姿を現しはじめた。ヤマザクラやオオカメノキの花もチラホラ見える。等高尾根の分岐に近づくにつれ、遠望が楽しめるようになってきた。そこから丸盆までは明るいカヤトの尾根を登っていく。先ほどの高年者とすれ違ったので、山の名前を確かめるが、それほど関心がないらしく、的確な返答が帰ってこない。一昨日には池口山に登ったと言っておられたので、随分と精力的に歩いておられるのに、関心の在処が違うのだ。

丸盆の頂上について、パノラマ写真を取り、コンパスと地図で調べ始めると、さきほどの若者が到着した。こちらの方は、写真を取るでなく、メモをするでなく、口にモノを入れるでなく、ひたすら展望を追い求めている。僕より熱心だ。彼の方は地元らしく、より正確な指摘をしていた。北側では、恵那山、白山(多分)、御嶽山、中アなどの遠望があり、手前には、黒沢山、中ノ尾根山、鶏冠山、池口山が並び、目の前には鎌崩、不動岳が立ちはだかっている。その右手は相変わらずなにも見えない。南側には、黒法師岳、バラ谷の頭が存在感を示している。



丸盆岳への稜線



御嶽山・中ノ尾根山を遠くに



 丸盆岳頂上


 丸盆岳から蕎麦粒山・黒法師岳・バラ谷の頭
(右手前はカモシカ平)

若者と一緒に下り始め、等高尾根分岐で、山座同定について2、3言葉を交わして別れる。黒法師岳でザックを回収したあと、バラ谷の頭への分岐に戻る。ガスがよい方向に動いているので、ゆっくりと腰を下ろし南ア方向に目を凝らす。時間があるのはとても豊かな気分にしてくれる。少し暑いくらいになってきた。30分ほど粘っていると、鎌崩の奥に加加森山、不動岳の右肩に光岳、丸盆の右に聖岳が見えた。その右の上河内はガスの中だ。光岳は黒いが、聖岳にはかなりの残雪が光っている。十分満足したが、考えてみると今回の山行でちゃんとした展望が得られたのはこの3時間だけだった。それ以外は、降るのでもなく、晴れるのでもない中途半端な空模様で、気がついたように小雨がパラパラと落ちてきたり、日が射したりした。暑くないのは有り難いし、森林の樹々を見るにも、あっけらかんとした晴れの日より、霧の中の方が好ましいが、もう少しだけ色々な山を見たかった。




黒法師岳から鎌崩、不動岳、丸盆岳の先に池口山、加加森山、光岳、聖岳


笹の急坂を下り始める。傾斜がきつい所では、笹の茎で滑るので、ポールを使うよりは、笹を握ってずり下りていく方が楽だ。降り立った黒バラ平は、笹原に覆われており、「深南部仙境の地」と評判がよいが、鈴鹿に馴染んだ身には圧倒的な感激とまではいかない。水場に下りるコルは登り始める寸前にあることは分かっていたのに、やや手前にあったビニールテープに誘われて、サブザックで下り始める。降り立った沢は涸れていたが、少し下には水流があった。そこまで下りて、顔、腕、頭を洗い、水を汲み、お茶を飲む。皆が汲みに来ているので、道がついていた。かなりの傾斜の道をよじ登って行くと、ザックをおいた所よりかなり南にでた。ザックを拾いに戻り、南に進むと、ちゃんと標識が出ていた。しかし、こちらから下りるより、今回歩いた斜面の方が苦労が少ないかもしれない。

バラ谷の頭まで登るのに30分かかった。すっかりガスに包まれてしまい、今にも一雨来そうな感じだったが、一応食事は外で済ませることができた。生玉子入りカレー、青菜いっぱいのツナサラダ、スープというのは、普段よりやや贅沢。シカの鳴き声がよく聞こえるが、姿は見なかった。ゴミを燃やすためだけの焚き火をして、18時にはすべてを終える。19時ころに外に出ると、ガスが切れ始め、北側に東山魁夷の絵のような幻想的な光景が広がっていた。やがてほとんど光もなくなった頃、ガスが消え、鎌崩、丸盆、黒法師だけがシルエットを見せていた。この夜も、テントをたたく雨の音を夢うつつの中で聞いたように思う。




バラ谷の頭の夜。鎌崩、丸盆、黒法師。



2010. 05. 29 房小山、高塚山、蕎麦粒山経由で山犬段まで     

コースタイム

0615 バラ谷の頭、0640 P1958b、0753-0804 房小山(1868b)、0945-52 休憩、1013-40 鋸山(1668b)、1057 千石平、1108 林道への分岐、1139 P1651b、1235-43 三ッ合(1602b)、1318-20 高塚山(1621b)、1353-1410 三ッ合、1440 五樽沢のコル、1519-26 蕎麦粒山(1627b)、1550 山犬段

自然に4時過ぎに目が覚める。この日もガスだが、視界は数十bある。この日は皆さんが「視界が悪いとルートファインディングに苦労する」と書いておられるコースだ。予備の電池まで持ってきたというのに、GPSが前日から動かない。あとで考えると、視界はそれほど重要ではなく、地図とコンパスをしっかり使えれば何とかなるという結論だ。もちろん視界がよいのに越したことはない。




朝のバラ谷の頭


出発してすぐに、早速ウロウロする。「本邦最南2000bの地」という標識のあと、不用意に歩いていると東南方向の尾根に入っていた。すぐに南西に軌道修正したので、大したロスにはならずにすんだ。上西平という平坦地には、それこそ獣道が縦横に走っており、分かりにくいこと甚だしい。人より獣の方が多いので、当たり前なのだが、いわゆる獣道の概念から遠いものが多い。人の歩く道は細々としているのに、堂々とした獣道に出会うと惑わされてしまう。人と獣が対等に共存しているようで、愉快になる。小ピークにでると、久しぶりにマーキングがあった。その後、すぐに西に方向を変えないといけないのに、少し行きすぎて、二重山稜のようになっている所を下りはじめた。右手の稜線が正解らしいので、トラバースして修正する。いかに獣道が多いかという一例だが、稜線の登山道から見た下の斜面に、6本程度の獣道が狭い範囲に平行に走っていた。どれもが同じ程度の踏まれ方で、棚田を上から眺めているような光景。どうして同じ所を走らないのか、とても不思議だった。




上西平の笹原


房小山頂上



房小山の頂上には立派な標識がある。20分ほど歩くと、東側の展望がきく所があり、厚い雲の下に、見えたのは前黒法師のピークとそこから南に延びる尾根であろうか。とにかく、今回の山行中、一度も前黒法師岳をスッキリと見ていない。さらにしばらくして、南に方角が変わるピークを過ぎ、南に向かっているので安心して下っていたが、背丈くらいの笹ヤブに突入してしまった。しばらくそのまま下りていくと、一瞬ガスが切れて、進むべき南方向の尾根がかなり左手に見えた。まもなく細い踏み跡に出て、その尾根へと導かれた。少し薄日が射してきた中、実に気持ちのよい稜線散歩が続く。「あー、いいなあ」と幾度声をあげたことだろう。葉だけであるが、コバイケイソウの群落があり、シロヤシオ、ミツバツツジ、オオカメノキの花が目を楽しませてくれる。鋸山に近づいて、この日初めてのハイカーと出会う。06:40に山犬段を出て、房小山までピストンするという3人組。房小山までは、山犬段からの日帰り可能なピークらしい。その後、この日初めてのしっかりとした登りとなり、鋸山に到着。千石平、林道へのコルへと向かう。当初、ここから林道に下りて水を汲み、そのまま山犬段に行くことも考えていたが、ロスタイムもなく、時間に余裕があるので、稜線伝いに行き、高塚山も往復し、蕎麦粒山を経由する行程に変更する。水は、夕方か翌朝に山犬段から往復1時間の水場まで汲みに行っても十分間に合う。

3つほどの小ピークをもつ鋸尾根を越えて、三ッ合に着く。もうここは、日帰りハイキングの領域だ。土曜日でもあり、全部で5-6組のハイカーと出会った。荷物を下ろしていると、カメラをぶら下げた人がやってきて、シロヤシオの話ばかりしている。黒法師の若者が展望の話ばかりしたのを思い出す。先に高塚山に向かった夫婦連れを追って、高塚山に向かう。1602bから1621bへとほとんど上下のない気楽な道を辿る。新緑や花が目を楽しませ、鳥のさえずりが耳に心地よい。高塚山には6-7人のグループが休憩を終えて下山しようとしていた。花と鳥を楽しむために来ているとのこと。頂上には、コバイケイの葉が所狭し繁茂していたが、他にとくに特色がなかったので、こちらもすぐに引き返す。

三ツ合に戻ると、シロヤシオの撮影に余念がない2人の高年者がいた。「ザックが置いてあったが、お宅のものか」と話しかけられ、「どのようなコースを何日で歩いたのか、何歳か、一人か」などと聞かれた。少しガスが切れて、房小山、バラ谷、黒法師をなんとか拝むことができた。ちょっとだけ休憩し、大グループが戻って来たときに、入れ替わりに出発する。五樽沢のコルから蕎麦粒山までは高低差190bのやや趣に欠ける登り。蕎麦粒山頂には大無間、山伏、富士、天城などが描かれた展望図が掲示してあったが、もちろんなにも見えない。



高塚山直前のコバイケイソウ群落



三ツ合のシロヤシオと遠くなったバラ谷の頭、黒法師岳

山犬段までの下りると、顔見知りになったいくつかのグループが車に乗り込んで帰られるところだった。「水が余ってないか」と聞くと、20L位のタンクを積んでいる人もおり、快く分けてくださった。必要最小限の水を確保して一安心。別のグループの人も、先方から声をかけてくれた。「それでは、贅沢用に使わせて貰います」とさらに2Lを頂戴した。顔を洗ったり、調理に始末をしないで使ったりしていると、この2Lも全然余らなかった。水汲みがなくなったので、すっかりとゆとりができた。

小屋は土曜なので人が多いのかと予想していたが、誰も泊まる人はいないようなので、もちろんテントでなく小屋泊まりとする。濡れたテントを乾かし、思う存分に広い小屋を使えるので、落ち着く。外に出ると、コジュウカラ、ウグイス、ホトトギスのさえずりが絶えない。ここだけでなく、今回はあちこちでホトトギスの声をたっぷりと楽しんだ。携帯が通じたので、家に電話して鳥の声を聞かせようとしたが、聞こえないという。夕飯は、主食に赤飯、おかずにベーコンエッグとアスパラの玉子スープ。食事が終わると、ポツポツと降ってきた。夜中に目を覚ますと、かなりの勢いの雨だったので、小屋泊まりができてよかったと喜ぶ。



2010. 05. 30 八丁段、沢口山経由で寸又峡温泉まで
                                                       

コースタイム

0605 山犬段、0640-49 八丁段展望台往復、0656 八丁段、0721 広河原峠、0750-53 板取山(1513b)、0840-56 天水(1521b)、0910 ウツナシ峠、1007 横沢の頭(1324b)、1032-1110 沢口山(1424b)、1135 富士見平、1152 木馬の段、1258-1302 小沢で休憩、1310 寸又峡温泉

朝になると雨は止んでおり、霧になっている。2時頃に着いて、ジャンボタクシーの中で仮眠していたという8人ほどのグループが出発の準備をしている。高塚、京丸と縦走して、その先の林道にタクシーが迎えに来て貰うという手筈らしい。人数が多いからこそできる芸当だ。最後の日だが、この日は何の問題もないので、気楽な下山である。丁寧に小屋の掃除をしたりしていると、起きてから出発までの時間は、テントの時とかわらなかった。

前日、時間がなければ、千石沢から林道に下り、山犬段まで歩くことも考えていたが、幸い稜線伝いで山犬段に着くことができた。日本中至る所で見られる、荒廃して放置されている林道を歩くのは嫌だったが、その惨状を見ずに済んだ。この林道は修復不可能なので廃止にして、もとの自然に復元する方針になったらしい。林業行政の失敗をある程度反省しているとの記事を読んで、すこしスッキリした。ところが、この日のスタートは、その林道とは別に新しく作られている立派な道路歩きから始まる。「ホーキ薙を修復する為の道路を造っています(大井川治山センター)」という説明があったが、またまた税金を使う新しい事業を考えついたらしい。そんな大規模な崩壊を起こしている自然の大きな力に人間が力ずくで対抗しようというのがおかしいという気もするが、自分には、この工事が本当に必要かどうかを判断する材料はもっていない。しかし、まだ調査段階というのに、こんな立派な幅広い舗装された道路を建設する必要がないことだけは、明々白々と思う。だれが舗装道路を造ろうと言ったのだろう。

ともあれ、その脇につけられた山道を辿り、八丁段へと向かう。何も見えないことは分かっていたが、一応展望台にも立ち寄る。展望はなかったが、ベンチが沢山ある展望台には朝日が射して、気持ちよさそうな所であることはよくわかった。そこを通り過ぎてしばらく行くと、八丁段頂上になる。頂上とはとても思えない所だ。すぐに問題のホーキ薙。ガスがかかり、一部しか見えなかったが、確かにひどい崩落のようだ。山道も付け替えられ、計測のための機器が設置してある。これらを設置するためだけなら舗装道路は必要なさそうだが。

(追記)後日、他の人のブログを見ていると、このガレ場が一面のコンクリートで覆われ、ものすごい光景となっていた。これほどの工事なら確かに舗装道路も必要だったのかもしれない

広河原峠、板取山を通り過ぎ、天水へと足を進める。ピークはどこも展望がよさそうなのに曇っているのが残念だ。シロヤシオ、ミツバツツジの落花が道を敷きつめており、ヤマツツジを初めて見る。天水も北側が崖になっており、今の頂上がいつまで存在するか分かったものではない。南ア荒川岳の前岳を思い出す。少し中食を取るが、やや肌寒くなってきたので、立ち上がる。ちなみに今回の山行の行動中は、4日ともTシャツ一枚だけという快適さだった。このあとの、天水を下りていくと、余り見かけない鳥の子供がヨタヨタと先の方を走っていた。飛べないのかなと思っていると、すぐ後を母鳥が心配そうに追っかけていった。ヤマドリだろう。




ホーキ薙では木も標識も崩落寸前


天水の三角点。ここも×印だった



天水=沢口山の間は、全く予想しなかった領域だった。天水は山犬段から、沢口山は寸又峡からそれぞれ日帰りができるが、その中間部は車登山とは無縁の領域なので、踏み跡が薄い。それはそれで理解できるのだが、ウェブサイトを見ていても、とくになにも書かれていないので、これほどの興味ある道とは想像できなかった。ここに踏み入れた時は、やたらと赤い目印がつけられており、数えると、20mの間に6ヶ所も赤ペンキでマーキングがしてある。「なんで、こんなに?」と思ったが、歩いているうちに理由が分かるようになった。取りとめのない地形なので、マークがあってさえ、踏み跡が大変薄い。これでマークがないとすると、道は完全に消滅するに違いない。そして、そのときはとても難度の高い領域となる。なにも考えずにマークを追っているだけだと、なにも問題なく歩けるし、気持ちのよい道だという印象で終わってしまう。しかし、「マーキングがないとしたら」と想像しながら歩くと、本当にワクワクドキドキする所だった。マーキングがないと、ほとんど歩けないのだ。横沢の頭への山稜を歩くころから、やっとそのようなあやふやさがなくなった。



ウツナシ峠近辺の難所?



横沢の頭近辺


沢口山でも、展望図の看板を見るだけで、あとは想像での山岳展望をする。バーナーを取りだして、スープを作り、ゆっくりと最後の中食を取る。あとは淡々と640mを下るだけだ。ときどき東側の山が見えるが、とうとう最後まで朝日岳は見えなかった。満開のヤマツツジ、顔を出したばかりのギンリョウソウがあった。人でも動物でも鳥でも赤ん坊はかわいいが、植物でも同じだ。富士見平の分岐では左手の日向山コースを取る。寸又峡への道は25000の地図に書かれたものと少し違う新しい道になっていたようだ。町へ出る寸前に細い水場があったので、顔や頭を洗ってサッパリする。この日は日曜日だし、寸又三山の一つである沢口山なので、かなりの人と出会うかと思っていたが、誰にも会わなかった。今回は、2日目に戸中川からピストンの2人、3日目に山犬段からピストンの6(?)パーティーと出会っただけだった。




沢口山からの下山道にあったミズナラの大木


バスの時刻を調べると、30分の余裕がある。食事より、温泉に入って足を洗うことを優先させる。折角の温泉なのに、烏の行水は勿体なかったが、バス停に戻って缶ビールを買うと、ちょうどよい時間となった。予定より一台早いバスに乗れたので、早めに帰宅でき、身体的にも楽だった。



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