2010. 10. 18 - 20 剣山・三嶺
一昨年の2月に行って、あまりの深雪に途中で撤退した同じコースに再挑戦。あと一週間遅ければコメツツジの紅葉が見られることが分かっていたが、日光登山の予定も控えているので、早めにした。
同行: 単独
2010. 10. 18 剣橋から見の越・剣神社まで |
コースタイム
1156 剣橋BS、1224 葛籠お堂、1320 川又への分岐、1345-55 最初の沢、1417 廃屋、1430 第2の沢、1447 第3の沢、1454 ガレ場、1520-28 夫婦池、1610 剣神社
テントもないし、水場も豊富なので、2泊分の食料だけのザックはかなり軽い。2年半前と同様に高速バスとJRで貞光へ向かう。JRの時間が変更になっており、貞光駅での乗り継ぎ時間がマイナス4分となっていた。四国バスに電話すると、待ってあげるとの親切な返事。前回もそうだったが、乗客は1人でなく、数人の地元の人が乗っており、少し待たせてしまった。
バスを降りてからは、2度目なので迷うこともなく、葛籠を通り過ぎ、山道へと入っていく。ノコンギクが群れている。はじめの登りは日蔭がなく、シャツ一枚でも汗をかくくらい。林に入ると涼しくなる。沢沿いの道にテンナンショウの赤い実があり、かすかに色を添えている。第1の沢、前回泊まった廃屋を過ぎると、今回1輪だけ見たトリカブトが残っていた。第2の沢、第3の沢を越え、前回引き返したと思われる地点のあと、ガレ場に出る。そのあともテープなどの目印は全くないので、深いラッセルをしながら夫婦池まで行くのは大変だっただろう。この日はなんの問題もない。シカの声が響いている。
夫婦池に出る。車道が通じており、ホテルがある。丸笹山の登山口になっているらしいが、立ち寄る時間はない。雄池が緑色の水を湛えて静まりかえっている。雌池を少し探したが見つからなかった。あとで聞くとほとんど涸れているらしい。夫婦池から少し車道を進むと三好市との境を過ぎる。前方に次郎笈と剣山が姿をあらわす。そのうち三嶺も見えたが、随分と遠く、1日であそこまで行けるのかと思う位だった。紅葉もそこそこ楽しめる。見の越やリフトが見えるようになると、剣神社は近い。神社下の民宿などもいくつか開いているようだった。
まず米を研いでおいてから、宿の人とゆっくり喋る。前回、予約していたのに、来られなかったことを覚えていた。一昨年だったでしょうと、こちらより確かな記憶だ。部屋で炊事をしてもよいというので、何となく気楽だ。この日はスーパーの寄せ鍋に、鮭、豆腐、糸コン、カニ風かまぼこを補給したもの。ふと気がつくと知らない間に日没になっていた。慌てて外に飛び出すと、三嶺の周りの空が赤く染まっており、シルエットが映えていた。19時半から5時半まで、目を覚ますことなく熟睡した。
国道438から見えた剣山(左)と次郎笈(右) |
剣神社から三嶺 |
2010. 10. 01 剣山、次郎笈を越え白髪山まで |
コースタイム
0603 剣神社、0654-57 西島、0735-55 剣山(1955b)、0843-55 次郎笈(1929b)、0944 林道分岐、1002 丸石(1684b)、1039 丸石小屋(すぐに祖谷谷への分岐)、1100 高ノ瀬小屋跡、1107-37 中食、1205-10 高ノ瀬(1741b)、1235 石立分岐、1308-12 P1732、1407-37 白髪避難小屋、1447 白髪ノ別れ、1521-25 白髪山(1770b)、1607 水場分岐、1613-23 水場、1633 白髪避難小屋
5時に目が覚める。トイレをすませ、6時には出発できた。もうヘッドランプは必要ない。リフトのトンネルを越えたすぐの分岐で左手の高みを目指す。剣山の斜面が赤く染まっている。日が射していないので、ややくすんだ色合いだ。リフトの終点の手前にキャンプできる場所があった。水が手に入るようなので、ここは気持ちのよい絶好のテントサイト。西島では、三嶺、塔丸、矢筈山、丸笹山、赤帽子山が、朝の穏やかな空気のもとに静かに並んでいた。ちょうど中央構造線近くの三波川帯と秩父帯の間を眺めていることになる。
リフトの駅を回り込んで、最短時間で登れるという尾根道を選ぶ。剣山の頂上部が見え、刀掛ノ松を過ぎる。コンクリートで固めた山道はいただけないが、むきだしではなく、縦横に傷がつけられており、濡れても滑りにくい工夫がしてある。こんなのを見たのは始めて。頂上ヒュッテの脇を通りぬけ、平家の馬場と呼ばれるとても広い笹原のなかに敷かれた木道を歩き、頂上へと向かう。あたりを、ヒュッテに泊まっていたらしいいくつかのグループが三々五々散策している。
頂上ではすばらしい展望が広がる。しかし、東側は平家の馬場で遮られている。東側を見るにはヒュッテの辺りで立ち止まらねばならなかった。それにしても、次郎笈の姿は抜群。上半分はうすい茶緑のビロードをまとい、それが剣山からの稜線につながっている。下半分は紅葉と緑のスカートをはいて、実に優雅だ。次郎笈だけではない。口西山、中東山、白髪山、丸石、高ノ瀬、三嶺とこれから辿る山稜や、今回は行けない山々が並んでいる。三嶺の左に見えるはずの天狗塚は雲の中だが、右手に石鎚山から東赤石山の連なりが見えていたのは嬉しかった。その右手には、手前の塔丸、矢筈山、津志嶽を経て丸笹山となる。その右の赤帽子山は平家の馬場で遮られる。パノラマ写真を撮っていると、少し寒くなってきた。Tシャツの上から長袖シャツを羽織る。4人連れの女性に頼まれてシャッターを押したあと、下山を始める。次郎笈への道では、大して姿を変える訳でもないのに何度も写真を撮りたくなる。リンドウの花が出てきた。この後も沢山見かけた。あとで調べてみたが、花の名前は単なるリンドウらしい。トゲアザミも多い。天狗塚が見え始めるとともに、石鎚に雲がかかり始めた。
次郎笈への道
次郎笈の頂上にも同じように絶景が待っていた。剣山、三嶺への稜線に薄いガスがかかりはじめ、微妙な色合いを演出している。単独の人が2人入れ替わりやってくる。丸石小屋で泊まったという人に、白髪小屋で水が確保できることを確かめる。下っていき、後を振り返ると次郎笈の斜面の紅葉が美しい。少し日も射しているが、ドンピシャリの光具合とはなかなかいかない。ウメバチソウが一輪だけ咲いていた。
やがて丸石。ここからの次郎笈も立派だ。その背後に剣山も見えてきたが、もう一つ迫力がない。結局今回の山旅では、どの角度から見ても、剣山より次郎笈の方がよい姿だったように思う。丸石から15分ほどすると林の中に入っていく。鬱蒼とした林ではなく、明るい林。これまでずっと草原のような所ばかりだったので、気が休まるところがある。ピンク色の実をつけた木があった。マユミかと思ったが、ちがうようだ。二重山稜のようなところもある。大木の枝にグロテスクといってよいほど大きな褐色のキノコがついていた。採ってみようとしたが、やはり食べられそうにないのでやめた。丸石小屋は、丸石からかなり離れた林の中にひっそりと立っていた。両側が実に太い丸太で支えられており、この重さで小屋が潰れるのではないかと思うほどだ。すぐに奥祖谷かずら橋への道を分ける。1時間半もあれば下山できる。高ノ瀬避難小屋(荒廃)とガイドブックにでているところを通り過ぎる。これは高ノ瀬避難小屋跡と記載すべき代物だ。そのあと、南方面の石立山、中東山などの眺望のある日蔭で腰を下ろして中食とする。北側には塔丸が近い。時間があるので、バーナーを取りだして餅入りスープを作る。
高ノ瀬を通り過ぎたところに水場の案内があったが、道そのものは見あたらない。廃道に近いと次郎笈で出会った人が言っていたが、その通りだ。標識を取り外した方がよい。また二重山稜があり、すぐに石立分岐となる。しっかりしているとは言えないものの、踏み跡はある。稜線のあちこちに大小のチャートが点在するようになり、風景に変化を与えている。P1732はなだらかな草原のふくらみ。展望に優れ、またパノラマ写真を撮る。
この日の最後のピークである白髪山が大きくなってきた。天狗塚と三嶺の間の西熊山も存在感を増してきた。矢筈山が真横(真北)になり、塔丸はすこし後方になってきた。それにしてもなんとのびやかな領域だろう。大菩薩峠や鈴鹿のイブネ・クラシと通じるものがあるが、もう少しスケールが大きいと言えるかもしれない。なにしろ剣山に登ってから、天狗塚までそのような光景が続いているのだから。タカネオトギリ、ニガナを見かけた。やがて白髪避難小屋が見えてきた。気分のよいところにある。丸石と同様に両側から丸太が立てかけてある。中に入ると誰もいない。広い部屋を独占できそうだ。
コーヒーを淹れて一休みし、雨具と少量の水、水場で水を入れるための空のペットボトルをもって白髪山に向かう。だんだんガスが濃くなり、白髪山頂上に着いたときには周りは全く見えなかった。小屋まで戻ってきて、手前にある水場標識を右折して、水汲みに行く。かなり急だと聞いていたので、ダブルストックを持って行く。帰りの登りにはとくに有効で、14分と言われているところを10分で帰ってきた。小屋に帰ると離れた所にテントが2つ立てられていた。小屋には誰も来ていない。昨日炊いておいたご飯を温めて生卵つきカレー、それに生野菜にツナソースをかけたが、野菜が新鮮さを失っていたためか、失敗だった。
2010. 10. 20 三嶺・天狗塚を越え久保まで |
コースタイム
0600 白髪避難小屋、0611 白髪ノ別れ、0649-53 カヤハゲ(東熊山;1720b)、0756-0810 三嶺(1893b)、0933-53 西熊山(1816b)、1014 オカメ岩、1048-54 躄峠、1110-18 天狗塚(1812b)、1130-40 牛の背のヌタ場、1202-11 躄峠、1337-43 西山林道、1422-52 休憩、1504-36 廃屋、1549 西山谷第三堰堤、1610 久保BS
少し暗いが、ヘッドランプが必要でない明るさになってから出発する。だんだんとカヤハゲや三嶺が大きくなってくる。振り返ると、前日に歩いた稜線が長く伸びており、白髪ノ別れや白髪山も見送ってくれている。三嶺の登りでは、大きなチャートの周りにかなり色づいた樹が見られ、なかなか見応えがある。もう少し光が当たってくれるとよいのだが、なかなかうまくいかない。ヤマハハコの白い花、コメツツジの赤い葉が見られる。
三嶺への最後の登り |
三嶺頂上からヒュッテを見下ろす (後は剣山と次郎笈) |
三嶺の頂上に着く。今度は正真正銘の360°の展望だ。見えた山名は「展望」に譲るが、とくに天狗塚、西熊山方面のカヤトの稜線が美しい。コメツツジが完全に色づいていたらどんなにすばらしいだろう。白髪避難小屋近くでテントを張っていた人が頂上に先着しておられた。このまま名頃に下り、バスで見の越に戻るとのこと。
西熊山、躄峠、天狗塚に向かって縦走を続ける。やはり実に気分のよい道だ。三嶺から西熊まで、コースタイム1:00の所を1:20もかかった。こんなに遅くなったのは年のせいかと愕然とする。写真を撮りすぎていたのが原因かもしれないと、試しに西熊から躄峠までを余り写真も撮らないで真面目に歩いてみた。1:05の所を0:55で歩けたので、まあまだ大丈夫かと安心する。躄峠からは天狗塚のピラミッドがきれいに見えていたが、ザックをデポして、歩き始めるとだんだんガスが出てきた。
躄峠から天狗塚のピラミッド |
牛の背の笹原 |
天狗塚頂上には4-5人のグループが賑やかに昼食の準備をしていた。北西の方向に牛の背と呼ばれる平原が広がっているので、下りてみる。涸れかかっている池の所まで行って、ごろんと仰向けに寝転がる。このような優雅な時間を持つのは久しぶりだ。本当は1時間でも昼寝をするとよいのだが、貧乏性が災いして、10分ほどで立ち上がる。天狗塚には戻る必要はなく、コルの辺りへトラバースする道がついている。稜線に戻ると、蛙が一匹、道の真ん中にじーっとしていた。
躄峠ではすっかりガスに囲まれてしまった。荷物を取ってすぐに下山を開始する、標識には「久保」という字はなく、「西山」としか書いていない。車登山の人を最優先しているのはどこも同じだ。駐車場のある西山林道に出たすぐあとの登山道も分かりにくかった。また、途中ではガイドブックの指示とはちがう道を歩くようになっていた。しかし、しっかりした道なので問題ない。かなり時間が余りそうなので、途中でバーナーを出し、お湯を沸かして紅茶を飲む。すぐに水場があり、やがて廃屋の前に出る。そこから道がなくなってしまい、しばらく探したが分からず、適当に下りていくが、明らかに道ではない。やがて東方向に左へ流れている川が見えたので、大体の位置は分かった。かなり急で川に下りられるかどうかが分からないし、川に出ても道がなければ堰堤などに阻まれる可能性がある。やはり、迷ったときは引き返すのが常道と廃屋まで登り、さらに水場を越えて、赤テープがあるところまで戻る。そこから再度下りはじめるが、廃屋までに分岐はない。廃屋でもう一度丁寧に道を探すが、見あたらない。川に出る覚悟を決めて下りていく。引き返した所から少し進み、川を見下ろすと、道のようなものが見えた。強引に下りて、やっと林道にでることができた。約30分のロスだった。
目の前の橋を渡り、堰堤の案内板を見ると西山谷第3堰堤とあった。次の橋の所で、犬の散歩をしていた人に追いつき、BSまでの時間を聞く。10分あれば着くが、河原で汗を流したりする時間はとてもないよと脅かされ、きれいな河原が目の前にあったが諦める。牛の背で長い昼寝をしないでよかったと思いながら、歩き続け、BSに着いた時には14分の余裕があった。。しかし、ビールを購入し、トイレのそばにあった水道で、手や顔を洗い、背中を拭き、靴の泥を落としていると、ちょうどバスの出発の時間となったので、やはり河原に寄り道しないでよかった。