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大変な難儀だった山行  



危険というわけではなかったが、大変な難儀をした山行も多かった。その中から5つ選んでみた。




北海道で熱中症
(利尻山、
2019. 08. 06)
かねてから気になっていた利尻山に行く。リシリブシ、リシリトウウチソウ、レブントウヒレンといった固有種だけでなく、実に多様な高山植物が咲いており、大変満足できる山だった。眺望も満点とはいかないが、まずまず。頂上に着いたころは大変暑く、小さな祠の陰になんとか居場所を見つけて昼食をとる。若い人はあまり気にしないようだが、熱中症になりそうだった。下り道でも、ちょっとでも陰があればこまめに休んで、涼を取ることに勤めた。エゾマツ、トドマツの林まで下ってくると、うんと楽になった。島の人もこれほど暑い夏はないと言っておられた。



どこのピークか不明
(川桁山、
2000. 11. 04

東北新幹線の郡山辺りから見て、大変分かりにくい川桁山、天狗角力取山、大滝山の一角に足を踏み入れた。登山口からすぐに道を見失い、3時間ほどの藪漕ぎをしたのち、あきらめて下山する。もちろん同じ所を下ることなどできない。登りのときにボールペン、下り始めて眼鏡のチェーン、ほとんど下りてきたときに腕時計と眼鏡、さらに車に乗ってからズボンのベルトまで失っているのに気が付いた。こんなにひどい目にあった藪漕ぎは初めてだ。登山口のすぐ近くに赤リボンがあるのを見つけたので3年後に再訪した。このときは、登山口から1:50で頂上に立つことができた。

 

頂上手前で足踏み
(富士山、
1960. 07. 21

若いころの無謀登山のうちの一つ。前の日に伊豆南端の蓮台寺から修善寺まで歩いて縦断し、御殿場まで移動して食料や懐中電灯を購入する。タクシーで馬返し(1.5合目)まで行って歩き始めたのが21:50。夜道を眠い目をこすりながらフラフラと歩く。休んで空を見上げると、見たこともない数の星が素晴らしかったが、すぐにウトウトとする。友人とお互いに起こし合いながら、歩き続け、9合目から2時間近くかかって、なんとか山頂に到着したのが10:30。寝不足だけでなく、酸素不足にも参ったのだろう。山頂から河口湖駅までは4時間半とえらく早かった。



奥念丈岳近辺での藪漕ぎ
(中央アルプス南部、2012. 09. 12)


中央アルプスの最南部を歩こうと越百山近くにテント泊し、翌日安平路山に向かって出発した。大変な藪道とは聞いていたが、これほどのものとは想像できなかった。結局、袴腰山でギブアップしたのだが、一日中腰くらいまでの高さの笹の中を歩くはめになった。土の道を歩いたのはほんの数分だけといった印象。笹に潜れば道が見えるのだが、立って歩くとすぐに分からなくなる。袴腰山で諦めてテントを広げたが、それも笹の上なので全く安定しない。バーナーを取り出しても置く場所がないといった状態で、笑いが止まらないという一日だった。翌日、引き返したが苦労は同じ。



神崎川右岸道から谷を見下ろす
(鈴鹿奥座敷、2008. 04. 15)


西行河原でテントを張り、翌日右岸の道を行くが、すぐに曖昧になる。道らしい道があるかと思えば、すぐに杣道になり、獣道になり、消えてしまうというのが繰り返される。道があっても、非常に危なく、両足だけで歩けるような所はほとんどなく、時には匍匐前進を強いられた。下に川が見え、急降下してツメカリ谷出合にでたあとも苦労は続く。川原を歩いたり、しっかりした山道が出てきたのでそれを登ったり、これではおかしいと沢の方に下りたり、また舞い戻って登り続けるといった繰り返し。とうとうあきらめて途中で引き返す。来た道を帰るといっても、道がない所を歩いていたので、またよじ登ったり、よじ下ったりで、さすがにうんざりした。やっとテントが張れそうな川原に下りてねぐらを決めた時は17時近くになっていた。




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