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雪の中でのテント   



テントを使って山行を楽しんだのは定年後の67〜75才という短い期間だった。そのうち、雪の上でも使ったのは4年だけなので、ごくわずかの経験しかないが、それぞれの場面が頭の中にしっかりと焼き付いている。




押手川
(編笠山、2009. 03. 15

編笠山から青年小屋付近で泊まり、西岳へ回る予定でまずは編笠山に登る。思いもしなかった傾斜で、かなり手こずる。重荷で、深雪で、急斜面と3拍子が揃うとつらい。頂上からのすばらしい展望には大満足。出会った人に様子を聞くと、西岳への道はかなりのラッセルを覚悟しないといけないとのこと。青年小屋まで行ってから、後のことを考えることにして、小屋へのルートを探すが、なかなか見つからない。北東に向かえば間違いないのだが、雪に覆われているハイマツの上を適当に歩くことも難しい。とうとう諦めて引き返した。そのまま帰ることもできたが、せっかくなので途中の押手川で初めての雪上テントを張ることにした。川の水は見えなかったが、きれいな雪は豊富で、水には困らなかった。



爺ヶ岳南峰から種池小屋
(爺ヶ岳、2009. 05. 09

残雪期の北アルプスはいつも楽しい山行を約束してくれるのでお気に入りだ。扇沢出合、冷池小屋、種池小屋でテント泊して鹿島槍と爺ヶ岳に登った。冷池小屋では遭難者救助のためのヘリが来るというので、大騒ぎだった。種池小屋(写真の中央の小屋)では広い雪原の中で自在に場所を選べる。劔、鹿島の景色も捨て難かったが蓮華、針ノ木を望む南向きのサイトを選ぶ。少し雪を固めてからテントを張るが、風があるので、テントの固定に苦労する。帰宅したのちにネットで、テントを雪の上で固定する方法を学んだ。翌日は、岩小屋沢岳まで行く時間はないので、絶景を楽しみながら棒小屋沢ノ頭まで往復し、下山した。



二鋸から菅並への尾根
(墓谷山、2011. 03. 31


前日は七々頭ヶ岳に登り、菅並のお寺の境内でテント泊させてもらう。翌日、空身で横山岳、墓谷山に出掛ける。墓谷山の北西尾根にある670+bのピークから菅並へ戻るつもりだったが、一つ手前の尾根を下りてしまった。雪や藪で歩きにくい尾根をどんどん下り、谷に向かって急に傾斜がきつくなった所で間違いに気が付く。1時間近く下っていたが、この先の小市谷は危険ということなので、引き返す。正しい分岐点まで行った所で日没になったが、まだ明るいのでできるだけ高度を下げることにした。なかなかよいビバーク地はなかったが、写真の所で夜を明かす。レスキューシートを持っていたのが幸いしたが、朝起きるとかなりずり落ちていた。食料は、非常食だけだったが問題なかった。



明神平
(台高山系、2012. 01. 26

小雪が舞っている中、明神平には16時過ぎに着く。天理大小屋の風下側にテントサイトを決め、少しだけならしてテントを広げ、リングを取り外したポールを雪に押し込んで2ヶ所を固定する。ペグ代わりに持参した紐つき木片を埋めてあとの4ヶ所を固定する。食後、できるだけ沢山着込み、携帯カイロも使って寝る。フリースは着ないで背中に敷いて下からの冷気を防ぐために使った。夕方から朝にかけて大体−8℃程度。時々テントが押しつけられるほどの風が吹き、かなり寒い夜となった。翌朝、整地が不十分だったので、寝た部分がかなり沈み込んでいた。テントに入れておいた靴が凍っており、履くのに苦労しした。ペグ代わりの木片はうまく機能していて、抜くのにも苦労しなかった。


 

天鳥川伐採小屋後
(瑞牆山、2012. 12. 07


奥秩父の小川山はどこから見ても大変存在感があるのに、あまり注目されない不遇な存在のようで、以前から気になっていた。増冨温泉から歩きはじめ、この懸案の山に行く計画を立てた。天鳥川の途中にある伐採小屋跡にテント適地がありそうなので、そこを目指すが、時間もあったので瑞牆山にも登っておく。前回登った時は霧だったが、今回は快晴で、よい展望が得られた。天鳥川のテントでは少し寒かったが、問題なく夜を過ごす。翌朝起きると、雪が舞っており、谷間なのに風もある。八丁平への踏み跡もまったく不明瞭になっている。小川山から廻目平への道が雪に埋もれていると、やや難しそうなので、無理をせずに来た道を引き返した。




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