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2009. 5. 7-10
  鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳

三好達治「昼の雲 舟のさまして動かざる 鹿島槍てふ 藍の山かな」はすばらしい詩と思うが、必ずしも山の魅力を必ずしも十分に表しているとは言えない。その点、山好きの文筆家は違う。深田久弥「笠ヶ岳のように端正でもなく、薬師のように雄大でもなく、剱岳のように峻烈でもない。そういう有り合わせの形容の見付からない、非通俗の美しさである。粋という言葉が適当しようか。粋でありながら決して軽薄でない。」や、田中澄江「人にたとえるなら、柔和さと厳格さを併せ持っているような魅力とも言おうか」はさすがにうまいこと言うなと感心する。


同行: 単独


2009.5.7 扇沢まで

コースタイム

1440-52 扇沢BS、1505-40 扇沢出合テント場、1600 南尾根末端、1635 テント場


一日前に出るつもりだったが、5/6はジパングが使えないと言われ、一日ずらせる。その方が天気もよさそうだったので、問題ない。この日も車中ではぐずついた空模様が続いていたが、バスを降りるとなんとか雨はあがっていた。BSから少し下り、扇沢橋近くの広場にちょうどよいスペースがあったので、テントを張る。時間があるので、登山道の方へ散歩する。少し古いのや真新しい献花があり、引き締まる思い。雨は上がったものの、やっと稜線の一部が見える程度。ジグザグを何度か繰り返すと、尾根の先に出たらしく、東側の大町方面が見渡せる。バスターミナルが随分と下に見える。南尾根の入口まではまだまだありそうなので、潮時かと引き返す。扇沢の河原に降りて、水を汲んでおく。まだピンク色を残すイチリンソウが沢山道端に咲いている。僅か3日後に下山したときには真っ白に開花していた。フキノトウを2つほどちぎり、野菜の少ない夕食の足しにする。食事の後片づけは目の前の溝の水で済ませる。きれいな水なので安心して使う。

2009.5.8 扇沢から冷沢山荘まで

コースタイム

550 扇沢、640 八ッ見ベンチ、645 夏道との分岐、750-815 中食、1010-15 ジャンクションピーク(〜2320)、1200-20 爺ヶ岳南峰(〜2660)、1400-1405 小ピーク、1425-35 赤岩尾根分岐(冷乗越)、1455 冷池山荘

4時に起床する。5℃とかなり暖かい。食事が終わり、テントをしまおうかという頃、多分上の駐車場で一夜を明かしたと思われる車がやってきて、登山者(秋田)が出てきたので会釈する。彼が出発して、30分程してこちらも出発。蓮華方面からの丸石沢が大きく見える。スバリ方面の斜面も朝日に輝いており、明るい気分になる。昨日歩いたところなので、やはり少し気楽だ。40分ほど歩くとやや傾斜がゆるむ。すぐに八ッ見ベンチという所。先ほどの人が休んでおり、お互いに冷池山荘までと話を交わす。八ッ見というのは八ヶ岳が見えるためらしいが、この日は見えない。しかし、スバリ方面が見え始める。夏道と分かれ、南尾根に入る分岐はそこからすぐだった。こんな所を登るのかというような狭い入口で驚くが、それは入口だけで、やがてちゃんとした道になる。といっても、木の根が張りだし、歩きにくい道であることは評判通りだ。道に迷うということはないが、分かりやすいというのでもない。奥秩父の5月を思い出させるような樹林帯だ。所々にショウジョウバカマが咲き始めている。

分岐から1時間ほどで、ジャンクションピークが見えたように思った。遠くないなという印象だったが、実際には中食のための休憩を含めて、そこから2時間かかった。やがて傾斜も出始め、雪に足を取られてぐらついたりすると、ポールでは支えきれない感じとなり、ピッケルに持ち替える。こんなところでピッケルは使いたくないのだが、やむを得ない。荷物が軽ければ、全く必要ない所だ。ジャンクションピークのすぐ手前も急な斜面になっており、やはりピッケルが安定感をもたらす。

ピークに出た辺りが森林限界らしく、急に視界が広がる。岩小屋沢の稜線が辛うじて見えている。少し登るとテントサイトとして利用されたらしい平地があり、実際にも一張りが残されていた。南峰の少し手前で、一つがいの雷鳥と出会う。かなり近づいてくれたので、これまででいちばんはっきりとした映像をものにすることができた。JPから2時間足らずで、南峰に着く。これで荷物を背負っての大げさな登りは終わりとなり、気が楽になる。しかし、完全にガスに囲まれており、何も見えない。栄養源を口に入れ、中峰の方に向かう。途中で中峰への案内標識があったが、ガスの中で登っても、単に最高点に登っただけになるので、帰り道に楽しみをおいておく。




羽根の替わり始めたライチョウ


なんどか雪を踏み抜くが、一度は腰までもぐってしまい、左足が出てこない。左足のすぐ横に右足も踏み込んでしまったため、ますます周囲が固くなってしまったらしい。右足を抜いたあと、ピッケルで懸命に左足のまわりの雪を解きほぐし、取り出すがなかなかうまくいかない。そのうち、ザックも外して、気を入れるが駄目。10分以上格闘したのち、やっと抜け出せた。遭難などに結びつくはずはないものの、誰も通らない、ガスに囲まれた雪山での孤軍奮闘は、あまり気持ちのよいものではない。北峰を巻き終わった辺りで、足跡が二手に別れており、まずは様子見に右手の高みに登ってみる。北に向かうトレースはなく、むしろ南方向に戻るようだ。おそらくはここから北峰のピークに行けるのであろう。分岐点にもどると、二人組(岐阜の人)がやってきた。よく知っているようで、迷わず左手の下り道が行くべき方向だという。たしかに赤布がぶら下がっていた。しばらく一緒に歩いたが、赤岩の頭の手前の小ピークのところで、一休みするため脇道にそれ、先に行って貰う。雪庇の張り出した尾根の写真を撮ったりしていたが、乗っていた所もそれほど安定した所でないことが、あとで分かった。冷乗越を目前にした所で、布引が顔を出し始める。冷池山荘も目前に見えているので、冷乗越でまたザックを下ろし、少し粘ってみる。布引が完全に姿をあらわし、鹿島の南峰の一部も見える。来た方向を振り返ると、種池小屋のあるなだらかな稜線の後に岩小屋沢岳が雲海の上にすっくと立っている。立山方面も頭の部分だけ顔を出す。





冷乗越から岩小屋沢岳



冷乗越から布引山


小屋でテントの申し込みをすると、テント場の近くのヘリポートに、遭難者捜索のためのヘリが明朝5時頃来るかもしれないので、いつでもテントを畳めるようにしておいて欲しいと要請される。断れないので、了解して張り始める。張り終わったとき、また小屋の人と富山県警の人が来て、今夕にもヘリが来るかもしれないので、19時までは張らないで欲しいと言われる。一応小屋の脇まで、テントを移動させ、小屋の自炊室でコーヒーを淹れて、様子見をする。寝る時間がなくなるので、素泊まりに変更してもよいかと考えていると、ヘリポートと反対側の小屋の敷地内に張ってくれるのなら構わないと言ってきた。こちらにとっては何の不都合もないので、了解する。食べ終わったころ、朝に出会った人ともう1人がテント場にやってきて、合計3張となる。食後、ヘリポートの近くの見晴らしのよい所で、刻々と変わる夕暮れの景色を楽しむ。6-7人の小屋泊まりの人達も三脚を立てて、剱を懸命に狙っている。こちらは爺岳から岩小屋沢方面や、妙高の方にも気が取られるが、彼らは剱一本という感じ。やがて東から満月がでてきて、西の空が赤く染まってくる。はじめはシャツ1枚でいたが、さすがに寒くなり、上に着るものを追加して眺め続ける。このような穏やかな夕暮れのひとときは、何物にも代え難い。





冷池山荘から立山・剱岳



2009.5.9 鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳を経て種池山荘まで

コースタイム

640 冷池山荘、750-55 布引山(2683)、850-945 鹿島槍南峰(2889)、1112-1215 冷池山荘、1416-20 爺ヶ岳中峰(2670)、1455-1508 爺ヶ岳南峰、1545 種池山荘

前夜は、珍しく寝付きが悪く、かなり睡眠不足という印象だったが、実のところはよく分からない。全国的な暖かい夜だったため、2300mを越えているのに朝方でも0℃で、全然寒くなかった。当初、吊尾根を往復する予定にしていたが、吊尾根で滑落事故があったばかりだし、小屋の人やテントの人から北峰に行くのは少し危険と聞いたので、取りやめにした。そして、種池小屋でもう一泊することにしたので、比較的ゆっくりと出発する。それでも、同じ朝に頂上に向かった6人の中ではいちばん早い出発だった。この日は朝から快晴で、最初からアイゼンをつけて、快適に布引山に向かう。やがて薬師岳も見え始め、剱もその峻厳たる姿を惜しげもなく曝している。三の窓の雪渓などは実に急峻であり、あんな所を以前に登ったのかと不思議になるくらいだ。




冷池山荘から見た布引山と鹿島槍の双耳峰



やがて布引山。ここからの眺望もすばらしい。蓮華の左に穂高らしい白い峰がぼんやりと見えるが、ピークを同定できるまでにはいかない。しかし、その左の大天井はまちがいなさそうだ。蓮華と針ノ木の間はおそらく鷲羽。牛首山の先には毛勝三山。鹿島槍はすぐそこで、布引まで来れば終わったようなものだなと思う。しかし、実際にはさらに小1時間ほどかかってしまう。山が大きいので錯覚したのかもしれない。

いよいよ、誰もいない鹿島槍の山頂に到着。これまでは見えなかった北峰や五竜、白馬が目に飛び込んでくる。吊尾根を覗き込むと、尾根をはずれて下の方へ下っている足跡が見える。滑落した人を探しに行ったのだろう。しばらくは簡単そうだが、その後は急に落ち込んでおり、足跡も見えなくなる。冥福を祈って、他の方向へ目を巡らせる。富士、南ア、中ア、御嶽などは全く見えないので、満点とはいかないが、それでも十分満足できる景観だ。誰もいない静かな山頂と思っていたが、そのうちイワヒバリが沢山周りや足下にやってくる。イワツバメも飛び交っている。やがて、捜索のヘリコプターもやってくる。谷間に猛然と突っこんで行き、すぐに飛び去るというようなことを繰り返している。もう少しスピードを落として探さないと、見付からないのではないかと余計な心配をする。やがて、前日に出会った岐阜の二人連れが上がってきた。よく来ているので展望にも詳しい。野口五郎、鷲羽、黒岳、黒部五郎などの分かりにくい領域についてしゃべる。彼らは、冷池山荘にもう一泊するというので、ここでゆったりするらしい。こちらも1時間近く楽しんだので、下り始める。




鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳・穂高連峰・蓮華岳


鹿島槍ヶ岳から白馬岳・五竜岳



下り道で雷鳥に出会うが、今回は1羽だけだ。テントに泊まったあとの2人が前後して上がってくるのにすれ違う。テント場に戻り、テントやマットを乾かしながら、くず湯を作り、腹ごしらえをする。ほぼ1時間で出発。爺ヶ岳もなかなか雄大な容姿で、進むに連れ、姿が変容していくので見飽きない。いつまでも巻道が続くので、前日スキップした中峰を越えていないかと心配になり、荷物を置いて稜線に登ってみる。北峰の長い峰の南端に出たようで、目の前に中峰が聳えていて、よい寄り道だった。このあと、鹿島槍以外ではこの日唯一の人とすれ違う。好天の土日なので、もっと登ってくるのかと思っていたが、南峰までのピストンで帰る人が多いのかもしれない。しばらくして、中峰へというサインが出てきたので、またザックをおき、最高峰を目指す。8分の登りだった。やはり、違った角度からの構図で、悪くない。





爺ヶ岳北峰から爺ヶ岳中峰と南峰



南峰に複数の人影が見え、かなり長いこといるので、上でテントでも張るのかなと思っていたが、上に着いたときには、影が消えており、南尾根の方にも、種池の方にも姿が見えなかったので、キツネにつままれたような気がした。種池小屋はすぐそこに見えており、中食を食べながら、翌日に歩く予定の岩小屋沢方面へのルートを眺める。尾根に少し雪庇が張り出しているのが見える。

種池小屋までは、しょっちゅう踏み抜いたトレースがあり、それをたどればよいので楽だった。小屋泊まりしている単独行の人に聞くと、彼が歩いたときはトレースがなく、大層難儀したという。その人の他にも、テントを張っていた無口な夫婦連れも歩いていたので、ますます楽になったという次第らしい。夏のような陽気なので、ビールを買って、小屋の人としゃべりながら飲む。テントは2つだけ。小屋泊が1人という静かさ。南向きで蓮華、針ノ木を望むサイトを選び、少し雪慣らしをしてからテントを張る。風があるので、テントの固定に苦労する。夕食を作りながら、せっせと水作りに励む。小屋で150円/Lで分けてくれるのであるが、自分で作ると色々と学べるので、あえて作る。新たに持ってきた大きめのコッフェルが役に立った。19時前の天気予報を小屋のテレビで見てから就寝。


2009.5.10 棒小屋ノ頭を往復し、扇沢へ下山

コースタイム

713 種池山荘、807-23 棒小屋沢ノ頭(〜2510)、910-35 種池山荘、1030-44 爺ヶ岳南峰、1137-54 ジャンクションピーク、1344 八ッ見ベンチ、1422-45 扇沢橋、1459 扇沢BS

 4:15に起床する。残月が岩小屋沢岳の左肩に沈もうとしているところだ。南向きに張ってよかった。とても岩小屋沢岳までは行けそうにもないので、ゆっくりと準備する。まずは紅茶を飲み、それから朝食。持ってきた野菜類もすべて消費し終わり、気持ちがよい。終わってから煎茶。テントをそのままにしておくと、飛ばされる可能性もあるし、撤収に時間がかかるので、畳んで小屋に預ける。ウェストポーチとポールだけで出発しようとすると、小屋の人が、棒小屋ノ頭へあがる所が急なので、ピッケルの方がよいと助言してくれる。アイゼンは最初から着けていくつもりだった。





種池小屋テントサイトより針ノ木、岩小屋沢の朝



今日も快晴で、春山のよさを満喫する一日になりそうだ。雪原の向こうに剱や鹿島槍を見やりながら、誰も歩いていない稜線に足を進める。途中でなんとなくトレースらしきものも見付かり、雪庇に近寄らずに歩けるし、若干ナイフリッジ状になった稜線も気楽に通れる。棒小屋乗越まで下り、振り返ると、クラストした爺ヶ岳南峰の方向の稜線が逆光でテラテラと光っている。登っていくと、ライチョウの糞が何ヶ所かに落ちていた。カモシカの足跡もある。こんな高い所にもいるのだと感心する。乗越から頭までは確かに急坂だ。ピッケルがないと少し苦しいかもしれない。小屋から見ていると7つ程度のピークからなっているが、その最初の真っ白いピークに到達する。余裕をみて8:30になれば引き返そうと考えていたが、次のピークまで行くと、それを超えることになりそうなので、そこを折り返し点とする。ここからの山々もすばらしい構図である。時間に余裕があるのは楽しい。小屋に戻ってからも、見た糞がライチョウのものであること、蓮華の左の白い山は大天井であることなどを小屋の人に確かめながら、カロリー補給をする。





棒小屋乗越からの鹿島槍ヶ岳


ジャンクションピークから赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳


爺ヶ岳南峰までの最後の登りも、荷物が軽くなってきているので気にならない。最後の5分ほどを省略して、トラバースすることを考えていたが、やはり頂上に登っておく。冷池山荘から来た秋田の人と再会する。この山頂並びに下り道で、日帰りで扇沢から往復するらしい人達5-6人と出会う。途中の休憩点であるジャンクションピークで休み、出かけようとすると鈴鹿の人が下りてきた。南峰のピストンだという。先に出発して、歩きにくい尾根道をたどっていると、この人が左手の雪の上をスタスタと歩いているのが見えた。しばらくして、そちらに出る。尾根道に今朝登った人の足跡が残っていないのが不思議だったが、皆さん雪の上を歩いていたらしい。道はどんどんとはかどる。鈴鹿氏は適当な所で木の間に入っていったが、まだまだ雪の上を歩けそうだったので、最後まで雪をたどる。このあと、右手の扇沢の方へ迷い込み苦労する人が多いと聞いていたので、注意していたが、あまりにも左手左手と意識しすぎて、左へ道をはずしてしまう。5分ほどのロスで登山道に戻る。ピッケルをポールに持ち替えるため、一度小休止。南尾根から夏道の柏原新道に飛び出したのは、登山口でなく、もう少し下の八ッ見ベンチの所だったので驚いた。あとから下りてきた鈴鹿氏も同じ所から出てきた。あとは何の苦労もない道を下るだけ。新緑も目につく余裕がでてきた。テントを張った所で、頭や手足を洗い、すっきりしてからバス停に向かう。きれいな水と思い、飲んだりもしていたが、BSの方に歩いていきながら、たどっていると、バスターミナルの脇の溝に続いていた。何が混じっているか分かったものではない。もっと後のバス時刻しか調べてなかったが、うまい具合に、出発寸前の定期バスに乗ることができた。



(追記)

この連休の北アの事故は、ほとんどがこの山域に集中していた。4月28日、京都府立大山岳部の3人が鳴沢岳で凍死。4月29日、横浜市の山岳会の男女2人が鹿島槍東尾根で宙づり死と凍死。5月3日、五竜岳山頂付近で、女性が滑落死。5月6日、鹿島槍南峰で、大阪からの団体5人のうちの男性1人が富山側に滑落死。計4件、7人。



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