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2009. 03. 14 - 16
 編笠山


千葉の鹿野山で用件をすませた後、そのまま帰るのは惜しいので、八ヶ岳を計画する。小淵沢から1時間ほど歩いた所のホテルに泊まり、翌日編笠山を越えて、青年小屋の冬季小屋に泊り、その後、できれば権現岳を往復して、西岳を越えて信濃境まで下りるという欲張ったものだ。とくに青年小屋の入口は雪に埋まっているという記事がいくつか見受けられたので、駄目な場合も考えてテント持参とする。

同行: 単独

2009. 03. 14 小淵沢

コースタイム

1500 小淵沢駅、1630 八ヶ岳ロッジアトリエ

小淵沢駅から食料品店を探しながら、商店街を歩いたので、少し回り道をした。それなのに何も見つからなかった。最近どこの街でも、商店街はこのような寂しさだ。JRの跨線橋を渡るとき、東側に金ヶ岳と茅ヶ岳の双耳峰が見える。ここからだと高さがうんと違うように見える。その左手に一つだけ雪を抱く峰が見えたが、金峰山だろうか。歩く方向には編笠山、権現岳、三ツ頭があるが、山頂は雲の中だ。このとき、どうして後を振り返らなかったのだろう。南アがすぐそこに聳えていたはずなのに。八ヶ岳に気持ちが集中していたためかもしれない。しばらくして、編笠などの雲が薄くなり始める。高速のIC近くでやっとスーパーを見つけ、必要な食料を調達する。そのあともコンビニで買い足したりしたので、駅から宿まで1時間半かかった。宿についてから、早速少し上の方へ山を眺めに行く。それまで、後を見なかった。ここまできて、やっと南アがすばらしく立派に見えていることに気がついた。鳳凰(薬師、観音、地蔵、高嶺の順)、甲斐駒、鋸、雨乞だが、甲斐駒は上が雲の中。八ヶ岳側は西岳も見え始めた。ギボシだけはすっきりしないが、真っ白の権現が登っておいでと手招いている。


2009. 03 .14 小淵沢から編笠山


0605 ホテル、0635 ゲート、0708 急カーブで林内へ、0744-800 観音平、0905-20 雲海、1010-35 押手川、1210-30 休憩、1310-52 編笠山(2524b)、1405-25 アイゼン装着、1458 押手川

5時頃出発の予定と宿の人に言っておいたが、6時を過ぎてしまった。快晴だ。前日は見えなかったギボシや北岳もくっきりと見える。モルゲンロートに染まり始めた頃で、出遅れた感じはない。




宿の近くから編笠山、権現岳、三ッ頭


宿の近くから鳳凰、北岳、甲斐駒ヶ岳、鋸岳


ゴルフ場の所からはカラマツが両側に並ぶ道を、霜柱を踏みながら歩く。再び車道と交差する所がゲートになっている。日曜なのに車は止まっていないので、ラッセルが待っているらしい。ゲートからはまた舗装道路になる。地理院地図には、車道が左へ急カーブする所から観音平への破線が描かれているが、夏には歩く人などいないようで、明瞭な道はない。所々雪の上に踏み跡もあったが、多くは鹿の足跡だった。地図通り北北東に進み、途中で北東に向きを変えるように歩いているうちに、観音平についた。ここでスパッツをつける。登山者名簿を入れる箱があったが、用紙は自分で予め用意しておくものらしく、置いていない。名詞の裏に予定を書いて、ほおりこんでおく。

地図には2通りの道があるが、東に進む方が目についたので、そちらに行く。親子連れの鹿4頭が前を横切っていった。雲海までのコースタイムは0:50だが、1:05で到着する。富士山が初めて見え、南アも仙丈ヶ岳が顔を見せる。中アも樹間から白い姿を覗かせている。すぐに中年夫婦が追いついてきた。そろそろ邪魔にならないだろうとワカンを着ける。その間に、2人は先行していった。次の休憩地点の押手川で追いついたが、まだワカンをつけないまま登っていった。


しばらく休んでからその後を追うが、全然追いつかない。大したラッセルではないにしても元気なものだ。だんだん急坂になり、何度も息を整えるために足を止める。遠くから見たとき、編笠というのは丸い穏やかな山の印象を持っていたが、地図で計算すると30°という勾配が続くので、かなりの傾斜だ。途中で道にザックを投げ出して、20分も休憩する。この数年間、疲れたのが原因で休憩をしたことがなかったが、この日はよほど疲れたのかと思ったが、これまで雪山にテント持参で登ったことがないことに気がついた。軽い荷物でピストンする人に叶わないのは当然だ。編笠まで登れば、あとは青年小屋まで下りるだけなので、全くあせることはない。富士や南アを見ながら、ゆっくりしていたら、早くも夫婦連れが降りてきた。「上はすごい風で長居できなかった」と言っていた。彼らとすれ違ったあとは、延べ4人が歩いた所を辿るというのに、それでも重い荷物を持ち上げるのに苦労する。ポールを1本しかもっていなかったので、一段上に突き刺し、両手でそれを握って身体を持ち上げるというようなことを繰り返す。トレースがない所を歩いていたのなら一層大変だったにちがいない。頂上近くになって、また空身に近い若い人に抜かれる。すごい早さであっという間に視界から消えていった。


まもなく頂上に到着すると、すばらしい光景が広がっていた。ザックを降ろすのも、防寒具を着ることも忘れて、360°広がる周りの景色に見とれ、パノラマ写真を撮る。国師ヶ岳、金峰山、帯那山、金ヶ岳、茅ヶ岳、御正体山、三ツ峠山、御坂黒岳、富士山、天子山塊、千頭星山、鳳凰三山、北岳、アサヨ峰、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳、雨乞岳、白岩岳、恵那山、南駒ヶ岳、空木岳、木曽駒ヶ岳、入笠山、御嶽山、(多分白山も)、乗鞍岳、霞沢岳、穂高連峰、常念岳、高ボッチ、鉢伏山、西岳、霧ヶ峰、美ヶ原、八子ヶ峰、蓼科山、北横岳、縞枯山、峰の松目、天狗岳、阿弥陀岳、中岳、横岳、赤岳、ギボシ、権現岳でほぼ一周する。なんと多くの山が見えていることだろう。多くの山々に登ったような気がしたが、上のリストでまだ登っていないものを勘定すると1/3程度もある。



編笠山から阿弥陀岳


編笠山から横岳、赤岳、ギボシ、権現岳

2人連れはすぐに下山していき、単独の若い人と2人だけになった。この人はこの辺りに詳しいので、西岳の様子を聞く。青年小屋から西岳は歩いている人が少ないので、かなりのラッセルになると予言していた。青年小屋への道は地図には一直線にNEに下るようになっているが、そのような道は見あたらない。道標はまずは北に行きなさいと教えているので、その方向に進むが、それらしいものはない。東に向きを変え、あちこちを探るが、樹林帯に入り込むと、ズボズボと潜ってしまい、動きが鈍る。小屋の方向は分かっているし、コルもすぐそこに見えているので、服装を整えて、ムリヤリ突入することも考えたが、万一青年小屋が埋もれており、外にテントを張るのも難しいとなったときのことを考えると無理できない。20分ほどウロウロした挙げ句、頂上に戻ると、若者も去ってしまい誰もいない。帰ってから調べると、「ハイマツ帯の切り開きを下っていき、樹林帯を過ぎると大きな岩石がゴロゴロ転がっている露岩帯に出る」とあった。ハイマツなどは埋もれているので、この切り開きが目に入るはずがないが、雪に埋もれたところをもう少し北へ下るべきだったのかもしれない。それなら地図にそのように書いて欲しいところだ。

まだ時間は早いので、無理すれば帰宅できたかもしれないが、折角なので押手川あたりでテントを張ろう考える。雪の上のテント設営も初めての経験なので、興味があった。下り初めてしばらくすると、雲取のような氷道ではないのに、かなりの頻度で滑る。ピッケル・アイゼンというのが、ここでの常識のようなので、それに倣ってワカンをアイゼンに替えてみる。やはり、うんと楽になる。アイゼンはともかく、ピッケルよりはストックの方がはるかによいと思うのだが、この日登った他の5人はすべてピッケルを使っていた。

先に降りた2人連れが、南ア・中アが広範囲に見える所で、シートを広げて、くつろいでいたので、しばらく立ち話をする。甲府から来たと言い、かなりよく来ている様子だったので、青年小屋への道を聞く。岩場を降りていくのだが、夏でもはっきりしないので、雪ならもっと分かりにくいだろうと言っていた。

押手川でザックを降ろす。青年小屋への巻道を5分歩くと展望台があると書いてあるので、そこへ行ってみる。富士がよく見え、鳳凰と北岳が見えるが、頂上でそれ以上の景観を見てきたばかりなので、感銘は少ない。よほどよければ、夕方、あるいは翌朝にもう一度来ることも考えていたが、その案は消えた。

まだ日が射している間に多くのことを片づけ、食事も明るい間に終えてしまう。ペットボトル、ガスボンベ、電池類はシュラフに入れ、日曜なので本当は休肝日だが、ウィスキーを飲んで、早めに寝る。すぐに寒さで目がさめ、持ってきたものを1枚ずつ足していくが、やはり地面へ熱が吸い取られるらしく、震えが来たりする。最後の一枚のゴアの雨具を、着るのではなく、下に引いてみる。これがよかったようで、少し長目に寝付けるようになった。2度ほどテントから顔を出したが、月と星が樹々の間に煌々と輝いていた。





押手川でテントを


2009. 03. 16 押手川から富士見平へ

コースタイム

0745 押手川、0807-10 雲海、0823-49 展望台、0900-24 富士見平、0953 車道へ、1040-1150 道の駅、1225 小淵沢駅

朝起きると−3℃だ。温度計をテントの外に出すと−10℃を指している。こんなに差があるとは思わなかった。テントの内部に全然氷が着いておらず、サラサラとしていたことにも驚いた。靴はテントの中に置いておいただけだったので、固くてなかなか足を入れることができなかった。朝食、テルモス用のお茶作りをすませる。結局3度ほど、雪を融かして水を調達したので、今回のガス使用量は60gほど。急ぐ必要もなかったので、起きてから出発するのに2時間ちょっとかかった。

この日はつぼ足で下る。前日とちがってかなり凍り付いているので、アイゼンがあると楽かなという所もあるにはあったが、結果的にはなんとかなった。雲海での景色は、前日より悪い。富士山は下半分しか見えない。ここからは、富士見平の方へのコースを取る。全員が観音平に降りているので、こちらのコースは滑ることが全くなかったし、展望台、富士見平からの眺めもよかったので、大正解の選択だった。なぜ、他の人はこちらを歩かないのだろうか。全員が車のようだったが、こちらだと駐車などに何らかの不都合があるのかもしれない。



車道に出たあと編笠山を振り返る


富士見平からは車道を歩いたり、適当にショートカットしたりして、ゲートまで降りる。この日は車が1台停まっていた。少々空腹になってきたが、道の駅で土産でも買いながら食事をすることにして、我慢する。道の駅について、まず足湯が目に入ったので、何はともあれ、足を洗って、靴下を履きかえる。レストランに行くと、食事は11時からしか出さないというので、まず地場産の野菜などを土産に買う。地鶏を使ったという親子丼を頼むが、かなりひどい味だった。時間もあったので、フィリア美術館に立ち寄ろうかと、電話をしてみた。近くに誰もおりませんという案内が返ってきたのでやめた。帰ってから調べると冬季休館中だった。地理院地図を片手に、駅への最短距離を歩いて、発車の4分前に駅に到着。適度の晴れであったが、左側の展望がかなりよかったので、車窓からの山岳展望(中央東線小淵沢=塩尻間)の作業をほぼ終わりにしてもよいかなという所まできた。



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