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2011. 3.
31 - 4. 1  横山岳・墓谷山 




積雪期に横山岳を考えていたが、家を朝早く出ても、日帰りするには無理そうなので、麓で一泊し、前日には七々頭ヶ岳を歩く計画にした。1月から計画していたが、風邪が長引き、2月前半は大雪がやまず、様子見をする。2月後半はベトナム旅行をし、3月はニセコに登って、そろそろと思っていたら東日本大地震・津波・原発の大災害で、それどころではなかった。被災者には申し訳ないが、そろそろよいかと行かせてもらったが、罰が当たったのか、色々と初めての経験をする。




同行: 単独

        

2011. 3. 31 菅並から横山岳・墓谷山  

コースタイ

625 東林寺、640 白水谷登山口、720 林道登山口、753 P373(点名:菅並)、825-28 P545、927-36 〜770、1011 P971、1038-41 西北峰、1108-10 横山岳、1119-1150 すぐ東のピーク(東峰はもっと先らしい)、1157 横山岳(1132)、1235-45 ワカン装着、1333-42 鳥越峠、1400 P599、1442-50 墓谷山(738)、1508-17 ワカンはずす、1519 小ピーク(〜760m)で北尾根へ、1610-20 引き返す(約450m)、1737 尾根に戻る、1808-11 正しい分岐点(〜770m)、1830 P508、1845 ビバーク(約430m)

荷物を整理して重いものをデポしておいて、前日に下調べをしておいた登山口に向かう。一個所危なそうなスノーブリッジで右岸に渡ったのち、少し靴を濡らしながら左岸にもどり、どんどん登ると林道に出た。こんどは間違いなかろうと右手に進んでいく。いくつか尾根の先を回り込んだが、なかなか取り付きらしきところに出ない。林道が下りはじめ、これはおかしいと思ったとき、やっと登山口となった。標識もあり、急斜面に梯子まである。その少し手前で、下から上がってくる石の階段があった。よく知っている人はこれを使うのであろう、菅並からP373までわずか27分で登った記録があるのに、こちらは1時間18分。あとでGPSの軌跡を見ると、林道に出てからとんでもない大回りをしている。最初の水道施設の所にあった登山口という標識の所からいきなり登ればよかったらしい。地形図にはその道はもちろんのこと、林道さえ載っていない。こちらは村人に聞いた通り、林道を回ってしまった。





菅並から見た墓谷山




登山口の梯子を登るともうなんの踏み跡もない。上の方に空が見えるので、それをめざして藪を漕いで登る。いくつかの蕾をつけたツバキの木が邪魔になるが、シャクナゲほどうるさくはない。やがて急坂が終わると、P373の三角点だ。前日と違い、この辺りでも雪はほとんどなく、三角点も顔を出している。

あとは長い西尾根を登るだけ。P545で少し栄養補給をする。そのあとしばらくしてはじめて、木に邪魔されずに墓谷山、七々頭ヶ岳を眺めることができた。770m地点まで来たときに、ガイドブックの所要時間を比べてみる。道がはっきりしてきたP373からでさえ1.4倍もかかっていた。少しゆったりしすぎたかと反省し、修正しようと試みる。しかし、そこから頂上までの時間も1.2倍だったので、かなり遅いことは間違いない。およその予定はそのガイドをもとに立てたので、少し計画が狂ったかもしれないと頭にインプットしておく。ちょっとした雪の壁や岩場、あるいは雪庇なども出てきて、変化がある。





振り返ると七々頭ヶ岳




尾根を登りきり、頂上から西北に伸びている稜線に出ると、視界が広がる。左手の真っ白の山は上谷山1196.7で、その手前に谷山939。上谷山の右が同じ高さの左千方1196.8。三国岳1209はその後にあり、右肩から顔を見せているかもしれないが、確定的ではない。三周ヶ岳1292はさらにその右後方。左千方の右側遠くにボーっと見えているのは1316か。他人の写真ではもっと奥も写っている。このあたりになると、はっきりしたいくつかの足跡がみられるようになった。別ルートからのものらしい。





上谷山(手前は谷山)




山頂にはなんの標識もない。埋もれているのだろう。2008年3月16日の写真では、山頂の物置がかなり出ているが、今回はその屋根が平らな板として出ているだけなので、今年の雪は多いのだろう。三高尾根を覗き込んだが、トレースはなさそうだ。東北の方に同じ程度か少し高いピークがあったので、行っておく。これが東峰かと思ったが、そうではなく、東峰はさらに先らしい。そちらに進む東南東方向にトレースがあった。その近くで風を避け、昼食とする。横山岳頂上に戻り、最後の眺望。三国岳、三周ヶ岳あたりも明るくなってきた。さらに、登ってきたときにはほとんど見えなかった高丸や烏帽子岳が見事にクッキリと見えた。高丸(黒壁、1316.3m)は、このあたりで最も高いが、地形図に名前もなく、不遇の山となっている。三周ヶ岳より多少近くにあり、立派な山容がしっかりと見えるにもかかわらず、わずかに顔を出している三周ヶ岳の方が存在感があるようにさえ思えるのはどうしてだろう。





頂上にある展望台の屋上



頂上から三高尾根と墓谷山を見下ろす



三高尾根にトレースがない場合には来た道を引き返すことも考えていたが、トレースはないものの、前方の尾根筋や墓谷山は明瞭。迷うことはなさそうなので、予定通りこのコースを下ることにする。この尾根は急峻という話をよく読むが、下る分にはなんの差し支えもない。降り始めてしばらくすると左手に金糞岳1317、P1270+、白倉岳1271が姿をあらわす。かなり下に降りてから、午後の暖かさで雪がゆるんできたので、ワカンをはじめて付ける。峠に降りる所にの何ヶ所かロープが設置されていたが、不要といってよいほど。古光山の傾斜の方がはるかに大変だった。

鳥越峠にあった標識に、墓谷山という名前は出てこない。「越地谷下山口 50m先を左」という表示があった。どちら方向に50mかが分からない標識だが、墓谷山の方へ50mというのが正しいらしい。登り始めてしばらくすると、遅ればせながら墓谷山という名前が出てきた。これらはむしろなくてもよいので、峠に欲しかった。登っていくと、再び雪が出はじめたが、最近に歩いた跡は見られない。シカの足跡は見える。ほどなく着いた墓谷山の頂上からは、横山岳から金糞岳への間が遮るものなく展望できた。両者の間に真っ白の山が頂を覗かせているが、蕎麦粒山かもしれない。





墓谷山頂上





墓谷山から横山岳


墓谷山から金糞岳



長居をせず、14:50に下山にかかる。ガイドブックでさえ菅並まで1時間以上かかっているので、15:38発のバスは無理で、最終の17:45になるのは間違いないからだ。しばらく進むと、突然ひどい藪となる。短い距離だが、ワカンがあるととても乗り越えられなので、それまで履いていたワカンを脱ぐ。それを越えるとすぐに小ピークとなり、北側に支尾根が見えた。GPSを見ると、高度は669mで右折すべき地点と同じ。地図に経緯度を書き入れてなかったので、標高と尾根の形だけで即断して支尾根に入っていった。「小さなコブの先の670mのピークから北へ」と書いてあったのを記憶していたので、振り返ったときに、「あれ小ピークなどは越えてないな」と不審に思ったのに、その疑念を無視してしまった。これが一番の失敗だった。

支尾根に入ってからも、かなり歩きにくい道で、とても正規のものとも思えなかったが、直前の尾根道も同じように酷かったので、こんなものかと下り続けた。雪が詰まった所では急に歩きやすくなるので、もっと雪の多い時に来ている人はこんな苦労をしなかったのかなと考えながら下りていった。このようなあやしげな道の下りは、あちこちでやっているので、あまり気にならなかった。やがて目の下に沢が見え、これはおかしいとやっと気がつく。GPSを取りだし、地図に概略の経緯度を記入して確かめる。完全に間違っていた。50分も下りていたので、気が重かったが、セオリー通り下りてきた道を引き返す。尾根まで上り返すのに1時間17分もかかった。まだ明るいし、天気も上々なのでよかったが、これが雨の中だったら、地図に線を引くことさえままならなかっただろう。

主尾根に帰り着いたのは17時半を過ぎていた。ビバークになるが、尾根の上よりは、少しでも下って風が弱い所がよいので、できるだけ歩いておくことにする。右手に見えている横山岳がアーベントロートに染まりはじめる。真冬なら心細くなってくる色だ。間違った地点から350mほど西に行ったところが正しい分岐点で、そこでちょうど日没となった。





赤く染まる横山岳




まだまだ明るいので、下りていく。道があるわけでもないし、雪の上にも足跡はないが、やはり先ほどの尾根よりはうんと歩きやすい。大木の根元にシカが使っていそうな大きな窪みがあった。風は完全に遮られるし、居心地よさそうで絶好のビバークサイトと思えたが、まだもう少し歩いておこうと、前に進む。しかし、その後はそれほどよいサイトはなかった。430m程度の地点で暗くなったので適当な場所で妥協する。分岐点で電池がなくなり、GPSは使えなくなっていたが、もう間違いないので心配はない。購入して何年も使うことのなかったレスキューシートを持参していたのが幸いした。食料はまったく十分でなく、カロリーメートひとかけら、ビスケット少々、サラミソーセージ数枚、あめ玉、あとは水だけ。この水は先ほどの間違った斜面で、きれいな雪をボトルの中に詰めておいたもので、量は十分である。地面がもう少し平であればよかったが、それでも空腹感もなく、十分眠ることができた。風もなく、ほとんど新月に近く、星が降るようだった。横になった頃は、おおぐま座が正面(東の空)に見え、夜中に起きると、はくちょう座、こと座が正面に光っていた。




2011. 4. 1 ビバーク地点から菅並へ

コースタイ

553 ビバーク地点、622-28 朝食、642 菅並の平地、702 東林寺、800 家へ電話、820 洞寿院(とうじゅいん)BS

朝起きるとかなりの傾斜の所で寝ていたことが分かった。知らない間にずり落ちて、足先が雪の中に突っ込んでしまっていた。レスキューシートは通気性ゼロなので、中はかなり濡れた状態。しかも2ヶ所ほど大きく裂けていた。それでも十分役に立った。残る食料はビスケット2枚だけだが、少し歩いて身体が温まってから食べることにし、あめ玉1個だけ口に入れて出発する。30分歩いて身体が暖かくなってきた所で腰を下ろして朝食。ちょうど下に菅並の集落が見えている。人の歩いた形跡も少しみられるようになる。とくに急な傾斜もないままに、平地に06:42に到達する。

女房殿は1日遅れただけでは届けたりはしないと言っていたので、呑気に東林寺に向かう。寺に着いたのは7時。デポしておいた携帯電話があったので、ここで家族に電話をすればよかったが、のんびりとコーヒーを淹れて、帰る支度をした。8時になったので、家に電話すると、大騒ぎをしていたと言うので、驚くやら恐縮するやら。そう言えば、先ほどからヘリコプターの音がしている。木之本署からも電話があり、そこを動くなという。出動してきたパトカーに乗せられて、木之本の警察まで行く。途中でも、警察に着いてからも色々と事情を聞かれ、反省文を書かされた。ヘリを飛ばし、警官の時間をとるなどして、大変な迷惑をかけてしまった。インターネットで登山届を出していた、GPSを持っていた、山岳保険に入っていた、ビバーク用のレスキューシートを持っていたなどと比較的心証がよい条件が揃っていたので、和やかな雰囲気で釈放されたが、この季節には無線を持って登って欲しいときつく言われた。





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