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東海道新幹線からの山岳展望

これは『新ハイキング』20076月号〜10月号に掲載された記事に手を加えたものです。


新幹線から山座同定を楽しむ(4)豊橋=米原


1ヶ所からというわけにはいかないが、今回の区間では、3大アルプスのすべてを見ることができる。豊橋からの南ア、名古屋と岐阜羽島の間からの中アと北アである。これらを目にする機会は、それほど多くない。富士や静岡から南アを見る確率に比べると、はるかに少ないといえる。アルプス以外にも、御嶽山を矢作川と大垣の間で、あちこちから拝むことができるが、こちらの方は多少見る機会は多い。山容、距離、見える確率など、どれを取っても、東北新幹線から見る浅間山と似た存在である。

南アルプス、御嶽山、恵那山

豊橋の後、すぐに豊川と豊川放水路を渡る。ここでは、豊川放水路の手前から見た展望図を示す。近くの山としては、左から本宮山、雁峰林道に沿った峰、鳳来寺山、吉祥山、湖西連峰となる。これらの山々の間に、南アルプスの高峰がいくつか顔を見せている。


幸田で在来線と交差したのちトンネルを抜けると、安藤川や矢作川などからの好展望が待っている。岡崎平野に入ってきたのである。安藤川からの展望を示しておく。御嶽山と恵那山が大きい。独立した猿投山に続いて御嶽山、村積山、同じくらいの距離で恵那山、恵那山を隠すような感じで六所山、焙烙山がある。この日は、御嶽山が見えていたのに、全体としては霞んでいた。矢作川を越えたあたりで、南ア(それも仙丈ヶ岳)が見えていたのではないかと疑っている。カシミールで確かめたいところである。

豊橋―名古屋間の低山群

車窓からの展望の楽しみは、なにも高い山だけではない。1000 m以下の山でも、気になる山は沢山ある。それらのいくつかを、駆け足で取り上げよう。豊橋駅を過ぎると、豊川の上流方向に石巻山のピラミダルな姿が目につく。その左手の悠然たる三角形は本宮山。登る前までは、右側の高いのが頂上と思っていたが、実は左側の鉄塔の林立しているのが頂上。これも、地形図をきっちり眺めていればすぐに分ったはずで、「校正恐るべし」ならぬ、「同定恐るべし」を痛感した。

豊橋の左側は海という先入観があったため、はじめて遠くの山を認めたとき、意外な気がした。渥美半島の蔵王山と衣笠山が見えていたのである。蒲郡からなら、半島で最も高い大山も見える。蒲郡の新幹線近くでは、左手に三ヶ根山、右手に桑谷山と遠望峰山がある。いずれも鉄塔をもっている。車でも登ることができ、三河湾の眺めがよい。

鈴鹿山脈

遠望峰山の下のトンネルを抜けて岡崎平野にでると、上で述べたように右側に目が行くが、左側には、遠くに鈴鹿山脈が見え始める。その後、名古屋に入って天白川を過ぎたあたりで、藤原岳以南のそれぞれのピークがはっきりと指摘できるようになる。藤原岳より北側は養老山脈に隠されている。

名古屋を過ぎて、庄内川から見える鈴鹿山脈の展望図を示しておく。ここからは、藤原岳から鈴北岳までの主なピークの先端が、養老山脈の上に見えている。揖斐川まで来ると、鈴鹿山脈は全く見えなくなり、あとは彦根以西までおあずけとなる。

北アルプス、御嶽山、中央アルプス

木曽川、長良川、揖斐川一帯では、濃尾平野が広がり、非常に多数の山を見ることができる。木曽川、揖斐川の上流方向に、岐阜市内にあるピラミッド型の金華山が目につくので、それを基準に同定を始めるとよい。揖斐川で、金華山と御嶽山が重なり、中之江川で、百々ヶ峰、御嶽山、金華山が等間隔で並ぶ。斎藤道三や織田信長が拠点にした稲葉山城があった所で、かつては重要な戦略的高地であった。市の中心から近いうえ、眺望がよいので、今は多くの岐阜市民が毎日登っている。

木曽川の東を走る名鉄尾西線の近くからの大展望を示す。左端に百々ヶ峰が見えているが、そのすぐ左が金華山である。滅多に見ることができない北アルプスであるが、乗鞍岳の左に穂高が見えている。いくつかのピークがあるので、北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳などが見えているものと思うが、詳細は分からない。御嶽山の右には中アが屏風のように見えている。この図からははみ出しているが、木曽駒ヶ岳から摺古木山までの個々のピークや、その手前の笠置山も識別できる。さらに右には、恵那山が見えている。

長良川の左岸で撮影した写真で、日永岳と笹見山の間に白い山を認めたことがある。白山かもしれないが自信はない。

揖斐川のあと、大垣南公園運動場、大垣工高あたりで、揖斐の山々のパノラマが広がる。池田山を左端に、大白木山までが見えている図を載せておく。雪が積もっているときの権現山、花房山、雷倉のトリオは、なかなか立派である。より高い能郷白山などが目立たないほどである。もう少し進んだ大谷川付近で、能郷白山が、左にイソクラ、右に雷倉を従えて、大変すっきりとした姿で聳えているのをみることができる。池田山と金生山の間のくびれたところに見えるのであるが、この3山以外の山が見えないので、ここには載せなかった。

歴史に登場する山々

不破の関病院で、御嶽山ともお別れとなる。関ヶ原町に入ると、車窓から関ヶ原合戦に関係した多くの山を眺めることができる。徳川家康がはじめに陣を敷いた桃配山、石田三成の本陣の笹尾山、宇喜多秀家と小西行長がいた天満山、小早川秀秋が様子見をしていた松尾山などである。桃配山と笹尾山は、山とは言えない単なるふくらみであるが、新幹線からも見つけることはできるので、挑戦してみるのも面白いだろう。松尾山は293 mあるので、山らしい体裁をもっている。ここからは関ヶ原一帯が一望できるのはよいが、麓までの距離が長いので、戦いのときには機動性にかける恨みがある。これが秀秋の決断を遅らせた一因かもしれない。ここは、関ヶ原合戦で有名であるが、壬申の乱の際にも、重要な戦いが行われた。桃配山という奇妙な名前はそのときの故事によるものである。

つぎの主役は伊吹山である。日本武尊が東征からの帰途、伊吹山の神に挑み、返り討ちにあったとされ、それがもとでしばらくして死んだという伝説がある。新幹線からは、名古屋の東で、すでに左車窓に見えはじめていた。揖斐川のあとは、右側から立派に見えるようになる。最も近づくのは、関ヶ原トンネルを越えた所であり、目の前に立ちふさがるようになる。新富士駅から富士山を仰ぐ角度が8.5°であるのに対して、ここからの伊吹山の仰角は10.9°で、富士山より高く見えていることになる。

伊吹山の左側には、滋賀県で2番目に高い金糞岳や手前のこんもりとした七尾山などの伊吹山地が見える。金糞岳は、冬には真っ白になる。反対方向に見える霊仙山も見逃せない。

米原に近づくと、湖北方面の展望が広がる。豊臣秀吉と柴田勝家が死闘を繰り広げた賤ヶ岳、織田信長が攻め滅ぼした浅井長政の小谷山、行基菩薩が開山し、一時は120もの僧坊があったという己高山などが見える。ここに示した図面には、賤ヶ岳は入っていないが、近くに似たような高さの山が多いので、同定はなかなか難しい。


米原に着く前から、すでに湖北の野坂山地や湖西の比良山地が見え始めているが、これらは次回に持ち越すことにする。


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