1962. 06. 08 - 12 飯豊山
雨に苦しめられたが、飯豊の大きさはある程度理解できた。
同行:N、M、H、M、Y、I、 O、O、Y
6/8 徳沢駅より弥平四郎を経て浅草へ
徳沢より小型トラックをチャーターして弥平四郎まで。オンボロ車であっても、少しリッチな気分である。そこから歩きはじめ、松平峠を越え、疣岩山と三国岳の中間の浅草まで行って幕営。
奥川を渡渉 |
雪を踏んで |
6/9 三国岳(1644)、種蒔山(1791)をへて飯豊神社へ
朝はどんよりしているものの、最高峰の大日岳が両翼を伸ばしたスッキリとした姿を見せてくれる。圧巻である。三国岳(1644)、種蒔山(1791)をへて飯豊神社へ着く頃には何も見えない。雨のためそこで停滞。
浅草から大日岳 |
Mと |
浅草のテント |
浅草出発前 |
雨中行進 |
三国岳から飯豊山へ |
神社から本山 |
右が本山 |
6/10 飯豊山(2105)山頂往復
なんとか飯豊山(2105b)山頂まで往復するが、それ以上は動けず。雨漏りのする神社の中にテントを張って、飯豊は雨の多い山といううわさを実感する。Hが発熱。
6/11 三国小屋まで下る
Hが肺炎にでもなったら大変ということで、第1班が急遽下山し、残りのN、M、N、T、H、Oは午後になってから三国小屋まで下る。イワウチワ、ミズバショウ、ザゼンソウなど。
ミズバショウ |
6/12 地蔵小屋をへて一の木へ下山。山都駅から帰京
地蔵小屋をへて川入下山。色々と心配して手配してくれた第1班と再会を喜び合う。一の木へ下山する。飯豊山遭難連絡本部の人や村の人が病気を心配していてくれており、人情に触れる。MとIの3人でその日のうちに帰京するため急いで山都までの8 qをかけ下りる。磐越西線のどこかの駅に止まったとき、なんの音も聞こえない数分があり実に印象的だった。
三国小屋出発前 |
三国から種蒔への稜線か |
休憩 |
左の写真とほぼ繋がる |
後続パーティが無事下山 |
山都駅 |