2017. 11. 01 剣尾山
2006.08.24に女房殿とかんぽの宿能勢に泊まった際に、午後の遅い時間に駆け足登山。この時も展望はよかったが、行場や月峰寺跡などはほとんど記憶にないほどだった。今回も、行場などに興味を示す人は少なく、心いくまで探索できなかったのは残念だったが、前回に比べれば少しはましだった。
同行: YH9人
コースタイム
0942 行者口BS、1005-26 登山道入り口(エボシ岩往復)、1037 毛抜岩、1040 大日岩、1046 胎内くぐり、1057-1118 本堂(廻り岩、爪刻行者像)、1120 行者山(ぎょうじゃさん、469m)1209-1214 六地蔵、1218-24 月峯寺跡、1230-1310 剣尾山(784m)、1317 横手山分岐、1333 るり渓分岐、1337 青少年活動センター上端、1349 貯水池、1413 左へ宿野3区への分岐、1440-1507 能勢町宿野BS
バス停から玉泉寺の前を通り、登山口に向かう。ここは前回歩いていないので、寺やその上にある玉泉寺ユースホステルなどは初対面。登山口に着いた時、うしろのグループがなかなか来そうにないので、ちょっと断ってエボシ岩とその前の護摩場をのぞいて見る。2分ほどで着いたし、一見の価値があるので、ストレッチを終えたあと、再度みんなで行く。人を前景に入れると写真も見栄えがする。磨崖仏が刻まれており、不動明王らしいがよくわからない。毛抜岩は離れた所から見ただけ。そのあとの大日岩は見事なものだ。大日如来像もかすかに写真に残っていた。その横から行場巡りコースへいざなったが胎内くぐりまで行って、胎内を探っているうちに、男性3人が引き返してしまったという。やむを得ず、そこから引き返す。やや危なっかしいところもあるので、正解だったかもしれない。
そのあと本堂まで登ると引き返した3人が休憩していた。役行者の爪刻行者像があるという行者堂まで寄り道しようと言ったが、誰も乗ってこないので、一人で大きな岩の横をすり抜けて鐘掛け岩にあるお堂に行く。大して見ものとも言えないが、その中の岩面に爪刻行者像が彫られているという。全く見えないので、適当に写真を2枚撮っておいた。そのうちの一枚に辛うじて写っていたので、役行者殿に対面を果たしたことにしておく。本堂まで戻り、集合写真を撮ってから剣尾山を目指す。
護摩場のあるエボシ岩 |
本堂の前の大岩 |
頂上とも言えないような行者山の標識を過ぎ、青空の下で少しだけ色づき始めた紅葉を眺めながら登っていくと、六地蔵とその周辺にある沢山の地蔵が出てくる。そのあとにあった月峯寺跡は大した広がりをもつもので、平安時代から鎌倉時代に造られたものという。広い敷地がいくつもあり、石段や井戸の跡も残っており、往時の隆盛を垣間見ることができた。
六地蔵 |
月峰寺跡に残る井戸 |
それが終わるとすぐに剣尾山の頂上だ。視界は大変良好で、愛宕山の見える位置に陣取って、弁当を広げるが、ゆっくりと食べる時間が惜しいくらいだった。半国山、地蔵岳、愛宕山、比叡山、小和田山が連なり、その右手にはもう少しじっくりと検討しないといけないが、ポンポン山、竜王山が見えていただろう。その右手はすこし途切れて、中山、大峰山、六甲山があり、その手前に三草山と滝王山。南西から西にかけて、羽束山と宰相ヶ岳のツインの手前にP571と堂床山のツインが重なるので同定しやすい。その右の大船山がひときわ立派に聳え、後方の千丈寺山も間違いなく同定できた。その右手手前に高岳と大野山がならび、そのうしろには虚空蔵山と三国ヶ岳あたりが顔を出していた。
東の方向には愛宕山や比叡山が見える |
ススキの後方に三草山と六甲最高峰 |
皆が歩き始めて少し遅れて出発したが、姿を見失う。横尾山との分岐まで行って宿野の方へ下るものと思いこんでいたが、予定コースにはちゃんと頂上のすぐ下で右折するように書いてあった。とくに標識もなかったので直進してしまい、いつまでたっても追いつかないので携帯で連絡をとると、別のルートを歩いているとのことだった。溜池や青少年活動センターのフィールドアスレチック場の横を過ぎるとあとは単調な舗装道路が延々と続く。皆に追いついたのは建物が出始めた頃だった。バス停では30分ほど待ち時間があったので、一人なら月峯寺の阿弥陀石仏群を見に行ったところだが、今回は自粛しておいた。