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2015. 9. 19
-21  国見峠・上水晶谷・お金谷・イブネ 



女房殿がシルバーウィークに東京に行くことになり、その間久しぶりの神崎川に行くことにした。これでテント山行も最後になるかもしれないという予感。体力もなくなってきたので、初めてロープウェイを使って登り、行き慣れたところを気楽に歩こうという計画だったが、いろいろと消化不良の山旅となった。

同行: 単独

2015.9.19 湯の山温泉から上水晶谷出合へ

コースタイム

1008 三交湯の山、1025-28 一合目、1036 蒼滝不動尊、1037 蒼滝分岐、1055 裏道登山口駐車場、1103 日向小屋、1114 七の渡し、1125 中道分岐、1138-1210 藤内小屋、1213 国見尾根入口、1259 少し展望、1315-32 岩場で休む、下界の展望、1337 境石の碑、1343 尾根に出て大岩、1418-25 ゆるぎ岩と天狗岩、1433 ウサギのような岩、1440 縦走路に出る、1449 御在所と藤内壁が、1500-05 国見峠、1544 崩れで左岸に渡る、1621 千草街道へ、1625 神崎川へのT分岐、1640 上水晶谷出合

四日市の構内で昼食を購入して、湯の山線のホームに向かうと、強風のため現在ロープウェイは休止中との掲示があった。電車の中から好天の三重県側鈴鹿山脈の山岳展望を楽しむ。バスの乗り場や降りたところで、不安そうに相談している人の姿が見られたが、歩いてもよいと計画時にも思っていたので、裏道に向かう。ただロープウェイの駅へ歩いたことはないので、途中で人に聞きながら駅に向かう。駅から蒼滝不動尊までは普通の山道。2009.12.15の台風の跡の甚大な被害のあった裏道を下り、通行止めになっていたのに蒼滝から温泉の道を強引に下り始めたが行き詰まり、ほうほうの体でやっと蒼滝不動にたどり着いたときは真っ暗になっていた。暗くなってから降りてきた街灯がポツポツあった道は舗装道路のようなものだったし、ロープウェイの駅は通らなかったので、多分大石公園を経由する道だったのだろう。




蒼滝不動



今回は、蒼滝不動尊から上の登山道もすっかり整備され、駐車場などもでき、大きな高巻もなくなり、日向小屋も再建されていた。菰野町観光協会が作った道標が頻繁に設置されている。大変よくできたもので、山をよく知った人が監修に携わったのだろう。七の渡しと藤内小屋の中間あたりに中道への分岐の標識があった。地図には出ていない道だが、歩かれているのだろうか。藤内小屋についたのはちょうど昼食時で、ベンチに座ってゆっくりと食べる。四日市から知多半島が見えたが、霞んでいてはっきりはしなかった。好天の土曜日なので、かなりの人がたむろしており、クライマーらしき人もいた。





新たに設置された鋼鉄製の岩留


 

岩の転がる河原を登る


 

七の渡し(堰堤の向こうに日向小屋
 

藤内小屋から四日市方面



前に歩いた沢沿いの裏道ではなく、歩いたことのない国見尾根のコースで登ることにする。滋賀県側と全く違い、とくに特徴のない普通の尾根だ。かなり登って東側の展望がひらける。160°にピラミッド形の山が見えるのは雲母峰かもしれない。ときどき籐内壁の方も見えるが木に邪魔されてチラチラと見えるだけ。尾根も終わりに近づくと名物の巨岩が次々と出てくる。ゆるぎ岩と天狗岩は壮観。縦走路に出たところは頂上ではなく、国見岳は右方向と指示があった。当初は根の平峠からタケ谷を下ることを考えていたのだが、上水晶谷の方がなにかと便利そうなので、方針を変更して国見峠へと向かう。分岐点と国見峠の中間あたりで御在所山と藤内壁が見えた、ここが、この日の籐内壁のベストビューか。





ゆるぎ岩(1)


 

ゆるぎ岩(2)
 

天狗岩



籐内壁

 

国見峠から上水晶谷の道は記憶にある通りだった。県境を越えて滋賀県側に入ったのに、まだ菰野町の標識があるのがおかしかった。滋賀県の永源寺町が作ったものがいかにもいい加減だったので、しびれを切らして越境したような感じだ。一ヶ所だけがけ崩れで左岸に渡ったが、これは以前にはなかったかもしれない。千種街道に出てそのまま神崎川へ下りて行ったことがあったが、この日は地図通りに数分左の方へ歩いてから、神崎川へという道標で西に向かう。この辺まで来るとまさに奥座敷の雰囲気が濃厚に出てくる。また来たよと声をかけたくなる。神崎川に出て、前とほとんど同じ場所にテントを設営する。14時頃に着く予定だったのにかなり遅くなってしまったが、特に問題はない。テント場から一段登って散歩すると、夕日に光るアセビの葉が一面に広がっている。少し位置を変えただけで、そして夕日の角度が変わるだけで、微妙に変化する光景に大満足する。2日分の米を炊き、酒を飲みながらの食事を暗くなる前に終えることができた。

 

国見峠

 

上水晶谷のがけ崩れ

 

上水晶谷出合付近の疎林


神崎川縁のテント



2015.9.20 上水晶谷出合からお金明神方面散策

コースタイム

0800 上水晶谷出合、0840 タケ谷渡渉点(根の平峠へ)、0913 オゾ谷出合、0937 鉄橋、1013-25 お金峠入口、1053-56 小ピーク、1115-30 中食、1140 赤テープ(お金峠入口のすぐ南側)、1213 中峠分岐、1219 鉄橋、1240-1300 河原で小休止、1302 オゾ谷、1336-40 根の平分岐、1407 小峠分岐、1418 上水晶谷出合

夕方に散歩したところを朝に光のもとでもう一度歩く。もちろん雰囲気はガラリと違う。この日はお金明神、お金峠、塔の峰、狐峠、下谷尻谷、コリカキ場、ワサビ峠、オゾ谷を回って戻る予定で、荷物は最小限度にとどめる。靴を濡らさずに渡渉できそうになかったので、テントで履いていたツッカケのままで渡り、対岸で靴に履き替える。ここからは何度も歩いた道で、美しい林とときたま川岸にでる神崎川の渓流美に酔うような感じで足をすすめる。ここで間違うことはないと思っていたが、2度ほど道を外した。2度目はお金峠への入口のすぐそばで、もうそろそろ分岐に来てもよさそうだなと思いながらあるいていて、道が薄くなってしまったので引き返した。ヒョイと上を見ると、分岐の標識が目に入り、無事お金谷入口に着く。2時間ほど歩いていたので、ザックを下ろし、リンゴをかじる。根の平峠へ行くという人が通り過ぎていった。




菰野町の標識(タケ谷出合)


大瀞の崩壊寸前の鉄橋




赤テープが二つほど続いたので、こんなのは2010.04に来た時にはなかったと思いながらそれに沿って登っていく。そのうち道がなくなり、しゃにむに上を目指す。以前の記録を読み返すと、登り始めてすぐに左手の谷に入って登るとあったのに、谷と谷の間の小尾根を登ったらしい。全部で3回ほど歩いているのに、道を見失うとは思ってもみなかった。30分ほどで高みに出たので、ワサビ峠とお金峠を結ぶ稜線かと思ったが、そうではなかった。GPSで位置をキャッチしたと思った途端に電池切れ。このために新しい予備電池を持ってきたので、余裕綽々で入れ替えるが、そちらも使えなかった。帰ってから分かったのだが、取り換える前の方はまだ多少余力があった。鈴鹿でGPSが役に立たないとは腹立たしいと思ったが、仕方がない。どうもお金峠より東北の方向に迷い込んだようだ。GPSが生きていればなんとかお金峠まで行けただろうに。


 

お金谷出合
 

不明のピーク



東側の神崎川の対岸の斜面が見えているのでそちらに向かって下り始める。持参した細引きを取り出して、急斜面でなんどか使う。結構役に立つ。途中でこれから大変な苦労があっては困ると気づき、比較的安定した場所があったので早めに昼食をとる。そのとき、昼食分だけで、非常食に相当するものがないことに気付く。何のため非常食を持ってきたのかわからないと苦笑いする。沢に出てもたいして危険な沢はないことが分かっているので気が楽だ。沢状の踏み跡を下りて行くが、後で考えるとこれが当初予定していたお金峠への沢だった。やがて下の方に赤いテープが見えた。お金谷入口の少しだけ上流側に出た。

まだ昼前だったので、もう一度再挑戦することもありえたが、その気も失せて、テントに向かう。最後の鈴鹿になるかもしれないので、よく知った道を設定したのに、お金明神にさえ行けずに撤退するとは情けない限りで、意気消沈する。神崎川に張り出している尾根の所では川面よりかなり高いところをへつるようになり、それが過ぎて平坦な所に出ると気持ちの安らぐ疎林になる。所々で水の流れがあり、飯場のあとがあるのはそのような所だ。オゾ谷やクラシ谷以外にもいくつかの沢を横切る。それを何度か繰り返しているうちに、失敗を慰められるようになった。これで最後の神崎川かと思うと、珍しく感傷的になる。早めにテントに帰着したので、ゆっくりと酒をのみ、食事をする。今回は、たき火サイトに近いようにと以前のテントサイトから少し高いところにしたので、前夜は沢の音が少し気になった。この日は耳栓をして寝る。



神崎川の清流

 


2015.9.21 上水晶谷出合から杉峠・イブネを経て甲津畑へ

コースタイム

0730 上水晶谷出合、0800-10 コクイ谷出合で渡渉、0822 崩壊地点、0835 小峠分岐、0918 御池鉱山旧跡、0926-46 飯場跡、1012-20 杉峠、1042 タイジョウ分岐、1100-1110 イブネ、1119 佐目峠、1140-1227 杉峠、1301 向山鉱山跡、1334 ツルベ谷出合、1345-55 避難小屋、1400 桜地蔵、1436 林道起点、1445 ヒッチハイク、1500 甲津畑バス停

それこそ最後の神崎川の源流歩きとなる。コクイ谷出合で渡渉するとき、菰野の標識が合流地点のやや手前にあり、ここで渡れとの指示がある。ここは水量も多く、不思議に思ったが、迂回路がどうのこうのと書いてあるので、前とは違うのかと、言われるままに靴のままで渡る。案の定、靴の中に水が入ってしまう。そのあと合流点まで行ってみたが、やはり何の問題もなく渡れそうだった。よくできていた菰野町の標識もここだけはおかしかったのかもしれない。




コクイ谷出合

迂回路とやらを歩いて右岸に渡る。そのうち左岸に大きながけ崩れが見えたが、前からあっただろうか、全然記憶にない。左岸に戻り、小峠への道を分ける。ここには東芝山岳会の手書きのプレートがあったが、さすがにもう菰野町の標識はない。御池鉱山旧跡をすぎ、懐かしい飯場跡でゆったりと時間を過ごす。杉峠への登り道は記憶通り。杉の木がますます貧相になってきていた。


 

崩壊地


 

大トチの木





飯場跡から国見岳、御在所山



杉峠を仰ぐ
 


峠に荷物をおいて、1時間20分を限度に設定してイブネに向かう。杉峠の頭はいつ来ても素晴らしい景観だ。40分でイブネに着いたので、10分だけ休むことにし、仰向けに寝転んでイブネの最後を堪能する。杉峠に戻り昼食をとり、予定より早く出発する。ツルベ谷の分岐まで、実際はコースタイムより少し遅れていたのに、早く歩いたと計算間違いし、とくに急ぐこともなく下りて行く。タイジョウに行くときに使えるかもしれない避難小屋を少し調べておきたいと思っていたので、休憩がてら調べておく。泊まる気にはならないが、横にテントを張って雨のときには使うことは可能だろう。桜地蔵と岩ヶ谷林道起点の中間に各ポイント間の距離を書いた看板があったので、足し算すると林道起点から甲津畑バス停まで2.7kmとある。林道起点に着いたのがバスの時間の34分前。4.8km/hで歩かないと間に合わない。遅れても普通のバスなら1時間歩けば永源寺支所まで行けるので問題ないが、デマンドバスを予約していたので遅れるわけにいかない。車道を歩かずに一度だけ歩いたことのある近道を使えば時間が短縮できるかもしれないが、迷ったりすると大変。小走りに歩いていると、後ろから来た車が止まってくれた。ありがたく乗せてもらい、甲津畑口BSの近くでおろしてもらった。終点の甲津畑BSまで戻り、ザックを置いて、ビールを買いに行き、戻ってくるとバスならぬタクシーが待っていた。永源寺支所までのメーターは1600円を超えていたが、料金は200円。気の毒なくらいだった。

ひょっとしたらこれで鈴鹿の奥座敷に来るのも終わりかもしれないので、これまでの軌跡をまとめて示しておく。








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