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2012. 05. 18 - 20
 笠取山、甲武信ヶ岳、大山



東京での仕事を終え、八王子で一泊後奥秩父へ。定年後に3度奥秩父を歩いている。2008. 5に瑞牆山から甲武信ヶ岳までの縦走を計画したが、残雪に阻まれ国師ヶ岳で中断。2009. 2の鷹巣山、雲取山、飛龍山は予定通りに歩いた。2010. 12の飛龍山から甲武信ヶ岳への計画は、やはり雪で計画通りに進めず、雁峠から新地平へ下山。その結果、雁峠から国師ヶ岳の間が空白のままで残った。前の経験からこの区間をこの時期に一度で終えるのも大変そうだし、一度は歴史ある十文字峠も通ってみたかったので、今回の計画となった。前回の下山路ではなく、白沢峠からの道で入山し、梓山までの2泊3日のコースである。最近は、途中で計画変更というのが続いていたが、今回は珍しく予定通りに歩くことができた。

同行: 単独



2012. 05. 18 白沢橋から雁峠へ

コースタイム

1003 白沢橋BS、1050 山道へ、1147-1207 白沢峠、1402-13 ヤブ沢峠、1427 笠取小屋、1442-49 小さな分水嶺、1502-22 笠取山(1953)、1540-45 小さな分水嶺、1549 雁峠

山梨市駅からのバスにはハイカー2人の他に山小屋の人などが乗っていた。一人でないのは珍しい。三富の周辺は自由乗降区間なので、乗るときに運転手さんに声をかけておく。バスは2月に来たときのように乾徳山登山口へ往復。白沢橋に近づいたときに、運転手の方から「降りますね」と声をかけてくれた。

地図にはずっと白沢の右岸を登るように書いてあるが、何度かの徒渉がある。堰堤やきれいななめ滝が次々と出てくる。20分ほどの所の徒渉で水汲みをし、ポールを取り出しておく。そこからまもなく山道が始まったので、よい選択だった。登山口に階段があるとの記録を読んでいたがなくなっている。その代わり小さな標識が架かっていた。歩き始めは少し荒れていて、標識がなければ立ち入るのがためらわれるような感じだ。急な斜面をへつる所では、重荷を背負ったまま転落するのが心配で神経をとがらせる。やがて普通の山道になり、沢から離れ始める。等高線がこみあった道で、いくつものジグザグが切られている。日が差しはじめ、ヤマツツジの上には青空も広がってきた。傾斜がゆるみ、カラマツの上に青空が見え、道にはヤマザクラの花びらが沢山落ちている。ハシリドコロの赤紫の花も咲いている。鳥の声も耳を楽しませてくれ、峠への道を辿っているといういつもの幸せな気分が満ちてくる。

どんどんと空が広がり白沢峠に出る。峠に出たときの楽しみの一つが正面の展望だが、ここではそれほど立派な展望はない。十字路になっており、まっすぐ進めば一之瀬高橋へ、南に進むと倉掛山から三窪高原、北はこれから目指す笠取山、雁峠への斉木林道となる。林道としては機能しておらず、朽ち果てたトラックが残されたままになっている。現代アートを見るような印象だ。北側の斜面には初々しいフキの葉が一面に広がっている。文字通りトウゲブキだろうか。




白沢峠にうち捨てられたトラック



昼食を済ませて、林道を歩き始める。尾根通しでも歩けるようだが、特段の魅力もなかったので、楽なコースで時間を節約し、笠取山往復にそなえる。右手にいくつかの山が見えるが樹間を通してなので、よく分からない。石保戸山が見えているのは間違いない。やがて気温が下がり雨が降り始めた。念のため雨具のズボンだけ履き、ザックカバーをつけておくが、杞憂に終わったようで、大した降りにはならなかった。25000地形図には高橋の方へ下る道が2本あるが、いずれも分からないままに通り過ぎる。大菩薩らしき顕著な山が見えたあと、また放置された車の残骸がある。そして地図上での3本目の点線で初めて明確な分岐となった。右手下に降りる道は一之瀬高橋へと書かれ、歩いてきた道には通行止めとの表示とともに鎖が張ってある。つまり車の走れない林道を歩いてきたことになる。このあとは走れるのだろうか。ヤマザクラも落花だけでなく、木の枝に残ったものもチラホラと見かける。スミレも多い。ミヤマスミレか。唐松尾山らしき山が右前方に見える。風が冷たい。

次の明確な標識はヤブ沢峠。立派なベンチもあるので、腰掛けてエネルギーを少し補給しておく。そこから笠取小屋まではすぐだった。とくに人の気配もなかったので立ち寄らず、トイレの上に咲くヤマザクラを眺めながら通り過ぎる。見覚えのある雁峠への三差路をすぎて、小さな分水嶺に登る。まだ15時前なので十分笠取山を往復する時間がある。

前回の山行では、東側から笠取山という案内にしたがい、水干の頭との手製の名札がぶら下がるピークまで登ってきたものの、そこで進退窮まってしまった。そこより高そうなところはないし、まわりはガスが立ちこめ、見当をつけることができなかった。西側は雪に埋もれており、道があるような気配はない。途中に分岐でもあったのかと、目を皿のようにして引き返したが、もとの縦走路まで降りてしまった。まあ水干を見物することができるのでそれでもよいかと歩き、「笠取山西」という、まるで町の交差点名のような標識の所に出て、やはり通り過ぎたのだなと納得した。写真でよく見る滑り台のような登山道もガスの中だった。とにかく、笠取山に登ったような登らなかったような落ち着かない気分のままだったので、なんとか明らかにしたいと思っていたのである。

今回は滑り台もよく見える。分水嶺から少し登って下ると「笠取山西」交差点。ここには車でなくウィンチのような残骸が残っている。前回来たときは雪の下だったらしく、記憶にない。そこから滑り台を登って10分ちょっとで「山梨県百名山」という標識のある山頂。丹沢、南アルプス、奥千丈、浅間あたりを除けば大体の山々は見えている。

早速、気になる東側に進む。岩場を通り過ぎるとすぐにピーク。ここは展望はない。シャクナゲの生いしげる山頂の雰囲気は、記憶に残っている前回のピークであることはほぼ間違いない。前回の山行では、唐松尾山以後の写真がなくなってしまっているので、確証がないのだが、どう見てもこのピーク。しかし、そのときにあった「水干の頭」とかかれた手製の木札はいくら探してもない。そしてなにより、埼玉県が立てたという立派な山頂標識がない。2012年05月05日に登った人の写真にはしっかりと写っているというので不思議でならない。先ほどの百名山のピークより数bは高い。向こうからでは分かりにくかったが、こちらから見るとその差がよく分かる。西のピークに戻ってからもう一度振り返ると確かに東のピークが少し高いのが分かる。地形図では東側が1953b。

なお、「西側のピークが山梨県の山頂で、東側のピークは埼玉県の山頂」とよく書いておられる方が多いが、それは間違い。どちらも県境上にあるピーク。どちらの県がどこに標識を立てたかというだけのことである。折角すっきりさせようとして登ったのに、なんとなくすっきりしないままに下山。

分水嶺でデポしていたザックを回収し、雁峠に向かう。すぐ峠に到着。雁峠小屋に立ち寄ると「老朽化しているので緊急時以外は使用しないように」と書いてある。確かに外の方がはるかに快適そうだ。広々とした峠からは、乾徳山、黒金山が目の前にすっきりとひろがっている。その右の北奥千丈岳は厚い雲に覆われている。三角帽子のような笠取山もすぐそこに夕日を浴びてのどかに座っている。標識のそばにいくつものベンチがあり、食事をするのにありがたい。また水場が信じられないくらい近い。2−3分新地平の方へ下ると、うまく取水できるように工夫された細い流れがある。前回は雪の下で目につかなかった。米を研ぎ、コーヒーを沸かしてゆったりする。炊飯の火加減の面倒をみながら、ぬる燗の日本酒を飲む。少しだけ風があるので、峠付近の植生を解説している大きな看板の裏にテントを張る。気温は5℃、峠の日没は17:40だった。すぐ下にヌタ場があり、夜遅くまで不法侵入者を警戒するシカの声がしていた。




夕日の笠取山(雁峠で)



2010. 05. 19 雁峠から甲武信小屋へ

コースタイム

0625 雁峠、0657-0702 燕山(2004b)、0800-10 古礼山(2112b)、0843 水晶山(2158b)、0917-47 雁坂峠、1029-39 雁坂嶺(2289b)、1136-40 東破風山(2280b)、1213 西破風山(2318b)、 1257-1337 破不避難小屋、1502 巻道分岐、1513 戸渡尾根分岐、1524-34 木賊山(2469b)、1557 甲武信小屋テント場


04:10に目が覚める。−2℃。もう少し明るくなっている。峠に日が射し始める前から南側の山々が目を覚ましている。前夜の星空から予想されたように、雲一つない快晴だ。まずは乾徳から黒金の稜線が目に入る。乾徳山に登ったときは黒金山を省略したが、こちらから見ると黒金山はとても存在感があり、無理しても行っておけばよかったなと思う。その右には、昨日見えなかった北奥千丈岳と国師ヶ岳、それにそれらの間にもう一つピークがクッキリと見える。天狗尾根の分岐あたりだろう。そして乾徳の左には南アルプス。左端の上河内岳から、聖、赤石、荒川をへて、笹山あたりまでが見えているようだ。峠の日の出は4:52。そのとき、乾徳・黒金の尾根にクッキリと雁峠の影が写っており、望遠鏡で見れば自分の影も見つけられるのではないかと思うと愉快だった。




乾徳山と黒金山の山裾に雁峠の影(遠方に南ア)



笹の中を一本の登山道を燕山を目指して登っていく。後を振り向くと富士山が朝日に輝いていた。コガラの声を聞き、トウヒの球果を見ながら樹林帯に入っていく。燕山の標識の所を少し右手に入るとピークがある。これから進む方角の山も樹間から見え隠れする。そして大菩薩や富士山も。これがP2004かどうかは分からない。というのはそこから7分後に三角点のあるピークがあったから。これがP2004かと思ったのだが、山名事典には燕山が2004mとある。

そしてそのあと北岳以南の南アの全体が隠れることなく初めて見えた。バイカオウレンがあらわれる。今回見た数少ない花だが、その後も何カ所かで見られた。古礼山を巻く道との分岐では迷うことなく頂上を目指す。ベンチが並んだ展望台があった。頂上も間近かと思われるのに不思議だったが、理由は頂上に行ってよく分かった。ここからは、間の岳の左半分が黒金山に隠されるものの、甲斐駒も見えるすばらしい休憩所だった。




古礼山の手前の展望台(上河内岳から甲斐駒ヶ岳までが一望に)



頂上でも同じように見えるのだろうと先を急いだが、頂上からは丹沢、大菩薩、富士、天子が見えるが、南アは隠れてしまった。先ほどの展望台がしつらえてあったのは南アを見るためだったのだ。驚いたのは、山頂にある環境庁と埼玉県が共同で設置した案内標識が故意に痛めつけられていたこと。一部がバーナーで焼かれていたようだった。記述に間違いがあるならともかく、正しく書かれた標識なのにそれを傷つけるとは信じられない人がいるものだ。山を下って巻道との合流点におかれた標識も被害にあっていた。今度は一部が完全にへし折られていた。やや憂鬱な気分で水晶山に行く。ここの標識は大丈夫だった。


雁坂小屋への分岐を過ぎると、また展望がひろがる。南側だけでなく、行く手の山がはじめてしっかりと姿を現した。木賊山、破風山、雁坂嶺のほか、雁坂嶺の左にちょこんと顔を出しているのはひょっとしたら武信白岩山かもしれない。雁坂峠で休憩。ここもすばらしい展望に恵まれている。南アはかなりの部分が山の背後になっているが、北側も少し見える。東側もよい。多分、唐松尾の両側に雲取、飛龍が見えている。雁坂嶺からも好展望。黒金、赤石、悪沢、その右は上遠見付近、白根三山、国師ヶ岳、朝日山、破風山、木賊山、甲武信ヶ岳、P2398と三宝が重なって三宝も見えている?。




雁坂嶺からの展望(左から黒金山、赤石岳、悪沢岳、
手前に遠見山、白根三山、国師ヶ岳、朝日岳、その手前下に鶏冠山)



下っていくと枯れ木の倒木が折り重なっている。一部は人手で切られたようなものもある。東破風山は地理院地形図に名前が出ていないが、山頂には立派な標識が立てられていた。この日3人目の人が休んでいたので、少し話をする。前日は誰とも会わないいつもと同じパターンだったが、この日は意外に人と出会う。不思議な感じがしたが、土曜日だったのを思い出して納得した。西破風山への道には珍しく岩場が出てきて変化をもたらしてくれる。コメツガ、トウヒ、ヒバ、シャクナゲなどに混じってマツも少しだけあった。西破風山にも立派な山頂標識が埼玉県によって立てられていた。その横にやや貧弱な山梨百名山の標識。避難小屋で休もうと、立ち止まらずに岩場を下った行くと、また人が上がってきた。「大変だ」と言っておられたが、確かに下っていくとかなりの坂である。

頂上から3-4分で大きく展望が開けた。下の広瀬湖も青々とした水を湛え、その先に三つ峠、富士山からの山々が連なる。なにより嬉しかったのは北側の展望がやっと開けたことだ。これまでずっと甲州側は開けているのに武州側は針葉樹林帯が続き、全くといってよいほど見えなかったので、感慨はひとしおだ。浅間山もうっすらと見えている。御座山、榛名山、そして少し移動すると両神山等々も。降り立った笹平の避難小屋は最近建て替えられたらしく立派なものだ。ストーブや薪もあり、快適そのもののようだが、難点は水場が遠いこと。外にベンチもあるが、やや日差しが強いので、陰になっている戸口に腰を下ろして昼食をとる。時間もあるのでバーナーをとりだしてスープを作る。目の前には笹の斜面の上に破風山が聳え、右手には大菩薩。





笹平の破不避難小屋



笹平から登っていくと、花崗岩が点在する鈴鹿のような光景があらわれる。バイカオウレンがまたチラホラと。2350mを越える辺りから残雪が深くなり始め、踏み抜きしないように神経を使う。30分ほどそのような道が続き、途中で巻道、戸渡尾根、鶏冠尾根などを分けて木賊山に着く。三角点や山名標識はある。これだけ立派な山容を誇る山なのに山梨百名山に入っていないのは、展望に恵まれないためだろう。




木賊山頂上



少し降り始めると甲武信ヶ岳が正面にやっと明確にその存在感を誇示し始めた。ここからの姿はまあ悪くない。三宝山もはっきりと前山から頭を突き出すようになった。朝日岳の上に金峰山も頭の先を覗かせている。やがて目の下に甲武信小屋が見えてきた。かなりのにぎわいのようだ。テントの申し込みをした時点で15張ほどはあっただろうか。さすがに好天の土曜日だけのことはある。三伏峠以来のことだ。湿ったサイトだったが、ベンチが近くにあったのであえてそこに陣取った。そのあと2組が到着した。これまではほとんどの場合、他に誰もいないところでテントを張っているので、何となく落ち着かない。もちろん不快というのではないのだが、要するに落ち着かないのだ。テント500円、ビール500円、水100円/Lを払う。夕食が終わった段階でも5℃。前夜より標高は600bも高いのにむしろ暖かい。


2012. 05. 20 甲武信小屋から梓山へ

コースタイム

0600 甲武信小屋、0617-37 甲武信ヶ岳(2475b)、0717-27 三宝山(2483b)、0812 尻岩、0832-38 右手のピーク探索、0847-57 展望のよい岩場、0904 武信白岩岳(2288b)、0956-1056 大山(2225b)、1126-50 十文字峠、1208 八丁坂の頭、1220 水場、1302 毛木平、1400 梓山BS

目覚ましなしで4:10に起床。0℃。皆さんは早い。5時に出る人もいたし、6時に出発するときには5張ほど残っていただけだ。こういうのも、なんとなく落ち着かない気分にさせられる一因らしい。夏に久しぶりに北アの縦走をしようと計画していたが、このような雰囲気が続くのかと思うとやや尻込みする。

小屋からすぐに雪の道となるが、20分もしないうちに甲武信の頂上に着く。さすがに何人もの人がいる。富士山がかすかに見える程度の天候で、南アはほとんど見えない。目を光らせて山々を見回している人はそれほどいない。その少ない一人に、夜中に徳ちゃん新道を登ってきて、今着いたばかりという元気者がいた。ヘッドランプで歩くのはともかく、寝ないで登山をする気にはなれない。その若者としばらく展望談義をする。金峰山の五丈石が見えているが、瑞牆山は小川山からの尾根に遮られて見えない。瑞牆山の標高がそれほど高くないことを再認識した。八ヶ岳もほんのかすかに見えている。そして御座山をへて三宝山。その右に両神山など。慣れていない領域なので難しい。妙義や荒船は三宝山の陰になり見えないようだ。

多くの人はそのまま引き返すようだが、男女2人が十文字の方へアイゼンをつけて降りていった。しばらくしてそのあとを追う。ほんの少しだけアイゼンをつければよいかなという斜面があったが、その後は滑るよりは潜る方に気をつかえば済む。

40分で三宝山。展望はないが、ちょっとした岩に登るとドッシリとした木賊山、若干ひ弱な甲武信ヶ岳が目に入る。その先に岩場があり、そこがよい展望台になっているらしいが、わざわざ行くほどのことはないとスキップする。水を飲んでいる小鳥の写真を撮ったあと、武信白岩山に向かう。やがて雪が途切れるようになる。樹間から右手がちょっとだけ見える所があった。途中で先ほどとは別の男女二人連れに追い抜かれる。尻岩に着くと両パーティが休んでいた。この若い4人とは結局毛木平まで、ほぼ前後して歩くことになる。尻岩の写真を一枚撮っただけで前進する。




三宝山から振り返る木賊山と甲武信ヶ岳



右手にちょっとしたピークがあったので念のため立ち寄っておくが、なにもない。これがP2288のような気もするのだが、判然としない。その後しばらくして展望のよい岩場があり、武信白岩山の岩峰を目の前にし、雁坂嶺、破風山、三宝山などの歩いてきた山が一望できる。八ヶ岳も個々のピークの姿を認められるようになっている。武信白岩山の岩場には立ち入り禁止のロープが張られている。それほどの危険はないらしいが、何かあるとまずいので立ち寄らないことにする。その後も何カ所かで山が見えるが、大山で全部見渡せたのでそちらに譲る。




立ち入り禁止の武信白岩山



大山に着くと、西側のやや低い所で2人が憩っていた。なかなかよい場所なので仲間に入れて貰おうかと一旦は腰を下ろしかけたが、頂上の方の展望も悪くないと聞き、頂上へと移動する。360°遮るものがなく、今回の山行での最高の場所の一つ(同定は別記)。1時間もの滞在は久しぶり。そこから十文字小屋までは30分。栃本への道を分けてすぐだった。神秘的な峠をイメージしていたが、青いビニールシートがあちこちに張られており、小屋のまわりもやや雑然としていた。CTとバスの時間をしっかり計算できておらず、最終のバスになるものと覚悟して、時間を気にかけないで歩いてきた。時間調整に大文字山を空身でピストンすることなどを考えていたが、十文字小屋に着くと「水場5分、かもしか展望台 0.5 km」の案内があったので、荷物をおいてそちらに向かう。水場を確認しただけで展望台はやめて峠に戻る。大山で十分すぎるほど展望は楽しんできたので、今更行くこともないと思ったためだ。小屋に戻って少し小屋まわりを見物する。水道の蛇口などがある炊事場などがあるが、肝心のテント場がどこかが分からない。どうやら小屋の前の広場がそれらしい。小屋は開いていたがには人はおられず、○○日には戻ってきますとの置き書きがあった。


とにかく毛木平に向かって足を進めながらCTを再チェックする。バスの時刻が14:30。十文字小屋から梓山のCTは 2:45(昭文社)。11:50に下り始めたので十分間に合う範囲内だ。少し足早に歩く。八丁坂の頭までは、本当に歩きやすい遊歩道だった。そこで右折すると山道らしくなる。水場まではほぼ右手の沢は伏流だったが、水場の表示のあるところではしっかりと流れていた。そしてまた伏流になる。ミヤマカタバミ、タチツボスミレ、ハシリドコロがときどき咲いている。やがて立派な橋で千曲川を渡ったところに車が見えたので毛木平かと思ったが、もう少し先だった。それでも何とかなりそうな時間に毛木平についた。二人連れのパーティの片方が会釈をしながら車で出ていった。もう少し早く着いていると、乗せてくれたかもしれない。もうひと組の方はバスのようで、間に合わないのではなどと言っておられたが、やはり歩き始めることにしたようだ。途中で農作業の人に梓山までの距離を聞いて、間に合うことを確信する。間に合うのなら歩くことはなんの問題もない。広い開拓地の中、正面に霞んではいるものの八ヶ岳が見え、左手には小川山などを見ながら足を進める。バスの発車まで30分も余して到着。ビールを買い、川縁を散歩し、荷物の整理をしながらバスを待つ。




猛毒のハシリドコロ



信濃川上には何もないが、駅の正面に男山の鋭い峰が聳えていた。小海線の展望もすばらしいものだったが、混んできたこともあり、ゆっくりと車窓風景の写真を撮ることはしなかった。八ヶ岳はもちろん、場所によっては奥秩父も、そしてやがて甲斐駒や鳳凰が中央線からとは違った視点で眺められた。





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