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2008. 5. 29-31
 瑞牆山、金峰山、国師ヶ岳

東京での仕事にひっかけて奥秩父に行った。天気予報は、3日ともかなり悪そうなことを言っている。定年後はいつも好天ばかり狙っており、登山力が落ちるような気がしていたので、悪天候もよい機会かもしれないと前向きに考える。

同行: 単独



2008.5.29 黒森から大日小屋まで

コースタイム

0740 韮崎駅前BS、830-833 塩川BS、846-850 黒森上BS、913 小川山林道入口、952 小川山林道終点、1042-1105 不動滝、1247-1305 瑞牆山(2230)、1422 天鳥川、1450-1454 富士見平小屋、1553 大日小屋

予報通りの雨で朝を迎えた。前夜のうちに仕事用の衣類などを宅急便で家に送っておいてよかった。宿の人がそこにある傘を持っていったらと言ってくれたので、バス停まででもあるとよいかと言葉に甘えてビニール傘を一本貰っていく。これまで山で傘ということを考えたこともなかったが、意外にも大変役に立った。

1979年に増富ラジウム鉱泉に泊まり、瑞牆山荘、金山、大日小屋を経て金峯山を往復したことがあるので、30年ぶりの訪問ということになる。今回は、増富鉱泉経由でなく、バスを途中で乗り換えて黒森からのコースで瑞牆山を目指す。初めは本谷釜瀬林道、途中から小川山林道を歩く。このような道では、傘が便利である。新緑がきれいで、雨の林道歩きも苦にならない。やがて高原野菜を作っている畑がでてくる。前方から軽トラックがやってきて前で止まり、乗せてやるという。「反対方向に行くのだけど」と言うが、それでもよいという。Tシャツ一枚で冷たい雨の中をしょぼしょぼ歩いているのを見て、気の毒に思ってくれたらしい。ありがたく乗せて貰う。車には暖房が入っていたが、かえって寒さを感じた。畑が鹿にやられて大変だと嘆いていた。

みずがき山自然公園への分岐から先の小川山林道は通行止めになっているので、そこで下ろされる。車はUターンするのでなく、そのまま自然公園の方へ走っていった。5分ほどの乗車だったが、おそらくは30分程度短縮したことになる。少し歩くと林道は終わり、いよいよ山道に入っていく。ウワズミザクラ、ムラサキヤシオに続いて、シャクナゲがあらわれる。まだ満開には少し早いらしく、蕾の濃い色のものもある。不動沢に出る直前に、ビバークしたくなるような岩屋があった。実際、焚き火の跡が残っていた。沢を右岸に渡って10分ほどすると不動滝になる。予想より大きな滝で、水量も多い。





不動滝



ここからは本格的な山道になるようなので、傘をしまい、ストックをもつ。丸木橋が多いが、濡れているのでその下を歩く方が安全である。しかし、やはり橋を渡る方が楽なので、大丈夫そうな時は橋を使う。見るからに危なそうな橋を渡っているときに、とうとう一本が折れて下に落ちてしまう。腰くらいの高さで、腰を打った程度ですんだ。名前のついた大きな岩の紹介が次々とあるが、遠くにあるものはガスに隠されて分からない。だんだんと木が低くなり、空が開けて明るさが増してくる。富士見平からの道と出会う。すぐに、大きな岩の頂上に飛び出す。心持ち薄日が射したかなという瞬間があったものの、周辺はガスで見えない。南側にあるヤスリ岩が辛うじて見える程度である。北側はシャクナゲとコメツガの林がすぐそこまで迫っている。風もなく、鳥もいないので、完全な静寂が支配している。

岩のゴロゴロした道を富士見平の方へ下る。大きく傾いた桃太郎岩を沢山の細い木切れで支えているのが面白い。単なるジョークなのか、なにかの宗教的意味でもあるのか分からない。本当は天鳥川の伐採小屋跡で泊まりたかったが、雨が心配で、やはり小屋のそばがよいだろうと今回はパスする。バイカオウレンらしき白い花が咲いている富士見小屋を通り過ぎて、大日小屋まで足を伸ばす。小屋は縦走路のすぐ下にあった。すぐそばにきれいな水が流れており、なによりの贅沢である。少し傾斜していたが、小屋のすぐそばにテントを張る。濡れた雨具などは、小屋の中で乾させてもらう。テン場使用料500円を貯金箱のような狭い口から投げ入れるようになっている。少しの時間だけであるが薄い夕日が射し、ミヤマスミレの脇での夕食を気持ちよく済ませることができた。


2008.5.30 大日小屋から大弛小屋まで

コースタイム

542 大日小屋、612 大日岩、657-702 砂払の頭、817-842 金峰山(2599)、931 鉄山の麓、1043-1049 朝日岳(2579)、1132-1138 休憩、1150-1230 朝日峠、1312-1415 大弛小屋、1506-1513 北奥千丈岳(2601)、1527-1543 国師ヶ岳(2592)とその周辺、1626 大弛小屋

この日の朝もガスの中で明ける。降られないだけましと出発する。30分で大日岩となる。ここで、朝日が射し始め、ウキウキして通り過ぎる。事前調査が不十分だったので、大日岩がよい展望台であることを知らなかった。帰ってからネットでそのことを知った。その後もよい展望が得られたので、後悔は少ない。



大日岩ではじめての太陽の光


やがて樹間から、五丈石を従えた金峰山や甲斐駒・仙丈が見え始める。ここにもバイカオウレンがある。砂払の頭で一気に大展望が開ける。富士山、布引山から鋸岳の南アの全貌、その右に中ア、御嶽、そのあと八ヶ岳。その右後に北アがうっすらと並んでいる。しかし、それまでの登りの途中で、頭だけ見えていた瑞牆山が雲に隠れてしまった。2300m程度の雲海が中部地方を覆っているという感じで、低山に目が行くことなく、高山だけを集中して見ることになる。尾根から見える五丈石がすぐ近くに見えたので、コースタイムよりかなり早く着くかと思ったが、実際にはなかなか到着せず、コースタイム通りであった。石の大きさが見当はずれを起こさせたのかもしれない。

まずは一番高い所に登って周囲を見回す。こんなによい天気になるとは予想もしていなかった。下界は厚い雲に覆われているので、降水確率50%という予報は当たっているのであろう。ここからも2400m以上の高山しか見えない。富士山の右はいきなり南アである。左端の布引、笊から主な3000m峰を経て鋸岳までが勢揃いしている。すぐに空木以北の中ア、御嶽、乗鞍が続き、間隔をあけずに八ヶ岳となる。先日登った茶臼、縞枯が分かるが、北横は蓼科と重なるので分からない。蓼科の奥に立山が見え、剣が続く。北アの各ピークを目で見分けることはできなかったが、ズームで撮影した写真では、なんとか鹿島槍や白馬も識別できた。よく見ると、蓼科の左手にも立山の竜王、獅子や、そのさらに左手にやや黒っぽい餓鬼が写っている。北アの右手の妙高、四阿、浅間等々は全く駄目で、近くの小川山が頭の先を覗かせているだけだ。あとは東側に、これから進む山脈が見える。朝日岳を真ん中に、左に三宝、甲武信、木賊が頭だけ、右側は国師と北奥千丈であるが、これらはやや高いので、中腹まで見えている。展望を堪能したあと、少し行動食を摂ってから先へ進む。これだけ展望に時間をとると、この日のうちに甲武信まで行くのは無理かなと思い始める。




砂払の頭から南アルプス(右端に中央アルプス)






金峰山から遠くに国師ヶ岳、北奥千丈岳


金峰山を下りはじめてすぐに軽装の男性とすれ違った。この3日間で唯一の人であったが、大弛からのピストンかと深くも考えずに会釈をして通り過ぎた。荷物がないので、すぐに追いついてくるだろうと思っていたが、大弛には車が一台もなかったので勘違いだった。金峰山小屋から出発して、残雪が多いので引き返してきたのであろう。

森林地帯に入るまでは、残雪が多いというのを予想していなかったが、ずっと大弛までは残雪の上を歩くことになる。頻繁に踏み抜いて股まで沈むので、薄氷を踏む神経で歩かないといけない。ワカンがあればよかった。一応足跡はたどれるし、目印もそれなりにあったので、道を見失うということはなかったが、歩く速度はガクンと落ちてしまった。帰ってから、田部重治の「山と渓谷」を読み直してみた。木暮・田部両氏も同じ時期にここを歩いている。1日で金峰から甲武信まで歩く予定だったのに、残雪に手こずり、諦めている。子供じみているが、百年前の先人と同じ体験をしたことがわかり、なんだか嬉しかった。

朝日岳からは、この日最後の展望があった。金峰山の左に甲斐駒と白根三山が見えるが、仙丈と北岳が雲に隠れはじめている。前方の国師、北奥千丈も近づいてきた。富士もまだ見えている。P2528からは大弛峠を横切る林道が見えた。朝日峠に着く手前でスパッツの紐がほどけたのをきっかけに少し腰を下ろしたが、峠でもう一度ザックを下ろし、バーナーを取り出して中食を作る。もう大弛泊まりであることに決めたので、急ぐ必要は全くない。





鉄山近くの登山道

大弛峠には車が沢山あるのかと思っていたが、車も人も皆無であった。道路を横切って小屋まで行くと、ここにも管理人はいない。テン場使用料は600円とあるが、小銭の持ち合わせがない。1000円でもよいが、入れるべき箱が見あたらない。テントをどこに張るのかというような案内もない。小屋の前のベンチの近くに、完璧な平面で、ふわふわした適地があったので、そこに張らせてもらう。水もきれいなのが豊富に流れている。

コーヒーを飲んだあと、甲武信までのコースを見るためもあり、空身で国師、北奥千丈に向かう。車登山のハイカー用に、道は歩道橋のような立派な階段で延々と埋め尽くされている。雪に潜ることがないので楽だが、階段がないところは、前と同様である。三繋平から、まず北奥千丈岳に向かう。道を見失うことはないが、赤テープは全くない道であった。頂上は明るく開けた所で気持ちがよいが、ガスが湧き始めたため展望はない。標識があったところより、南の高地の方がやや高いように思えた。少なくとも南にある大きな岩の頂上は間違いなく高い。深く追求しないで、奥秩父の最高点に達したことにし、三繋平に戻り右折して国師に向かう。

学生時代に最奥の最高峰ということで、憧れていた山だったが、大弛峠まで車道が通じ、歩道橋で登ってこられる山とあっては、国師ヶ岳に登ったという特別の感慨はわかない。すぐに、気になる甲武信方面への偵察に出かける。やはり金峰−大弛間に比べて、歩きにくそうである。取り付き地点が、まず分からない。目印なく、足跡も頼りない。5分ほど東に向かって歩いてみる。やがて、いくつか赤テープも見つかり、足跡もあったが、それを辿るとやがて足跡は右に折れ、真南に向かって下りていく。天狗コースかもしれないが、迷った跡かもしれない。北東の方に向かう足跡はないので、引き上げることにする。この日の金峰から大弛までの雪道で、コースタイムの1.7倍ほどかかったので、大弛から甲武信までのコースタイム6時間を1.7倍すると10時間、それに休憩時間を入れると、やや厳しい。数カ所で道を見失い、ロスタイムがあるすれば、甲武信小屋にたどり着けない。途中にテントを張れそうなところがあればよいのだが、そういう情報も全く知らない。やはり翌日は退却と決める。

甲武信をやめるとすると、どのような選択肢があるのかとテントに戻って地図を広げる。金峰に戻る気はしない。甲州側へは、かなり歩く必要があり、最終バスの時間も知らない。信州側が近いが、林道が歩けるかどうか分からなかったので、もう一度峠まで行って、様子を見る。「状態がよくないので、気をつけて通行してください」という車に対する標識があったので、もちろん歩くには問題ないなと安心する。少し冷えてきたので、テントの中で食事をする。食事を終えた頃、ポツポツと雨が降り始めた。


2008.05.31 大弛小屋から秋山まで

コースタイム

635 大弛小屋、841 東股沢を右岸へ、915 金峰山荘への分岐、957 川端下(カワハケ)BS、1043-1304 秋山BS、1330 信濃川上駅

夜もずっと雨がテントに落ちる音と風の音が止まなかった。地面からの冷気で何度か目覚めた。2300mを超える所だけのことはある。朝の気温は3℃だった。荷物を小屋に運んだあと、畳んだテントの水気を小屋の前ではらい、最終的な荷造りをする。雨の日は、近くに小屋があるというだけで大変助かる。とくに急ぐこともないので、ゆっくりと林道を下る。ここでも傘が役に立った。峠の近くでは、広い林道一面に氷が張りつめている。ブルドーザーで毎日手入れをしている様子である。もちろん道路脇には残雪が積まれている。舗装されていない林道なので助かる。水溜まりを踏まないように注意する。

距離はあるが、どんどんと下っていく。森林管理署小屋というのが最初のポイントであったが、気付かずに通り過ぎ、2時間後には東股沢を右岸に渡る。ここに、5/31までは全面通行止めという標識があり、ゲートが閉まっていた。峠からは車も下りることができるのに、おかしな話である。ウワズミザクラなどの白い花が数種類咲いている。白樺の木も多い。廻目平の分岐点に来た時、すでに雨はあがり、前方の村は明るくなっている。金峰山荘近くのテント場でもう一泊し、小川山に登って、翌日帰ることも考えたが、後方の山はまだ雲の中である。雨の中を登って、濡れたテントに寝るのも気が進まないので、すっぱりと諦めて、川端下のバス停を目指す。最終の時刻は調べておいたが、朝に乗るとは思わなかったので、でたとこ勝負である。着いてみると、なんと12分前に出たところだった。次は3時間後である。梓山からのバスはもう少し本数があったはずなので、秋山まで歩く。

この辺で有名らしいが、満開のヤマナシを沢山見た。秋山でバスの時刻を見ると、結局、川端下で3時間待って乗るバスと同じものを待つしかなかった。しかし、秋山では食品店があり、そばに千曲川の河原がある。ビールを買い、薄日でテントや靴下を乾かしながら、残りの食糧を使って昼食を楽しむ。食事が終わると、また雨がパラパラと降ってきた。今回は、いつも雨が降るタイミングが絶妙だった。少しBSで雨をよけながら時間をつぶす。バスは長い時間待ったが、小海線の接続はぴったりだった。小淵沢でおいしい蕎麦を食べ、20時前に帰宅できた。




ヤマナシの大木





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