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命に関わる危険な思い出  



いろいろと思い出していると、本当に命の危険を感じたのは3回で、そのうちの2回は同じトムラウシ縦走の時で、状況も似ているが、敢えて重複させて載せる。もう一回は、鈴鹿での滑落未遂のとき。あとの越後三山とBryce Canyonでの思い出は、当座は差し迫った危険を感じなかったが、あとで振り返ると、下手をすると命に関わっていたかもしれないという思い出だ。


 

ヒサゴ沼への下降
(化雲岳、2009. 07. 09

トムラウシで大量遭難があった同じ頃に同じ所を歩き、同じ低体温症に見舞われた。前日聞いた天気予報通り、歩き始めた頃は雨模様だったがそれほど悪くなかった。残雪が残る辺りからかなり風が強くなり、やがて暴風雨となった。立ち止まって食事をすることもできず、衣類を増やすこともできず、どんどん冷えてきてガタガタと震えるような状態になった。テントを持っていても、取り出すこともできそうにないと、恐ろしくなった。どこを歩いているのかもはっきりしなかったが、化雲岳の岩を見たときは心底ホッとした。ヒサゴ沼への分岐点に着いたときは風も弱くなり、やっと休憩する余裕ができた。



双子沼キャンプ場
(オプタテシケ、2009. 07. 13)

トムラウシを越えた日の午後とその翌日は天気が回復したが、双子沼からオプタテシケを越える日はまた同じような低体温症に襲われた。残雪が多くて道が分からずかなり消耗したのはまだしも、登山道が見つかった後の吹き曝しは厳しかった。2本のストックでなんとか身体を支えるというような状態が、ベベツを過ぎても続いた。転倒してけがをするとか、道を外すとかすると、この世ともお別れになると思い、慎重に一歩づつ足を進めた。やっと風雨も落ち着いてきた頃、美瑛避難小屋に着いた。



オカメノゾキの方角を望む
(越後三山、2009. 09. 30)

越後三山では、なんとか縦走を終えたが、後で考えるとかなり危なかったと恐ろしくなった。2度も大げさな転倒をした。重い荷物をもっていたので、七転八倒という感じで転げ落ち、あちこち怪我をした。そのあと、片足を踏み外して、捻挫してしまい、この方がかなり深刻だった。その先にオカメノゾキという難所もあるので、引き返すことも考えたが、立ち上がるとなんとか歩けるので、前進する。中ノ岳手前の水場に水流がなく、一瞬頭が真っ白になった。少し動き回ってなんとか水を見つけた。水がなく、足が動かないとすると、中ノ岳避難小屋(天水貯蔵桶が空だった)で進退窮まった所だった。



陰鬱な北谷尻沢
(鈴鹿奥座敷、2012. 03. 12


北谷尻谷のテントで一泊し、翌日、谷を遡行して銚子ヶ口に向かって出発した。沢には小さな支沢が入り組んで流れ込んでいたため、予定の沢の一つ手前で雪の詰まった沢に入ってしまった。急な勾配で、雪がある間はまだしも、岩場になったのちは、ホールド、スタンスとも皆無で、下を見るのも怖かった。午後には荒れ模様になるとの予報だったので、ここで降られるとそのままずり落ちるかと怯えた。その時、足がズルッと滑り、「これで我が人生も終わり」と覚悟した。信じられないことに10pほど滑っただけで足が何かにひっかかり、難を逃れた。



Sunrise Pointの夕暮れ
(Bryce Canyon、2007. 01. 14

UtahのBryce Canyon国立公園でスケールの大きな景色を見ながら、ハイキングを終え、駐車場に戻った。そこから数分の展望台に行って最後の光景を楽しんだ後、車に戻ったとたん、急に震えがきた。車を走らせながら暖房を全開にしたが、20分ほどは暖かくならなかった。朝のゲートで聞いたときの温度が−23℃だったので、もっと下がっていたかもしれない。標高2500bの真冬なので当然かもしれない。無人のCanyonを歩いているときになにかのトラブルに襲われたとすると間違いなく凍死していただろうとあとで考え、恐ろしくなった。




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