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2009. 07. 09 - 14  トムラウシ、オプタテシケ
 



JALの旭川行き格安航空券があったので、憧れのトムラウシに向かう。温泉2泊、テント3泊の余裕のある日程とし、花を思い切り楽しもうと考えた。しかし、結果的には「大雪恐るべし」という教訓を得る結果となった。


同行:単独

                                                                                                                               

2009. 07. 09 天人峡温泉、羽衣の滝               


コースタイ

1712 天人峡のホテル、1725-33 羽衣の滝、1747 敷島の滝、1808 ホテル

旭川空港に下り立ち、ガスカートリッジを購入するため、ネットで見た近くのアイス工房田村ファームへタクシーで往復した(帰る際に空港で確かめたら、到着ロビーで購入できたというので、気分的には大損した感じ)。バスで旭川駅前に向かい、多少の食料を仕入れる。天人峡のバスの終点は旅館街下のトンネルの手前で、対岸には層雲峡と同様の柱状節理の岩がそそり立っている。トンネルを越えると宿はすぐそこだった。宿で色々と整理をしたのち、羽衣の滝の見物に向かう。

羽衣の滝は、以前に旭岳から下りてきたときにも見ていたが、なかなかよかったので、再訪した。やはり名瀑だ。ついでに今回は敷島の滝も訪れたが、こちらは趣のない滝で失望。途中に色々と花が見られる。登山口には、オオハナウドのような大きなセリ科の花、川沿いにチシマアザミ、ミヤマカラマツなど。

夕食時に見ていたテレビの天気予報では、翌日もとくに悪いということはなさそうと言っていたので安心して寝る。


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羽衣の滝
 

敷島の滝



2009. 07. 10 化雲岳からヒサゴ沼へ

コースタイ

0545 ホテル、0657-59 滝見台、0906 木道(第一公園の始まりらしい)、0916-28 休憩、1018 南への屈曲点、1328 化雲岳(1954b)、1415-38 コル、1510 ヒサゴ沼小屋

部屋でお茶を飲みながら、宿でもらった味もそっけもない握り飯で朝食とする。曇ってはいるが、大して悪い天候という感じではない。ごく薄い半袖の上にゴアの雨具だけで出発する。いきなり等高線の詰まった斜面を250bばかり登る。ゴゼンタチバナ。傾斜がゆるみ、しばらくすると滝見台に出る。なかなかよい形だが、やはりやや遠いため、迫力に欠ける。休みたい場所だったが、小さい虫が煩いので歩き続ける。忠別川の対岸の柱状節理の断崖の先に、ガスがかかる旭岳が7-8合目辺りまで見えた。これが今回唯一の旭岳だった。

ウコンウツギとツバメオモトが雨に濡れてひときわ清冽な輝きを示している。ミヤマカラマツ、ハクサンチドリ、リシリスゲ、チングルマ、ワタスゲ、ショウジョウバカマ、コバイケイソウ(花はまだ)などが目を引く。離れた所にミズバショウらしきものも見えたが、すでにこの頃は雨が強くなっており、ゆっくり確認する気になれなかった。チングルマとワタスゲの群落は、蔵王の御田の神を思い出させる。晴れておれば、はるかにスケールは大きいのだろうが。雨の時の花は決して悪くないが、ワタスゲだけは例外で、みすぼらしい。木道が始まる頃から一層見応えのある光景が続く。エゾコザクラ、エゾノハクサンイチゲといったお待ちかねの花が続々と出てくる。9時を過ぎたので、ザックを下ろして中食をとる。小雨だが、カメラを出すのがだんだん躊躇われるようになってきた。

やがて、雨も本降りになってきて、道は川のようになってきた。足下ばかりを見ながら歩くことになる。もっともそのような所は花も少ない。やや傾斜もゆるみ、川幅も狭くなり歩きやすくなる。再び花が目を引くようになった。ミツバオウレン、イワイチョウ、ハクサンチドリなど。道が東から南に屈曲したあと、単独行の人2人、少し遅れて6-7人の団体と出会う。団体の最後尾にいた男性が「天人峡からどのくらいかかりました?」とやや心配そうに聞く。時計をみて、こちらも5時間程度歩いていることに始めて気付く。いくら足が遅くても、明るいうちには下山できるだろう。

エゾイソツツジ、チシマノキンバイソウ、アオノツガザクラ、コメバツガザクラなどが現れる。一ヶ所だけ大きな水溜まりがあり、どうしても回り込めず、靴の上まで水に浸かってしまう。もっともその頃は、もう靴の中は完全に濡れており、さらに濡れることなど気にしなくなっていた。川道を脱して、12時すぎまで、何とか雨の中で、ナナカマド、コマクサ、イワヒゲ、キバナシャクナゲなどの花の写真をとり続けたが、そのあとは風も加わりそれどころではなくなってきた。

雪渓のそばを通るあたりから気温が急に低下し、さらに風がうんと強くなってきた。2枚の薄着ではとても間に合わないので、すぐに衣類を増やすべきだったが、濡れたものを増やすのはいやだとか、あまりの風雨でザックを開けるのも面倒だとかの口実をつけて、しばらく我慢し続けた。やはり耐えられなくなり、立ち止まって一枚半袖シャツを増やす。後から考えると、シャツだけでなく、セーター位も追加すべきだった。立ち止まると当然だが、急速に体温が下がり、ガタガタと震えるようになる。空腹になるといけないので、前夜に作ったおにぎりを口に入れるが、喉まで行くものは2/3位で、あとは震えている口元からボロボロとこぼれていく。それでも、何かを食べたという安心感ができた。ザックカバーも付けたが、とても収まっていてくれず、はずれて背中でバタバタと音を立てる。どこを歩いているのかを調べることもできない。ポン沼や小化雲岳などが目印なのだろうが、全く分からない。このような状態では、いくらテントを持ち、食糧があっても、ビバークなどはできそうにないなと焦る。とにかく風をよける場所が全くないのだ。少し下り坂になったので、化雲岳を越えたのかとも思ったが、なんの標識もないし、目立つはずの化雲岩もないので、まだだろうと考える程度の判断能力しかない。なんだか意識がもうろうとした状態になってきた。そのうち、風は強いままだが、雨がやや弱まったのが幸いして、少し不安度が減る。だだっ広い平原だが、道はなんとか見極められる。ここで道を間違うと修正が不可能だと、気を引き締めながら、惰性のようになりながらも、道らしき所を歩き続ける。

前の休憩から4時間後にやっと化雲岳頂上に到達する。化雲岩もあり、標識もある。危機を脱したかなという感触をもつ。温泉からのコースタイム7:30のところを、水浸しの道を飛び石伝いに歩き、風によろめきながらも7:45で歩いたことになる。いかに余裕なく歩いていたかを物語っている。こんな計算は下山後にしたものので、頂上ではメモもできない状態。写真を一枚だけ辛うじてとって、時刻を記録しておいたのが役に立った。とても立ち止まることはできず、そのまま頂上を通過する。ヒサゴ沼に向かう分岐があり、しっかりした木道もあったが、視界不良のときは迷いやすいと書いてあったのを思い出し、安全を期してコルを経由する道を選ぶ。このような状態で、雪渓の中であやしげな道を探すのは無理ではないにしても、大変危険だ。コルまで下りると、さすがの風も弱まってきた。岩陰に入り、ザックを下ろし、一息つく。やっとお湯を沸かして、エネルギーを補給しようという気になった。100%消耗していたら、食事などをする気にはなれないだろうから、まだましな方なのかもしれない。結局この日は2時間ほどの間、暴風に見舞われていたことになる。

あとは岩を伝って雪渓に下り立ち、素直に下りて行くだけでよい。やはり、200mほど遠回りになったが、安全策をとって正解だったと思う。沼のまわりに咲くエゾノハクサンイチゲなどを見る余裕もでてきた。小屋のそばのテント場は空だったが、もちろんテントを張る気にはなれない。

小屋には3グループ、7人がいただけなので、ゆったりと場所を確保できた。入ったときには、もうすでに普通の様子になっていたので、多分誰も大変な目に遭ってきたとは想像できなかったに違いない。神戸からの夫婦は、朝からの大雨で停滞したという。山上が大雨なら、道が川になっていたのも不思議でない。17時頃に6人ほどの団体が到着し、2階に上がっていく。大変静かなグループで、ほとんど話し声も聞こえない。あとで考えれば、彼らも大変苦労してここに着いたのにちがいない。さらに18時半になって、単独の若い女性が着いたのには驚いた。しかし、この人は一度小屋に入り、荷物を軽くしてトムラウシを往復してきたというので、その時は納得した。しかし、これもあとで考えると、同じような風の中を化雲岳より200mも高い所へ往復したのだから、大変だったはずだ。翌日天人峡へ下るらしく、色々と途中の様子を聞かれた。

それにしても、これだけの強い風の山行はこれまでにあっただろうか。宮之浦岳の山頂も雨粒が水平に飛んでいたが、それほどの身の危険を感じなかった。2合分の飯を炊き、おかずもしっかり作って食べたので、満ち足りた気分になる。神戸の人が、ラジオを聞いていて、明日は好転するというので、それを期待して眠る





滝見台から羽衣の滝全景



旭岳方面も辛うじて見えた



エゾコザクラ

 


お花畑が続く



化雲岳の岩を見て一安心




コルからヒサゴ沼へ下る


2009. 07. 11 トムラウシ山から三川台へ

コースタイ

0640 ヒサゴ沼、0712 コル、0757 天沼、0823-40 休憩(靴ひも、中食)、1000-15 北沼、1100-17 トムラウシ(2141b)、1140 トムラウシ分岐、1212 巻道に進んでしまい、引き返す、1235 トムラウシ分岐、1500 三川台

朝起きると、確かに天気はよくなっており、ヒサゴ沼の先に、一部ガスがかかってはいるもののニペソツらしき山並みが見えている。そのうちもっとはっきり見えるだろうと高をくくって、その美しい景色の写真を撮らなかったが、あっという間にまたガスに囲まれてしまった。行動用に、煮沸したお茶などを1L足らず持参する。下山する神戸の2人が出発して、しばらくしてあとを追う。前日に下りてきた雪渓を登るので気が楽だ。コルから先、イワブクロ、イワウメ、ナナカマドなどの花が点々と咲いているが、まわり一面ガスだらけで、天沼を通過したのも、進行方向が西から南に急転したことで判断するといった調子。

どうも新しい靴の馴染みが悪く、足の甲に靴擦れができる。絆創膏を貼っておいたのだが、もう一度靴ひもの締め直しをするため、ザックを下ろす。ついでに、靴下を絞って水気をとっておく。さきほど追い抜いた神戸の2人が追いついてきた。その後、坂を登り切って、平らな所にでると、高山植物がひときわ見事に広がっていた。とくにエゾノハクサンイチゲが瑞々しい。ゴゼンタチバナ、エゾオヤマノエンドウも出てきた。だんだん風が強くなり、北沼に着いた頃には、沼の岸に大波が打ち寄せているような有様だった。波打際にチシマノキンバイソウやエゾノハクサンイチゲが揺れている。テント用の石組みらしきものがあったので、その陰にザックを下ろし、中食を口にする。その日の行動用の水は十分だったが、途中で何が起こるか分からないなと心配になり、ビバーク用に沼の水を1L汲んでおく。きれいな水だ。2人がまた追いついてきた。彼らは巻き道から下りるという。来たときに登っているはずので、この天気では当然の選択と思ったが、来たときも巻き道を歩いたという。たとえ晴れていても、花を見に来ただけなので、頂上には全く興味がないという徹底した姿勢に感心した。

岩だらけの道を頂上に向かう。頂上には日帰り登山者が計3人いた。全く展望はないが、山頂標式の写真をとり、岩陰で軽食をとる程度の余裕はあった。下山途中でも何人かの登山者と出会う。短縮登山口を4時頃に出発した人達だ。トムラウシ温泉への道を左に過ごし、少し進むとまた分岐が出てきた。左はテント場への道と即断し、地図も磁石も確認せずに右手の道へ行ったのは、全く初歩的なミスだった。まさか巻き道を北沼に向かって戻っているとは思わなかった。池のそばを通り、雪渓を渡り、半時間ほど歩いて、やっと磁石を取り出した。東に向かっているので、磁石が狂ったかと愕然とする。もうしばらく歩いてから、もう一度チェックするとやはり東に向かっており、やっと間違いだと気付く。この日は、十分余裕のある日だったのでよかった。あちこちで白く長い苔が目立つが、これはミヤマハナゴケだろう。サンゴゴケのようなものも。

 

日本庭園のナナカマド




天沼付近

 
 

北沼に押し寄せる荒波




トムラウシ山頂




巻き道に迷い込む

 


分岐点に戻る

分岐点に戻り、テントの方に行くと、立派な道標が立っていた。自分のミスを棚に上げて言うのも恥ずかしいが、先ほど間違った分岐点にも標識があればよかった。ここも水が豊富に流れており、よいテント場だ。ここから三川台に向かって西に進む。もう方向に間違いはない。ここから三川台までの間には、ホソバイワベンケイ、ミネズオウ、アオノツガザクラ、エゾノツガザクラ、ショウジョウバカマ、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、エゾイソツツジ、イワブクロ、チシマヒョウタンボク、ミツバオウレン、コメバツガザクラ、エゾコザクラ、イワイチョウ、コイワカガミ、メアカンキンバイ、チシマノキンバイソウなどが次々と出てくる。それだけではなく、これぞトムラウシというような広大なお花畑がある。エゾコザクラの群落も好きだが、やはりエゾノハクサンイチゲの群落がいちばん見栄えがよい。この頃には雨もやみ、カメラを取り出すのを躊躇することもなくなった。平原の先にあるトムラウシの斜面も見え始めた。ほとんど上り下りのない高原漫歩。左手のユウトムラウシ川源流の光景もすばらしい。2組の2人連れとすれ違う。三川台のテントが見え始めた。トムラウシ分岐で1時間程度のロスをしたのはむしろよかった。ガスに煙ってはいたが、巻き道の雰囲気のよい道を歩けたし、時間が遅くなった分、お花畑での散歩の際に天候が回復し始めたのはラッキーとしかいいようがない。この山行でもっとも幸せな気分の時間だった。

三川台は地図でも分かるように、広々とした草原が広がっている。分岐点の手前に大きなテントがいくつも張ってあったが、人はほとんどいない。1時間ほどのちに大勢の団体が俵真布から上がってきたので、その人達のものをポーターが持って上がったのだろう。この道は最近手軽に登れるというので人気があるらしいが、車でないとアプローチできないし、もちろん元に戻らねばならない制約がある。テント番の人に水場を聞くと、下の雪渓まで下りるという。ともかく三叉路まで進んでみる。ここにはテント2張のグループが中で憩っていた。声をかけて水場を聞く。先ほどの雪渓か、少し先にある水場かのどちらかという答だ。三叉路からわずか進んだ所にテントを張るのに絶好の平地があったので、そこに決める。やがて札幌からの2人連れがやってきて、隣に陣取る。そちらは小石がゴロゴロしていて、「わずか5分程度早かっただけで大違いとなり、申し訳ないみたいだ」と言うと、クッションをもっているので、気にならないという。水汲みに一応行っておこうと、教えられた水場を目指す。思ったより遠くて、10分は下ったころ、道の左手に、2張り分程度のテント場があった。その奥の細い道を分け入ると雪渓が残っており、雪を伝って少し下ると、水が豊富に流れていた。エゾノリュウキンカが満開だった。ここのテント場のことを知っておれば、そしてこちらが空いていることが分かっているなら、確実にこちらを選んだだろう。三叉路の方が展望はよいかもしれないが、こんな天候なのでそれは利点とはならない。札幌の人から、双子池のテント場の様子や途中に咲いている高山植物の情報を教えてもらう。




黄金ヶ原のエゾノハクサンイチゲ

 


エゾノハクサンイチゲ



三川台への道

 


三川台のテントサイト


2009. 07. 12 ツリガネ山から双子池へ

コースタイ

0714 三川台、0852-0934 ツリガネ山分岐、1135-1204 コスマヌプリ分岐、1315-41 カブト岩、1430 双子池

夜テントから顔を出すと、雲の中の月影が少し見えたので、喜んだが、朝はまたガスの中だ。お隣も三叉路のテントもゆっくりしているので、つられて遅い出発となる。しかし、この日も余裕があるので、問題はない。下り始めるとなんとなく明るくなってくる。ジンヨウスミレがある。前日に水汲みに来た雪渓の下にエゾノリュウキンカが見える。この花はここでしか見なかったが、わざわざ近くまで行く気がしなかったので、登山道から撮影しておく。ユウトムラウシ川源流の先に、前日に歩いた尾根なども見え始める。笹や松の中を歩くが、手入れされているので楽だ。30分して、前方のツリガネ山が全貌をあらわす。今回、山の頂を見たのはこれが初めてだ。そして、P1912のうしろにやっとトムラウシが見えた。顕著なピークとしてではなく、ややとりとめのない山並みの一部として見えただけだが、それでも嬉しかった。右手にはP1898に続いて、P1794が鋭く槍を天に突き上げている。ツリガネ山分岐に着いたときには、もうトムラウシは雲に隠れたので、ここの一枚の写真は貴重だ。三川台の左手には、俵真布登山道の兜岩がそそり立っている。マルバシモツケ、ミヤマアキノキリンソウ。ツリガネ山の登りで、札幌の人が「珍しい」と言っていたミヤマオダマキを見る。「そんなの本州ではいくらでもある」と言ったが、大雪には珍しいという。同様にコイワカガミも少ないと言っていた。そう言えば、これまでは一度しか見ていない。エゾイソツツジが斜面一杯に咲いている。

ツリガネ山への分岐点に着くと、前方にコスマヌプリからP1668へと続く広々とした高原が横たわっているのが目に飛び込んでくるが、オプテタシケは雲の中だ。左手にツリガネ山がすぐそこに聳えている。南北方向からみる釣鐘状と違い、こちらからは「トンガリ山」に見える。後に写真で頂角を測ると110°だった。たとえば、槍ヶ岳で90°、富士山で120°程度なので、かなりの鋭さだ。山頂まではハイマツがビッシリと生い茂っており、とても分け入る気になれない。かすかな踏跡も見あたらない。日射しも暖かだったので、また靴擦れの手入れをするついでに、靴下や雨具などを乾燥させながら、大休止とする。この日は計3度休んだが、それぞれ44、29、26分と実にゆったりとした時間を過ごす。下っていくと、不思議な色合いのタカネナナカマドがある。ツマトリソウ、チシマヒョウタンボクも。ピラミッド状のP1558の登りで、この日唯一の登山者とすれ違う。望岳台から天人峡へと全く同じコースを逆に歩くカップルだ。お互いに水場の情報を交換する。双子池では、札幌の人と同様に、カブト岩から下りきる寸前の空き地を勧めてくれた。P1558、P1591のピラミッドを越えてコスマヌプリを目指す。コスマヌプリ分岐からコスマヌプリのピークまではツリガネ以上に近く、高低差もほとんどなかったが、やはりほとんど歩いていない。この程度の藪こぎならやれないことはないが、やはりスキップする。最近どうもこのようなケースが続く。笊ヶ岳の小笊、偃松尾、保利沢山(上の切)、この日のツリガネ、コスモヌプリだ。ピークにこだわるのはつまらないので、よい傾向かもしれない。

ふり返ると、ツリガネ山まではどうにか見えるという視界だが、さすが北海道の山という広がりがすばらしい。P1668を越えるとやっとオプタテシケが見えるが、頂上部だけは雲の中。エゾリンドウ(?)、エゾヒメクワガタ(?)かもしれない青系統の花があるが、デジカメで全然ピントが合わせられない。エゾヤマゼンコもある。カブト岩の下にイワヒゲが群生していた。少し通り過ぎてふり返るとトムラウシ方面の山稜がチラリと見えた。撮った写真を帰宅後に調べると、ほぼ似たような位置から撮影している写真を見つけた。雲の中にツインピークの頭だけ見せているのはまさにトムラウシだ。辛うじて2度目の対面となる。しかし、これも先ほど同様、一瞬のことで、その後、半時間ほど粘ってみたが、チラリとも見えなかった。

双子池に下りるにつれ、雲が動き、オプタテシケの北東峰が顔を出した。しかし、とうとう最後まで頂上を拝むことはできなかった。キャンプ指定地を見渡せるが、この日は誰もいないようだ。二人から推薦された手前の乾いた空き地に迷わずテントを張る。すぐそばに有機物に充ちた池がある。しかし、近くに可愛らしい残雪があるおかげで、池から水が絶えず流れ出しており、溜まり水を汲むのに比べてうんと気分がよい。多少のゴミは浮いているが、きれいな水だ。花はないが、コバイケイソウの若々しい葉がある。到着が早いので、落ち着くまでの間に色々のものを乾かし、近くに散乱していた新聞紙を燃やしながら、ついでにこれまでのゴミの一部を処理する。カレーと麻婆春雨の食事をしながら、山を見上げるがやはり晴れてくれない。雪渓の登りで道が分からなくなったという話が多いので、目を凝らしてルートを探すが、分からない。

この日は、10km四方に人間は1人だけのようである。クマはどのくらいいるのかしらないが、全然姿を見せない。一度会ってみたいと思っているが、夜中にテントを襲われることはなんとしてでもご免被りたい。





ツリガネ山




三川台からの下りでみたトムラウシ




 俵真布登山道の兜岩
 

ツリガネ山



チシマヒョウタンボク


 


コスマヌプリ分岐よりツリガネ山方面


 


オプタテシケの頂上から消えないガス

 
 

双子池近くのテントサイトの水場


2009. 07. 13 オプタテシケ山から美瑛富士避難小屋へ


コースタイ

0620 双子池、0634 双子池キャンプ指定地、0842 登山道へ出る、0930 北東峰、0945-55 中食、1005 オプテタシケ(2013b)、1120 ベベツ岳(1860b)、1225 美瑛富士避難小屋

朝起きると、山はガスで囲まれ全く見えず、昨夕より悪い。この日は少し長距離なので、4時に起きたが、ゆっくり癖が直らないのか、出発は6:20となってしまう。天気はよくないが、雨は降っておらず、とくに心配するようなものではない。化雲岳のこともあるので、この日は雨具の下にシャツを2枚着て、念のためセーターをすぐに取り出せるようにしておく。これだけ着て歩き始めてもそれほど汗をかかないので、やはり少し寒かったのだろう。キャンプ指定地にくると、評判通りのグズグズと湿ったサイトで、間近に雪渓の端が押し寄せており、天気のせいもあって陰鬱な光景だ。上のサイトの方がはるかによい。

さて、雪渓を登り始めるが、最初からなにも分からない。皆さんが苦労しているので、道が分からないのが当たり前と覚悟ができている。20m程度の視界はあるが、足跡や登山道は全く見えない。地図をインプットしていないもののGPSを持っており、一応所在地を確認できるので、気楽に前進する。一旦雪渓から草付きに移り、道なき道を登って行くとまた雪渓に出た。これは少し長く、多少の高度を稼ぐ。上端まで来ても道はない。GPSは登山道にごく近いことを教えているので、そのうち合流できるだろうと藪に入っていく。結局この後、登山道にでるまで1時間20分ほどの藪こぎとなる。途中なんどかGPSを覗いてみるが、藪こぎ中は、経度も緯度もほとんど動いていないので、がっかりする。生い茂った笹を踏んでズルズル滑ったり、ハイマツの密集地帯に遭遇したり、人の踏み跡らしきものに出会っては離れたりしながら、やがて高山植物の咲いている開けた所に出る。花の楽しさよりは、風の強さがこたえる。一旦ザックを下ろして、用意したセーターを着込む。ついでに多少のエネルギーを補給する。ここで、ザックカバーをしなかったのは失敗だった。この頃は、時間を食っても大雪山の厳しさを楽しめればそれでよいと気楽に考えていた。登山道に出たとき、「ヤレヤレ」とは思ったが、「ホッと安心した」という気持ちは全然なかったのはそのせいだ。結果的には、双子池キャンプ指定地からオプテタシケ頂上までの実行動時間は3.3時間で、コースタイムの2時間に比べても、無茶苦茶なロスとは言えない。しかし、かなり体力を消耗したことは間違いない。

問題はむしろこの後だった。急坂をさらに1時間ほど登ることになるが、風の強さは高くなるにつれてますます酷くなる。2本のポールを片側につきながら、3点確保的な歩行を強いられる。ポール1本では歩けなかっただろう。それでも化雲岳に比べると着ているものが多い分、多少はましだった。東北峰からオプタテシケ山頂までの山稜はますます厳しく、足を止められるような場所もほとんどない。なにか口に入れておかねばと思い、すぐに山頂だとは分かっていたが、風を避けられる所をなんとか見つけ、無理してクッキーなどを押し込む。これは写真も撮れないまま山頂を通過かなと思っていたら、山頂の標識が見えたところが岩の陰になっていたので、通過時刻を記録する意味でカメラを取り出す。メモをするより多少楽かもしれない。風雨の中でもメモができる筆記道具を探す必要がありそうだ。

なんの感激もなく山頂を通り過ぎて、下り道になったが、それで楽になるということは全くない。オプタテシケを越えれば楽勝と思っていたので、地図やコースタイムが頭に入っていない。ベベツとの間にピークがあるかどうかも記憶にない。前回来たとき、ベベツはダラダラとした登りだった印象があるので、大したことがないと漠然と考えていたが、こちら側はコルから130bもの登りだった。かなりの登りが続くので、これはベベツに違いないと想像する。あまりの風に何度か這いつくばるような感じになる。ここで、立ち止まるとますます身体は冷えるので、無理して登り続ける。やがて大きなケルンが見えてきた。八方尾根ほどではないが、かなりの高さだ。その後側に回り込んで、やっとザックを下ろし、腰を下ろす。GPSを見ると、ベベツの頂上はすぐそこであることが分かった。長居すると冷えてしまうので、少しだけ食料を口にして、登りはじめる。果たして、すぐに見覚えのある頂上標識を通り過ぎる。

ここからは、以前に鼻歌交じりに歩いた気楽な道なので、一安心する。しかし、その希望的観測はまたまた裏切られる。暴風の中の厳しい歩行が続く。とにかく、風に倒されて足を怪我するとか、道迷いしてウロウロするようなことになると一大事なので、慎重に慎重に足を進める。「こんな所で死なないぞ」と大声を出してみる。黙って歩いているのに比べて、うんと元気がでてくる。前回、石垣山への登り道を探しながら注意して往復したので、少しは覚えているかと思ったが、石垣山を巻いていることさえ分からなかった。幸い頻繁に黄色いペンキが導いてくれるので、なんとか無事に避難小屋への三叉路に辿りついた。この日の暴風との付き合いは3時間ほどにも及び、写真は、ガスが吹き抜けるオプタテシケ頂上のもの1枚だけだ。


前回の時に泊まった懐かしい避難小屋に辿りつく。男性が一人おり、「縦走するつもりだったが、あまりに酷いので、計画を変更してこれから下山する」と言い、すぐに出て行った。12時半になっていなかったので、もちろんこちらも下山できる時間だが、とっくにそのような考えは捨てている。この日はここで沈没だ。まずは乾いたものに着替える。丁寧にくるんでおいた肌着2枚、厚めの長袖シャツ、薄いズボン下、予備靴下は濡れずに温存されていた。それに着替えても、それ以上着るものはなく震えが止まらない。大峯奥駈けで行仙宿に着いたときと似ているが、あのときの方がやや震え方は酷かったかもしれない。熱い飲み物を2杯ほど飲んで、なんとか蘇生する。着ているもの以外のザックの中は、シュラフも含めてすっかり濡れているので、誰もいない小屋全部を使って、次々と紐やフックに架け、下に水が溜まってくると絞るという作業を繰り返す。

一段落し、床の拭き掃除をすませ、早めに食事を終えてしまおうと準備していると、6人の中高年女性が3人のガイドに連れられて上がってきた。少し、紐やフックを譲るが、彼らはそれほど濡れていないようだ。聞くと、天然庭園の道では、頭の上では風の音がすごかったが、吹きさらしではなかったので大したことはなかったと言う。ガイドが実に手際よく、食事の準備を進めている。こちらが非常食だけの貧しい夕食を終え、歯も洗ってウィスキータイムにしようと思っていると、「一口どうですか」と石狩鍋の味見を薦められる。味もよかったが、多少なりとも副食的なものを口にできたので、ありがたかった。濡れたシュラフは、思っていたより冷たくなかった。こちらがグズグズしているうちに、リーダー格の人はもう寝てしまっていたのに驚いた。夜中はさすがに寒かった。着るものが3枚しかなく、最後のウィスキーも飲み干してしまったので打つ手がない。1人ではなく、10人で寝ていたので、おそらくは随分と助かったことと思う。




双子池のキャンプ場とされている所



オプタテシケ山の山頂手前から
 


2009. 07. 14 美瑛富士避難小屋から白金温泉へ


コースタイ

0645 美瑛富士避難小屋、0715 美瑛富士分岐、0810 美瑛岳分岐、0957-1015 雲の平分岐、1048 望岳台、1147 白金温泉

起床するとまたしてもガスだ。団体は上ホロ小屋まで行く予定らしい。「前日のようなことになれば、9人という大部隊で無事に十勝岳を越えられないかもしれませんよ」と話していたが、ガイドもその点は百も承知で、慎重だ。「午後からは回復するらしいので、6時、7時と様子を見ることにし、8時でも回復しなければ停滞」と宣言している。こちらは下りるだけなので、気楽だ。前に歩いた天然庭園の道は面白くなかったし、コースタイムも望岳台の方と違わないので、望岳台への道を選ぶ。風景が格段に変化に富んでおり、花も多く、美瑛、十勝、富良野の展望も大きく、大正解だった。

小屋をでてから大雪渓までが記憶より長かったが、やがて二つの分岐を通り過ぎる。美瑛岳も美瑛富士も、雨の中とはいえ、前回に登っているので、通り過ぎるのに未練はない。メカンキンバイ、イワヒゲ、エゾノマルバシモツケ、イワブクロなどが、常連に混じって咲いている。ポンピ沢へは急な下りだ。その次の沢は地図に渡渉注意とあるが、雪が詰まっており、問題ない。この辺りでは登ってくる人達10数人とすれ違う。エゾノツガザクラの群落など、高山植物も多い。日も射し始め、美瑛富士などの稜線も見えるようになってきた。

雲の平という気分爽快なところをゆっくりと下っていく。イワブクロ、チシマノキンバイソウ、エゾイソツツジなどが多い。望岳台や白金温泉などの下界が見え始め、富良野岳の右にある旭岳の奥には高い山が見える。調べると芦別岳だった。初見参の山だ。回り込むに連れて十勝岳も見えてくる。この山は前回、富良野岳から十勝岳を経て美瑛富士へ縦走したときに、ほとんど見ることのなかった山。やっとゆっくりと眺めることができた。雲の平分岐で、靴、靴下、雨具などを乾かすために、最後の休憩をとる。ここまで来ると、十勝岳をピストンして早くも下ってきた人達の姿を見るようになる。やがて十勝、美瑛などが雲の中に入ってしまった。望岳台の手前でオンタデが目に付き、下りてきたなという実感をもつ。望岳台まで下りた時には、ほとんどの山が隠れてしまっていた。

ここからの歩道の案内が見あたらない。どこでもそうだが、車で来ることができる所では歩行者を気遣う気配がない。レストハウスで聞いてもはっきりしない。付近の案内図だけもらって、車道を下りる。すぐに右手に入るとよかったのだが、そこの説明板が要領を得なかったので、そのまま車道を歩く。コウリンタンポポが迎えてくれた。望岳台から白金温泉の半分くらい来た所で、歩道に乗り移れるところがあったので、その後は昭文社の地図の望岳台歩道(地元案内図の白金コース)を下る。この道は全く風情がなく、前半は車道歩きをしたのも悪くはなかったかなと思った。ただ、後半は車道が大きくカーブするので、風情なくともこの歩道でよかった。温泉街に着いて、早速待ちに待った下界の食事を注文する。無理すれば温泉にも入れたが、ビールを飲み、新聞を読み、TVニュースを見ながら食事をゆっくりする方がよかった。案の定、東京都議選では自民党が大敗していた。食後、橋の所から、頂上には若干ガスが残っているもののオプテタシケ、ベベツ、石垣、美瑛富士、美瑛がずらりと並んでいるのが見えた。ベベツの南斜面はなだらかであるが、北斜面はかなり長いこと、ベベツが二つの峰からなっていること、石垣山も意外に存在感のある山であることなどに気がつく。

美瑛までバスで下り、空港行きのバスに乗り継ぐ。だんだん山からガスが消えていくが、遠すぎて霞んで見える。旭岳から富良野岳までの大雪全体がとぎれとぎれではあるが見える。旭川空港の滑走路や離陸してからは、かなり明瞭になってきた大雪の大パノラマが広がったが、トムラウシだけは最後まで雲の中だった。




美瑛富士避難小屋の朝

 
 

久しぶりの陽光


 

ポンピ沢


 

美瑛富士の稜線



 十勝岳




富良野岳


 


雲の平分岐から十勝岳




白金温泉からオプタテシケ、ベベツ、
石垣、美瑛富士、美瑛


(付記)

この山行の直後の7月16日、トムラウシ山と美瑛岳に登った2パーティー計24人が遭難。トムラウシ山で女性6人、男性2人、美瑛岳で女性1人が死亡。またこれらとは別に、単独でトムラウシ山に登った男性1人も死亡。いずれも59-69才の高年者が風速20-25mの暴風雨に曝されて、低体温症になったため。

前者のパーティは、旭岳から出発し、白雲岳避難小屋に1泊後、ヒサゴ小屋に宿泊。両方とも混雑しており、熟睡できなかったらしい。16日朝、日程の余裕がないこともあり、風雨をついて出発。トムラウシ近辺で次々と倒れた。後者は、初日の望岳台から美瑛富士避難小屋の行程で一人が倒れたのであるが、翌日はなんと三川台まで歩く計画だったらしい。標準歩行時間が12時間にも及ぶ強行軍なので、16日にオプタ越えをしていたらもっと多数の犠牲者が出ていたことは疑問の余地がない。いずれも、ガイド付きのツアーの問題点が凝縮しているが、単独行の人も亡くなっているので、自戒せねばならない。

16日の様子は、上記の化雲岳、オプタテシケ山で経験したものと全く同じ。それぞれの日の正午の低気圧の勢力は、化雲岳通過の10日が988 hPa、オプタ通過の13日が994 hPa、大量遭難の16日が994 hPaとほぼ同じだった。紙一重の差だった。ちゃんと天気図を自分で書いておれば、天人峡からの出発、あるいは双子池からの出発を見合わせることができただろうか。それができておれば、一歩熟練者の領域に近づけたのだろうが。あまり自信が持てない。





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