概要
6月初から7月半に咲いていたものの一部です |
7月半から9月末までに咲いていたものの一部です |
2002年4月のはじめに家内が帯状疱疹という痛みのひどい病気にかかった。10日ほどで退院したが、その後も一向に快復する様子がない。痛さだけでなく、精神的にもすっかり参ってしまった。それにつきあって、これまで休んだことのない土曜日も家にいることにした。海外出張や宿泊を伴う国内の出張も全部断ることにした。そのような状況が2003年の2月位まで続いた。土日を連休にすると、これまでのあくせくした生活と違って非常に生活が豊かになった気がした。家内と話す時間も増えたし、ゆっくり聞くのを長らく忘れていた音楽を楽しむ余裕もでてきた。以下に紹介するようなスタイルの山歩きを経験できたというのもそのおかげである。
4月の終りになると、気分転換の散歩ができるようになったので、近くにある自然遊歩道に2人で通いはじめた。はじめはほんの15分歩くのもやっとであったが、徐々に山野草にも目が行くようになった。セリバオウレンなどの小さな草花がけなげに命の喜びを表しているのを見て、家内は随分勇気づけられたようである。5月の終わりになると、その遊歩道の草花もかなり減り、緑一色の初夏になってきた。そろそろ蔵王にも行けるかなと車で登山し、頂上近くの湿原地帯を歩いた。1時間ほどのお気に入りの散策コースがあり、これまでも何度も来ていたのであるが、この時期にここを歩いたのは初めてで、ヒナザクラ、ミネズオウ、タカネザクラ、チングルマ、ムラサキヤシオなどの高山植物に目を見張る思いであった。それ以降、毎週同じコースを歩くことにした。それぞれの花が刻々と姿を変えていくのを見ることで、家内の健康も徐々にではあるが回復するようになった。以前は「この季節にはこのような花が咲いているのか」と思っただけであるが、毎週通うとなるとちがった感想をもつようになる。1週間経つと、必ず何かが消え、何かが現れる。同じ場所の同じ花を眺め続けることにより、蕾がふくらみ、開花し、その花が枯れ、緑の実が赤い実に変わっていくという花の一生を見届けることもできた。ある種の花は寿命が非常に短いが、別の種は数週間も咲いているといったことも分かってくる。チングルマは6月のはじめから咲き始めたのであるが、最後の花を見たのは10月初旬で、その不思議さに目を見張る思いがした。最後はナナカマド、アカミノイヌツゲ、クロウズコ、マイヅルソウなどの実を見納めに山から色は消え、11月初めからは雪に埋もれてしまった。雪の湿原も一度は見ておこうと、大晦日に下から歩いて登り、吹雪の中をなんとかいつもと同じと思われる所を歩いて、1年を締めくくった。半年も同じ所を歩き続けたのは、家内のリハビリのためだけでもなく、当方の趣味や性格のせいだったかもしれない。
春がきてゴールデンウィークの前になると山岳道路が開通する。さっそく残雪に埋もれた湿原の散歩を再開した。雪がしまっていると、強い春の日差しを浴びながら1年の中で最も快適な散歩になるが、花はもちろんまだ雪の下である。昨年は6月1日から歩き始めたが、そのときにはすでにヒナザクラ等いくつかの花が開花していた。それ以前の状況を見ておかねば1年を通じての観察が完成したことにならない。フキノトウ、ショウジョウバカマが顔を出す5月中旬から、6月上旬に昨年見た花達が顔を見せ始めるのを確認することで、1年の輪がつながった。それで肩の荷が下りたような気がしたのであるが、実際にはこれで終りにはならなかった。
この年の様子は前年とは違うのである。コバイケイソウ、チングルマなどが去年に比べて非常に淋しいのに対し、ハクサンシャクナゲやキンコウカがはるかに元気よい。モミジの当たりはずれなどと同様に、このような草花一つ一つにも年によってことであるるさに驚くがは適宜進めて頂いて結構かと存じます。が,好不調があると知って、今更ながら生態系の微妙さに驚いた。年毎のちがいも見届けてやりたくなり、2年目もまた、ほぼ毎週通った。家内のリハビリのための散歩という目的がなくなったのであるが、今度は歩くこと、観察することそのものを楽しむために歩いたのである。
このようにホームページに整理してみると、稚拙な写真が多いことに気がつく。撮っていた時は単に咲いている花をメモしていただけで、きれいな写真を撮ろうという意識があまりなかったためである。もう少しだけ気を配っておればよかった。