東北新幹線からの山岳展望
新幹線から山座同定を楽しむ(1)東京=小山
東北新幹線の車窓から見える山を判別する「山座同定」の楽しさを、6回に分けて解説しよう。車内からキョロキョロと窓の外を見ている人がいたら、同好の士に違いない。
仙台に長い間住んでいて、東京出張のたびに山を眺めていた。何という山か、眺めているだけではわからないので、できるだけ登って確かめることにした。新幹線が通る町にも足繁く通い、ビルや鉄塔の位置を丹念に調べた。地図を広げて線を引き、歩いた際の山の印象と照合しながら同定するという過程を楽しんできた。これまでにわかった山は430以上、登った山も230を超えた。パソコンソフトを使えば居ながらにしてすべて同定できるが、それでは面白みに欠ける。高速の新幹線から見える一瞬の展望を見逃すまいという緊張感は、机上のパソコン操作ではまず味わえないだろう。
これまでの結果をこの記事にまとめてみた。間違いもあるにちがいない。読者にも一緒に考えていただき、ご意見・ご指摘を編集部宛てにいただけるとありがたい。読者と協力しながらよいものにしていくのは、楽しいだろう。第1回は、東京から小山までに見える主な山塊を紹介する。
奥秩父、奥多摩、奥武蔵の同定は、なかなか手強い。都内の東十条から赤羽の間でも、ビルの谷間からこの山域がチラチラと見えるが、山の形さえとらえがたい。しかし、荒川に出ると図のように一望できるようになる。富士・丹沢の右に目立つ山は少なく、まず見えるのは大岳山と御前山のペアである。大岳山は、特異な形をしている。上野・大宮間では速度こそ遅いものの、頻繁にカーブするため同定に苦労するが、この大岳山の形を手がかりとすると大いに助けになる。荒川を渡って埼玉県に入ると、大岳山の左奥に大菩薩嶺が顔を見せる。御前山の右手はいったん丹波川の谷あいに落ち込み、その後、鷹ノ巣山を経て雲取山となる。鷹ノ巣山は雲取山とほぼ肩を並べるくらいの存在感がある。雲取山の右手で、次に目立つのが武甲山である。奥多摩の中でひときわ高く見え、やや傾いた三角形なのでわかりやすい。そのあとは、二子山、丸山と続いて、ピラミダルな笠山で一段落する。その右に御荷鉾山や浅間山を見ることができれば、かなり好運である。中浦和あたりまで進むと、荒川では大岳山の後に隠れていた大菩薩嶺が御前山の右手に顔を出し、武甲山の後に隠れていた両神山が武甲山の右に出てくる。
上越新幹線と別れて白岡あたりまで北上すると、武甲山や丸山に覆いかぶさるように、甲武信ケ岳、三宝山などの奥秩父の山々がはっきりしてくる。
筆者が東北新幹線から見た山で最も南にあるのは、富士山である。東京駅を出て、初めて富士が見えるのは、一瞬であるが王子駅の北からである。荒川鉄橋に来ると、丹沢山塊を従えて全貌を現す。左から大山、塔ノ岳、丹沢山、蛭ケ岳に続いて大室山が並び、大室山を包み込むように富士山がそびえる。大宮まで行くと、大室山は富士山から離れて図のようになる。大宮以北では、大山の左側が開けてくるがなにも見えない。天城山が見えたという記録もあるが、その僥倖にめぐまれたことがない。北へ富士山がどこまで見えるかも興味があるが、今のところ小山駅のすぐ南が最遠地点である。夕暮れの最後の光の中で見たもので、かなりの大きさだったし、線路に対してかなり角度があったので、もう少し北からでも間違いなく見えるだろう。
白岡から久喜あたりまで来ると、上州の山に目を奪われるようになる。なかでも、赤城山はかなり高い確率で目に入る。詩人の萩原朔太郎が離婚し子供を連れて帰郷したときの、悲痛な詩がある。その最後は「まだ上州の山は見えずや」という句で終わっている。暗くなった車窓から目をこらしている様子が、読む人の胸を打つ。もちろん、乗ったのは蒸気機関車が引く高崎線である。
図のように、榛名山も赤城山の左にそう苦労しなくても見つけることができる。やや低いが、溶岩ドームの特徴のある山が並んでいてわかりやすい。8つほどのピークがわかるが、最も高く見えるのは相馬山。榛名のずっと左は浅間山である。浅間山が見える機会は、そう多くない。その左下に妙義山があるが、浅間山以上に見えにくい。スカイラインに顔を出さないので、特別の気象条件でないと浮かび上がってこないのである。図にはこれらの山々の間に見える山として上ノ間山、白砂山などを書き込んでみたが、明瞭なピークとしては目に入らないので、同定は容易ではない。
東京・小山間の東側で目立つ山は、筑波山が群を抜く。江戸時代から多くの人に愛でられてきただけあって、見事な品格を備えている。東京を出て、初めて目にとまる山でもある。尾久操車場から見え始める。北限は150 kmも走った栃木県黒磯付近で、東北新幹線から見える山では最も長い。男体山(871 m)と女体山(877 m)があることは知っていたが、どのように見えるかについては当初、戸惑った。女体山が高く見えると信じていたことが、原因だった。実際は、どこから見ても男体山の方が高く見える。栃木県に入るまでは女体山が男体山の右側に見え、その後、2つの峰が重なってすっきりした三角錐になり、間々田以北では、女体山が男体山の左側に見えるようになる。右に示した写真の中で、間々田以南の3枚において左側に見えている肩は、男体山でも女体山でもなく、710mの無名のピークである。深田久弥氏は『日本百名山』の中で、間々田と小山の間の姿がもっともよいとしているが、間々田ではまだほとんど分離していない。小山では確かに富士山型の姿はすっきりしているが、2つのピークがあまりにも近く、印象が鋭すぎる。筆者は、図の示している利根川あたりからのゆったりとした姿が好きである。この方がむしろ、深田氏の好みにあっているように思えるのだが。 |
小山に近づくとさすがの関東平野にも起伏ができはじめ、山が近くに迫ってくる。カタクリで有名な三毳山からアジサイの太平山までの山々である。200〜400 mほどの低山であるが、距離が10 kmばかりに近づくのでなかなか立派に見える。この山塊の左後に見えていた赤城山は、小山では後に隠れてしまう。代わって、足尾山塊さらには奥日光連山がかなり大きくなって、目は自然とそちらに奪われてしまう。足尾山塊の盟主である皇海山は、大宮あたりでは台形状にしか見えないが、ここまでくるとすっきりと独特の鋭いピークを天に向かって突きだすようになる。この辺りのもう一つの楽しみは、谷川岳方面の遠望である。太平山と袈裟丸山の間の窪みに、雪をかぶったときでないと識別が難しいが、図のように万太郎山と谷川岳が顔を覗かせる。
さて、東京・小山間で、深田百名山はいくつ見えるだろうか。本文に出てこなかった山も含めて数えてみよう。
なお、このシリーズに出てくるすべてのスケッチ図は、同じ焦点距離(35mmカメラ換算で、35mm)で撮影した写真を元に作成したものである。車窓から見た実感とあまり違わない図としたかったからである。