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1989. 11. 8 - 11 黄山 (安徽省)
上海の大学に17日間滞在し、いろいろな仕事に従事。そのご褒美として、黄山に連れて行って貰うことになった。国際交流担当の事務官であるY氏が同行してくれる。
同行: Y氏。
1989. 11. 08 上海から黄山温泉へ
8日は朝上海を出発、昼ごろ屯溪の空港に着くが交通手段全くなし。Y氏もなすすべがないよう。たまたま、日本人のツアーグループのバスが一台停まっており、出発準備をしていたので、頼んでみる。快く便乗させてくれることになり、助かる。そのバスがいなければどうなっていたことか。夕刻に到着。折角温泉に来たのだからと温泉に入る。湯船はたいそう深く、中にはいると頭の先がちょうど床面辺りになる。それはよいとして、中にあるお湯はくるぶしが浸かる程度で、皆さんは注ぎ込まれる湯を体にかけて楽しんでおられるといった風情。お湯も汚いし、長居できなかった。
1989. 11. 09 黄山温泉から北海へ
コースタイム
900 黄山温泉の桃源賓館、1200 天都峰(1823)、1545 北海賓館
翌日、待望の縦走に出発。天気はずっとよくないが、霧の間にかいま見る山々はすばらしかった。次から次へと見どころがでてきて、飽きさせない。山水画に描かれている峨々たる光景が、誇張されたものでないことを実感する。玉屏楼を経て天都峰(1823、1810)へ。ここは、あまりにも急峻で、古来登山道がなかったが、1937年と1985年になって岩壁に階段が作られたという。天に昇って行くような道なので、「天梯」と名付けられている。頂上には「連心結」というまじないの鍵が沢山ぶら下がっている。恋人同士のつながりがいつまでも続くようにとの願いが込められている。蓮華峰の山頂はスキップして、光明頂(1840)、飛来石、排雲亭を経て北海賓館へ。階段の手すりが蛇の形をしていたり、魚の背中の鰭の部分を歩く道や大岩壁の隙間につけられた一人が通り過ぎるのがやっとといった狭い道、600t
もの巨岩がどこからか飛んできてちょこんと山頂に乗っかっているなど、とにかく変化に富んでいる。これらほとんどの山道が階段でできており、この日歩いた道で、水平だったのは、ほんの数十m程度ではなかったかというほどの強烈な印象だった。北海賓館に着いたときは、くたくたで倒れ込むという感じ。歩行時間はたいしたことないのだが、足の疲労度はこれまでで最高だった。
桃源賓館 |
天都峰頂上の連心結 |
蛇を模した手すり |
スリット状の階段 |
迎客松 |
飛来石 |
1989. 11. 10 北海から黄山温泉へ
10日の朝は快晴。食事前の日の出時に始信峰へ。朝食後、前日にはなにも見えなかった光明頂までもう一度行って展望を楽しむ。しかしこの時すでに霧が往来しはじめる。とても黄山温泉まで、縦走して引き返す元気なく、ロープウェイで雲谷山荘の所まで降りて昼食。一般の人と同じ所で、すごいほこりと活気の中での食事。中国人とはじめて一体になった気分。百人近くもいた団体さんがいなくなると急に火が消えたようになる。団体客はバスが待っているバスに乗り込むのだが、こちらはそのような手だてもなく、延々と車道を歩いて黄山温泉に戻ることになる。百丈泉という大きな滝を見たあと、黄山温泉に夕刻に帰りつく。マッサージを頼みたくなるほどの大変な足の疲れだった。このマッサージが実に快いものだった。
始信峰 |
始信峰 |
始信峰 |
始信峰 |
始信峰 |
始信峰 |
始信峰 |
始信峰から光明頂を望む |
光明頂から蓮花峰、奥に天都峰を望む |
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雲谷の巨岩 |
百丈泉 |
翌11日、上海へ帰る。