1960. 9. 25 - 29 上高地・槍ヶ岳・穂高岳
7月に富士山への無謀登山をしたT君と槍穂の縦走を企てる。十分なトレーニングをしないままでの急なグレードアップだ。前夜発の夜行列車に乗り、上高地入りする。上高地・明神池まではW君も同行。
同行: T君
9/26 上高地から横尾へ
コースタイム
0830 上高地大正池、0910-1225 河童橋、1330-1430 明神池、1535 徳沢、1645 横尾山荘
東京では豪雨だったのに、まだ明け切らぬ上高地に着いたときには、からりと晴れ渡り、写真や絵で見慣れた河童橋からの穂高は表現できないくらいの美しさだった。午前中は上高地の見物などでゆったりと過ごし、横尾山荘泊まり。
大正池と吊尾根 |
大正池と焼岳 |
ウェストン碑 |
河童橋と吊尾根 |
河童橋と明神岳 |
梓川の河原から |
明神池で |
徳沢への道 |
9/27 横尾から槍ヶ岳へ
コースタイム
0810 横尾山荘、0845-55 一ノ俣小屋、0950-1030 槍沢小屋、1300-1430 殺生小屋、1515 槍ヶ岳山荘
槍沢小屋あたりにくると天気も崩れはじめ、かなりけわしい雰囲気。リュックの結び方も知らなかったので、殺生小屋の人が直してくれる。冗談で穂高まで縦走できますかと聞いたが、縦走するなら棺桶を担いでいった方がよいと忠告してくれる。少し前に東大生の遭難があったばかりなので、やはり緊張感がでてくる。
殺生小屋で食事 |
9/28 槍ヶ岳から穂高小屋へ
コースタイム
0648 槍ヶ岳山荘から山頂往復、0825 槍ヶ岳山荘出発、1015 南岳、1350-1405 北穂高岳(3100)、1540-1640 涸沢岳(3103)、1700 穂高小屋
翌朝の槍の頂上も展望はきかない。小槍がやっと見える程度。槍ヶ岳(3180)、大喰岳(3100)、中岳(3100)、南岳(3033)、北穂高岳(3100)、涸沢岳(3103)という縦走に移っても霧の中を道を探し探し歩くといった感じ。しかも岩歩きの経験のない二人なので、あとで考えると無謀に近かった。穂高小屋に着いてはじめて天候がよくなってくる。すばらしい雲海が広がり、笠ヶ岳、白山方面の夕焼けが印象的。ブロッケンも初経験。あとで調べたことだが、マナスルの初登頂が1956年、「氷壁」の新聞連載が1957年、穂高小屋の増改築が1958年、「天命水」の発見が1961年、ヘリコプターによる荷揚げの開始が1964年とまさに登山ブームが起こり始めていた年だった。
槍ヶ岳への最後のステップ |
頂上で |
槍ヶ岳 |
大キレットで |
涸沢岳から奥穂 |
9/29 穂高小屋から上高地へ
コースタイム
0625 穂高小屋、0655-0715 奥穂高岳(3190)、0830-50 前穂高岳(3090)、1050 岳沢ヒュッテ、1230 上高地
次の日は奥穂高岳(3190)から前穂高岳(3090)へ。前穂で来た道を振り返ると、奥穂、涸沢、北穂、槍と連なり、さらに奥には大天井、燕、双六、笠、等々がある。見下ろすと、まだ明けぬ上高地や大正池があり、焼、乗鞍、御嶽と雄大な山が続く。朝日に手をかざすと、富士山、南アルプス、八ヶ岳が雲海の上にそそり立っている。一度にこれだけの山々を見たのは初めてで、至福の時だった。そのあとは快晴の中を上高地まで気持よく下る。
奥穂から槍ケ岳 |
奥穂からジャンダルム |
前穂から八ケ岳、富士山、南ア |
前穂から槍ケ岳 (パノラマ写真を展望のページに) |
前穂から上高地を見下ろす (背景は霞沢、御嶽、乗鞍、焼岳) |
西穂高岳 |