2024. 11. 20 王地山、高城山、火打ヶ嶽、東城山
先月の弥十郎ヶ嶽に続いて、篠山口駅からレンタサイクルを使って低山をいくつか歩いた。
同行: 単独
コースタイム:
0847-0857 篠山口駅、0923 本経寺下、0932 王地山 248b、0941 まけきらい観音、0956 本経寺下、1018-22 高城山登山口(春日神社)、1107-1114 二の丸跡、1115-58 高城山 462b(本丸跡) 、1212 北尾根へ、1232 下山口(十念寺)、1303 火打ヶ嶽登山口(馬口池)、1343-47 火打ヶ嶽 337b、1420 火打ヶ嶽下山口、1447 伊能忠敬測量の道の碑、1455 東城山登山口、1514 東城山 289b、1602 下山口、1616-40 篠山口駅
まずはモミジが見ごろという王地山を目指す。昔からの商家が集まっている河原町の町並みがよい雰囲気を持っていて、通り過ぎるだけでも値打ちがあった。本経寺の前の石段の下に駐輪し、本経寺から駐車場の方へ進む。駐車場の端から階段を登るのが王地山頂上への近道かと思っていたが正解だった。頂上にはなんの印も見えなかったが、辺りのモミジはなかなかのものだった。王地山公園の中を通り過ぎてまけきらい観音に行く。変わった名前だが、将軍の前での大相撲で負けてばかりいた篠山の力士が、ある年お稲荷さんの助けで優勝し、負けず嫌いの藩主を喜ばせたという伝説に由来するらしい。そこから南南西の方向にちらりと見えたピークは愛宕山の西のP658.89(点名城南村)か。長い石段を下りて、本経寺に向かう。そこからは愛宕山を含むもう少し広い範囲の山並みが見えた。自転車に戻り、高城山に向かう。京口橋の南詰から王地山の写真を撮ったが、山という姿ではなく、ささやま荘の建物が目立った。県道306号を東に走りながら、近づいてくる丹波富士とも呼ばれる美しい高城山の姿を楽しむ。
本経寺への石段 |
王地山山頂 |
王地山公園 |
まけきらい稲荷 |
鳥居下 |
本経寺の近くから愛宕山など |
春日神社の近くの登山口から右衛門コースを登り始める。いくつもの曲輪跡があったが、堀切、土塁、虎口といったような跡はなかった。途中にいくつもの曲輪跡がある。道の多くが階段状になっているのだが、かなりの段差があり、足幅の狭い人間にとっては歩きにくいこと甚だしい。階段を避けて左右の土を選ぶことが多かった。傾斜が緩むと二の丸跡に着く。ここからの展望は素晴らしく、西から北東にかけて、盃ヶ岳、多紀アルプスの西ヶ嶽、三嶽、小金ヶ嶽などが並んでいた。山の絵が描かれたものがあったので、喜んで近づくと山名ではなく、篠山城、王地山砦などの名前が書かれていたのが愉快だった。詳しい山座同定を別ページに記す。すぐそばが山頂だったが、ここの眺めの方がよさそうに思えたので10分ほど過ごし、岡田丸跡から北北東〜東南東を眺めたあと山頂に向かう。予想通り山頂からの視野は狭かったが、それでも南南西に三国ヶ岳、東に弥十郎ヶ岳といった名峰と出会えたのはよかった。山頂には高城山という表示はなく、本丸跡というものだけだったようで、それも面白かった。ここでは城址めぐりをしているという埼玉の若者や猪名川町の人と出会い山談義。昼食をとった後、下山にかかる。東側に下るコースがいくつかあるようだが、自転車に戻らないといけないので来た道を戻る。あの階段を下るのも嫌だなと思い、途中から北尾根を下る破線路に入ってみた。登山口の詳しい登山コースの概念図には取り上げられていないにもかかわらず、階段は皆無で、大変歩きやすいものだった。最後に十念寺に出る所でちょっとした溝を越えるのだが、そこにかけられた鋼鉄製の橋げたの上の橋板がかなり欠けており、残っている板もかなり腐っていそうなので、少し気を遣った。そこから駐輪地点まではすぐだった。
高城山春日神社前登山口 |
延々と続く階段道 |
二の丸跡 |
二の丸跡から多紀アルプス |
本丸跡から三国ヶ岳 |
本丸跡から弥十郎ヶ嶽 |
こんな橋を渡って下山終了 |
八上下からの高城山 |
次に、デカンショ街道(国道372号)を南西に進み、火打ヶ嶽を目指す。八上下からの高城山はこの日見た姿の中で最も丹後富士の名前にふさわしいものだった。小多田の交差点のあと少し上り坂になり、5分ほど自転車を押して歩く。火打ヶ嶽の登山口に来て駐輪したときに気付いたのだが、高城山に登った際に電池をOFFにしたのを忘れていた。電動アシストなので、この程度の坂なら登れていただろう。ともあれ、金網フェンスにつけられたゲートを開け、鬱蒼とした竹林の中のよい道を歩きはじめる。そのうちノイバラのような低木の繁みに突入する。しばらくして抜け出すと広場のような所からはっきりした道が続く。金網のフェンスに沿って歩くようになり、これなら道迷いはないだろうと安心する。最後は少し回り込むような感じで頂上に達する。三角点の横に小さな山名表示板が架かっていただけの淋しい所だった。フェンスに沿って下り、登ってきたところの少し手前で左手にかなりしっかりした道が目に入ったのでそこから下りてみた。そのようなよい道はいつまでも続かなかった。右手に小さな尾根が見えたので、そこを越えて登りで歩いた道に戻れるかどうか試してみた。はっきりはしないが、YAMAPの軌跡に近い所にでたので、そのまま下る。ノイバラの繁みや竹林に出会うことなく、同じゲートに着いたのは意外だった。
城南小学校の校庭を通り、尾根橋北詰の交差点を左折して県道306号を西に進む。途中で南側を並行して走る農道に移り、車に脅かされることなく、気持ちよく走る。宇土観音の近くで北に進み、伊能忠敬が測量した道の記念碑を過ぎて県道に戻る。すぐ近くに東城山がある。レンタサイクルは16時までに返す必要があるが、何とかなるだろうと立ち寄ることにする。あらかじめ調べておいた民家の間の階段を登り、登って行く。ここも吹城の城址で、色々の遺構が残されているということを帰宅後に知ったが、歩いているときには急いでいたこともあり、全く気が付かなかった。水道施設を通り過ぎ、予定通り20分で山頂に着く。時間がないのですぐに引き返すが、そのあとでルートミスを重ねてしまう。頂上から出てすぐに南の方へそれてしまい谷筋に出て間違いに気付く。そのあと、水道施設を通りすぎ、記憶のある小広場に出たので、レンタサイクル屋に「道迷いしたが、もうルートに乗ったので、少し遅れるが間違いなく着けるから」と詫びの電話をする。しかし、それは来たときに通った小ピークでないことにすぐ気づき、また修正を余儀なくされた。民家の所に出てホッとする。20分で登った所を50分かけて下ってきた。15分遅刻して自転車を返したが、悪いことをした。
最後の山で二度もルートミスをしたが、YAMAPがちゃんと動いていたので、何とかなった。最近よく、軌跡をとれなくなるという不具合が起こるので、もし同じことが起こっていたら大変だった。同じ場所に下りる必要がないなら、適当に下界に出ることはできただろうが。この日は明るいうちに戻れると確信していたので、ヘッドランプも持参しなかったが、日暮れが早くなっているので、あと1時間も山中でウロウロしていたら真っ暗になっていただろう。それにスマホの電池の問題もある。自転車屋に連絡を取ることができたときはかなり消耗しており、駅に着いてから家に電話をすることもできたが、それが最後で、もう一度電話をしようとしたらもう使えなかった。宝塚の駅で不要の買い物をして小銭を作り、公衆電話で遅くなる旨を家人に伝えた。
火打ヶ嶽へのゲート |
竹林の道 |
火打ヶ嶽山頂 |
伊能忠敬の碑から東城山 |
東城山山頂 |
やっと民家に着く |