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2023. 12. 20  鉢伏山、三好山



妹の見舞いを兼ねて、高槻周辺で登っていない二つの低山を考えた。当初は、彩都西駅に行くのにモノレールを使うしかないかと思い、面倒だなと考えていた。しかし、茨木駅からバスの便があることに気がつき、9回の交通機関を乗り継ぐという離れ業で、三者をうまくつなぐことができた。


鉢伏山

 

同行単独

コースタイム

0945 彩都西駅BS、1014 粟生岩坂の集落へ、1032 三差路、1040-44 鉢伏山(299b)、1058 三差路、1130 彩都西駅

モノレールは阪大病院前までしか乗ったことがなく、彩都西に来たのは初めて。周囲には大きなマンション風の建物が林立している。30分ほど車道を歩き、粟生岩坂の集落へ入って行く。集落を出るまで急坂が続く。ところどころに、鉢伏自然歩道という道標が立っている。神社への階段や池のそばを通る。落ち葉で埋まった道が続く。途中で、頂上へという標識に従って地形図にない道に入って行き、広々とした頂上に着く。頂上からは高槻から茨木方面の展望が得られた。どんどんと同じ道を下っていたつもりが、どうも見覚えのない景色だった。90°づれて南南西の方へ向かっていたことがT字路にぶつかった所で判明した。そこから北東に水平道を歩き、三差路に向かう。ここにも鉢伏自然歩道という道標があった。そこからは来た道を戻る。二人連れの女性と出会う。「熊はいませんでしたか」と聞かれた。彩都西のターミナルでは食事ができる所はなく、スーパーで昼食を買い、中の休憩所で食事を済ませ、予定した1時間に1本の茨木行きのバスに乗ることができた。



大阪府道1号線から鉢伏山




頂上への道




鉢伏山山頂




山頂から高槻方面




三好山

 

同行単独

コースタイム

1536 上の口BS、1545 摂津峡分岐、1600 猪鼻で右折、1607 塚越分岐、1610 展望のよい曲輪、1614-25 三好山(180b)、1630 塚越への道へ、1636 舗装路へ出る、1650 堰堤で右岸に、1656-1704 塚越橋近くの駐車場、1709-10 西之川原橋BS

上の口BSから歩きはじめる。これから山に登るというのにどんどんと下って行く。芥川漁業協同組合などが釣り場を管理している三差路で左折する。摂津峡の入口でもある。すぐに、摂津峡と三好山の分岐点に着く。摂津峡はなんどか来ているので、この日は三好山だけが目的。この分岐点に、三好山(芥川城址)の案内とともに、三好山への登山道も含めた広域案内板があり、この山が三好氏の城だったことを初めて知った。三好長慶は、四国から畿内に進出する際、西宮の越水城に根拠を持っていたという。摂津、河内、大和、丹波、山城、和泉や阿波、佐貫、淡路の他、播磨、伊予、土佐の一部も支配する大大名だった。

案内板の右手の道へ入るべきだったのに、すぐ左のより広い道に進んでしまった。やがて行き止まりになり、バリケードのようなもので塞がれている。覗き込むと怪しげな踏み跡があったので、入り込んでみたが、どうみても一般のルートではない。しばらくして右手の川沿いの方を見ると、しっかりした正規の山道が見つかった。歩きやすい道を登って行くと、やや開けた場所に出る。猪鼻と言われるところらしい。そこにあった標識に従って右折し、山頂に向かう。立派な城があったらしく、次々と曲輪、堀切、土塁などがでてくる。史蹟城山城址という大きな石柱が立っており、そこが塚越への大手筋ルートへの分岐点になっていた。「大手筋ルートはキツイ、猪鼻からの塚越ルートはユルヤカ」という手製のメモが貼り付けてあった。すぐに素晴らしい展望が開ける、これも曲輪跡の一つなのだろう。高槻駅の2本の高層ビル、交野山、生駒山から大阪市のビル群が見えている。さらにもう少し登ると三好山山頂、芥川城主郭に達する。城の歴史を書いた説明板、戦国武将の三好長慶(ながよし)の祠などがある。芥川城は、当時大阪で1,2を争うほどの規模を誇るものだったらしい。先ほどの展望所と同様の素晴らしい眺めが広がっており、加えて北東方向にポンポン山と釈迦ヶ岳が並んでいた。週に3回は登ってくるという歴史に詳しい地元の人がおられ、色々と教えてもらう。遅くなって山の中で暗くなるのが心配で、話を途中で切り上げて下りはじめる。その方は、塚越ルートの方へ、こちらは大手筋ルートに向かう。

とくにキツイという道もなかったが最後に予想外の苦労が待っていた。芥川まで下りたとき、「この先の木橋は老朽化のため渡れませんと」いった表示があった。見回したが、下の方に水道管のようなものが川を跨いでいるだけで、その木橋はすでに撤去されていたようだ(帰宅後にGoogle mapを開くとまだその橋は記載されていた)。引き返して集落の間を抜けて塚越へ出るのが無難だったろうが、西之川原橋からのバスの便がよさそうだったので、芥川の右岸に渡りたかった。かなりの水量で、ひざの上まで水に浸かりそうだった。それはよいとしても、万一足を滑らせて全身ずぶぬれになるのは困る。ちょっと上流の方を見ると二段堰堤があり、その中間部は幅も広く、水が均等に流れているため、踝くらいまでが濡れるだけで済みそう。ぬるぬる滑る所だったが、念のため一本だけ持ってきたストックが役にたった。あとはちゃんとした道を辿る。大きな駐車場に出て、机と椅子のある休憩所があったので、濡れた靴下を絞りスッキリする。大きな門を出た所は、塚越橋の近くだった。川に沿った車道をひたすら南に下る。暗くなってきたので、バス停を見逃さないようにしていると、ポツンと立っている一人の女性が目に入った。「ここにバス停があるのですか」と聞くと、「そう、まもなく来ますよ」とのこと。1分もしないうちに、少し遅れてきたバスがやってきた。



バリケードのような所へ入り込む




右手上方に曲輪跡




堀切




大手筋ルートとの分岐




頂上直下の曲輪跡からの高槻方面




芥川城の主郭でもある山頂




三好長慶らの社



芥川の堰堤を渡り終えて



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