2021. 03. 23 瓶割山・雪野山・布施山・船岡山
小谷山などの4山、仁寿山などの6山に引き続き、雪野山などの4山をレンタサイクルで巡る旅に出た。晴れて、風の強くない日をうまく見つけることができ、予定より早く周回することができた。GPSが頼りにならない状態なので、念入りに下調べをした。おかげで、サイクリングもハイキングも全く問題なかった。
同行: 単独
コースタイム:
0856-0908 近江八幡駅、0918 湖東連絡線4、0934-36 妙経寺、0959 瓶割山(かめわりやま、234b)、1023 下山口、1030 妙経寺、1101 新北陸幹線492、1110-13 雪野山歴史公園、1133 八幡神社奥宮、1140-44 眺望展望台、1148 新北陸幹線494、1203-30 雪野山(309b)、1257 雪野山歴史公園、1307 仙台藩代官屋敷跡(鹽竈大明神)、1323 布施公園登山口、1347 布施山(241b)、1402-25 布施公園、1444-49 阿賀神社、1451 万葉碑、1455 船岡山(152b)、1508 阿賀神社、1535 西宿伊庭邸跡、1542 六枚橋交差点、1602-06 近江八幡駅
最初の目的地は近江八幡駅から東南の方角にある瓶割山。妙経寺の近くに自転車を置く。登山コースは分からなかったが、登り始めると日吉神社の名が入った石碑に続いて、瓶割山登山口という標識が目に入り、安心して細い階段道を登っていく。頂上近くになって城壁のようなものが現われ、ここが城跡だったことを初めて知る。応仁の乱のときに築城され、安土城の築城のころに廃止されたという。一の廓跡はさすがに広々としており、そこから北に向かって下山したが、途中にあるはずの三の廓は見当たらなかった。以前に、YAMAPが使えなくなって柿谷道を地理院地図のアプリを参考に歩いたとき、途中でスマホが動かなくなったが、そのときと同様にこの日も瓶割山からの下りで道が分岐する所辺りまではなんとか使えたが、その後は全くスマホを使えなかった。舗装道路に出て、左手に戻って行く。蹲踞の姿勢の相撲取りのような大きな送電鉄塔(八日市連絡線17)をくぐり、左折すると日吉神社の鳥居。本来はここから登る予定だったが、分からずに妙経寺から登ってしまった。
妙経寺横の階段を登っていく |
一カ所だけ展望が(岡山と八幡山の奥に比良山系) |
瓶割山山頂(一の廓) |
下山口の近くの八日市連絡線17 |
県道14号線に戻り、岩倉の交差点で県道41号線に入る。東に進む途中の下羽田町で雪野山古墳公園の矢印が目に入り右折する。予定では光明寺まで進み、41号線をずっとキープすることにしていたことを思い出し、引き返す。この田舎道の方が近道だったようだが、GPSが頼りにならないので、冒険するのはやめておき、予定通りのコースに戻る。公園に近づいたところに新北陸幹線492の鉄塔がある。黒部からの電気を送るために1952年に使用開始された日本初の超高圧送電線とのことで、ここまでくると500番に近い番号となっている。鉄塔自体は名前ほどの貫禄はない。そして公園の入口に同じ系統の493番鉄塔。鉄塔のすぐそばに古墳が並んでいる。前方後円墳の46号古墳は、石棺が3つもある珍しいもので、姿かたちも優雅だ。そばのハクモクレンが満開で春になったことを知らせていた。小ぢんまりとしているが、そのほかにもいくつか古墳が並んでいる。咲き始めたサクラの下の古い石段を登って行く。延々と続くが、均一に作られたものでないので、まったく不愉快ではない。これが奥宮まで続いている。その後は、人工の丸太で作った歩きにくい階段となる。東屋があったが、展望が優れているのでもないので、通り過ぎる。眺望展望台と名付けられたところはさすがに素晴らしい展望ポイントだった。繖山、箕作山、布施山などが盆地の中に点々としていて、のどかな景色だ。伊吹山系はほとんど分からなかったが、霊仙山、鈴ヶ岳、御池岳、竜ヶ岳などの鈴鹿山系は比較的明瞭に指呼することができた(詳細は別ページを参照されたい)。少し登ると先ほどの系統の続きの494鉄塔となり、ここで主稜線に出会う。北西方向が安妃山、東南方向が雪野山ということになる。雪野山の頂上直下で蒲生ICの先に雨乞岳、綿向山などの鈴鹿の山並みが見えた。山頂は古墳時代前期の古墳があるところで、広々としている。古墳は埋め戻されて、とくに有難みは分からない。その上で昼食をとる。木に遮られて展望はあまりよくないが、阿星山、菩提寺山、三上山などを見ることができた。南に向かってもう少し足を延ばすことも考えたが、この日はややタイトなので、同じ道を引き返す。方向が逆になるだけで、見える景色も違うので悪くはない。
雪野山歴史公園の古墳 |
咲き始めたサクラの下の石段を登る |
眺望展望台からの眺め (詳細は別ページを) |
稜線に出たところから三上山・鏡山 |
雪野山頂上直下から鈴鹿の展望 (左から御在所山?、雨乞山、竜王山、綿向山) |
雪野山頂上の古墳 |
歴史公園から自転車で雪野山口東の交差点まで戻り、そこを突き抜けて東に進む。仙台藩代官屋敷跡というのがあったが、とくに説明もなく、なぜここが仙台藩と関係があるのか分からなかった。そのあとは田舎道となるが、正面に鈴鹿の山並みを遠くに見る景色もよく、車もほとんど通らないので快適だった。右手の布施山がだんだんと大きくなる。布施公園というのはかなりの遊園地で、遊具や芝生の広場などが整っている。テントを広げて数家族が楽しんでいたり、小さなマットの上で二人連れの親子がシャボン玉を飛ばしたりしている。そこを通り抜けて布施溜池の西端まで来ると登山口。そこに布施山の城と古墳についての詳しい解説があった。六角氏の家臣の布施氏が建てた山城があったという。登って行くと虎口、二の廓、そして主廓と城郭の跡がつぎつぎと出てくる。頂上からは布施溜池の先に鈴鹿の山が広がっていた。同じ道を下って、布施公園のベンチに座って、子どもたちの楽しそうに遊ぶ様子を見ながら、少し休憩する。
遠くに鈴鹿山系を見ながら布施山へ |
布施公園と布施山 左は南峰、右が布施山(北峰) |
布施山登山口 |
布施山頂上(主廓跡) |
布施町から市辺町に向かう農道では右手に箕作山が大きい。県道170号で市辺駅を通り過ぎ、阿賀神社に寄り道する。そこから登っていくと、万葉集にある額田王と大海人皇子の有名な歌が大きな岩にはりつけられていた。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも
そこから北に向かって稜線を辿って行くと東屋があり、山頂かと思ったが、とくに標識はない。よくよく見渡すと手製の小さな山頂プレートが架かっていた。GPSがないとこのような山で山頂を見極めることが難しい。西側の階段を下りて行くと、公園になっている。船岡山を中心とする蒲生野一帯は古代朝廷の人々の遊猟の地となっていたという。その時の様子を描いた巨大なレリーフが立てられていた。万葉集に詠まれた植物を歌碑とあわせて紹介する万葉植物園が整備されていた。ウメの木が目に入ったので、関連の歌を読んだが、なかなかよかった。
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも
詠み人を見ると大伴旅人とあった。もう少しゆっくりと過ごせればよかったが、きりがないので引き上げる。
武佐町に入り、旧中山道を武佐駅の方へ進む。もう少し旧街道の情緒が残っているかと思ったが、それほどでもなかった。若宮神社の隣りに「伊庭貞剛邸」の案内板があった。大きなクスノキが残る立派な屋敷だったことがうかがえた。伊庭貞剛は、明治時代の実業家で「別子銅山中興の祖」。住友新居浜精錬所の煙害問題の解決に取り組み、企業の社会的責任を考えた先駆者とのことである。この屋敷は、西宿城の跡地に造られたものであることを帰宅後に知った。奥に入るとその城跡があるらしい。国道8号を少し西に走り、六枚橋交差点を右折して、朝の道で駅に戻る。駅から駅まで7時間足らずの一日だった。4つの山の標高を全部合わせても1000bに満たないが、すべての山に、古墳、城跡、万葉集などの歴史があり、存分に楽しむことができた。
市辺町に向かうときに見た箕作山 |
万葉秀歌の歌碑 |
船岡山頂上の東屋と小さな山頂プレート |
朝廷の人々の遊猟の様子を表したレリーフ |