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2020. 10. 27  小谷山・雲雀山・虎御前山・山本山 



先月、余呉湖に行った帰りに小谷城址を歩こうかと思ったが、その時は竹生島にした。しばらくすれば、自分も歩けなくなるかもしれないので、今のうちに行ってしまうことにした。小谷山のついでに近くの3山にも登り、1500名山を目指す計画を本格化させる。

 

同行単独

コースタイム

0901 JR河毛駅、0905 高月町線74、0916 小谷城戦国歴史資料館駐車場(追手道入口)、0923 車道、0935 車道、0945 金吾丸、0949 番所跡、0952 虎御前山展望台、0958 御茶屋、0957 馬洗池・馬屋、1001 首据石、1002 桜馬場、1005-07 大広間、1007-18 本丸、1019 中丸、1024-27 京極丸、1026-29 小丸、1032 大石垣、1035-36 山王丸、1042-43 六坊跡、1045 清水(きよみず)谷分岐、1055 岩尾、1102-38 小谷山(495b)(大嶽(おおづく)城跡)、1154 清水谷分岐、1202 大野木土佐屋敷跡、1205 三田村屋敷跡、1213 蛙岩、1220 竪堀、1224 御屋敷跡、1233 山城屋敷跡、1240 資料館駐車場、1245-52 雲雀山登山口、1300 雲雀山(145b)、1310 登山口、1323-26 虎御前山登山口、1349-1405 虎御前山(224b)、1420 虎御前山登山口、1450-53 朝日山神社、1456 常楽寺、1522-32 山本山(324b)、1558 朝日山神社、1630-45 河毛駅

以前に関ヶ原周辺をレンタサイクルで回ったことがあったが、河毛駅でもレンタルできると知って、それを利用する。それがなければとても一日で4山を回ることはできなかった。あらかじめGoogleでコースをシミュレートしていたので、問題なく小谷城戦国歴史資料館に着く。道端に駐輪したのち追手道の標識に従って歩きはじめる。すぐに出会った車道に出ることなく山道を登って行く。途中で若者が追い抜いて行ったが、あっという間に見えなくなり、脚力の衰えを見せつけられる。再び車道と出会った地点には多くの標識や看板があった。

そのあと多くの遺構が次々とあらわれ、全く退屈しない。金吾丸、番所跡のあと、虎御前展望台があり、そこからは虎御前山の全景がくっきりと美しかった。竹生島、山本山やさらにその奥の蛇谷ヶ峰などの山並みまでが見える絶好の日和だった。御茶屋、馬洗池・馬屋と続くが、御馬屋付近から伊吹・霊仙が木々の上に顔を覗かせていた。首据(くびすえ)石、桜馬場に続いて、黒金御門を抜けると大広間。85b×35bという大きさはその名にふさわしい。奥には石垣があり、その上が本丸だが、石垣近くには左方面は大堀切跡・中丸跡という矢印があるだけで、本丸に行く案内が見つからなかった、右手にある階段が順路かとも思ったが、いずれ大堀切跡は見たかったのでまず左手に回って行く。本丸跡付近という標識を通り過ぎると大堀切となる。ここは目をみはるような大きさを持つもので、小谷城を大きく二分する位置を占めているとのこと。突き抜けて本丸を回り込むが、とくに登る道はない。ちょっとした藪漕ぎで上に出ると、はたして大広間を見下ろす本丸跡に着く。先ほど見た階段で大広間の端に下り、再度大堀切を経て中丸へ進む。京極丸は大広間に次ぐ広さの曲輪という。清水谷側に水の手と呼ばれる入口があり、ここから秀吉が奇襲で攻め込んだと言われているが、見落としてしまった。小丸とその横の大石垣を見て、最高地点の山王丸(398b)に着く。




河毛駅を出た所から小谷山を


 


小谷城への追手道入口


 


金吾丸跡




田園に浮かぶ虎御前山(右端に山本山)




大広間(奥に石垣が見える)


 


大堀切


 


 本丸跡から大広間を見下ろす




京極丸跡


 


小丸の隣にある大石垣


 
 

最高地点の山王丸跡



そこからは六坊跡までの下りとなり、途中で大嶽が見えた。六坊跡は六つの寺院の出張所が置かれていた所で、かなりの広がりをもっていた。清水谷への分岐はそこから少し進んだところにある。鞍部から小谷山までかなりの階段道が続く。途中の岩尾から霊仙山や伊吹山の美しい姿を楽しむことができた。小谷山は大嶽城跡があったところで、かなり広い曲輪となっている。ウロウロと歩き回ったが、ガイドブックにあるような展望は全く得られなかった(このガイドでは本丸跡からも好展望が得られるとあったがそれもなかった)。大嶽城跡(海抜495b)という標柱が立っているのに三角点はない。登りついたところにあるベンチに腰を下ろして昼食を始めると目の前に三角点があった。下山を始めると、山王丸で追い越した夫婦が登ってこられた。この日に出会ったのは3人だけで、このような素晴らしい所なのにこれだけしか歩いていないというのはもったいない気がした。清水谷の入口まで戻り、谷筋を下って行く。野木(土佐)屋敷跡、三田村屋敷跡、竪堀、御屋敷跡、山城屋敷跡などを通り過ぎて資料館まで戻る。御屋敷跡、山城屋敷跡からは東側の尾根筋にある小谷城の各曲輪に通じる道があったようだが、それらを確認しないで終わった。この日は、歴史探訪よりピークハントを優先させたので、資料館にも立ち寄らず、ということになる。すぐに自転車を回収し、雲雀山に向かう。




石山王丸からの下りで見えた大嶽(左奥)


 


六坊跡


 


岩尾から見えた伊吹山




大嶽城跡(小谷山山頂)




清水谷の蛙岩(六甲の蛙と同じ位か)




浅井家の住まい御座敷跡




雲雀山では最初の出だしが分からず、少しウロウロしたが、藪をかき分けて登り始めるとすぐにしっかりした踏み跡となり、難なく頂上に達する。信長の小谷城攻めの際には小規模ながら、虎御前山よりさらに小谷城に近い砦として機能していたという。古墳群の跡という標識もあったが、もちろんありがたみは分からない。すぐに下山し、虎御前山に向かう。朝に前を通り過ぎていたので、登山口はすぐに分かった。入口には、各武将の砦の古地図が掲げられていた。急な階段を登って行き、やがて傾斜も緩むころ高速道路の騒音も静かになる。一ヶ所小谷山の姿が正面に見える展望所があった。小谷城址の尾根の右奥に見えるのはカナ山近くの稜線だろうか。柴田勝家砦跡などを通り過ぎると、224bの虎御前山に着く。曲輪から一段と高い所が羽柴秀吉の砦跡で、周りを睥睨するかのような位置を占めている。さらに南に進むと、信長の陣地跡などの遺構や素晴らしい展望台があるので足を延ばす予定にしていたが、時間を見るとまだ山本山まで行くことも可能かと考えられたので、そこから引き返すことにする。

ここから山本山までは5qほどもあるので、少し大変かなと思っていたが、その通りだった。高時川を渡る新福橋の上りも大したことないのだが、かなり消耗していたので辛かったし、湖北町山本に向う細い農道では向かい風が苦労だった。集落に入ってからもほとんど迷わずに朝日山神社に着くことができた。常楽寺までは庭園の中を歩いているような気分のよい道だった。そのあと一ヶ所だけ、田園の上に並ぶ伊吹山、霊仙山、御池岳を展望できるところがあった。30分で頂上に着いた。登りついたところに山本城二の丸跡という木札があったので、ここにも城があったということを知った。それより少し高い所が本丸跡なのだろう。どこからでも視認される山なので、360°の展望が得られるのかなと期待していたが、肝心の琵琶湖も竹生島などの一部が見えただけなのは残念だった。下山後、河毛駅に向かう途中の自販機でコーラを買って、のどの渇きをいやしながら、田園の先に並ぶ、横山岳、己高山、小谷山、虎御前山、伊吹山という大きな眺めを楽しんだ。金糞岳は多分前山のうしろだろう。駅に向うときは追い風となっていたのでかなり楽だった。




雲雀山山頂


 


虎御前山への途中で小谷山


 


虎御前山山頂にある秀吉の砦跡




山本山の麓にある常楽寺




山本山の中腹から伊吹山と霊仙山




山本山(二の丸跡)




山本山から琵琶湖の竹生島


 


山本山の下り道から霊仙山と御池岳


 




山本交差点の東からの展望(北〜東南東)
左から、P532、横山岳、己高山、湧谷山(?)、金糞岳(オレンジの建物の先)、
P1059、カナ山、P999、小谷山、天吉寺山、虎御前山、伊吹山




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