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2020. 09. 14  繖山・観音寺城跡 



東海道新幹線から見える山のうちで、未踏のものの一つ。歴史もあるので前から興味があった。

 

同行単独

コースタイム

0912 能登川駅、0927 岩船、0948-54 北向十一面観音堂、0955 猪子山(268b)、1025-35 伊庭山(いばさん、336b)、1053-55 雨宮龍神社(磐座)、1103 地獄越、1112 東海幹線249、1142-1213 繖山三角点(433b)、1229 T字路、1234-58 観音正寺、1302 T字路、1300 桑実寺分岐、1309-55 観音寺城跡(大石段、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸、大石垣を経て伝本丸)、1416-31 桑実寺、1458 瓢箪山古墳前、1524 南腰越、1530 竜石山登山口、1537 東海幹線261(?)横の登山口、1542 墓場、1551 折り返し地点(約120b)、1600 登山口、1619-20 安土駅

猪子山は毎日登山の対象らしく、大勢の人とすれ違う。地元の中高年女性と一緒になり、色々と説明を聞きながら登っていく。頂上近くの北向十一面観音堂に着くと、能登川の町の先に琵琶湖と比良山系から荒神山までが望まれたが、その先の伊吹山は駄目だった。反対側には頂上部が雲に覆われた鈴鹿山脈が近かった。十一面観音堂は奈良時代のものという55pの石でできた観音様が岩の中に祀られているという珍しいものだった。大勢の人が双眼鏡や望遠レンズのカメラを持って空を見上げておられる。猪子山タカ渡りを調査しているとのこと。山頂はすぐ後だったが、その手前に玉祖神明という磐座があり、しめ縄が張られていた。猪子山は地理院地図にも山名事典にもその名が記載されていないが、これは十分記載する値打ちのある山ではないだろうか。

猪子山から伊庭山、地獄越を越えて雨宮龍神社までの間は大変よく歩かれているにもかかわらず地図に破線が書かれていないのはすこぶる不自然だ。大げさな上り下りのない稜線歩きで、横から涼しい風が吹き抜けて気持ちがよい。地元のご夫婦が初められたという山道の整備が大勢の人に受け継がれ、太く幅広の丸太の階段が延々と設置されている。丸太に運んだ人の名前・年月日や整備に感謝するメッセージなどが書かれている。必要と思えない所にもあると感じるのはいつものことだ。地獄越の少し手前で南東方向の視野が広がり、鈴鹿山脈の竜ヶ岳、釈迦ヶ岳などが望まれた。繖山の手前のP400+から安土山、西の湖、長命寺山、比良山系の展望が得られたが、安土山、西の湖を眺める最適地点だっただろう。




北向十一面観音堂

 


北向十一面観音堂から長命寺山
その先に比良山系


 


玉祖神明という磐座




猪子山山頂




延々と続く丸太階段



伊庭山山頂




雨宮龍神社


 


 雨宮龍神社の磐座




 東海幹線249の先に伊庭山


 

安土山、西の湖、長命寺山、比良山系
(P400+から)




繖山の三角点で昼食をとる。スマホにうまくチャージできないようなので、山の中では必要ないだろうと一時停止状態にしたまま出発する。すぐに最高点を通過したはずなのに気が付かなかった。そのあと、地理院地図にしっかりと破線が書かれている道を下って行く。先ほどまでの整備された道との落差に驚き、念のためYAMAPを再開して正しい道であることを確認する。車の運転者がナビなしでは走れなくなっているのと同じで大変あやうい気がする。蜘蛛の巣だらけのかなりの荒れた道だった。やがて観音正寺と城跡を結ぶT字路に下り着き、聖徳太子が関わったという寺に向かう。大変立派な寺で、本堂の白檀の千手観音は珍しい。本堂横に積まれた沢山の石があり、遠くからは石仏と見間違ったが単なる石だった。境内からの展望は素晴らしかった。境内の東端から南東方向に箕作山とその奥に雨乞山が、仁王像の近くからは、南南西から南西にかけて飯道山、阿星山、金勝アルプス、三上山、音羽山などが勢ぞろいだった。




繖山三角点


 


この日唯一の荒れた道


 


観音正寺




観音正寺本堂




観音正寺の石仏かと思った石組み




観音正寺からの展望
飯道山、阿星山、金勝アルプス、三上山、音羽山



観音寺山城跡に向かう。伝本丸には大石段を経て登りつく。本丸といっておかしくない広々とした空間であり、周囲に所々石垣が積まれている。そのまま南に向かう斜面を下りて行くと伝平井丸に着いた。ここの虎口も立派に残っている。さらに進むと伝池田丸となる。急な坂道を大石垣まで下る。ここはそれほどの見ものもなく、大岩があちこちにあり、箕作山から鏡山に至る展望が得られるといった程度だった。さらに下りると伝木村丸があるらしいし、尾根伝いに安土まで下ることもできるそうだが、かなりの藪漕ぎとのことで、この日は無理せずに引き返す。伝平井丸からは直接桑実寺分岐に戻り、桑実寺に向かうとなんとまた伝本丸に出てしまった。先ほど見落とした裏虎口を経て寺に向かうようになっている。石塁をずらして配置する食い違い虎口である。日本五大山城というだけあって、なかなか味わい深い山城だった。応仁の乱の際に3度も戦場となったという。

桑実寺に入るときにセンサーが稼働する。入山料を取り損なわないように工夫しておられるらしい。白鳳時代の寺で、鎌足の長男の定恵和尚が中国から初めて桑の実を持ち帰り、養蚕技術が始まったというのが名前の由来だ。薬師如来像を拝んだのち長い石段を下って行く。山門をくぐると間もなく町に出る。

欲張って竜石山に立ち寄る。南腰越で右折し、地図に描かれている実線の所から入ろうとしたが、数歩も歩けないほどの藪。諦めて大回りしてもう一つの登り口から入って行く。ここは簡易舗装されていて問題なかったが、やがて辿り着いた墓地から先に道は見つからない。藪をこいで尾根のような所まで上がったが、そのあとも判らない。スマホの電池がないので、来た道を引き返すこともできないと困るので、あきらめて引き返すことにする。適当に方角を定めて下りて行くと墓地に出て、一安心。この寄り道のためかなり帰宅が遅くなった。30分に1本の電車に乗るため、最後は駆け足で駅に向かい、ギリギリで間に合った。

色々と変化に富む一日だったが、観音正寺の奥の院、観音寺山城跡の大土塁の一帯、沙沙貴神社などの見どころを訪れることができなかったのは心残りだ。




伝本丸への大石段


 


伝本丸


 


伝平井丸




伝平井丸の虎口




伝平井丸の石垣




右前方に伝池田丸




 伝池田丸の虎口




大石垣


 


大石垣からの展望
 


 伝本丸に戻って虎口から出る


 

反対側から見た食い違い虎口


 

桑実寺




桑実寺の山門の先に琵琶湖


 
 

竜石山(右側)




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