2019. 03. 26 瓢箪崩山・金毘羅山・翆黛山
そのうちに行こうと少し前に買っておいた昭文社の「京都北山」地図を初活用。
同行: 単独
コースタイム:
0931 花園町BS、0947 トトギ池の前の登山口、1026 八瀬高野分岐、1041-50 瓢箪崩山(532b)、1101 寒谷峠、1128 岩倉長谷町への分岐、1131 蓑ノ裏ヶ岳・静原墓地分岐、1202 江文峠、1208-33 静原川の細流のそばで昼食、1246 むつみ地蔵、1249 琴平新宮社、1300-1310 盲腸ルートを往復、1317 案内板がある分岐点、1320 三壺大神、1327 金毘羅山三角点(573b)、1349 不可解な分岐点(ロックガーデンNo9)、1405 寂光寺への道を分けて翆黛山へ、1410 翆黛山(577b)、1447 金網の外へ、1500-12 大原BS
出町柳からのバスに乗り登山口に近い花園町まで行く。しばらく町中を歩き、溜池の所から登り始める。岩倉北消防分団が作った標識@の地点だ。その後も江文峠の近くまで12の番号まで続いていた。瓢箪崩山までの間で3カ所ほど地理院地図のコースから離れた足跡をたどっており、注意しないといけないなと思った。時々、西側に岩倉の街並みが見え、東側に水井山と横高山がすっきりとした形で見える所もあった。瓢箪崩山の山頂からも少しだけ木々の間から町と山の眺めが得られた。八瀬の奥のぼんやりした山並は比叡山で、大原の先に見えた雪をいだいた山は蓬莱山だろう。
途中で見えた水井山・横高山 |
瓢箪崩山山頂 |
少し荒れている道で寒谷峠まで下ったあと、緩やかな上り下りを繰り返して、蓑裏ヶ岳への道を分け、車道が通っている300bの標高の江文峠に着く。峠には真っ赤な車が駐車しており、鳥居の横には三体不動明王金毘羅大権現という石碑が立っていた。本殿などは山頂にあるのだろう。ここで昼食をとも考えていたが、交通量も少なくないので、山に入っていく。しばらくするとツバキが群生する静かな沢の道となったので、そこで腰を下ろす。
その後の登りでは石段が敷かれており、昔からの参詣道となっていることがうかがわれた。いつも山で見る石段とは違って、穏やかな表情をしたもので好感がもてた。江文寺跡の石碑、つつましやかなむつみ地蔵尊、満開のウメが咲いている琴平新宮社などを過ぎるとT字路となる。地図には右手に盲腸のような短いルートが書かれている。これが岩場の上の展望台に通じるという道だろうと進んで行くが、なかなかそのような場所に行きつかない。4分ほど下りたところで引き返す。あとで調べるとやはりこれが展望台への道だった。それをしっかり認識していたらもっと足を進めたのにと残念だった。2013年の記録にはT字路の所に、右に進むと展望台という標識が立っていたのに、それがなくなっていた。T字路からすぐに展望のよい分岐点に着く。大原の向こうに小野山が見えている。先ほどとは違うグループが作ったロックゲレンデNo7という標識としっかりした案内地図があった。すぐに朱色の柵に囲まれた三壺大神に着く。地図で見ると三角点よりここの方が高く、574bあるらしいので、ここが金毘羅山の山頂としている人も多い。金毘羅山の三角点まで足を延ばす。大国主之命などと書かれた石碑を載せた大岩があり、よく分からないが高い石柱があったりする。最近はどこでも倒木が多いが、ここには大きな白い岩石を咥えた根っこがむきだしになった倒木があり、よくこんな地面に生えていたものだと感心する。頂上に着くと、傾いた粗末な祠のようなものや、屋根がほとんど垂直に立っている小屋があり、うら寂しい感じだった。
江文峠の鳥居と石碑 |
むつみ地蔵尊 |
琴平新宮社 |
最高地点からの展望(小野山か) |
朱塗りの柵に囲まれた三壺大神 |
三角点のある金毘羅山山頂 |
同じ道を戻ったが、三壺大神の所に出ることなく、知らない間に翆黛山への道を歩いていた。全く理解できなかったのでモヤモヤした気持ちのまま前に進む。地理院地図で二股
少し進むと、地理院地図でも昭文社の地図でも二股に分かれ、右が寂光院であるのは当然として、未だに翆黛山という名前が出てこない。ほんの少し進むと左手に足跡があり、ここにやっと翆黛山という札が出てきた。この日登った三山のうちで最も高いというのに翆黛山の扱いは非常に粗略に思える。5分で頂上に着く。「寂光院におられた建礼門院もここに花を摘みに来たりしておられただろう」などと書かれていたが、にわかに信じがたい。ここで少しゆっくりしようと考えていたが、バスの時間を調べると、ちょうど1時間後に出る。ここから大原へのコースタイムも1時間。急いで下りることにする。
しばらくして寂光院への道は左に折れるようになっていたが、気付かずに直進してしまったらしい。岩に大きく赤のペンキでX印が書かれていて間違ったことに気が付いた。少し後方を見まわしたが、それらしき道は見つからず、前に進む道もしっかりしていたので、そのまま下りていく。途中で作業道のようなものが入り組んでいたが、何とか大原の方へと下りていく。やがて右下に畑が見えたので、急な坂を下りるが、獣害を防ぐための金網があり、越えることはできない。しばらく網に沿って歩くと、鍵のかかっていない出入口があり、そこからやっと外に出ることができた。さらに北に進むと道路に出て、大原バス停まではすぐだった。ほとんどロスタイムはなく、50分で下りたので、寂光院を回るより早かったかもしれない。帰ってから他人の記録を見ていると、左折するところには、直進しないように大きな木の枝が置かれており、寂光院という大きな札が架かっている写真があった。どう考えてもそのような地点はなかったように思う。とにかく、年ごとに状況は変わるということだ。