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2018. 02. 07 城山・堂徳山



YHグループの例会。城山・錨山・市章山と最近行った所ばかりで、あまり魅力がなかったが、城山の滝山城址をこれまでほとんど無関心に通り過ぎたので、城の遺構を丁寧に見てみれば面白いかもしれないと思い直す。


同行YH7人

コースタイム

0913 三ノ宮駅、0934 新神戸駅、0950 布引雄滝、1006-15 みはらし展望台、1017 猿のかずら橋、1027 新神戸駅からの道と合流、1037 堀切の先の城跡の説明板、1042-17 東曲輪跡(303)、1053-1058 二の丸跡、1101-07 本丸跡(323)、1113-16 西曲輪跡?、1122-28 天神谷東尾根分岐、1140 堂徳山三角点(337.5)、1142 中山手支線四、1242 北野町4-19、1256-1352 北野町広場、1353-58 北野天満宮、1423 三ノ宮駅

布引雄滝の数量は少なく、岸壁が露わにむき出しとなっていた。みはらし展望台でストレッチをしたのち、猿のかずら橋に向かう。かなり急な登りで仲間のスピードが落ちたので、先に行かせてもらって曲輪跡をゆっくりと観察することとする。新神戸駅からの道の合流点もおそらく曲輪跡の一つだろう。そこから東曲輪に登ると思われる踏み跡があったが、右からの巻道をたどる。やがて深い堀切の所で数人の作業員が伐採作業をしていて、堀切が枝で埋まるくらいになっていた。その先に城跡の略図が書かれた案内板が立っていた。そこから左に登れそうなので、適当な枝をポール代わりにして登っていくと平坦な場所に出た。ここが間違いなく東曲輪の北の端だ。驚いたことに神水の石柱が2本も立っていた。布引貯水池と北野浄水場を結ぶ線(地理院地図にも青い破線で書かれている)の上にあるので、驚くことではなかったのだ。ただ、雌滝、鼓滝あたりで取水し、砂子橋で左岸から右岸に渡していたという記事(注1)もあるので、いくつかのルートがあったのだろう。




布引滝雄滝


 


新神戸駅からの道との合流点(ここも曲輪跡か)


東曲輪跡への踏み跡


 


堀切で伐採作業


 


滝山城址の案内図


 


東曲輪跡の東端から西方向を


 


元に戻って作業している人に聞くと、5-6人のグループが通り過ぎて行ったとのこと。あとを追うと二の丸跡の東屋で休憩しているところで追いついた。ここは一番広い曲輪跡で、そこから少し登った所にある本丸跡は狭い。滝山城址という大きな石碑が立っていた。ここで集合写真を撮った後、西に進む。土塁や土橋と思われるような道を歩いていくと、左手に西曲輪かと思われる高みが出てくる。そのはずれから上に登る踏み跡があったので、少しだけ寄り道をする。すぐにやや平坦な所に出たので、それが西曲輪かと考えて引き返す。地形図で350m+の地点である。マニアの人のHPには西曲輪の最高地点は318.9mとあるので、ここは西曲輪とは違うのかもしれない。先ほど見たあいまいな案内板にはここが本丸跡と書いてあるようにも受け取れ、どうもはっきりしない。




東屋のある二の丸跡


 


本丸跡への階段道


 


滝山城址の碑が立つ本丸跡


 


本丸跡から二の丸跡を見下ろす
 


西曲輪跡か


 


天神谷東尾根との分岐


 

すぐに天神谷東尾根への分岐となる。八本松林道が近づいたところでスマホが見当たらないことに気づく。みなさんも一緒に探しに行ってくれるという。電話をかけながら戻っていくと、西曲輪の登り口で呼び出し音がなっていた。それほどのロスにはならなかったが、このところ迷惑をかけることが続いていて、恥ずかしい。

この日はいつも素通りする堂徳山を是非再訪したいと、あらかじめ調べておいた。この先行き止まりという標識で左手に入っていくとすぐにあると書いてあった。O氏が立ち止まらずに行き止まりの方へリードしていったので、堂徳山があることを知っているのだなと後を追った。しかし、ピークを越えてどんどんと下って行く。ピークに三角点があるはずなので探していると草むらに見つかった。先行隊を呼び止めて、堂徳山の頂上に立ったことを皆で確認する。この日の予定は市章山・錨山経由だったので、そこで引き返すのかと思っていたら、O氏はそのまま南の方へ進んでいく。行き止まりとあったのにと思ったが、道はしっかりしているし、テープもある。持って来た地理院地図にも北野町に出る点線が書かれているので、まあ大丈夫だろうと考えた。YAMAPで確認しようとしたが、地図がOpen cycle mapという雑なものしか出ていない(注2)。それでも道ははっきりしているので、大丈夫だろうと楽観していた。途中でM氏がスマホを覗いて立ち止まっているので、付き合っていたら、先行隊がどんどん下りて行き、見失ってしまう。携帯で呼び出すと、向こうからはこちらの姿が見えているという。それなのに、大声でコールしても返答がない。まだそのときはテープがあったので、別々に下りることにしたが、途中で道を見失い、間違ってどんどん東の方に進んでしまった。この先行き止まりの標識の理由が分かった。こんな道迷いは自分にとっては日常茶飯事だが、慣れないM氏は枯葉に足を取られて何回か尻もちをついていたのは気の毒だった。やがて金網が出てきたのでそれに沿って下りて行く。2度ほどフェンスをよじ登って越え、最後は道路に向かって飛び降りて北野町4-19の住宅街に出た。

北野異人街に行って、昼食をと思ったが、適当なレストランがなく、持って行ったサンドウィッチを食べることにした。近くで生ビールを手に入れることができたので、風見鶏の館の前の北野町広場のベンチでゆっくりと食事をして、長いおしゃべりをした。朝はとっても寒かったが、この時になると日も差して実に穏やかになっていた。食後、行った記憶のはっきりしない北野八幡宮へ参拝して終わりとした。




堂徳山三角点
 
 

北野町の住宅街に降り立つ




風見鶏の館の前の北野町広場
 


北野天満宮

 



(注1)http://kobe.travel.coocan.jp/rokko/nunobiki_bridge.htm: 砂子橋(いさごばし)は全長19.2m、幅3.3mで、1900年3月竣工した生田川に架かる三径間連続レンガアーチ橋で、建設当初は、雌滝及び鼓ケ滝で取水した水を奥平野及び北野浄水場に導水するため、左岸に布設された8インチ及び24インチの導水管を右岸側に渡すことを目的とした水道橋(水管橋)だったとのこと。

(注2)あとでYAMAPに聞くと最近になってアップグレードしたための不具合だった。山の中ではちゃんと国土地理院の地図が出るのだが、市街地近辺の里山では地理院地図が使えないようになってしまったということだった。



帰宅後にYAMAPの軌跡をダウンロードすると、ちゃんと地理院地図に記録されていた。
山陽新幹線と市街地の中間で東にそれてしまったことが分かる。





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