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2017. 05. 28  丹生山系(丹生山から金剛童子山へ)



16年12月にあいな里山公園に行った時に、駅前に丹生山系縦走路という札が架かっているのを見て、はじめてその存在を知った。もっともその少し前の10月に百丈岩から北の山並みをながめて、これらの山をはじめてまぢかに見たことは記憶にあった。それ以来、機会をうかがていて、今年の3月に十分の時間を取れる日を見つけて早朝に家を出た。しかし、三宮地下鉄前バス乗り場に行っても64系統の案内がない。オタオタしていると目の前を64系統のバスが走り去っていった。バス乗り場が移動していたのだ。今回は、その雪辱山行。


同行S氏

コースタイム

0812 丹生神社前BS、0834 衝原からの道と合流、0845 門下橋、0848 延命地蔵、0904 藍那駅分岐、0912 明要寺跡の史蹟標識、0917-32 丹生神社(515m)、0938 シビレ山分岐、1004-14 帝釈山(586m)、1050 岩谷峠近くの車道へ、1105 双坂池から登山道へ、1131-33 稚児ヶ墓山(596m)、1138-1224 稚児ヶ墓、1243-45 肘曲り、1253 志久ノ峠分岐、1302 花折山入口、1310-20 花折山(573m)、1329 兵庫CC、1349 金剛童子山入口、1400-08 金剛童子山(565m)、1430 鰻ノ手池、1435 天下辻方面へ左折、1455 六甲山遠望、1456 鉄塔、1513 天下辻、1521 市街地、1529 大池聖天、1532 神鉄大池駅

バスを降りると鳥居の先に丹生山系の峰々が横たわっていた。志染川にかかる橋を渡って、登山道に入っていく。この日はスマホを忘れてきたので、地図とコンパスを見ながら、そして会う人に教えてもらうという昔のスタイル。久しぶりに人間らしい山歩きとなった。この日歩いたコースには、「丹生山系縦走路」と「太陽と緑の道」の標識が実にたくさん並んでいたが、単にそのコースを歩いていますよと教えてくれるだけで、役に立つ情報は書かれていない。同じように思った人がいるらしく、標識の上に手書きで必要事項が記入されていた。それが参考になった。スマホがあれば問題ないのだが。




バス停の近くにある鳥居の先に丹生山

気持ちの良い灌木の中の道の所々に丁石が見られる。清盛が建てたものとされているが、南北朝以降のものもあり、中には昭和以降に修復されたものもあるとのことだ。衝原からの道との合流点でそちらからの来られたハイカーと出会い、そのあとの道を聞いておく。すぐに右に分岐する道があったが、鉱山跡への道だ。丹生山は、古代から知られる丹土の産地であり、現在でもかなり水銀含有率の高い土の路頭が見られるところがあるらしい。しかし、帝釈鉱山は、長谷銅山の名前のとおり銅を主に産出していた。

一ヶ所だけ視野が広がり、丹生山らしきコブが見えた。門下橋を過ぎると延命地蔵の分岐点となる。左手にある丹生山橋という石橋を渡って登っていく。こちらが表参道で、丁石はこちらに続いている。南から北西に大きく曲がる点に九丁の丁石。林の中からの小鳥の美声が続く。やがて、標識があらわれ、藍那駅への分岐とかかれており、びっくりする。帰ってから調べると、丹生山系の縦走路の起点である藍那駅を指しているのだ。縦走路は藍那駅から出発し、志染川を渡った後、丹生山系を丹生山から東へ進み、岡場駅に至る総延長27kmのルートを指すという。そのため、この道を下って箱木千年家のある衝原や長坂山を経由して8kmも歩けば、縦走路の起点に着くという話らしい。知らない人は戸惑うだろう。このルートは義経道と言われる。義経が三草山の戦いで勝利し、そのあとの一の谷の合戦に赴く際、この道を通り、藍那の集落を抜けて、鵯越に向かって行った歴史をもっている。昨年歩いたあいな里山公園で見かけた義経道とつながっているのだ。

そのあとまもなく、史蹟「丹生山城」、「丹生山明要寺跡」と書かれた石碑に出会う。明要寺の起源は6世紀にさかのぼり、清盛が整備した頃の栄華を印した曼荼羅が描かれていたが、実に立派なものだったようだ。その説明版には、丁石は清盛が作り、毎月福原から参拝に登っていたとあった。「従丹生山1丁」という丁石が傾いて立っていた。神社境内に入っていくと、社務所、拝殿、本殿がこじんまりと建っていた。先ほどのハイカーが休んでおられたので話をする。見えているのが菊水山の鉄塔と教えられ、びっくりする。そんな方向を見ていたとは全く予想しなかったからだ。あとで調べると、多分水晶山が左端に見えており、摩耶別山、摩耶山、高尾山、再度山、鍋蓋山、菊水山とつながっている。手前に見えている集落は東下(ひがししも)で、右手には先ほどくぐってきたバス停近くの鳥居も見えていた。




表参道と裏参道の分岐にある延命地蔵


 


丹生神社拝殿


 


丹生神社本殿 



丹生山から見た摩耶山から菊水山への山並み


ちょっと戻って帝釈山に向かう。すぐに裏参道の道、シビレ山への道を分ける。途中にあったらしいコモの辻に気づかないまま、帝釈山の頂上に着く。三角点のうしろにモチツツジがかなりの花をつけていた。南面が開いており、須磨三山から淡路島の山々が見渡せる。柏原山、諭鶴羽山あたりはぼんやりしているが、妙見山ははっきりと見える。

10分ほど休んで、先へ進む。いくつかの分岐を注意して通り過ぎ、35分で、岩谷峠の少し下で国道428号に出た。正面に稚児ヶ墓山を見ながら、双坂池に入っていく。池の色はやや白濁しているようだった。アジサイの一種かと思うが白い花が鮮やかだ。




帝釈山頂上


 


帝釈山から横尾山、須磨三山


 


帝釈山から淡路の山々


 


国道428号の車止めから稚児ヶ墓山を望む


 


双坂池

 


コガクウツギ



標識で左折して登り始めると、道は一転して岩のゴロゴロしている沢道となる。25分でこの日の最高点である頂上に着くが、ちょっと足をとめただけで、その先にある好展望という墓まで足を延ばす。5分で稚児ヶ墓山伝説遺跡と書かれた真新しい柱の立つ場所に着く。林の中に同じ内容のやや古ぼけた柱が立っている。秀吉の三木城攻めの際に明要寺の僧兵が別所氏に味方したため、寺が焼き討ちにされ、多くの稚児たちも殺された。村人がそれを哀れみこの山に墓を作り、ツバキの木を植えて弔ったという。今あるツバキは平成になって植えられたもので、いくつかの花をつけていた。やはり山田の里の先に、須磨、淡路島の山々が見えている。


肘曲りを経て花折山に向かう。縦走路は山頂を巻いていくようだが、こちらは丁寧に山頂を訪れる。三角点があったが山名はどこにも見当たらなかった。稚児の墓にここから花を折って持って行ったというが、花がありそうな雰囲気はなかった。草花ではなくやはりツバキかと思うが、それなら稚児ヶ墓山のツバキとの関係が分からない。山頂から下って行き舗装道路に出た所が巻道との合流点だった。




稚児ヶ墓山への登りはゴロゴロの岩だらけ


 


稚児ヶ墓山頂上


 


真新しい伝説の説明標柱


 


花折山頂上


 

すぐにゴルフ場が目に入る。木陰で二人連れが休んでおり、南側から藪漕ぎをして登ってきたが、どこにいるのかもよくわからないとか。ゴルフ場を過ぎれば花折山に行けるとだけ教える。7−8人のおばさん達がやって来た。大池から来て、これから谷上に行きたいのだがと聞かれるが、スマホもないので分からない。「大池に戻るのがよいかもしれない」と言っておられた。こちらはゴルフ場が途切れたあたりにあるはずの金剛童子山登山口を探して進む。タニウツギが咲いている反対側に小さなプレートが架かっていた。枕木のような大きな木材が積み上げられたところを乗り越えて入っていく。16Cに作られた砦跡との説明があったが、結局そのような痕跡を見つけることができなかった。色々な人が、道がわかりにくいと書いておられたので、安全策をとり、入ってすぐの二又を右に進んで、頂上に行き引き返すことにする。頂上には基本測量点があったが、展望もなく、5つ目の頂上に登ったというだけだった。



兵庫カントリークラブ

 


タニウツギ




金剛童子山入口



 
 

金剛童子山頂上


県道73号を南に進む。鰻の手池という訳の分からない名前をもつ池を通り過ぎ、管理地と書かれた看板の横の通行止めの柵の所から入っていく。オフロードバイクのつめ跡がひどい道だった。雨でぬかるんでいたら大変だったにちがいない。送電鉄塔のすぐ手前で右手に土がむき出しになったやや小高い所があったので、念のため登っておく。大池の町が少し見え、その奥に六甲連山があった。逢ヶ山、六甲山、西お多福山、古寺山、ガーデンテラスからさらに西の方のとりとめのない山並が見えていたと分かったのは、帰宅後に写真を眺めていたときで、六甲の最高峰を望めるのはこの場所だけらしい。

鉄塔を過ぎた頃、丹生山系縦走路の標識を見かけた。あれほど頻繁だった標識が見えなかったので、もうここは縦走路ではないのかと思い始めた頃だった。やがて天下辻に着く。さきほどのおばさん達が休んでおられ、「金剛童子山をピストンしたの? さすが男の人は早いね」と言っておられた。天下辻の北側にひろがる屏風川の周辺の詳細なルート図がぶら下がっていた。好きものがここにもおられると嬉しくなるようなマップだった。天下辻からは10分もしないで民家のある道路に出る。大池聖天の境内に立ち寄ったあと、大池駅の近くにビールを飲ませてくれる店をみつけ、反省会をする。



鰻ノ手池


 


鉄塔の少し手前で最高峰、西お多福山が望める


 


オフロードバイクのつめ跡が

 


天下辻で憩う人達




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