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2017. 03. 10  日根荘遺蹟


今回の主目的は犬鳴山だが、この日はハイキングなしで、日根荘遺跡を歩く。鎌倉時代から戦国時代にあった荘園。五摂家の一つである九条家により、1234年に作られたもの。当時の様子が分かる絵図や文書がたくさん残されており、当時のことを解明する手がかりがたくさんあることから貴重な荘園遺跡となっている。 この歴史的景観を構成するものの中から、寺社、ため池、水路、荘園跡、山城跡など十数か所が「日根荘遺跡」として国史跡に指定されている。

  

同行: 女房殿

コースタイム

1233 西上BS、1239-40 新道出牛神、1303-05 総福寺、1315-39 日根神社、1343-44 慈眼院、1348-1406 東上BS乗車、1421 下大木BS下車、1428 円満寺、1429-34 長福寺跡、1451-54 火走神社、1504-05 毘沙門堂、1510-1534 中大木BS乗車、1550 犬鳴山温泉BS

南海電車の犬鳴山ハイキング割引切符を使って、泉佐野駅に下り立つ。女房殿が泉南タオルの店に行きたいというので、駅中の店が開くまで少し時間をつぶし、買い物が終わった頃に開店した駅前の食堂で早めの昼食を済ませてバスに乗る。バスの切符は終点まで乗れるのだが、西上BSで途中下車して遺蹟を巡る。それほど観光地として整備されていないため、かなりのスポットが案内がない。町の人に聞きながら訪ねるが、聞いても知らない人も多かった。最初の新道出牛神を見つけるのに苦労した。店の人に聞いてやっと見つけることができた。牛神は農作業などで活躍する牛をつれてお参りをするもので、小さな碑があった。その南に野々宮跡という興味深い形をしたものがあるはずだが、誰に聞いても分からなかった。つぎに訪れた総福寺は小さな社の本殿が重要文化財となっているだけあって、道路にちゃんとした案内があり、迷うことなかった。菅原道真ゆかりの場所のようで、梅の花が咲いていた。そこからすぐの日根神社は立派なものだった。日根荘全体の鎮守で、鳥居がいくつもある大きな境内に秀頼が再建したという桃山様式の本殿をはじめ、いくつもの社があった。灌漑用に作られた井川(ゆかわ)が流れており、裏には大井関公園があるとのこと。よさそうな雰囲気だったがかなりの時間をとりそうだったのであきらめた。日根神社に接して慈眼院がある。落ち着いた境内は好ましい雰囲気だったが、重要文化財という多宝塔はどこにも見つからなかった。




新道出牛神


 


総福寺


 


日根神社


 


日根神社




日根神社本殿




慈眼院


そのあと阪和自動車道を越えたところに土丸・雨山城址があるが、女房殿がかなり疲れたようなので、そこはスキップして、東上から下大木までバスに乗り、下大木の近くの円満寺と長福寺跡に行く。とくに何もないがここが領主であった九条政基の居所となった寺院があったという。のびやかな田園風景がひろがっており、いかにも荘園という感じがする。畑の中をあるき、中大木の火走神社を訪ねる。名前の由来は男巫が火の上を走る行事があったことによるという。一帯の中心的存在だったようでなかなか立派な神社だ。拝殿のとてつも長い太い梁が印象的だったここにも立派な梅の木があり、満開だった。裏手の坂の上にある毘沙門堂にも行ってみたが、ひそやかなものだった。もう一度バスに乗り、犬鳴山温泉に向かう。早く着いたので、ゆったりと温泉につかる。秘境ムードが漂う温泉地との触れ込みだったが、バスで走ってきた府道62号は京奈和自動車道の紀ノ川ICへとつながっておりとても通行量の多い道で秘境の雰囲気は皆無だった。温泉は重炭酸ソーダ泉でややアルカリ性。冷泉を温めているので垂れ流しといった贅沢はない。




長福寺跡




長福寺跡




火走神社


 


火走神社の長い梁





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