2015. 12. 25 高円山・柳生の道
10月に計画したのに、実現せずに心残りになった高円山にもう一度。
同行: 単独
コースタイム
0804 打出、0916-0945 近鉄奈良駅、1005 白豪寺分岐のトイレ、1018 登山口、1029 三差路、1052-1122 大文字の頂点、1130 高円山三角点(432)、1156-1159 ホテル跡地(461)、1211 柳生街道、1220 地獄谷石窟仏、1236 新池、1248 春日山石窟仏、1255 首切り地蔵、1306 朝日観音、1314 夕日観音・寝仏、1327 石灯籠、1355 トイレ、1350-1406 近鉄奈良駅、1455 肥後橋駅
初めてレンタサイクルを利用。はじめは普通車にしようと思ったが、やはりゆるいながらも坂があるので変速車にした。百毫寺の分岐まで往路が20分で復路は10分だったことからこの選択は正しかった。
分岐近くのトイレの脇に自転車を置く。鍵の掛け方が分からず、そのままにする。分岐を右に折れ、しばらく行くと寺山霊園があり、すぐに百毫寺へ下る道がある。それを通り過ぎると左手に登山口。「ますらをの高円山に迫めたれば里に下りけるむざさびそこれ」という大伴坂上郎女の万葉集の歌碑がある。登山道に入り、左手の貯水池を見送り、落ち葉が敷き詰められた道を上がっていく。心形の大きな葉と熊の糞といった感じの大きな腐った実が一緒に落ちていた。記憶にないが、帰ってから調べるとシナアブラギリのようだ。小さな手書きの標識がある三差路に出る。正面は柳生街道の紅葉橋へのかぼそい道、右後方に鋭角に戻ると大文字に至ると示している。
沢に沿った道を登る |
結構な急坂を登り、それが緩むと間もなく大の字の左下部分にでる。そこからでも十分よい眺めだが、さらに登っていくとますます視野が広がってくる。大の字のてっぺんまで行って少し早いが昼食とする。この後はこれだけの眺めは期待できないから。皆さんがよくやっておられる、テルモスの熱湯をカップラーメンに注ぎ、具材を追加するという昼食を初めて試みる。やはりそれだけのもので、たいして美味というわけではない。それにしても展望は抜群だ。金剛山などは雲の中だが、生駒山、春日山(御蓋山、297m)、若草山(三笠山、342m)、右手の林の向こうに花山(498m)が見える、目の下に奈良の市街地が広がるが、すぐに分かるのは、奈良教育大、飛火野、奈良県庁、県警、東大寺くらいで、中心部のビルも調べないと分からない。奈良をあまり知らないことがよく分かる。
大文字の火床の末端 |
奈良市内、生駒山を望む |
パノラマ写真
食後、大の字の頂点から上に延びる道をたどる。少し薄日が差してきて、春日の森の雰囲気を楽しむ。右手に三角点への脇道が見えたので、一応行っておく。引き返して、もとの道をさらに東へ進む。やがて広々とした平地に出て、ここまで車も入ってこれるらしく、粗大ごみが散在している。やがてドライブウェイに出る。展望台があるが朽ちており、立ち入り禁止になっている。そばに「眺望のご案内」もあるが、これもかすれて見えにくい。薬師寺、唐招提寺も見えるとあったが、この日は全く駄目だった。休憩所のような立派な建物も閉じられている。上にあったホテルが2010年に閉じられたため、すべてが廃れてきているようだ。大伴坂上郎女の甥にあたる大伴家持の「多可麻刀能、、、」という歌碑は石造りなのでまだ健在だった。舗装道路が上に延びているのでホテル跡へ行く。三角点よりここの方が30mほど高く、山名事典ではこちらが高円山となっている。ホテルの建物は完全に撤去され、きれいに更地になっていたが、これは好感がもてた。ここからも完全ではないがかなりの展望が得られる。ホテルの上からならさらによかったことだろう。
高円山三角点 |
ホテル跡地 |
ドライブウェイに戻り、ほとんど走る車もないという道を10分ほど下って柳生街道に出る。このあとは、地獄谷石窟仏、春日山石窟仏、首切り地蔵、朝日観音、夕日観音、寝仏と春日山石仏群を堪能する。新池の所で雨が強くなったので雨具をつける。寝仏を過ぎて、石畳の道が滑りそうで怖くなり、ポールを取り出そうとした瞬間、滑って後頭部を強打。火花どころか、原爆の閃光かと思うほど頭の中が真っ白になった。コブは1週間後にも残っていたが、幸い後遺症はなかった。石灯籠の所からは前回歩いた道となる。白豪寺分岐で自転車を回収して、途中で飛火野から大文字をもう一度振り返り、わずか10分で近鉄駅に戻る。駐輪所からバス停まで歩いて、バスに乗るとすればゆうに30分はかかっただろう。
地蔵谷石窟仏 |
新池 |
春日山石窟仏 |
首切り地蔵 |
朝日観音 |
夕日観音 |
飛火野から左に御蓋山(春日山)、右に高円山・大文字を振り返る