2013. 5. 15-17 谷川連峰縦走
東京での会議の後、高崎で一泊し、谷川に登る。半世紀前に天神平を中心になんどか来ているが、頂上に登ったのは一度だけのようだ。ちょっと中途半端な時期で、ピッケル・アイゼンを持っていくかどうかで、かなり迷った。色々な人の意見を聞き、やはり念のため持つことにした。結果論で言えば、なくともなんとかなったが、やはりピッケルをもっている安心感は実に大きい。
同行: 単独
コースタイム
0838 JR土合駅ホーム、0959 リフト上駅、1002 天神山(1502)、1016 リフト駅、1110-30 中食、1147 熊穴沢避難小屋、1237 天狗の留り場、1330-40 天神ザンゲ岩、1355-1406 肩の小屋、1417-30 トマの耳(1963)、1446-57 オキの耳(1977)、1522 肩の小屋
ロープウェイを使った安直登山を考えていたので、ついでに水上からロープウェイ駅の間もバスに乗ることにしていた。ところがJRの電車が遅れたので、予定のバスは出てしまった。土合まで行って有名な地中の階段を登り、ロープウェイ駅まで歩くことにした。462段の階段だが、5段毎に踊り場があり、10段毎に今何段目かという印がついていて、気分的に大変歩きやすくなっている。全部で4人がこの階段を登った。改札口からすぐに歩き始めた。踏切のあたりから新緑の向こうに雪を残した白毛門がそびえ、気分が高揚してくる。
JRの踏切から白毛門
ロープウェイ駅で山菜を売っていたので、今夜のおかずの足しにしようと、コシアブラを買う。ロープウェイからは後方に白毛門1720b、笠ヶ岳1852b、朝日岳1945bが順々にせり上がってくる。左手の七つ小屋山あたりも何とか見える。タムシバらしき花が遠くに見える。無精ついでにリフトを使って天神山まで高度をかせぐ。何度か来ているこの辺りではあるが、天神山頂にはまだ行っていないので、一応表敬訪問をしておきたかった。リフトの足下にはフキノトウ、ショウジョウバカマ、カタクリなどの花が見える。リフト終点にはかなりの観光客が展望やミズバショウの花を楽しんでおられた。階段を登って天神山の上まで行ったが、残念ながら南側はガスが濃く、展望はほとんどなかった。
霞む笠ヶ岳、朝日岳、白毛門 (天神山から)
リフト終点に戻って、歩き始める。誰も歩いていそうにない。橄欖岩の道だ。少し進むとやっと谷川岳からベールが薄れはじめ、姿を見せてくれる。小出俣、俎ー、オジカ沢の頭、谷川と並んでいる。高倉山のうしろにボンヤリと見えているのは武尊だろうか。ロープウェイからの巻道が合流するころには、谷川はますますハッキリするようになり、春山ののどかさを堪能する。頂上直下の雪面にはまだまだ豊富な残雪がある。南方向も大峰山と台形の吾妻耶山などが少しだけ見える。右手前に阿能川岳。やがてトラバース道となり、ロープが張ってある。持たない方が歩きやすい。そのうちだんだん傾斜のあるトラバースも出てきたので、アイゼンを装着する。ついでに中食を食べておく。高崎駅で買ってきたハンバーグというはじめての試みだが、可もなく不可もないという感じ。
橄欖岩と谷川岳 |
近づいてきた双耳峰 |
天神尾根から見る谷川岳
そのあと雪に押さえつけられている木の枝を解放しながら歩いていたが、3本目の枝が思いの外大きく、解放した途端に枝にはねとばされ、登山道から数bも落ちてしまう。2本目の木に掴まってやっと止まった。立派な熊穴沢避難小屋を通り過ぎ、初めての登山者とすれ違い、その後若い人が追い抜いていき、この日出会ったのは二人だけ。天狗の留り場の少し上で休憩する。そのあとまた天神のザンゲ岩で休む。この間歩いたのはわずか30分強で、かなり疲れていたようだ。こんなことは近頃記憶にない。そこからわずか15分で肩の小屋だというのに。
最後の雪の斜面を越えるとすぐに肩の広場にでた。西の方角はオジカ沢の頭が辛うじて見える程度。小屋の人に素泊まりをお願いし、荷物を置いて、トマの耳へ出かける。右手には白毛門、笠ヶ岳、朝日岳が霞んでいる。その奥にさらにボンヤリと見えているのは、ひょっとしたら平ヶ岳、燧ヶ岳、至仏山かもしれない。トマの耳からは茂倉岳、一ノ倉岳、オキの耳のそろい踏み。白と黒の割合はほぼ半々か。オキの耳へ向かう。オキの耳から見ると、東尾根の左手に一の倉沢が深く落ち込んでいる。もちろん岸壁などは見えるべくもない傾斜だ。当初は一ノ倉岳までピストンする予定だったが、疲れが残っていたので、鳥居のあるところまで行って、しばらく茂倉岳方面をながめたのち引き返す。ミツバオウレンらしき花が少し咲いていた。
茂倉岳、一ノ倉岳、オキの耳 (トマの耳から)
外の方が気持ちがよいので小屋前のベンチでコーヒータイムとする。そのあと小屋の休憩室を一人占めして、食事を作る。折角買ってきたコシアブラがどうしても見つからない。どこかに置いてきたらしい。とにかく時間がたっぷりあるので、優雅な気分になる。ラジオで聞いたところでは、翌日の天気はよくないとのこと。とくに午後から関東の一部で雷雨があるというので、エビス大黒の避難小屋あたりで泊まる予定にする。平標の山の家まで行っても、とくにメリットがない。翌々日は回復するようなので、そのときにまだ山の上にいるのがよい。
コースタイム
0620 肩の小屋、0640 中ゴー尾根分岐、0743 オジカ沢の頭(1890b)、0746 オジカ沢の頭避難小屋、0816 小障子の頭、0830 大障子避難小屋、0903 大障子の頭、0950-1010 中食、1017 吾策新道分岐、1020 万太郎山(1954b)、1055 越路避難小屋、1115 毛渡(けと)乗越、1246 エビス大黒の頭(1888b)、1317 エビス大黒の避難小屋
やはり思わしくない天気の朝を迎える。気温は外でも7℃と暖かい。小屋の人に色々と聞いてから、Tシャツの上から雨具の上下をつけて出発する。出てすぐに小雨がパラついてきたので、ザックカバーを取り付ける。条件のよくない避難小屋に濡れて着くのはご免だから、念のための処置。中ゴー尾根分岐からオジカ沢の頭までの稜線に、かなり長い亀裂が入っており、そのうちに崩れ落ちるのではないかという感じだった。鎖場も2ヶ所ほどあり、3点確保で登るような道が続く。その後うってかわって楽な道となり、小障子の頭、大障子避難小屋を通り過ぎる。大障子避難小屋は広い上に、水場もあり、ちょうど適当な位置にあるので重宝されるようだが、今年は雪が入り込んで泊まることができないと書いてあった。中を覗くと、一人ならなんとか泊まれそうだ。大障子の頭手前でいくつかの雪の上を歩く。まあ大丈夫かと足を踏み入れたところの両側がかなりの傾斜になっていた。途中でザックを下ろすこともできないので、はじめからピッケルを出しておくべきだったと後悔した。先が見えておれば安心できるのだが、ガスで見えないので困る。そのあとは、ピッケルを手に持って歩く。多少邪魔なときもあるが、荷物が軽くなったと思えばよい。
見晴らしがよくないためもあるが、ほとんど立ち止まることなく歩いて、万太郎山の手前で中食をとる。雨風もあったので、頂上よりは尾根の陰で食べる方がよいと考えたから。そこから、ハイマツ、ガンコウラン、コケモモのような高山の雰囲気をかもし出す道を登るとすぐに万太郎山だった。面白いことに頂上を越えると、そのような植生は姿を消し、笹の道となる。東俣の頭の北側を巻いて越路避難小屋。同じような蒲鉾型のトタン製だ。色々な高山植物が出てきて、毛渡乗越で川古温泉への道を分ける。そこからエビス大黒の頭までは300b強の登りだが、かなり登りごたえがあった。翌日会った平標小屋のおばさんも「あの登りは長く感じるでしょう」と話しておられた。エビス大黒の頭から避難小屋までは30分ほど。途中で雪を取れそうな場所を確認しながら歩くが、心配は無用で、小屋のすぐそばに大きな雪田があった。小雨と曇の1日だったが、大して濡れることなく小屋に着けたのはありがたかった。この日は、昨日とうってかわり、7時間のうち休んだのは一度だけ。
念のためコッヘルに雪を取ってきて水を作ったが、持っていた水だけでも足りたかもしれない。着いたときの気温は6℃、夕刻に4℃、翌朝は0℃といった程度。夕食も17時には終えてしまう。ラジオで天気予報を聞こうとしたが、全く聞こえない。蒲鉾型の金属で囲まれているためで、外に出るとよく聞こえる。扉に小さな窓があったが、その近くでも聞こえることが分かったので、濡れた靴を履いて外にでる必要がなくなった。新潟は午前中は曇だが、関東地方は快晴とのこと。ここに泊まったのは正解だったと喜ぶ。風の音が気になって耳栓をして寝ていたが、夜中に変な音がするので目が覚める。雨漏りした水滴が、銀マットの上に落ちる音だった。小さな容器にティッシュペーパーを入れて黙らせた。
エビス大黒の避難小屋
コースタイム
0637 エビス大黒の避難小屋、0717-32 仙ノ倉山(2026b)、0825-49 平標山(1984b)、0925-1005 平標山の家、1055-1101 大源太山分岐、1116-1216 大源太山、1226-34 大源太山分岐、1244-47 三角山(1685b)、1348-1402 休憩、1343 毛無山(1362b)、1445 浅貝BS
朝、目を覚まして外を見ると昨夕とほとんど変わらず、ガスと風。昨日と同様の天候がつづいているが、そのうち今日の天気に変わるだろうと朝食にかかる。果たして、出かける頃になるとガスが切れて青空を望めるようになった。目の前にエビス大黒の頭がスッキリとした三角形を見せ、行く手にはなだらかな仙ノ倉山。0℃で風があるので薄いシャツを2枚重ね、その上から雨具をつけ、手袋もつけて歩き始める。上に行くにつれ、風はますます強くなり、立ち止まってポールで支えるようなこともあった。目出帽が欲しくなるほどの風だったが、晴れているので気分はよい。予報通り、新潟方面の雲は厚く、山はほとんど雲の中だ。仙ノ倉の頂上が見えるようになると、周りの灌木に朝日に輝く霧氷がついており、アクセントとなっている。
エビス大黒ノ頭の朝 |
仙ノ倉山手前の霧氷 |
頂上には40分で到着。相変わらず谷川岳を含む新潟方面は駄目だが、それ以外の東北東から西北西方面はしっかりと見えている。主な山は、左から燧ヶ岳、至仏山、万太郎山、日光白根山、武尊山、錫ヶ岳、皇海山、袈裟丸山、赤城山、子持山、榛名山、奥秩父、富士山、妙義山、北岳、赤岳、浅間山、佐武流山、岩菅山、鹿島槍、赤倉山、白馬三山、平標山、苗場山。万太郎−谷川−至仏はほぼ直線状に並んでいるのだが、真ん中にある谷川岳だけが見えない。詳細な山座同定は「展望」をクリックしてください。
仙ノ倉山から平標山、苗場山
仙ノ倉山から東側の展望(燧ヶ岳、至仏山、万太郎山、日光白根山、武尊山、皇海山など)
下り始めると、木の階段が続く。濡れた板が薄い氷になっているので、歩きにくいことこの上ない。大した傾斜でないのだから自然の山道のままで不都合があるとも思えないのだが...。平標山への穏やかな道も、高山植物が多いためだろう、木道が敷かれ、ロープの間を歩くようになっている。平標山ではガスがかなり増えてきて、仙ノ倉より眺望は悪くなっている。しかし、天気は悪くなく、穏やかなのでしばしくつろぐ。山の家は見えているが、その先の大源太山などは見えない。苗場のホテルは見えるが、筍山は見えないといった調子だ。ここからも木の階段や木道が多い道を下りる。大源太山がクッキリと見え始め、関東地方は晴という予報通りの気配が濃厚になってくる。小屋について、小屋のおばさんに先の道の様子を聞いておく。外のベンチで中食を食べていると、そのおばさんが出てきて、色々と話をする。遠くの山の名前にも詳しいし、雪の多いときには仙ノ倉から小屋まで直接下りてくるとか、このあとの道にはキジムシロが咲き始めているというように、実際にもよく歩いておられるようだ。エビス大黒という名は、エビスさんと大黒さんの雪型が見えることからつけられたということも教わった。不思議な名前だと思っていた疑問が氷解する。余裕があるので、なんと40分も休んでしまった。仙ノ倉のガスも取れはじたのを潮に腰をあげる。
大源太山の手前に平標山の家。左奥は赤城山
ガスの切れた仙ノ倉山(平標山の家から)
大源太山が刻々と近づく気持ちのよい道を歩き始めると、話の通り、キジムシロやナエバキスミレが道ばたに出てくる。ピンク色のイワナシもいくつか。振り返ると平標山、仙ノ倉、エビス大黒の稜線が間近だ。分岐点で重いものをデポしておき、頂上に向かう。評判通りたいそうすばらしい展望台だった。東俣の頭と俎ーのあいだに谷川岳もはじめてクッキリと見えた。トマの耳と俎ーのあいだからは燧ヶ岳がチョコッと頭を出している。一回りパノラマ写真を撮ってから、三角点に腰をかけ、中食用のスープなどを作りはじめると、三国峠から登ってきたという夫婦連れが着いた。谷川での二人のあとはじめて出会ったハイカーだ。散らかしていた荷物を片隅に片づけたが、彼らは山頂標識や三角点に目もくれず、展望に夢中になっている。あとで色々と話をしたが、大変詳しい人達で、おそらくはここにも何度か来ているのだろう。こちらの質問にすべて明解な答が返ってきた。至仏山の頂上は見えていないが、右側の稜線が見えているといったマニアックぶりだ。黒く三角にみえているのが武尊の剣ヶ峰という話だけは納得できなかった。帰って調べるとやはりそれは沖武尊で、二つある剣ヶ峰は、どちらもが白根山の右手になる。武尊山にはまだ登っていないが、計画だけは2度ほどしたので、頭に残っていたらしい。富士山、奥秩父、南ア、八ヶ岳あたりは仙ノ倉で見たのとほぼ同程度の透明度。白砂から苗場にかけてのとりとめもない山稜も、両方の写真を比べることにより、同定がしやすくなった。
大源太山山頂
エビス大黒ノ頭、万太郎山、東俣ノ頭の右に谷川岳がやっと見えた。
谷川岳と俎ーの間から燧ヶ岳が頭を覗かせている。
ここでも展望とおしゃべりで1時間も休んでしまった。なんと優雅な1日だろう。こちらが下り始める頃、二人は山を見回すのを終えて中食を取り始めた。分岐点で藪の中から荷物をとりだし、三角山に向かう。三角山からも大体似たような展望が得られたが、苗場山の北側を雲にも木々にも邪魔されることなく見ることができた。
三国山や三国街道という旧街道にも興味があったが、頂上で出会った二人に、三国山は面白いですかと聞いたとき、「いやそれほどでも」という答えだったし、国道をバス停まで小一時間歩くのも気が進まなかったので、三角山登山道を下山道に選ぶ。このコースは淡々と下る歩きやすい道だが、花はほとんどない。平標山などはかなり下になるまで見え続けた。毛無山を過ぎた所で、スパッツと雨具のズボンを脱ぎ、スッキリする。
足下に浅貝ゲレンデ、谷にホテル群、向かいの斜面に苗場スキー場が見えてくると、新緑も美しくなってくる。降り立った浅貝は、季節はずれのリゾート地らしく、閑散としている。食事をする所もない。御宿本陣というのがバス停の前にあるが、近代的な旅館で、当時の本陣の面影は全く残っていない。三国峠から旧街道を歩いても、昔の街道風景を味わうことなどは無理だったようだ。街道沿いに無料の足湯があったので、足を清め、温めて気分を一新する。越後湯沢駅でやっとビールとすしの食事にありついた。土産にいくつかの山菜を購入。