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2013. 02. 27 - 28
 七面山



東京での用件の後、西富士宮駅前に宿泊。翌朝05:39の始発電車に乗るつもりだったのに、05:49と記憶ちがいしており、乗りそびれる。次は07:14発で1時間半も待つことになったうえ、下部温泉で下車してもバスはなく、登山口までタクシーに乗る羽目となった。最近このようなミスが多い。足腰の前に頭の老化からはじまったようだ。遅れてよかったことは、夜半から朝にかけて降っていた雨がだんだん弱くなっていったことくらい。


同行: 単独

2013. 02. 27 角瀬BSから敬慎院上へ           

コースタイム

0903 神通坊、0930 七合目休憩所、1042-1112 安住坊、1232-42 明浄坊、1328 雨畑分岐、1246-51 7合目、1400 奥の院、1433-1500 敬慎院・遙拝台、1535-1625 テント設営、1635 P1800+、1650-54 ナナイタガレ展望所、1710 遙拝台、1718 テント場

バス停を通り過ぎ、神通坊の境内までタクシーが入ってくれたので、入口を探す苦労はなかった。しかし、集落の雰囲気を味わいながら登山口へ進むといういつもの楽しみがなくなってしまう。ザックを後のトランクに入れてしまったので、ポールの準備などは下車してからとなる。大失敗に冴えない気分でスタートしたが、歩き始めると山に来た喜びがすぐに忘れさせてくれた。一応雨具を着けておくがほとんど雨は上がったようで、頭上からの雪を防ぐ程度の役割。

グイグイと高度をあげ、15分もすると春木川によりそった角瀬の町がすぐ目の下に見えるようになる。樹には雪が被っているが道の雪は大したことはない。8合目で若中年の単独女性ハイカーが下りてきた。結果的にこの日出会った唯一のハイカー。15合目辺りから雪がうんと多くなると教えてくれた。安住坊(19合目)で中食休憩をした際に一応ワカンをつける。必要はあるようなないような感じだが、邪魔にはならない。この坊をはじめほとんどのものは単なる休憩所といった感じで、宗教色などは一切なかったのが意外だった。ここにあるトチの木は幹周りが7m以上あり、縄文杉を彷彿させる立派なものだった。葉がないので隆々とした骨格が見事だが、葉が繁ってもやはり見応えがあることだろう。




安住坊の大トチの木



歩き始めて3時間ほどで道の傾斜がゆるみ、P1239に達したことが分かる。明浄坊で小休憩。屋根から雪解け水がボタボタと落ちている。それほど温度が高いのだ。この時期に手袋をはめずに歩いているのも納得できる。少し進んだ所で、ワカンに雪のダンゴができて歩きにくくなったので、それを取るために腰を下ろす。ごまかして付けていたバンドの間に氷の塊ができていた。温度が高いので、それを融かすのにそれほど苦労はしなかった。低ければダンゴもできないのだろうが。紐でくくって応急処置をしておく。歩き始めると日が射してきた。水蒸気が蒸発してもやっている所に射す光は美しい。36丁目に雨畑への分岐がある。笊ヶ岳への登り口があるところだ。このように以前に行った所と意外な所でつながりが出てくると、「そうだったのか」と楽しくなる。37丁目で小休止。明浄坊から1時間少し歩いただけでとくに休む必然性はないのだが、単に少し疲れたから。このような休憩はここしばらく経験がないことで、年のせいかなと思わざるを得ない。

やがて奥の院に着く。画家の中村清太郎が戦時中にここで一冬過ごした様子が「ある松の独白」に記されている。ここから身延町飛地で、山の中に等高線が混まない平坦地がひろがっている。ちょうど高野山とそっくりだ。地図で見てみると高野山がほぼ1km、こちらが約0.7 kmと規模も似ている。こちらは車でアクセスできない分、参拝にはそれなりの覚悟が必要となる。目の前がパッと開けるのかと予想していたが、そんなことはなく、普通の山中の伽藍があるだけだった。影響石(ようごうせき)という巨岩が目をひく。敬慎院への道は除雪されているので、ワカンのままでは歩きにくく雪を求めて左右に動く必要がある。脱ぐのも面倒だし、敬慎院を過ぎればまた必要になるので、そのままにしておく。左手に大イチイの樹があるので注意していたが分からなかった。少し寄り道する必要があったのかもしれない。




奥の院の影響石

700年の歴史があるという敬慎院の建物は重厚な造りで、唐破風の下に人物や鳥獣のレリーフが納まっている。屋根には分厚い雪が乗っているが、逆光の日ざしが燦々とふりそそぎ、全く春の陽気である。雪かきをしているお坊さんもなにやら楽しげである。宿坊の中に入っていって水を1.5Lほど貰う。七面山登詣のしおりをもらい、さらには親切に熱いお茶まで出していただく。いろいろの質問にも丁寧に対応してもらう。




敬慎院

目の前の階段を登っていくと、富士山の額縁として有名な随身門があり、幸いなことにきれいに収まっている富士山を見ることができた。そこをくぐると御来光遙拝所で、奥秩父、身延山、毛無山を中心に天子山塊(といっても長者ヶ岳などは雲海の下)、そして正面にデンと富士山が座っている。その右手には愛鷹連峰のうち2つのピークだけ雲の上に頭を出していた。多分左が越前岳。




遙拝所からの天子山塊と富士山
同定は「展望のページ」に


満足して七面山に向かう。すぐの所で右手へ入っていかないといけなかったのに、正面の広い道が除雪されていたので、標識を見落として直進してしまった。モノレール用の施設らしきもののそばに立入禁止の立て札があったが、そのまま尾根を登る。誰も歩いていないところで、急に深い雪に足を取られるようになった。そこで反省すればすぐ右下に登山道があったのだが、気にしないで登っていった。すぐ目の前にピークが見えるがなかなかたどり着けない。この調子では頂上までもいけないのではないかと思い、ちょっとした樹の下の平坦地で終わりとすることにした(結果論だが、無理すれば行けなくもなかったものの17時を過ぎてしまっただろう)。さきほどの施設がすぐ下に見えているが、30分もかかった。重荷、急坂、積雪はそれほど気にならないが、それが3つ重なるともう駄目だ。編笠山ではじめて経験したことだ。施設の上には間ノ岳、北岳が見えている。いつもは北岳より間ノ岳の方が好きな位だが、この方角で見る北岳は間ノ岳に比べて姿がよく、これなら南アの盟主でもかまわない。




間違って登り始めた尾根から白根三山を望む




途中で断念した地点
(写真では簡単そうだが、ここからテントの所へ行くだけで一苦労)


テントを張り、コーヒーを飲んでから、ナナイタガレでも見ておこうと散歩にでる。すぐ目の前のP1800+まで空身なのに10分もかかった。(翌朝、トレースを辿って登ったときはテントを担いでいても4分だった。テントを張る前に、空身でラッセルだけして、荷物を取りに戻るということもあり得たかもしれない。ピークからガレ場に方向に下りていくと、右手に踏み跡らしいものが見えた。もちろんそちらに合流する。前の週末に歩いたといった感じのトレースだった。足跡はないが、窪みが続いている。ナナイタガレはすぐだった。トレースからはずれて左手に行くと大きなガレ場がすぐ目の前に見えた。岩と雪のミックスした急峻な斜面を目の前にしていると北アルプスの山にいるような気になる。耳が悪いにもかかわらず、岩の崩れる音は絶え間なく聞こえてくる。少しウロウロして見晴らしのよい崖っぷちまで行く。足下がズボッと潜るたびに、このまま崖崩れを惹き起こして一緒に落ちるのではないかと思ってしまう。




ナナイタガレ


来た道を帰るのが最短とは分かっていたが、まちがった所を確かめるため、トレースを辿って戻る。2度のミスが重なっていたことが判明。資材置き場から登り直してテントに着くまでの時間は先ほどの1/4程度の8分。夕食は定番の鍋物だが、少し飽きてきた。−1℃程度で、カイロを使うこともなくよく寝られた。



2013. 02. 27 敬慎院上から七面山、希望峰。表参道を下山  

コースタイム

0644 テント場、0648 P1800+、0804-20 七面山(1982)、0932-1000 希望峰(1980)、1041 最高峰分岐、1052-1106 最高峰(1989)、1115-52 七面山、1235 遙拝台、1244 和光門、1312 晴雲坊、1337-47 29丁目付近の展望所、1409 中適坊、1435-45 16丁目、1451 肝心坊、1541 神力坊、1556 登山口、1606 春木屋別館前

4時過ぎに起床する。星はないが月がぼんやり出ている程度。−5℃まで下がっていた。餅と前夜の素麺の残り、ソーセージ、オクラをスープに入れて朝食。テントには対して結露もなく、その撤収に手袋を使う必要もなかった。出発時にもにシャツ2枚だけという気楽さ。前日のトレースを辿って、すぐ目の前のP1800+まで4分で登った。前日は空身なのに10分もかかった。すぐ目の前のP1800+まで空身なのに10分もかかった。テントを張る前に、空身でラッセルだけして、荷物を取りに戻るということもあり得たかもしれない。この日はここからの富士山は見えていない。ナナイタガレからは新しいトレースを作っていくことになるが、下は一応踏まれているので、かなり楽ではある。何カ所か急斜面があったが、やはりそのような所では三重苦に悩まされることになる。100mほど登ると傾斜はゆるみ、頂上までの気持ちよい散策を楽しむ。途中で富士山の頭が覗いたので、邪魔な木がない場所へ数歩動いているうちにまた隠れてしまった。その辺りにはあちこちでテントを張れそうな所があった。

頂上には標識もあり、広々としているので気持ちがよい。ひょっとしたら八紘嶺まで行くこともあり得るかもしれないとここまでザックを持ってきたが、七面山への急斜面での苦労や、希望峰方面へのトレースも全くないので、躊躇せずに断念する。




七面山頂上


少し下ったところにザックをデポして希望峰に向かう。さらに少し下ると最高峰へ行くのによさそうな地点があったので、印をつけておく。逆方向に戻ってくると多分気がつかないで通り過ぎるだろうから。七面山まではトレースが窪みとして認知できたが、それ以後はよくて細い筋程度、ないところは皆無だったので、頻繁にあるマーキングがなければ本格的なルートファインディングをすることになっただろう。地形はやや複雑そうだった。空身でワカンを着けているのに膝までもぐることがしばしば。深い所では1mほどもあったが、まあ大体は50cm程度の積雪。行く手にピラミッド状の希望峰が見えてくる。そして三ノ池の窪み。サルオガセが朝日に照らされてやわらかな色合いを見せている。やがてピラミッドの登りとなるが、荷物があると大変な苦労になるところだった。頂上近くになると南アの方がチラチラと見え始めるが、頂上での楽しみのため、見ないようにする。

希望峰からの展望は評判通りのすばらしさ。大谷嶺、山伏、大無間山、青笹、光岳、茶臼、青薙、上河内岳、南(稲又),聖岳、布引、笊ヶ岳、小笊、荒川岳、悪沢岳(生木割)、這松尾、塩見岳、間岳(西農鳥)、北岳、七面山。東側を見ると富士山が見え、毛無山も雲海に浮かんでいる。展望用に一部が伐採されているのだろう。親切なのかどうなのか判断に迷うところだ。時間を気にせずにゆっくりと眺めておられるのも、先へ進むことを諦めたおかげだ。




上河内岳、南岳(手前に稲又山),聖岳




塩見岳、西農鳥岳、間ノ岳、北岳
同定付きのパノラマ写真は「展望のページ」に



苦労して登った所をあっという間に下り、あとは徐々に登り返し、先ほどマークして置いた所から最高峰に登っておく。三角点と最高峰が違うところはよくあるが、ここは7mの差があるだけ。頂上はやや広々としているが、とりたてて特徴はない。




最高点(1689m)

七面山に戻り、のんびりする。展望がないと皆さんが書いておられるが、全くないというのでもない。多分、木々の間から北岳と悪沢岳が見えたと思う。春山の陽気なので、木の陰で日射しを避け、バーナーを取り出して、まず紅茶を沸かし、ソーセージを焼きながら、クッキーを食べる。もう少しなにかをと考えながら時間を計算する。最近、のんびりしてミスすることが多いので、やや慎重に計算する。下りがどのようなものか見当がつかないので、余裕を見た方がよいと急いで中食を終わりとする。

下りは早い。40分ほどで遙拝台まで戻ったが、これは昭文社のCT通りだったので、その後の見通しが明るくなる。表参道から帰ることにするが、こちらでは何人もの人とすれ違う。沢山歩かれているので、道が凍っている。この日は暖かいのでましだが、これで零下5℃にでもなれば、大変だろう。少しだけワカンのままでと思ったが、いくら経っても脱げるようにならない。もちろん雪は少なくなるので、ワカンではだんだん歩きにくくなる。アイゼンの方が楽だろうが、付け替えるのは面倒だ。29丁目のすぐ上に景観の広がるところにベンチがあったので、休憩する。左端に間ノ岳、北岳、そして今回初めての鳳凰山、櫛形山を見ることができた。霞んだ奥秩父、毛無山、そして手前に身延山がある。




和光門




白根三山の右手に鳳凰三山。右手前は櫛形山(29丁目で)


16丁目まで下りた所でやっとワカンとスパッツをはずして清々する。無理な体勢で歩いていたためだろうか、このあたりから腰痛がはじまった。こんなことは初めてで、前屈みになるとましだが、背中を反らすと痛みが走る。坂道でなくなれば痛みもなくなるかと登山口に降り立つのを楽しみに歩く。肝心坊でやっと人の気配があり、営業は終了したとあったが電灯もついていた。登山口に近い神力坊は営業中だった。登山口で白糸滝をチラリと見ただけで、痛みをこらえて歩き始めたが、数百mほど行ってギブアップ。時間はたっぷりあるので、普段なら問題なく歩く距離だが、そんな気になれなかった。角瀬から白糸滝までは参拝登山客がよく使うタクシーを呼び、角瀬のバス停まで送ってもらう。バス停で荷物を置くと、もう痛みはなくなり、帰宅まで問題がなかった。弁当を買う機会もなく、静岡駅まで来てしまう。駅の改札口のすぐそばにあるショッピングセンターで弁当を購入。




登山口のそばにある白糸の滝



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