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13. 2. 1  
辻川山・住吉山・八千種山



いつものことだが、朝になって突然どこかに行こうと女房殿が言い始め、色々な案内図を調べる。以前にYHで行ったが都合で参加できなかった福崎町を歩くことに決める。歴史もあるし、三獅子山という山もある。YHの案内でも、JRの駅からはじまるハイキングマップでもよく分からなかったが、あとで調べると三獅子山というのは、辻川山、妙徳山、大門宮山のことを言うらしい。実際に歩いたのは辻川山、住吉山、八千種山だった。


同行: 女房殿


コースタイ

1028 福崎駅、1107 大塚古墳、1128 鈴の森神社、1134-37 辻川山(120+)、1140-1340 神崎郡歴史民俗資料館・柳田國男松岡家顕彰会記念館・柳田国男生家・もちむぎの館・改修中の三木家、1353 桜上池北端、1422 松永神社、1442-52 住吉神社、1500 八千種慰霊塔入口、1505 慰霊塔、1515-18 住吉山(200)、1542 八千種山(257)、1600 給水塔、1624 国道23号、1720 福崎駅

大塚古墳などを見るため少し遠回りして鈴の森神社へ。ここには樹齢1000年というヤマモモの大木がある。その裏が文化施設のある場所。見学の前にまずは辻川山へと足を進める。ここは民俗の森展望台があり、町を見下ろすことができる。午後に行くことになるとはそのときには思っていなかった住吉山から八千種山への稜線が見えていたが、それは帰ってから調べて判ったこと。三獅子山の残りの二つは見えていなかったようだ。





辻川山の展望台



すぐに下山して、資料館にいた女房殿と合流する。『播磨国風土記』に描かれてある地名由来のエピソードが個性的なマンガとあわせて展示されているのが興味深い。となりの柳田國男松岡家顕彰会記念館では松岡家の5人の兄弟のことが紹介されている。遠野物語を通して柳田國男のことは少し知っていたが、その兄弟がそれぞれ別の分野で歴史に名を残している英才揃いの家だったことや、松岡映丘が柳田国男の弟であることなどははじめて知った。昼食は特産品であるモチムギの麺。モチムギ自体は美味とは思わなかったが、ランチのコストパーフォーマンスは最高。大庄屋三木家の改修現場を覗いてから、そのまま帰るという女房殿と別れる。

JRの駅からはじまるハイキングマップを反対向きに辿りはじめ、桜上池あたりで、住吉山を認める。ハイキングルートは住吉神社を経てそのまま大善寺、岩尾神社(大門宮山)、神積寺(妙徳山)を経て、辻川山に至るのだが、そのマップでは住吉神社のすぐ上が住吉山となっていたので、ついでに登ることにした。そのときはこれも三獅子山の一つかもしれないと考えていたこともある。ところが、神社の周りをいくら探しても登山道などはない。たまたま草刈りの仕事をしていた人がおられたので聞いてみると、少し戻った所にある八千種慰霊塔への道を登るのだと教えてくれた。「その続きで縦走できるか」といったことも聞いたが、かなり的確な情報をもらえた。





桜上池から八千種山(左)と住吉山(右)


慰霊塔を通り過ぎて、少し急な坂を登るので、下りのために杖になる木の枝を調達しておく。住吉山の頂上からは街並みや溜め池、背後の低山などが一部見渡せるが、しっかりした地図もないので見当がつかない。ここで引き返すと三獅子山廻りができたのだが、折角だからとしっかりとした道が続いている東の方向へと足を進める。いくつもの小ピークを越え、いくつもの分岐をやり過ごし、やがて三角点のある山に着く。名前は判らなかったが、あとで調べると八千種山だった。その後しばらくして分岐点。右手の道はしっかりしていたが、間違いなく駅とは遠くなる。左手は多少薄かったが赤いペンキがあちこちに塗られており、方向も北を向いているのでそちらに下りる。ここもやや急な所があり、杖が役に立った。中国道の加西SAを見下ろすところに出た。給水タンクがある。かなり駅からは遠いところのようだが、まずは一安心する。登山口からちょうど1時間のハイキングだった。気分のよい里山歩きができた。





住吉山



少し下っていくと工事現場があり、人がおられたので道を教えて貰う。どの辺りにいるかがやっと分かった。1時間20分の舗装道路歩きで駅に着く。





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