2012. 04. 23-25 二ツ岳・エビラ山・東赤石山
3月に長崎で仕事があった。九州の山もかなり行ったので、四国の法皇山脈に寄り道することを考えた。しかし、直前になって風邪をひき、日帰り登山で英彦山に行くにとどめた。今回、そのときに調べておいた資料をもとに法皇山脈を東から西に縦走した。
同行: 単独
2012. 04. 23 小美野から峨蔵越まで |
コースタイム
1041 小美野BS、1059 山道へ、1128 林道へ、1223-53 登山口、1420 峨蔵越
初日は次のバスでもなんとか峠まで登ることができるが、やはり余裕がある方がよいので、6時前に家を出る。伊予三島駅からのバスは金砂湖や富郷ダムなどを巡るなかなか気持ちのよい道を走っていく。所々に春の花が咲いている。予約が必要な地域バスだが、いつものように乗客は一人。給油のため小美野のガソリンスタンドに入ったところで降ろして貰う。普通は肉淵から車で林道を登る人がほとんどで、林道をクネクネと歩くのはごくわずかの人のようだ。だが、地理院地図には小美野からショートカットできる道が書いてあるのでそれをトライしてみる。バスの運転手さんもスタンドの人もそのようなことは知らない。地図の道を登っていくと、やや現状と違っているが、行き当たりの民家の横から予想通り見回り道のようなものが始まっていた。民家に大声で吠える放し飼いの犬が3匹おり、追い立てられるように、靴ひもも締めないままに登り始める。そのうちの1匹は少し上までついてきたが、最後は道案内のような穏やかな顔になっていた。竹林が終わると植林された杉林になり、ポールが役に立つほどの傾斜になる。県道から40分で林道に登り着く。早かったのか遅かったのか微妙な所だ。
しばらく同じような植林の道を進むが、突然植林がなくなり新緑の雑木が両側に広がった場所にでる。なんという違いだろう。心が浮き立ってくる。ヤマブキ、ハルリンドウ、アオイスミレ、ハコベ、シロヤマブキ?、カキドオシ、ツバキ、アケボノツツジ、ヤマザクラが次々と迎えてくれる。近くで見るアケボノツツジはそれほどの好みではないが、遠くに新緑の葉にまじって楚々と咲いているのは好ましい。大木谷を流れ落ちる滝も、前日の大雨のため水量が豊かそのもの。山中でも水の心配をしなくてもすみそうだ。やがて登山口に着く。大きな案内板、登山届入れがあり、登り口は階段になっている。ひなたにいると暑いくらいの陽気で、日陰を選んで腰を下ろし、少し遅くなった昼食をとる。
ここから峨蔵越までは370bほどの登り。出発して15分ほどで尾根に乗り、P1340に連なる東側の尾根が木の間越しに見える。木に葉がつくと見えなくなる景色だ。最初の水場には、すっかりトウがたったフキノトウが咲いていた。カンスゲも見られた。上の方でなにかの鳴き声がしたが、蛙かもしれない。登山口から50分で水量豊かな水場にでる。これは雨のあとでなくとも使えるという水場だろう。この日3匹目になるアオダイショウがまだ冬眠から覚めきれないのだろうか、じっとうずくまっていた。3度目のか細い水流のあと、最後のしっかりした水場が出てきた。ネットには、一番水量の多い水場と書かれているが、今回は下の流れの方が多かった。ここから峠まではホンの2-3分だった。これほど便利な水場はあまり記憶にない。テントを張り、米をとぎ、コーヒーを飲んでから少しだけ東側の踏み跡をたどって高みに登る。赤星山がぼんやりと見える。二ツ岳方面もいくつかのピークが並んでいるが、頂上が見えているのかどうかは定かでない。
そのあと、つっかけのまま水汲みに行く。水場のすぐそばに快適なテント場があるのに気がついた。峨蔵越より広く、平坦で水場にも近い。惜しいことをした。夕方も15℃、暗くなると下界の街の灯がすぐ下に見えた。土居あたりなのだろうか。翌日も好天との気象情報を聞きながら寝る。
明るい峨蔵越
2012. 04. 24 峨蔵越から赤石山荘へ |
コースタイム
0557 峨蔵越、0653 鯛の頭、0732-47 二ツ岳(1647b)、0838 イワカガミ岳(1673b)、0904-14 ピークで休憩、1050-1125
エビラ山(1677b)、1300-16 黒岳(1636b)、1440-50 休憩、1525 権現山(1594)、1541 床鍋分岐、1546
大森越分岐、1601 権現越、1640 東赤石分岐、1735 瀬場分岐、1742 赤石越分岐、1807 赤石山荘
03:50に目が覚めてしまったので、起きあがり食事の準備をする。3℃まで下がっていた。出発は05:57。最近では久しぶりの6時前の行動開始だ。歩き始めてすぐに日の出となった。シャクナゲ、アセビ、ヒノキその他の木々の間を登っていく。山頂まで1kmという標識のところで視界がひろがった。赤星山の左右にきれいな裾が伸びている。東南方向には白髭山などの峰々が幾重にも重なっている。行く手にはP1580+と二ツ岳、その手前に鯛の頭が見える。厳しい山という雰囲気は全くない。峠から1時間で鯛の頭という標識に到る。振り返るとそれがシルエットとなって聳えている。そのあとで「ここから先は命がけ」という有名な標識があったが、むしろそれ以前の方が厳しかったように思う。峠から1:35で二ツ岳頂上に着く。山渓のアルペンガイドでは1:20とあるが、荷物のことを考えるとまあまあかなと思った。南側の岩場からの展望を楽しむ。南側に東光森山を中心とした稜線が続いている。そして右の方へと頭を動かすと、三つの峰からなる東赤石山、台形のエビラ山、三角形の黒岳といったこれから歩む峰が並んでいるのを初めて目にする。目の前にコガラらしい鳥がとまるが写真を撮らせてくれなかった。遠くにはワシのような大きな鳥が翼を広げていた。
鯛の頭を振り返る(背後は赤星山)
二ツ岳から東赤石山、エビラ山、黒岳を望む(左から)
しばらく休んだあと、エビラ山への素直でない稜線歩きが始まる。「あまり稜線から離れないように歩くとよい、危ないところになるとそれは間違っているので戻るとよい」という案内を読んでいたので、その通りに歩く。ルートファインディングというよりは、テープファインディングをするだけなので面白さがない。ロープを頼って急坂を登り切るとピークに出た。イワカガミ岳という標識がある。自信はないが、これと先ほどの二ツ岳を合わせたものを二ツ岳というのではないだろうか。そのように見えるところもあった。エビラ山が少しだけ近づいた。しばらく行くとまたそこそこのピークになり、エビラ山がまた少し近づく。どこかでツツドリが鳴いている。ウグイスの声はあちこちで聞こえる。まだかなり時間がかかりそうなので、一息入れる。暑いことは暑いがなんとかしのげる暑さだ。花をつけたマンサクの木を一本だけ見る。休憩から1:35でエビラ山に着く。1670bと1677bという標識があったが、後者は稜線から少し離れた南側のピークだろう。いつもより少し食欲がなかったが、一応昼食をとっておく。山渓のガイドブックのCTはとんでもなく早足のCTになっている。とても普通の人を対象にした市販品とは思えない。往復で2:40とあるが、こちらは二ツ岳からエビラ山まで0:10の休憩を差し引いて3:10かかった。とくに大きな道迷いをした覚えもないし、岩場で苦労をすることもなかったので、高齢、重荷を差し引けば、元気な若者でも普通なら片道2:00はかかるだろう。
少し低く見えるようになった黒岳を目指して下り始める。大きな岩が立ちはだかり、それを巻いて歩くというパターンに変わりはない。黒岳まで1:30かかった。なかなか眺めはよい。赤星山、イワカガミ岳、二ツ岳、エビラ山が後に大きく、前方には権現山、東赤石山が大きい。東赤石山の左のP1700+も東赤石山と肩を並べるようになった。エビラ山との中間あたりで休んでいる人の姿が遠くに見え、そのうち追いつくかなと思ったが、結局その後、姿を見ることはなかった。
権現山までも、大した上り下りではないがいくつものピークを越えていく。だんだん雰囲気が変わり初め、ササ原をかき分けていくようになる部分が増えてくる。権現山を越えると、クロヅルやスズタケをかき分けるようなところはまだあるものの、もう岩山が前をふさぐといったことはない。色々と分岐点が現れ、一般コースの領域に入ってきたらしい。といっても、この山行も3日とも一人の登山者にも会わなかった。気分のよい権現越を上から眺めるとテントを張りたくなるが、水がどこに、どの程度あるのかが分からない。少し立ち止まっただけで前へ進む。
権現越
頂上経由と巻道の分岐点までは予想外の結構な登りで30分かかった。分岐点の標識には頂上50分、山荘70分とあった。16:40という時間だったので、この日は東赤石山をあきらめ、巻道で山荘に直行することに決める。必然的に翌日の銅山越までの縦走をあきらめることになる。権現越から赤石越の分岐まで1:40かかったが、これも山渓ガイドでは0:45と半分以下となっている。この間途中にあるヒメコブトリハダゴケの模様、南側の暮れゆく山並み、赤く染まる八巻山などを楽しみながら写真を15枚ほど撮っているが、夕暮れも近づいているので、それほどのらりくらりしていたわけではない。ガイドブックは、なにも楽しまずに早足で歩く人だけを対象にしたらしい。
山荘に着いても人影はない。ドアも開かない。裏手に回ると水槽があるが、使えるような状態ではない。ただ、か細いながらもしっかりとした流れがすぐ脇にあり、水には苦労しない。きれいな水を2Lほど汲んでから指定されたテント場に向かう。よりどりみどりなので、平坦で邪魔モノのない場所を確保できたが、混んでいるときはやや快適ではない場所に当たるかもしれない。かなり暗くなってからの食事となったが、今回初めて使うLEDのヘッドランプは具合がよい。電池が早くなくなったり、ランプもときどき切れたのに愛想を尽かして、買い替えたのだが、もっと早く替えておけばよかった。
2012. 04 .25 東赤石山、石室越を経て別子山支所まで |
コースタイム
0700 赤石山荘、0720 赤石越分岐、0732 赤石越、0742-0828 東赤石山、0901-08 八巻山、1017 石室越、1035-1124 赤石山荘、1252 支沢ルート分岐、1316 瀬場分岐(豊後)、1327 筏津、1340
別子山支所
この日は頂上へ登ってから石室越経由でもどり、最短距離を下山するだけなので、目が覚めたときに起きるという気楽な1日。ツツチュツツチュといった鳴き声がするが姿は見えない。7:00に出て、軽い荷物だけで前日の道を戻る。前日よりは明瞭な平家平、冠山、さらにその右手のゴツゴツした伊予富士が見えている。その奥には手箱山、筒上山が顔を見せている(これは帰ったあとで検討して分かったのであって、当日は伊予富士がまでは分かったがそのうしろの手箱山、筒上山までは気がつかなかった)。石鎚山も笹ヶ峰の右に霞みながらも見えている。巻道から赤石越まではすぐで、右折して頂上に向かう。突然アルペン的雰囲気に変わったと思ったら、すぐに頂上だった。橄欖岩の上にやや無粋な山頂標識があり、狭いこともあったので、三角点があるという東の方に移る。両峰の間にはかなりまとまった残雪が見られた。東の峰は広々としており、マツ、ヒバ、シャクナゲ、ツツジ科の低木がある。展望もはるかに優れていた。西側が先ほどの峰に遮られる以外は360°だ。食事もしないのに45分もゆったりと展望を楽しんだ。西の峰に戻り、今度はそこから西側を展望しておく。笹ヶ峰、石鎚山、沓掛山の三角峰、黒森山、少し手前の三角が西赤石山、八巻山のまうしろにピラミダルな頭を出しているのが物住頭、その右に上兜山、下兜山。
東赤石山から赤星山、黒岳、エビラ山、二ツ岳の展望(左から)
大満足して八巻山に向かう。橄欖岩の岩で全山ができている。頂上にはおよそ似つかわしくないステンレス製の祠が建っていた。10年ちょっと前のものだったが、これなら半永久的にもつことだろう。左下に赤石山荘の赤い屋根が見え、直接下りることもできるようだったが、石室越へと足を進める。P1682を正面に見て、左側へ下りるが、下りすぎて引き返すはめに陥る。二度ほど行きつ戻りつし、最初の尾根にでるとなんと赤ペンキでルートが示されており、問題なく予定通りに進む。少し下りた所にあった赤ペンキに惑わされてしまったらしい。登山道はこのピークは巻いていたが、念のため上まで行っておく。なにもなかった。そのあと、色とりどりのエクロジャイトが落ちているところがあった。鮮やかな色だ。石室越への道も低木やササに覆われてやや曖昧になっている所もあり、これがメインルートかと少し驚く。
八巻山付近の橄欖岩(後に西赤石山と物住頭のピラミッド)
石室越からの下りはもう何も問題はない。いくつかの特徴のある石があった。テントについて、片づけ、お茶を飲みながらゆっくりと軽い昼食をとる。ここでもう一度時間を計算する。赤石越から八巻山が0:23、石室越から赤石山荘に0:18。いずれも、空身で、なんの問題もないコース。それが山渓のガイドブックでは、0:15と0:10となっている。またしても大差である。これではバスに乗り遅れるかもしれないと急に心配になり、下山にかかる。
瀬場谷を下っていく。なんどか沢を横切り、アケボノツツジ、スミレ、タムシバなどの花、色々な形の滝、変わった岩石などに目をとめるが、それほどのんびりせずに急ぐ。もう一つの登山道との分岐点まで下りて、時間を見ると、CTの1:00に対して1:30。荷物があるといってもほとんど問題にならないはずなので、ますますあせってくる。そのあとこそ、CTで歩こうと脇見もふらずに県道の筏場まで急ぐ。別子山支所を13:50にバスが出ることだけは知っていたので、なんとか間に合う時間に筏場についた。分岐から筏場まで、あれほど急いだのに、CTの0:30に対して0:35かかった。これではガイドブックの役を果たしていない。バスはもっと東から出ていて、降り立った筏場からも乗れたのだが、調査不足で知らなかった。それを知ったのは別子山支所からバスに乗ってから。支所から一緒に乗った土地の人と色々と話をしながら新居浜へ。
瀬場谷
指に怪我をし、むきだしの腕に沢山のひっかき傷ができていたのは当然として、あちこちが赤く腫れており、かゆみがある。皆さんが言っておられるササダニにやられたのかと皮膚科に行ったがちがったようだ。