トップページへ      地域別索引へ     近畿索引へ      年次別索引へ



2011. 05. 05
- 08 高見山・池木屋山・馬の鞍山 



白馬から親不知への縦走を考えていたが、うまくスケジュールを作ることができず、その代わりに考えたのがこの台高縦走。何故このコースを考えたかを思い出せない。2月に三峰山に登り、こちらの山々を見ていたときには考えていなかったことは確かだ。いつもは考えついて準備にかなりの時間をかけるが、今回は一週間程度で調査し、準備をしてしまったのは珍しい。調べるにつれ、この山域の魅力にどんどん引き込まれた。


同行: 単独

 

2011. 05. 05 高見山から明神平へ  

コースタイ

1005 高見山杉谷登山口、1058 小峠、1115 平野分岐、1158-1221 高見山(1248b)、1253大峠、1343 雲ヶ瀬山(1075b)、1403-10 南タワ、1457 ハンシ山(1137b)、1512 地蔵谷頭、1540-53 伊勢辻、1558 伊勢辻山(1290b)、1623-59 赤ゾレ山、1713 馬駆ケ(場)辻、1728 馬駆ケ場、1746-56 国見山(1419b)、1817 水無山(1414b)、1830 明神平

最初は、たかすみ温泉から登り始めるつもりだったが、杉谷の登山口からの方が30分ほど短いことが分かり、予定を変える。それほど余裕のある日ではないので。面白いことに、バスはたかすみ温泉まで行ってから、杉谷出合まで引き返して(この間料金が下がり続ける)、改めて杉谷に向かう。登山口で下車して、運転手の指示通り少し引き返す。シャクナゲが咲く階段ではじまる登山道があった。日帰りの人と2人だけ。どんどんと先に進まれ、こちらはゆったりペース。やがて右手にこれから歩く雲ヶ瀬山やそれにつづく稜線が見え始める。どこに何が見えているのかがなかなか分からない。一瞬高見山が見えたと思ったが、すぐそのうちしっかりと見えそうなので、写真も撮らなかったが、その後は全然顔を見せてくれない。アセビの新芽が目につく。林道の走る小峠につく。

小さな鳥居をくぐって階段を登る。先ほどよりは傾斜のある斜面だ。ノジスミレが一輪。たかすみ温泉からの道と合流する。枯れた雑木林の尾根を辿る。途中に名前のついた岩などが色々とあり、その由緒の説明がある。

やがて霧氷登山を調べていたときによくネットサイトで見た頂上の小屋が見えてくる。その屋根の上は休憩所になっていて、3グループが食事をしていた。まずは、これまで歩いた曽爾高原の山々と三峰山を見るために、神社のある頂上に向かう。完全に透明というわけではないが、尼ヶ岳、大洞山、学能動山なども見えている。大けがをした古光山の存在感は薄い。冬の霧氷の時期に三峰山からの縦走を考えたものの、自重した稜線も縦に連なっており、いつかは再考してみたい。北側、東側を終えて、避難小屋の屋根に移り、地図を広げながら、昼食とする。バスで一緒だった人の隣に腰掛けて、いい眺めですねと言い合う。迷岳から池木屋山への山並みも次回の課題。池木屋山、千石山、明神岳、水無山、国見山、赤ゾレ山、薊岳、伊勢辻山、大普賢岳、ジョウブツ山、コウベエ矢塚、白屋岳、コサウラ、四寸岩山と並んでいるが、帰宅後に地図と写真を眺めてやっと同定ができた。とくに、千石山、明神岳、水無山、国見山は同じ高さに並んでいるので分かりにくい。大峯の山は、小屋の上にあった同定盤を見てやっと分かるくらいのぼんやりした姿だった。西側には、竜門山、音羽三山などが見えており、その後にあるはずの金剛山、葛城山は残念ながら見えなかった。竜門山の左手に霞んで見えている最も遠い山が多分高取山(584)。

少しずつ、大峠からのハイカーもやってきて、あちこちで弁当を広げはじめた頃、南側の大峠を目指して下山をはじめる。もっともっとゆっくりしたい所だが、それほどの余裕はない。さきほどは新芽だけだったアセビがたくさん花をつけており、スミレやよく分からないサクラのような白い花、ムラサキヤシオも咲いていた。如何にも南面の斜面にきたという感じが強い。家族連れも幾組か登ってきた。ベンチのある休憩所からも台高の稜線がきれいに見える。頂上からの展望と違うのは薊岳が隠れてしまったこと。すぐに大峠(高見峠)につく。何台かの車やバイクが止まっており、トイレもある。ここらあたりを中央構造線が走っていて、これからはその南側の四万十帯、秩父帯の領域を歩くことになる。大峠でもその変化が分かると書いている人がいたが、分からない。




高見山からの下山路(正面に三峰山)




池木屋山(左側奥)方面への稜線(真下に大峠の駐車場)


駐車場の奥に登山口があるが、すぐ前に大型のバンが停まっていたので分かりにくかった。登山届の箱が目について、やっと分かった。ここからは、連休中と言えどほとんど人に会わない静寂の地だ。適当な涼風も吹き、暑からず寒からずの快適な空気の中を南への道を辿る。はじめは桧の植林の中を歩くが、10分ちょっとで突然、新緑の疎林に飛び出す。なんという開放感か。雲ヶ瀬山の頂上で大又から来たという若者とすれ違う。大又でバスを下り、高見山を越えて最終のバスに乗るらしい。そのようなコースが組めるとは思いもしなかった。こちらは止まらずに前進する。10分ほどで眺めのよい所にでた。竜門岳、音羽三山やその右手の低山までよく見えたが、山名までは分からない。うしろを振り向くと高見山が右裾は隠れているものの、初めてしっかりとした姿を見せてくれた。南タワでも展望があるが、視野が狭いので、なかなか同定できない。一面に伐採された大木が転がっているところを、フィールドアスレチックのような感じで通り抜けると、ハンシ山が目の前に現れ、その先の山々も眺められるよい場所にでた。ハンシ山、地蔵谷の頭、伊勢辻を通り過ぎ、伊勢辻山に登り着くと、目の前に薊岳の稜線が現れる。かすかに大普賢岳、その右にジョウブツ山。目を左に転じると、アセビの花の向こうに、明神平かと思われる草原が見え、そのさきにいくつものピークが見える。これだけ近くになっても、どれがどれかよく判別できない。北北東に見えるピラミダルな山は高見山で間違いないだろう。




ハンシ山の手前から国見山を望む




伊勢辻山からアセビの先に国見山、水無山


赤ゾレ山に向かうと、背の高い細い木の下に、低い灌木が目立ちはじめる。昭文社の地図には、赤ゾレ山は右側を巻いて進み、小池のあとの馬駆け辻で東に進むと木梶山への道となると書いてあるが、赤ゾレ山という手製の札を見たので、多分巻いていない。




赤ゾレ山から国見山と明神前山


赤ゾレ山のあとで東南の尾根に進まないといけないのに、東尾根に入ってしまう。結構立派な踏み跡やマーキングもあったので、方向がおかしいと思いつつ、進んでしまった。ここでは主稜線ではみなかったシカの糞を沢山見かけたのが不思議だった。ついに方向が北を向き始め、これは完全に間違っていると気がついたが、36分ものロスとなった。戻ってしばらくして小池を通り過ぎ、馬カケ場辻という立派な標識。さらに15分進むと馬カケ場という標識が地面の上に置いてあった。いかにもそれらしき広場である。もう国見山が目の前に迫ってきている。17時半なので、日も弱々しくなっているが、まだまだ明るく、全く心配はない。国見山の登りはブナがまばらにある優しげな斜面で、コバイケイソウの新芽が沢山顔を出している。




コバイケイソウ新芽の穏やかな稜線


国見山頂上は名前に相応しくなく、展望はない。大小の石灰岩が散らばっており、ヒカゲノカズラが伸びている。ここまで来ると先は短い。2時間ほど歩いたので、小休止する。そのあとも、気分のよい疎林の中のプロムナードで、やはり弱々しい西日が心を和ませてくれる。18時を過ぎているのに、こんなにゆったりとした気持ちで歩けるのは本当に珍しい。日が長いおかげだ。いくつか小ピークがあり、最後の水無山からは、樹間越しにいくつかのピークが見え、少し進むと三ッ塚分岐や前山に抱かれた明神平の広がりが、下の方に見えてきた。




明神平を見下ろす(右に前山)


すでに3つのテントが張られ、住人達はすでに食事を終えて、優雅なひとときを過ごしている様子。屋根付きのテーブルと長椅子が空いていたので、そこを根拠地と決める。テントサイトはよりどりみどりだ。少し遅くなってもまだ明るいだろうからと、まずは残りの水でコーヒーを淹れる。真っ赤な夕日が沈んでいくのを近くのテントの人達が写真に撮っている。その後、テントを張り、水場の場所を聞いて、汲みに行く。大豆生の方への登山道を少し下りた所の左側に沢が流れていた。帰ってくるとすっかり暗くなりはじめ、それから食事の支度をした。この日はご飯を炊かず、鍋物にうどんを入れるメニューにしていたので、時間の節約になった。テントの中でランプを消したのは20:20とこれまでに経験したことのない遅さだった。寝る前も、夜中に起きたときも、満天の星空を満喫した。久しぶりの天の川。



2011. 05. 06 明神平から霧の平へ  

コースタイ

0618 明神平、0642 三ッ塚の分岐、0654 明神岳、0757-0808 千石山(1380b)、0938-48 赤倉山(1394b)、1013 千里峰、1031 奥の平峰、1038 霧降山、1120-50 池木屋山(1396b)、1221 ホウキガ峰(1346b)、1449-1507 弥次平峰(1274b)、1623-1650 霧の平の手前のテン場(この間霧の平150b前まで偵察)

目覚ましをマナーモードにしていたため、5時まで寝坊した。夜中は2℃まで下がっていたが、朝は5℃程度。この日の朝食も、いつもより簡単にして、パンと具入りのスープで済ませる。これは正解かもしれない。1時間半もしないで、出発できたのはそのためだろう。30分ほど前には、近くのテントの3人組が池木屋山の方へ、テントをそのままにして出かけていった。この日も、出だしからミスが出る。三ッ塚分岐の標識が早く出過ぎていたためもあり、桧塚奥峰へという指示を遠くに見て、これは間違ったかなと引き返した。右手の方へ少し進んだがやはり違っているので、元の道に戻る。もっと上がった所に本当の三ッ塚分岐があった。11分のロス。振り返ると国見の左に伊勢辻山の稜線が見えている。




朝の明神平を振り返る


明神岳からは美しいブナの林の中を歩く。笹が生い茂るという笹ヶ峰は分からずに通り過ぎたらしい。次のピークにも笹がないので不思議に思ったが、もう千石山だった。明神岳、千石山、その他からも樹間からいくつかのピークが見えるが、本当に難しい。前方にピークが見えても、名のあるものかそうでないかも区別がつかない。同じ程度の高さのものが沢山あるので、よほど通わないと馴染みになれないのかもしれない。ミヤマシキミの花、ヒメシャラの木肌、タムシバ、オオカメノキなどが咲き、コルリが囀る気分のよい稜線が続く。赤倉山の手前からも展望が開けるが、同定は帰ってからの宿題だ。赤倉山の直前はシャクナゲが生い茂り、歩くのに苦労する。大げさな赤い岩は全然ないが、一部の石に赤い紋様が入っているのを見かけた。頂上を過ぎると一転して歩きやすい道となる。霧の平から明神平へ歩くという人とすれ違う。千里峰、奥の平峰、霧降山と続くが、標識札がないと分からない。とにかく評判通りの上り下りの連続だ。霧降山でやっと池木屋山が正面に出てきた。この辺りの盟主にしては、ちょっと冴えない風貌だ。テン場を先に出た3人組が戻ってきた。そして、池が出てきた。国見山、笹ヶ峰、赤倉山と名前に裏切られてきたが、ここでは間違いなく池があった。近寄ると、色は付いていたが透明で、沸かせば飲めるかもしれない。




ヒメシャラの林





池木屋の名前の由来の池


池木屋山の頂上もブナなどの木に囲まれている。昭文社のコースタイムには霧の平という地名が掲載されていないが、多分4時間足らずで霧の平なので、ゆっくりと腰を下ろして中食をとる。ガスが出てきて、視界が効かなくなった。ゴアの上着を着て出発する。ホウキガ峰を過ぎてしばらく行ったP1290+で南西に向きを変えるところを西南西に直進してしまった。サルノコシカケなどの写真などを撮りながら、下って行ったが、どうもおかしい。このためにGPSを持ってきたのだと、初めてGPSを取り出す。案の定、道から外れている。ほぼ外れた所を目指して復帰する。大した距離ではなかったが、GPSの調整も含めて26分のロス。




迷い込んだ所のサルノコシカケ


ロスタイムを含めて2時間歩いたので、弥次平峰でまた休む。この辺りは、背の高さのほどの細いヒメシャラの幼木が道を塞いでおり、その間をかき分けながら進んでいくという変わった経験をした。そのあともピークが多すぎて、どこを歩いているのかが分かりにくい。手を使って登るような所もあり、少し様相に変化がでてきた。そろそろ霧の平かと思う頃に、いくつものマーキングのある場所があった。テントも張れそうだが、「平」という感じはしない。GPSで調べても、見当をつけていた場所はもう少し南なので、念のため進んでみた。15分行ってみたが、それらしき所は見つからない。実は霧の平の手前のピークまで行っていたのだが、見下ろした所が、明神平とは似ても似つかぬ狭い場所で、これは違いそうだと引き返してしまった。

前日に比べれば早い到着だったが、その後も難儀が続く。まずはテントを張ろうとして、ポールの1本がなくなってしまう。ピーンという音を聞いたようだったので、飛んでいったのかと下を見ても見えない。消えるはずがないと、下へ降りていくとやはり見つかった。5分のロス。その後、東側の沢へ水を探しに行くが、2分も下ればあるという霧の平ではなかったらしく、いくら降りても流れはない。1700-1740まで、40分も時間を使ったが徒労に終わる。米を炊く予定を変えて、数百cc残っていた真水を使って、餅入りスープを作る。それ以外に、野菜ジュースが100ccほどと、ポカリスエットが200ccほどあったので、翌朝の食事と下山までの行動用水分はなんとかなるだろうと腹をくくった。後で考えると、皆さんが「霧の平」と記録しているのだから、必ず標識があるはずと考えついておれば、引き返すこともなかっただろう。もう少しネットで霧の平の写真などを見ておけば、イメージがわいていただろう。前夜とはちがい、小雨がいつまでもテントを叩いていた。



2011. 05. 07 霧の平から三之公川へ  

コースタイ

0645 テン場、0705-25 霧の平、0903-17 馬の鞍峰(1178b)、0941 P1073、1018-1100 明神谷上部で休憩、1110 カクシ平、1155-1218 明神滝、1300-1407 カクシ平登山口、1500 五郎谷出合の河原

この朝も、目覚ましが聞こえず、寝坊してしまった。雨の音を嫌って耳栓をしたのがまずかった。うまく水を得ることができれば、予定通りに進むことも考えていたが、かなりの長丁場になるので、出発が遅くなると、ややきびしい。最後のエスケープルートである馬の鞍から三之公へ下ろうとほぼ心を決める。少し行くとすぐに霧の平という標識が出てきた。念のため水を汲んでおく。しかし、皆が汲んでいるのとは違う場所だったようで、美味とは言いかねた。

そのあと馬の鞍峰までの道は結構煩わしいものだった。えらく長いロープを使って降りる急斜面もあった。ロープがないととても降りることはできない。ロープが設置される前に来た人はどうしていたのかと尊敬してしまう。その直後に岩小屋的な場所があり、焚き火のあとが残っていた。予想外に時間がかかり、ビバークした人がいたのだろう。そのあとで、また道をはずしてしまい、10分ほどのロスがあった。コウヤマキが多く、葉の先端についた水滴が可愛らしい。馬の鞍峰への最後の登りになると、一転して実にのんびりとしたものになった。それにしても、大変だったところと、上りになってからの穏やかな所との対比は驚くばかりだった。地形の成因に歴然とした差があるのだろう。キツツキがすぐ近くで大きな音をたてている。かなり探したが姿を見つけることはできなかった。ほんの1 km程度の距離を1時間半もかかったのは初めての経験だ。




やっと歩きやすい道になる。すぐ近くにキツツキがいるはずと写真を撮るが写っていない。


馬の鞍峰は依然として霧の中。ヤシオツツジの他、白いツツジ(?)も遠くに咲いていた。霧の平=馬の鞍峰間のコースタイムは、元気な若者の記録では43分だったのに、こちらはなんと98分と2倍以上かかった。最近、転倒して怪我をすることが多いので、慎重になりすぎたのかもしれない。これだけ遅くなると、前進する気にはなれない。これからが台高の核心部になるというのに残念だが、大変魅力的な山域なのでまた来る機会もあるだろう。

三之公への下山路は、昭文社の案内図に迷印が3つも出ていたが、道もしっかりしているし、テープも多い。迷いそうな所で立ち止まりさえすれば、いかに道迷いのプロでも大丈夫だ。1時間ほど下りた所で、沢に清流が流れはじめたので、コーヒータイムとする。雨もあがってきたので、雨具の上着を脱いで再出発する。すぐに三之公のカクシ平。南朝派の隠れ家があったという。明神谷はあっという間に大きくなり、立派な滝を架けるようになる。緑が美しく、大杉谷が近いことを思い出させる見事さだ。日本の山の美しさの一つの大きな要素だ。明神滝の分岐に荷物を置いて、往復する。やや単調な流れであるが、かなり大きく見応えがある。ここから登山口まで下るのに40分かかったが、昭文社には20分とある。のんびりとキョロキョロしながら歩いたかもしれないが、この参考タイムは短すぎる。




三之公行宮址





明神滝


登山口には、業務用だろうか車が一台停まっていた。すっかり天気も回復したので、1時間以上かけてゆっくり昼食とする。長い林道歩きが始まる。急いでも柏木からのバスに間に合うはずもないので、適当な河原でテントを張ろうと考える。地図ではずっと川のそばを歩くので、いくらでも機会があるだろうと思っていたが、このような立派な林道を歩く限り、河原に下りるチャンスも多くない。しばしば通り過ぎる支沢との出合でも水ははるかに下を流れている。やっと本当に小さな沢がすぐそばに見えたので、どこでも泊まれるようにと水汲みをしておく。ザックを背負い直すと、先ほどすれ違った夫婦連れが戻ってきたので、少し喋りながら歩く。テント場の話をしていると、よい所があると教えてくれた。五郎谷の出合で橋を渡るが、その直後に河原に下りることができるという。実際、広々とした砂地もある絶好の場所だった。結果的にはここが最初で最後の場所だった。今回初めて15時着という余裕のテントとなる。初めてご飯を炊き、夜と翌朝分をまかなう。夜になって、短時間だが雨が降り、折角乾いたテントがまた濡れることになった。




五郎谷出合の河原



2011. 05. 08 三之公川から入之波温泉へ  

コースタイム

0800 五郎谷出合、0812 三之公橋、0825 奥玉橋、0836 二ノ股出合、0913-21 入之波橋、1000 車に拾われる、1020 杉の湯

朝も思い切りゆったりとする。クロツグミのような声の鳥が盛んに囀っているが、姿を見つけることはできない。歩き始めるとカメラが作動しない。電池だと思ったが、交換しても反応がない。まあもう撮りたい景色もそれほどないだろうと諦める。二ノ股出合まで進むと、ダムの水が蓄えられはじめ、河原にでるなどますますあり得ないこととなる。道ばたには何ヶ所か平らな場所もあったが、石ころはあるし、結構車も通るので、とても快適とは言えない。舗装道路とはいえ、景色は悪くない。深緑色のダムの水、急速に動くガス、新緑の瑞々しさ、ウグイスやコルリの声、アオダモ、フジ、モチツツジ、コアジサイのような白い花、おまけにカエルもどこかで鳴いている。日射しも見られるようになる。

入之波(しおのは)橋で、奈良交通と家に電話をする。柏木からのバスは9:57と15:56だけとのこと。時間が余りすぎるので、柏木近くの不動窟にでも寄ろうかと考えながら、歩き始める。小雨が降ってきた。よく見る八重ザクラ以外に、うんと小さなサトザクラの一種サクラが咲いていた。温泉旅館の上の小集落のところに出ると、コミュニティバスの停留所があった。このことは知らなかった。しかし、このバスは週日しか運行されていないので、日曜日のこの日は走っていなかった。ねずみの嫁入りがつづく。何年ぶりかのモンキチョウを見る。一瞬、西方向に高い山が見えた。大峯とすれば山上ヶ岳辺りになるはず。うしろから来た車が停まってくれて、2時間半ほどの林道歩きに終止符が打たれた。

話し好きの人で、林業の状況がどうなっているのかなど興味深い話を聞かせてくれた。柏木を通り過ぎて、杉の湯まで送ってくれた。ここでは、温泉にも入れるし、食事や土産を買うこともできるので、ちょうどよかったが、バスの時刻を調べると、出るばかりの時間だった。慌てて置いてきたザックを取りに走り、出発に辛うじて間に合った。大和上市の駅前は杉の湯より淋しかったが、大衆食堂でビールとちゃんとした昼食を食べることができた。




トップページへ      地域別索引へ     近畿索引へ      年次別索引へ