2011. 4. 21 - 22 経塚山・阿弥陀ヶ峰
鈴鹿の奥座敷などについての魅力あふれるホームページを作っている人の文につられて、霊仙三蔵が修行した一帯を歩いてみる。井戸ヶ池の近くと阿弥陀ヶ峰を組み合わせて、1泊2日のゆったりとした計画とする。
同行: 単独
2011. 4. 21 上丹生から井戸ヶ池まで |
コースタイム
1010 上丹生バス停、1047 登山口駐車場、1137 一の谷、1145-1205 二の谷、1224横道分岐、1250-1303 漆ヶ滝、1323-30 魔洞道口、1356-58 井戸ヶ洞、1403-30 小沢出合、1450 井戸ヶ池の広場
上丹生でバスを下りて、好天の中、ゆっくりと歩き始める。正面に見えているピークは谷山だろうか。この日は、これまでに来たときと違って時間に余裕があるので、神明神社にも立ち寄っていく。道から眺めているとなかなかの立派は風格を感じさせる神社だが、中に入るとやや平凡。下山口に考えている浄水場の所でも、少し寄り道をして、林道の様子を見ておく。あちこちでサクラが満開だ。前回はまだ工事中だった林道が完成したのか、昼坂峠(びんさか)、榑ヶ畑(くれがはた)方面へという標識ができていた。それにしても、立派な林道をつくるものだ。登山口の駐車場には、東京からのも含めて5台の車があった。
丹生川沿いの林道
もうこの道も何度目かになるので、途中の川や道の特徴に見覚えがあり、気楽な歩行となる。一の谷では、前回見かけた赤ペンキで×印が書かれた岩が見あたらなかった。通行可能になったとは思えないので、流されたのかもしれない。ハシリドコロの紫の花がいくつか咲いており、イチリンソウも見かける。二の谷で少し登って滝のそばまで近づいてみる。ついでに昼食とする。
ネコノメソウ(多分ボタンネコノメソウ)が頻繁に出てくるようになる。下に流れる穏やかな川を見ながら、かなりの高巻き道を歩く。横道への分岐では、漆ヶ滝の方を選ぶ。前回の横道は雪で道が分からず迷いながら歩いたので、一度ちゃんとしたコースを歩いておきたい気持ちと、あの急坂を重荷を背負って登るのは面白くないといった気持ちがせめぎ合うが、水量の多い時の漆ヶ滝を見ておきたい気持ちが最終判断の後押しをした。道としても、苔むした岩や清流が流れ下る沢筋の方がなにかと魅力がある。くぐり岩と漆ヶ滝の間では、ヒトリシズカ、コミヤマカタバミが出迎えてくれた。今回は漆ヶ滝のそばまで足を延ばし、はじめてゆっくりと眺める。かなりの水量の水がレースのカーテンのように幅広く流れ落ちており、なかなか趣きがある。コガラかなにかの小鳥の声も響き渡る。滝の近くに、ハシリドコロ、ヤマシャクヤク(蕾)、タカトウダイ(蕾)があった。そろそろ春本番ですと言っているかのようだ。
漆ヶ滝
滝を離れて急な坂を登る。雪の時に、2歩前進1歩後退を繰り返したことを思い出す。10分ほどで魔洞道口という標識がでてきた。危険なので右手の尾根に登って下さいという指示がある。雪の時は埋もれていたのか記憶にない。多分沢をそのまま詰めただろう。翌日の下山まで水場はないので、ここで2Lちょっとをペットボトルに汲んでおく。その後もゼロではなかったが、しっかりとしたきれいな流れに出会うことがなかったので、ここで汲んでおいたのは正解だった。やがて沢の脇に残雪が見られ、コバイケイソウの可愛らしい新芽があちこちに出ているようになると、井戸ヶ洞の分岐点だ。ここから上を目指すのでなく、横道の方へ逆戻りする。すぐに井戸ヶ池の方へと続く小沢に出る。
ここにザックをおいて、少し横道を辿ってみる。この日はあくまで、ゆったりとした時間が流れている。西出商店の人が命名したのだろうか「美ヶ原」というところに出る。コバイケイソウがあちこちに芽を出している。正面には、翌日行く予定の阿弥陀ヶ峰が横たわっている。どちらかというと凡庸な山容だ。その右肩に伊吹山が少し顔を覗かせている。左手には琵琶湖が見える。田村山、山本山あたりは分かるが、その他の山は判別がつかないほど霞んでいた。少し回り込むと、前方の稜線の上に米原小屋がポツンと立っていた。北側の眺めはそれほどの感興をもたらさなかったが、反対側の斜面を見上げると、前回ウロウロした所と同じような疎林が広がっていて、嬉しくなる。来た道を戻らずに、その斜面を登り、前回の感触を思い出す。すぐに沢に帰り着く。
美しヶ原から阿弥陀ヶ峰。その右に伊吹山が見えている。
ここでザックを拾い、上流へと遡る。沢底を歩いたり、川岸の雪面を歩いたりしているうちに、大きく開けた原に出る。なんとおおらかな気分にさせてくれる所か。南側には経塚山から四丁横崖に至る稜線が高く聳え、北側にはP884がすぐそこにある。それらに取り囲まれた窪地に、テントを100も200も張れそうな広がりがある。井戸ヶ池やひょうたん池があるというので、荷物を置いて探索に出かける。まずはピーク884と思われる所に登る。広い頂上には石灰岩が散らばり、樹間からは霞んだ金糞岳や伊吹山が辛うじて見える。しばらくウロウロしていると井戸ヶ池に行き着いた。
井戸ヶ池
それ以外にも、小さな池があちこちにあったが、とうとうひょうたん池は見つからなかった。大体の地形の見当はついていたので、気楽に歩いていたが、いざ荷物の所に戻ろうとするとなかなか難しい。ザックに括り付けたマットが遠くに銀色に光るのが目についてようやく戻ることができた。食事をするには早すぎるので、テントの中に寝転がり、持ってきた本を読む。夕食は前回と同様に酒を少しだけ飲みながら具沢山のキムチ鍋、最後にうどんを入れて腹を満たす。米を研ぎ、炊飯するのも気分が出てよいが、うどんも簡単で美味しいので、気に入っている。少しだけ焚き火をして、ゴミを片づけてから寝る。夕方の気温は8℃程度で、さすがにもう寒くはない。
井戸ヶ池近辺の広い平坦地
2011. 4. 22 井戸ヶ池から経塚山、阿弥陀ヶ峰を経由して上丹生へ |
コースタイム
730 井戸ヶ池、813 経塚山(1040)、838 四丁横崖、851 谷山分岐、902-06 谷山(993)、925-37 継子穴、942-44 柏原道分岐、1056-1126 阿弥陀ヶ峰(876)、1338 浄水場、1352 上丹生バス停
朝の温度は4℃で、予報通り完全な曇り空。テントのペグが1本枯葉に埋もれて見つからず、随分と探したが、結局無駄骨となった。阿弥陀ヶ峰あたりでウロウロする可能性はあるものの、この日も時間はたっぷりあるので、ゆとりのある出発となる。まずはもう一度井戸ヶ池の場所を確認しようとGPSをオンにして歩き始める。しかし、結局見つからずに西側の尾根に出てしまう。なだらかな斜面を登って行くと、突然ものすごく踏み固められた獣道が出現する。しばらくするとまた四散してしまい、もとのような平穏な斜面となる。傾斜が亡くなった頃にヌタ場が現れるが、周り一面のガスで、どこにいるのかが分からない。GPSで確かめているので、不安は全くない。逆に頼りすぎになると、考えなくなるのが怖い。風雨が強くて地図と照合できないとか、深い森の中でが電波を切キャッチしないとか、電池を切らしてしまうとかするとお手上げになるので、やはりGPSがなくとも歩けるようにしておかないといけない。カレンフェルト地形の中に顕著な経塚山の山頂標識がガスを通して浮かんでくる。頂上はかなり風も強く、ほとんど立ち止まらずに通り過ぎる。
頂上近辺のヌタ場
経塚山(北霊仙山)
シャツ2枚、手袋なしでは、寒さを感じるが、下るにつれて寒さがやわらぎ、なんとか手袋を取り出さずにすんだ。前回、雪が詰った沢を上ってきた地点を通り過ぎる。下を見ると直下はかなりの傾斜で、よく登ってきたものだと思うくらい。すぐに四丁横崖に出る。そこも通り過ぎて、谷山を目指す。何の標識もなかったが、赤いテープが2本かかっていたところが登山口。道のない尾根と言えるかどうか分からないくらいの広いところを登っていく。10分で山頂。三角点と谷山と書かれた小さな木片があったが、展望は晴れていてもなさそう。このような道は下りの方が神経を使う。それでも上りの半分の時間で分岐点にもどった。
谷山の頂上
右下に林道が見えるようになるとまもなく継子穴出る。カルスト地形特有のドリーネで、危険なので近寄るなとの注意書きが沢山ある。そうなると近寄りたくなる。覗き込むと、確かに深い。落ちたらそのままになることは間違いない。
深さ30mのドリーネ(継子穴)
やがて、柏原道と梓河内道との分岐がやってくる。梓河内道は未整備なので初めての人は入らないようにという札が懸かっている。しかし、誰でも最初に歩くときは初めてだ。確かに、崖崩れがあったり、大きく口を開いた沢の上部をへつったり、倒木が多かったりと歩きにくい。多少はルートファインディングの能力も必要とされるかもしれない。P830+の頂上まで登ろうとしたが、少し厄介だった。右手に下りてみると、巻き道があったのでそちらを通る。そのあとで、梓河内道と阿弥陀ヶ峰への道の分岐が分からないまま、後者の方へ100mほど入込んでいた。GPSでチェックしてはじめてそのことが分かった。
そのあとも、はっきりとした踏み跡はないが、境界標識の赤い棒が時々立っている。右手は檜の植林、左手は雑木林という境を歩く。P840+の上を越えていく。踏み跡などはないが、上に登ればある程度の見通しが得られるかと期待して、なだらかな歩きやすいところを選んで登る。しかし、阿弥陀ヶ峰を望むことはできなかった。反対側に下り、登り返すと10分ちょっとで阿弥陀ヶ峰に着く。苔むした石灰岩が所狭しと散らばり、曲がりくねった低木が道を塞いでいる。葉は落ちているので明るい雰囲気ではあるが、遠望はきかない。頂上の少し南東側に出たようなので、右手に進むといくつかのテープがぶら下がったそれらしきところに着いた。山頂を示すものはなにもないが、石標があった。書いてある文字は読み取れない。北側の谷が深く、樹間から見えるその先の山並みは青緑色をしていた。オニシバリが咲いていた。夏に落葉する冬緑樹という珍しい低木で、黄色い4弁の花のように見えるのはガクらしい。腰を下ろして昼食をとる。
阿弥陀ヶ峰頂上
北西に向かって尾根を下りていく。左手にときどきガスに包まれた霊仙山一帯が見える。アブラチャン、オニシバリなどが出てくる。阿弥陀堂跡に着く。「霊仙寺阿弥陀堂跡」という木標があるが、字がほとんどかすれている。その側に「霊仙三蔵供養宝塔」という真新しい標が立っていた。
霊仙山一帯にあった古代の霊仙寺は役の小角が681年に開山。奈良興福寺の末寺として泰澄が開基したのちは修験の行者の聖地として栄えたという。坂田郡の郡司の家に生まれた息長丹生長人は、経を埋めたと言わる経塚山、大日如来を見たと伝えられる阿弥陀堂のあった阿弥陀ヶ峰一帯を修行の場としていた。15才で出家得度し、45才で遣唐使として入唐、優れた業績を残したため、日本人唯一の三蔵の位を授けられたという。
たしかに修行をするのにうってつけの場所だ。水があるのかどうかがすぐ気になるが、水がないのも修行の一つかもしれない。北側が開けていて、瞑想にふけるには最適だろう。凡人はすぐ、「町並みが見えているのは梓河内か。もしそうならその先は清滝山(438.9)。伊吹山は雲の中。」といったことに頭が行ってしまうのだが。
霊仙寺阿弥陀堂跡からの展望
その後も歩きやすい尾根道で、踏み跡などはないが迷う心配などは全くない。想定外だった。所々で道らしきものもある。ヤマザクラが何本か花をつけていた所を過ぎると、右手に下り始める。しかし、そのうち植林の幼木を保護するためのプラスチックの筒が林立した所で、道を見失ってしまい。急なところをずり下りながら、道らしきものを探る。ここからしばらくが、今回の山行で一番苦労した所かもしれない。下から登ってくれば、問題のない道だったのだろう。上丹生に着いたのは、これまでにない早い時間だった。