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2009. 09. 29 - 10. 1
  越後三山


東京での仕事のあと、六日町の駅前に泊まる。大河ドラマの直江兼続の出身地ということで脚光を浴びているらしいが、どのみち今年も見ていないので、とくに興味もなく、遅くに着き、早く出発しただけだ。この三山縦走は大変だと言われているので、どの程度大変なのかに興味があった。多くの人は、ロープウェイで上がり、駒ノ湯がゴールのようだが、とくに意図したわけではないが、交通手段の都合で山口バス停から歩き始め、大湯温泉までの国道も歩いた。おそらく最長コースであろう。


同行: 単独

 

2009. 09. 29 山口から千本檜小屋まで

コースタイ

0850 山口BS、0925 ロープウェイ山麓駅、1143-1213 ロープウェイ山上駅、1302 コギ池、1328-43 女人堂、1355 祓川水場、1434 薬師岳(1654b)、1445 千本檜小屋 

六日町に宿泊したので、千本檜までは楽勝の一日。この日は閑散期で、山口までしかバスが走らない。下りて歩き始めると、道端の秋の草花がポツポツと迎えてくれる。コスモス、ミゾソバ、イヌタデ、ツユクサ、アカソ、ヤマジノギク、ススキ、ツキミソウ。八海神社の鳥居に出たが、地図がしっかり頭に入っていなかったので、ロープウェイ駅は舗装道路を進めという標識に従う。神社に立ち寄っていても、また道路に合流できることは後で分かった。やがてスキー場の駐車場に着く。「八海山冷水」が流れ出していたので、少し汲んでおく。時間はあるので、ロープウェイに乗るまでもない。スキー場を整備している人に山道を確認し、スキー場の山道を登る。2時間半かかるよと言われたが、ほぼその程度だった。ヨメナ、アキノウナギツカミ、ママコノシリヌグイ、フジバカマなどと、道の花も少し変わってくる。それでも山の花というよりは、まだ町の花だ。ロープウェイをくぐる所で、金城山から巻機山への稜線がガスの中に浮かんでいた。800bのリフト駅辺りで、なんの花も見かけなくなったが、少し奇妙な感じだ。



稜線への途中でロープウェイをくぐる


ロープウェイの山上駅には、景色が見えないので残念そうにしている数人の観光客がいた。自販機で500mlのコカコーラを購入したが、小屋に着くまでに全部飲んでしまった。珍しいことだ。暑いわけでもないのに、かなり汗をかいたのだろうか。遙拝所を越えてなだらかな道を進む。池ノ峰への踏み跡があれば行ってみようと思っていたが、見あたらなかった。冬にしか行かないらしい。右手のコギ沼に立ち寄るが、この時期にはなにも目にとまるものはない。女人堂に着く。立派な建物だが、誰かが書いていたように、トイレの消臭剤の匂いが強烈で、中に入る気がしない。小雨を軒先で避けながら、ヨーカンでティータイムとする。女人堂からは少し登ると、祓川の水場にでる。登りの尾根の途中に水場があるのはなんとも妙な気分だ。薬師岳からは小屋が目の前に見えるらしいが、この日は見えない。小屋への途中で、左手に水場という標識を見る。


小屋の広い部屋を覗いてみるが誰もいない。管理人室に声をかけて、宿泊を依頼する。荷物をおいて、八峰周遊に行くつもりだったが、天気もよくないし、どのみち翌日歩くのでやめにし、すぐに水汲みに出かける。金属製の桶にポタポタと落ちる水をためているので、色が付いているが、濁ってはいない。雨模様といってもこの程度の雨では、落ちてくる水滴は2秒に1滴程度。小屋で貸してくれた大きなペットボトルにたっぷりと汲んだ。往復を含めて20分ほどかかった。

いつものように、まず米を2食分研いだのち、コーヒーを淹れる。これらには祓川のきれいな水を使った。褐色の水は翌日持っていくお茶などに使う。ガスってはいたが、ほとんど濡れていないし、早く着いたので、余裕のひとときだ。初めての試みとして、だし汁が少々重いがおでんを持って来た。少し具を足して食べたが、なかなか使える。夕方になって、オヤジさんが神棚にロウソクを灯し、入口近くのランプも点灯してくれる。「泊まると電話してきた人がいるが、5時になっても着かないので、もう来ないな」と独り言を言っていた。後で考えると、自分のことだったが、その時は思いつかなかった。


2009. 09. 30 千本檜小屋から中ノ岳まで

コースタイ

0525 千本檜小屋、0645-50 大日岳、0722-35 入道岳(1778b;丸ヶ岳)、0808-15 五龍岳(1590b)、0945 荒山(1344b)、1040-1100 オカメノゾキ、1237 出雲先(1528b)、1430 御月山(1821b)、1447-1508 祓川、1630-37 中ノ岳避難小屋、1644-45 中ノ岳(2085b)、1653 中ノ岳避難小屋

この日は好天のはずだったが、朝起きると同じようなガスだ。温度計は10℃を指しており、暖かい。暗闇の中に、八ッ峰北端の地蔵岳の輪郭がぼんやりと見える。「標準は9時間。大変なコースなので、巻き道を行くとよい。時間はそれほど変わらないが、重荷が邪魔になって稜線は歩きにくい。」と管理人に言われていたが、ここまで来て、巻き道という手はないので、尾根道を行く。次々と出てくる岩峰を、鎖や梯子を使いながら越えていく。妙義の時と全く同じで、何も見えないので、迫力のある岩峰群を楽しむことができないのは残念至極だ。スリルを感じない点も妙義と同じ。しかし、ときおり岩峰を背景にしたモミジが目を楽しませてくれる。大日岳をやや長い鎖で下りると、あとはなだらかな道が最高峰の入道岳まで続く。入道岳には丸ヶ岳の標識がある。これが八海山の最高峰なので、稜線にせよ、巻き道にせよ、ここまでは沢山の人が歩いている。ここ以降は物好きだけの領域となる。



七曜岳の付近で岸壁の紅葉


入道岳を下りはじめてしばらくして、どうということない坂道なのに、濡れた岩で滑って、頭から落ちるという大げさな転倒を2度もしてしまう。左肩、両腕、両掌、右膝などを怪我し、とくに出血がひどい右掌と右腕を絆創膏やハンカチで応急手当をする。掌は感情線に沿って傷ついており、絆創膏もうまく落ち着かないし、ポールなどを持ちにくくなった。重荷だったので、転倒も怪我も大げさになった。しばらくして、また不注意で藪状になっていた道から左足を踏み外し、50cmほど落ちた。そのとき、慌てて右手で笹を掴み、右足の転落を防いだのがかえってアダとなった。右足だけ道に残ったので、不自然なひねりが加わり、右膝と右足首の靱帯を痛めてしまう。これは歩くのに支障を来すので、怪我より問題が大きい。出発後2時間は過ぎていたが、中ノ岳への時間は圧倒的に長いので、引き返すことも一応考えた。しかし、少し歩いてみると、なんとか歩けるのでそのまま進む。多分緊張していたためで、帰宅後は傷病人同然となることは自分でも分かっていた。五龍岳あたりで、少しガスが薄くなり、阿寺山がはっきりと見え、進行方向も少しだけ見えるようになった。急峻な尾根の一部が見え、その先が雲海で覆われ、さらにその先に陰鬱な感じの高い山の下半分が顔を覗かせているような状態だ。全部見えると、先に進む気がなくなりそうな遠さだ。五龍岳を過ぎた次のピークで、荷物を下ろし、もう少し丁寧に手当をする。捻挫はテーピングをするのがよいらしいが、そのような備えもないのでそのまま。



五龍岳を過ぎたP1585で阿寺山が顔を見せる


次のピークで、念のためGPSをオンにする。荒山ではなく、P1442だった。チェックしたおかげで、荒山に着いたと勘違いしないですんだ。荒山の少し手前に来ると、場違いに大きな大理石の新しい標識が据え付けられている。ここから有名なオカメノゾキへと下っていくが、ほとんど周りが見えないので恐怖心の起こりようもない。しかし、遭難碑がいくつかあり、手を合わせながら、身を引き締める。下るに連れて、先ほどの雲海に突入したのか、ガスが濃くなり、視界は全くなくなる。ミヤマホツツジらしい白い花が咲いている。一部は枯れかかっており、実も付いている。ミヤマトウキがあちこちでよい香りを漂わせている。最初、ザックに入れたカモミール茶がこぼれているのではないかと疑ったが、花だったらしい。


オカメノゾキも標識がないが、最低鞍部ははっきりと分かり、そこに太めの赤テープがぶら下がっていた。テープは初めてだ。ここも両側が切れ落ちていて、怖い所とされているが、全く分からない。1時間半歩いたので、ザックを下ろし、中食とする。そこからの登りで、初めて檜を見た。千本檜小屋ではあまりキョロキョロしなかったものの、少なくとも千本はないなと思っていた。やっとこんなところにあった。それも太い幹の立派なものだ。ハイマツとヒノキを同時に見るというのも、不思議な気分だ。ミヤマママコナ、コバノコゴメグサ、それにマツムシソウが一輪だけ咲いていた。一輪などということがあるのかと思ったが、やはりしばらくして、4輪ほど見かけた。やはり単独で生きるということはないらしい。

出雲先というのがはっきりしないが、多分長い鎖場が終わった1528b地点だろう。しかし登り切った所は、なんの変哲もない場所だったので、1550bのピークが出雲先かもしれないと、そのまま東方向への道を辿る。それからすぐと思っていた1550bのピークまでなんと30分もかかった。今でもよく理解できない。確かにかなりの上り下りがあったのは事実だが、少なくとも地形図ではそれほどかかるとは思えない。水平に近い100b程度を歩いたのち、わずか30bほどの高度を稼げばP1550なので、常識的には10分程度で着くはず。足の具合が悪かったことは事実だが、それほどのハンディとは思えない。そこから御月山までは300b近い登りとなるが、下りに比べると、足の負担という意味では、登りの方がうんと楽だ。登れば雲海から抜け出すかと期待していたが、御月山もガスの中。水場も近いので、通り過ぎる。

御月山を下りていくと、左手に草モミジの草原が広がり、うって変わって穏やかな雰囲気を醸し出している。やがて祓川に着いた。水は流れておらず、愕然とする。出雲先で、もういいだろうと色つきの水を全部捨ててしまったのが、命取りになりかねない。中ノ岳の小屋には天水が貯められているらしいので、まあそれでもよいかと腹をくくる。念のため、上流へ遡るが気配はない。しかし、少し下流に下りた所に水溜まりがあった。僅かではあるが、流れもあるので、水はきれいだ。残っているお茶などと合わせて、翌日の分を含めて2.5L程度を確保する。沢の周辺にはオヤマリンドウ、オニアザミが咲いており、蔵王の秋を思い出す。緩やかな草原状の登り道で、上り下りの激しかった一日をよい気分で締めくくれるなと思ったが、そうは簡単には終わらせてくれない。急坂ではないが、同じような傾斜を340b程度登るのだ。このあと、これまで全くなかった赤ペンキの印がやたらと出てくるようになった。一般道が合流したわけでもないし、とくにややこしい所でもないので不思議だ。やがて、小沢の中の道を登る。雨の時は大変だろうなと想像しながら登り切ると、中規模の沢にぶつかる。夏なら雪渓が残っているのだろう。それにしても、沢を登り詰めて、ほぼ直角に流れる別の沢に出会うというのも、珍しい経験だ。そこから小屋までは50分もかかった。


ここも宿泊者はいない。荷物をおいて、少し整理してから、行けるうちに頂上に行っておこうと、外に出る。動きを止めたため、あっという間に冷えてきたらしく、濡れたTシャツ一枚では震えがきた。あわててゴアの雨具を羽織ってから再出発。なんの展望もない山頂に、大理石の立派な山名表示盤がおかれている。初めて目にする下津川山といった名前を見ながら、大展望を想像する。翌日も晴れなかったし、起きたときは足が大層痛んだので、この日のうちに来たのは正解だった。

この日のコースは、どなたも大変だったと言っている。事実、何度も転倒して、怪我したり、膝と足首の捻挫をしたので、実際大変だったのであるが、コースそのものは、取り立てて難しいということはない。ただ、急な上り下りが頻繁に続くのが「大変」の中身ではなかろうか。他の人の記録と比べると、かなり時間がかかった。足を怪我したのも一因かもしれないが、それだけではなさそうだ。疲れを感じたりすることはほとんどなかったのでバテたわけではない。若者のペースにはかなわないということなのだろう。

小屋に戻り、食事の準備をする。天水の水桶は空だった。帰宅後にネットを見ていると、5日前の金曜日に泊まった人がいた。平日なのに9人相客がいて、水タンクは満杯状態だったと記録しているので、かなり様子が違う。米は前日に炊いたものを使うので、準備の時間は短い。太いロウソクがおいてあったので、使わせて貰う。宿泊料を気持ちだけ入れて下さいという箱があったので財布を覗いたが、一万円札しかない。投げ入れ口は小さく、小銭しか入らないので、数百円だけ入れた。以前にも、どこかでこのような経験をしたので、1000円札を持っておかないといけない。


2009. 10. 01 中ノ岳から大湯温泉まで

コースタイ

0507 中ノ岳避難小屋、0542-49 P1901、0630-33 檜廊下(1866)、0748 天狗平(最低鞍部)、0844-0904 諏訪平(1933)、0930-43 駒ヶ岳(2003)、1100 百草ノ池、1148-1215 小倉山(1378)、1507 駒ノ湯近くの吊り橋、1526 灰の又沢の橋、1610 大湯温泉BS

目覚ましの不具合で、3時に起こされてしまう。この日は、足のこともあるので、できるだけ早出がよいと思っていたので、そのまま起床する。夜は何の問題もなく熟睡できたが、起きてみるとやはりあちこちが痛い。前日気がつかなかった左肩の怪我も大層なものだった。とくに問題になるのは、膝と足首の捻挫。立ち上がるのもつらい。いろいろと頭を巡らす。まずはその日のうちに帰宅するのを諦めるにしても、なんとか大湯温泉か駒ノ湯温泉までは行きたい。それも駄目な場合でも、駒の小屋まで行っておきたい。それも駄目なら、この小屋でもう一泊ということになるが、食料はともかく水が足りない、などなど考えながら、食事を済ませる。この朝も全然寒さを感じない。

少し暗いうちにガスに包まれた道を歩き始める。本当ならランプなしでも大丈夫だが、躓くと大変なので、念のためランプで足下を照らしながら出発とする。最初は恐る恐るだったが、やはり、歩き始めるとなんとかなるものだ。ランプはすぐに消す。下り坂では丁寧な歩きを強いられるが、平地や登りではほとんど大丈夫。P1901には四合目という標識があった。どういう意味での四合目かがよく分からない。少し暑くなってきたので、上を脱いでTシャツだけにする。檜廊下を過ぎるが、千本檜と同様、檜は見あたらない。しばらく北に進んでからやっとヒノキが、コメツガ、シャクナゲ、マツなどに混じって数本だけ顔を出す。

出発後、2時間半くらいしてとうとうガスが切れた。中ノ岳、御月山を初めて見ることができた。オカメノゾキの稜線、阿寺山、五龍岳も見えるが、八海山は雲に覆われている。行く手もガスが渦巻いているが、紅葉の斜面に朝日に映え、キラキラと輝いている。ガスがある方が、やはり絵になる。最低鞍部の天狗平から見上げると烏帽子状の岩峰が聳えている。ほぼこれで最後の登りとなる。おそらくは諏訪平の手前になるのだろうなと見当をつける。果たして、急坂を終えてからもさらに登りが続いた。途中で後を振り向くと、巻機山が初めて完全な姿をあらわした。駒の頂上ではまた雲の中に入ってしまったので、これが唯一の機会となった。諏訪平に出ると、まわりのガスもかなり薄くなり、初めて駒ヶ岳も頂上を見せてくれた。2時間歩いたので、腰をおろし、中食とする。腰を上げる頃には駒ヶ岳のガスはすっかりなくなり、若干趣のない姿となってしまった。




色づく斜面




越後駒ヶ岳


  

五龍岳から出雲先までの稜線


諏訪平からグシガハナの分岐を過ぎて、越後駒までは気楽な道だった。頂上付近に近づくと、今回の登山で初めて出会うこととなった数人の登山者がいた。枝折峠(シオリトウゲ)からピストンする人が多いようだ。越後駒からの展望は60点程度。中ノ岳の左手は完全に雲の中、御月山、グシガハナはよいが、巻機は駄目、荒山、阿寺山、五龍岳につづいて、八海山は大体よいが、入道岳だけ頂上の雲がとれない。八ッ峰に続いて、薬師、池ノ峰、下界の向こうに米山、よく分からない低山が小千谷、長岡の方向に見え、かすかに佐渡ヶ島が見えていたと思う。頂上にいた2人連れに聞いたが、はっきりした答は返ってこなかった。その右手には、どこにあるかが想像できる程度の守門、浅草に続く。荒沢の一部が一瞬見えたようだが、頂上は見えない。是非見たかったが、見てしまうと、また行きたくなる山が増えるばかりなので、複雑なところだ。




駒ヶ岳頂上から八海山



頂上付近から駒の小屋


食事も終えたばかりだし、先も心配なので、あまり長居せずに下り始める。もうここまでくれば、この日のうちに下山できることは間違いなさそうだ。すぐ下に見える駒の小屋は気持ちのよい所に立っている。大湯温泉までの時間を聞こうと立ち寄ってみたが、無人だった。岩っぽい下りで、あとから出発した頂上の2人が追い抜いて行った。下り道で、重荷を背負った3グループくらいの人達とすれ違った。中ノ岳まで、駒の小屋までと色々だ。下に百草の池が見えており、もう少し経って紅葉の色が濃くなると、よい眺めになりそうだ。池そのものへは、立入禁止という看板が出ていた。池の周辺はともかく、池を間近にみるところまでなら全く問題ないのに。

小倉山の手前でかなり荒沢方面が見えるようになってきた。しかし、頂上だけはどうしても見えない。小倉山でちょうど山頂より2時間となったので、腰をおろす。靴擦れの気配もあるので、靴を脱ぎ靴下を乾かしながら、簡単にカロリー補給をする。履き慣れた靴なのにどうもおかしい。靴下が古くなりすぎて、ゴワゴワしているのが原因かもしれない。靴の中が絶えず濡れたようになっているのも問題。小倉山からの下りは、予想以上のものだった。足をかばいながら、しかも右手はポールを持てないのだ。案の定、滑って右手をつき、傷の上を直撃して、ギャーッと声を出した。絆創膏の上に薄い手袋をはめていたので、なんとか出血は免れた。小倉山から1時間ほどしてやっと傾斜のゆるんだ道がでてきた。右手の展望も少しひらけ、荒沢岳の8割程度が見えた。その左手に知らない山々が連綿とつながっている。駒ヶ岳から1630m程の標高差を下り、駒ノ湯山荘の横の舗装道路にでる。あとはもう足の心配もなく歩けるなと安心したが、実際にはそうでもなかった。捻挫の所だけでなく、靴の中であちこちが痛んだ。それでも4.5 kmを1時間で歩いて、余裕をもってバス停に着いた。食事のできるところを探して、少し時間を無駄にしたが、釣り堀のところで、山菜盛り合わせを頼み、ビールを空ける。足を洗ったりしたので、注文したご飯に手をつける前に、バス停に急ぐことになった。

小出駅について、電車まで1時間半もあったので、また食堂に入り、ビールと食事を頼む。駅員のいなくなった改札を通り、プラットフォームに行く。電車が入ってきて大勢の人が下り、待っていた人も全部乗り、ホームには1人になった。不思議に思ったが、アナウンスはないし、電車には長岡行との表示があるので、乗らなかった。交代らしい運転手と車掌が歩いてきたので、「越後中里行きはこのあとに来るのですね」と聞いたら、先方はびっくりして、この電車だという。すでに、動き始めていたのに車掌に手を振って止めようとしてくれたが、勿論止まらない。しかし、彼らも長岡行の表示を見てくれたのが幸いした。何とかしてやろうと携帯で上司と相談してくれ、とうとう浦佐までのタクシー代が出ることになった。3000円足らずなので、自腹でも行くつもりになっていたが、もちろん好意に甘えた。珍しい経験をしたが、タクシーの運転手も浦佐駅の職員もはじめてだったようだ。見送ったもう一つの原因は、方向感覚が間違っていたこと。バスが小出駅に着く前にJRを跨線橋で跨いだのに気がつかなかったため、改札口が東側にあるとばかり思っていた。それで電車が左手から入ってきて、右手に出て行くのが長岡行であることに疑いを持たなかったのだ。なんとかその日のうちに大阪に着くことができたが、自宅に着いたのは翌日になった。


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