トップページへ      地域別索引へ      関東索引へ       年次別索引へ


200
9. 2. 5-7  蛭ヶ岳、丹沢三峰、鍋蓋山、高松山 


東京での会議のあと、小田急の新松田駅前に泊まり、未知の領域である西丹沢に行く。Y氏を誘ったが、まだ脊椎の具合が悪いとのこと。大船で一緒に食事をしたあと、コンビニから荷物を家に送り、小田原経由で新松田に向かう。


同行: 単独

2009. 2. 5 西丹沢から蛭ヶ岳まで

コースタイ

715 新松田駅BS、828 西丹沢自然教室BS、914-25 ゴーラ沢出合、1102 石棚コース分岐、1122-42 檜洞丸(約1600)、1305 神ノ川乗越、1335-50 臼ヶ岳(1460)、1513 蛭ヶ岳(1673)

バスは、下山口に予定している高松山登山口を通り過ぎて、丹沢湖に進む。丹沢湖はガスに包まれてなかなかよい味だ。折り返し地点の玄倉から小学生が乗り込んで来た。対岸にある学校まで乗っていくらしい。中川温泉、箒杉を過ぎて、西丹沢自然教室の終点に着く。

河内川沿いの舗装道路際に白い花芽をつけたミツマタが少しあった。ほんの少しで登山口となり、右手の沢に入り、高度を上げていく。しばらくして鋭いカーブにさしかかった所で、東沢が下に見えるようになる。それに沿ってかなり高い所を淡々と進む。ミツマタがまた沢山芽をつけている。落ち葉を踏んで歩くが、落ちてからかなり日が経っているためだろうか、カサコソという音がせず、静かそのものなので不思議な感じである。一向に沢との高度差がなくならない。急に沢が近づき始めるとゴーラ沢の出合となる。カロリーと水分を補給し、シャツを脱ぐ。

本沢とゴーラ沢の間の尾根を登っていく。展望台があるが、隣の尾根以外はなにも見えない。右手の石棚山の稜線からの崖崩れなどが微かに見える。SSEに折れ曲がるところにベンチがあり、そのあとで女性の単独行の人とすれ違う。雪が多いので、その辺りから引き返してきたと、久しぶりに聞く江戸弁で話していた。石棚コースとの分岐あたりから、突然といった感じで霧氷が出現する。それはそれは見事なもので、吉野千本桜を彷彿させるような感じだ。檜洞の頂上には、老人がおり、鹿の群れがいることを教えてくれた。ほぼ同時に若者も頂上に来たが、2人ともここが目的地のようで、蛭ヶ岳に進む人はいない。上に2枚ほど着るものを増やしておいてから、簡単な食事をする。そよ風程度であるが、風が冷たい。




檜洞の霧氷



そのあとも霧氷の饗宴に歓声をあげながら、臼ヶ岳へと足を進める。幾度もシャッターを押す。場所によっては下に氷の破片が敷き詰められているのも、満開時の桜並木と似ている。「落花の雪に踏み迷ふ、片野の春の桜狩り」という太平記の有名な一節が頭をよぎる。違うのは、樹木だけでなく、足下の草にも霧氷の花が咲いていることだ。臼ヶ岳では鹿よけの柵に阻まれて、頂上を踏めなかった。この頃から、薄日が射したり、青空が少し覗いたりするので、気がもめる。臼ヶ岳から霧氷越しに蛭ヶ岳の写真を撮りたくて、少し粘ったが、思うようにいかない。近くの霧氷、少し離れたもの、かなり先の斜面のものなどが立体的に配置された美しさも吉野桜と同じだ。

蛭ヶ岳の頂上ではさらにガスは濃くなり、陽が射す気配もなくなった。少し早いが、小屋に入り、手続きを済ませる。久しぶりの食事付き小屋泊まりで、期待していたが、カレーに、ラッキョなどが付いただけで、自炊にした方がよかった。もう一人、我孫子から来たという男性が同宿となり、色々としゃべる。広い、暖房のない所で寝るが、布団が好きなだけ使えるので、寒さを感じないで寝ることができた。


2009. 2. 6 蛭ヶ岳から丹沢三峰を経て鍋割山まで

740 蛭ヶ岳、837-44 不動ノ峰(1614)、849-859 水場、938-52 丹沢山(1567)、1029 太礼ノ頭(1352)、1052-56 円山木ノ頭(1360)、1120-48 本間ノ頭(1345)、1330 丹沢山、1425-42 塔ノ岳(1491)、1503 大丸(1386)、1515 二股への分岐、1523 小丸(1341)、1542 鍋割山(1273)

この日は、男声合唱(信時潔作曲)にもなっている「丹沢(清水重道詩)」の詩そのままの光景の中を歩く。
  枯れ笹に陽が流れる

  背に汗
  うらうらと雲さえも
  冬なのに
  尾根長く檜洞こえて
  響く沢おと
  どの山も崩土のいろだけは
  凍てている
  塔のむこう
  町並光らせて秦野
  見やる天城も
  明るい草附き
  雪の来ぬ冬山のくぼに
  煙草吸うて見る
  ひとり

夜起きたとき月と星が出ていたが、はたして快晴の朝となった。戸外にある温度計は-5℃をさしている。前夜以上に簡素な朝食を摂ったあと、日の出を拝み、赤く染まっていく富士を堪能する。霧氷に朝の光が差し始めると、前日とは全くちがう趣で、すばらしいの一語だ。晴れと曇りのどちらがよいかは、一概に言えないけれども。かなり明るくなったところで、山座同定をはじめる。天城は見えないが、箱根の駒ヶ岳、神山、金時山などは区別できる。愛鷹、富士、南ア、小金沢連嶺、大菩薩嶺、奥秩父、御前、大岳等々の山々が見える。比較的手前の雨山、檜岳、同角の頭、檜洞丸、御正体山、大室山などが実に鮮かだ。小屋の裏側にまわると、宮ヶ瀬湖の右、本間ノ峰の左に、東海道からの同定で初めて知った仏果山が見える。さらに本間ノ峰の右に経ヶ岳、円山木ノ頭の延長に華厳山、円山木ノ頭と太礼ノ頭の中間に高取山などが霞んでいる。太礼ノ頭と丹沢の中間のギザギザは大山三峰山で、大山は丹沢の真うしろになり見えない。見えている山の中で登ったのはいくつになるだろうか。数えられないくらいだ。上の詩では「見やる天城も 明るい草附きとあるが、天城があるのがやっと分かるくらいの遠望。草附きの様子が分かるときもあるのかと少し不思議だ。




朝の霧氷



7時頃出発するつもりだったが、40分も遅れてしまった。歩き始めてからもしばらくは、前方の逆光の霧氷、後方の明るい笹や青空を背景にした霧氷の美しさになかなか足が進まない。不動ノ峰あたりになると、日射しに耐えられなくなったのか霧氷は減り始める。不動ノ峰というのは丹沢第二の高峰だが、地理院の地形図にも名前がないのは不遇といえる。西側から見る丹沢は、ノッペリとして、なんともしまりのない山容だ。不動ノ峰を下りた所に東屋がある。左手に3分下りると水場があると書いてあるので、試しに下りてみた。4分下りた所で、下に沢が見えた。水はあったとしてもチョロチョロという印象だ。氷のついた急坂をおりてまで確かめる気がせず、そこで引き返す。そのあと、塔ノ岳を背景にした笹原で、立派な角をつけた鹿がこちらを向いてポーズをとってくれた。





富士山と檜洞丸



丹沢頂上からの展望は蛭ヶ岳に遠く及ばない。愛鷹と富士が見える程度。富士も日光を全面に受けて、趣が欠けてきた。予定していた丹沢三峰探訪に出かける。北斜面なので少し凍っている。鹿よけの柵が至る所にある。丸太で作った階段や橋が多く、歩きにくいのはかなわない。本間ノ頭に着くと、2人連れが休憩を終えて登り始めるところだった。やや寒かったが、固形燃料でスープを作って昼食とする。展望はきかない。

本間ノ頭で引き返す。少し戻ると、大菩薩嶺方面が開けた所があった。甲武信、笠取あたりが見えているようだ。反対側は大山が目立つ程度。ブナが見事な尾根だ。3時半までに来てくれと鍋割山荘に言われているので、少しゆっくりしすぎたようだ。2度目の丹沢は素通りする。竜が馬場から少し東側に大山をはじめとするすっきりとした展望があったが、そそくさと足を進める。それにしても、丹沢=塔の間は通行量が多いせいだろうが、道に手入れがされすぎていて、もう一度と来たくないなという感じだ。そこまで手を入れる必要があるのだろうか。自然の力で浸食されるのに比べれば大したことないし、余り意味のなさそうな林道作りで山肌が削られるのに比べればなんでもない。ハイカーは歩きにくい丸太道を避けて脇道を歩こうとするので、ますます浸食が進む。その脇道にバリケードを構築してなんとしてでも丸太道を歩かせようとする執念のようなものを感じた。繁忙期には渋滞するのであろうこの道も、この日は誰にも会わなかった。さすがに塔ノ岳には数組の人達が憩っていた。ここからの展望は悪くない。富士もかすみ始めているが、それはそれで味がある。折角だからギリギリまで休んで行こうと、山名表示盤のそばに陣取って周りを見回す。大室山と蛭ヶ岳の間に小金沢連嶺がしっかりと見えており、その右手に木賊山が見える。

鍋割山への下りも大倉尾根との分岐までは丸太道が多い。だんだんと静かな道に変わっていく。花立山荘の奥に鳥尾山が見えてくると、やがて二股への分岐となる。大丸という表示はなかったが、小丸にはあった。塔ノ岳から50分と踏んでいたが、1時間かかり、希望された3時半には着けなかった。塔ノ岳を少し前に出た二人組が先着しており、計3人の泊りのようである。まずは外に出て、逆光気味の富士山の手前にある翌日歩く雨山から伊勢沢ノ頭への稜線を眺める。鹿が数頭食事中で、長閑そのものの風景だ。




鍋蓋山荘の夕暮れ(富士の手前は左から伊勢沢ノ頭、檜岳、雨山)



前夜と比べ料金は1000円安いのに、おでんの盛り合わせに、揚げたての天ぷらを入れた鍋焼きうどんが出されたのは嬉しかった。つい樽酒も注文する。管理人氏は食事だけ出して、大きな荷物を背負って下山していく。いわきから来たという2人連れと掘り炬燵に入って食事をし、山の話をする。早めの夕食が終わるとまた外に出て、暮れゆく西空を満喫する。富士の左裾に日没である。南アもますます明瞭になってきて、左端は上河内岳が、御正体山をはさんで、右端の北岳までが見えている。18時を過ぎると、眼下に秦野と小田原の夜景が広がり、都会の山という趣だ。寝床は2階に登って各自作る。暖かいので熟睡した。



2009. 2. 7 鍋割山から高松山を経て山北まで

710 鍋割山、725 鍋割峠、747 茅ノ木本棚沢ノ頭、824-41 寄沢に降りる、850-903 雨山峠、936-40 雨山(1176)、檜岳(1167)、1036-1115 伊勢沢ノ頭(1177)、1153 秦野峠、1222-24 林道秦野峠、1240 ジダンゴへの分岐、1330-39 西ヶ尾(809)、1405-15 高松山(801)、1431 ビリ堂、1532 山北中入口BS

朝は、管理人氏が作っておいてくれたみそ汁をコンロで温め、弁当を食べる。これも具沢山で前日の朝食とは雲泥の差だ。出かける頃に、全く急ぐ必要がないと言っていた二人連れが起きてくる。かすかに小雪が舞っているが、高曇りといった天候だ。この日の道はヤブが多いと書いてあったので、スパッツとオーバーズボンを着けて出る。出だしで不注意にSに向かって下りてしまった。すぐに気がつき、山荘まで戻り、Wに向かい直す。鍋割峠から茅ノ木本棚沢ノ頭までの間に太い鎖が2本かかっていた。2本目はズルズルの所で、鎖がないと細引きを取り出したくなる感じだ。なくても何とかなるだろうが、時間節約のため使わせて貰う。

茅ノ木本棚沢ノ頭で道を間違えた。登山道はNWへ直角に曲がっていたのに、直進しSSWへの踏み跡を辿ってしまった。多くの人が間違えるのであろう、しばらくは疑念を抱きようのない道だった。やがて極端なヤセ尾根が続くようになる。ヤセ尾根で、ほかに通る所がないはずなのに、道が苔むしていたりするので、これは間違ったなと思う。ポールは一本だけだったので、枯木を拾い安全を期す。雨山らしいピークが木の間から見えるので、なんとかなるだろうと尾根を下り続ける。テープがあったのは1個所だけ。前日の超過保護登山道にはうんざりしたが、このようなワイルドな面も丹沢にはあるのかと見直す。平均台のような道をなおも辿るとやっと相対する斜面が近づき、沢を見下ろすところに出た。期待していた雨山峠らしき雰囲気はもちろんない。テープも見えない。最後の下りは急そのものだ。下りてしまうと登り返すのは大変なので、少し躊躇したが、テープが1つ見つかったので、沢に下りた。他にもいくつかのピンクのテープがあったが、「これは登山用のものでなく、測量用のものです」というがっかりさせる注意書きが添えられている。

本命は右の上流側と考えたが、まず反対側を少しだけ視察してみる。少し下ると標識があった。これは登山用で、稲郷から雨山峠への沢筋にいることが判明した。峠まで300mとある。1時間ほどのロスで、峠に着く。あとで地図をみると、下りてきた尾根よりも、正規登山道の尾根の方が、等高線が混んでいた。ウェブにも歩きにくい下りだという記事が多かったが、よく理解できた。

この日はやたらと鼻水がでる。おそらくは活動し始めた花粉のせいだろう。雨山への登りも、最初のうちは平均台のような所もあるが、やがて穏やかになる。雨山を過ぎると緑色の石が目に付く。蛭ヶ岳に説明のあった石英閃緑岩だろうか。登ってきた男性とすれ違う。この日出会った唯一のハイカーだ。あまり見通しはよくないが、それでもときどき両側の景色が見える。檜岳をすぎ、伊勢沢ノ頭に着いたとき、同角ノ頭以南が見えるところで、時間もよいので昼食にする。コンロをとりだし、ポタージュを作る。

その後少し薄日も差し始め、ズボンとスパッツをとる。ブッシュもほとんどない。秦野峠への下りで前方にジダンゴらしいピークとP731らしいものが見えたが、目指す高松山はよく分からない。秦野峠から林道秦野峠までは、さらに30分の歩きで、少し上り下りもある。鹿よけの柵に挟まれた道を通り抜け、林道に下り立つ。立派な石碑がある。知事か誰かが公費を使って自分の名前を売ろうとしているのだろうが、逆に自分の名前を汚していることに気がつかないらしい。

登っていくとジダンゴ山への分岐となり、立派な真新しい標識が立てられている。ジダンゴが主役で、反対側には「(高松山方面)」と括弧付きで、しかも「方面」としか書かれていない。あまり整備がされていないのかなという予感がする。高圧線の下のP731までは25000をコピーしていたが、そのあとは50000の地図があるだけで、やや心許ない。そろそろ高松山かと考えていたが、どうも付近の雰囲気がウェブサイトの記事とちがう。倒木などが多く、道は荒れている。ピークに辿りつくと、西ヶ尾という山名があった。その先に細々ではあるがしっかりとした道が続いているので、前進する。そのうち初めてしっかりとした標識がでてきたので、覗き込む。山北八丁方面(花女郎道)とあるが、高松山の文字はない。「分岐があり、そこからすぐに頂上」という記事を覚えていたので、山北方面には行かず、直進する。やがてピークに来たが、終わりではない。最後まで付き合おうと前進する。今度はビリ堂へ20分、高松山へ5分という標識があり、ここでやっと高松山へ行けることを確信した。すぐに広々とした頂上に着く。ここにも高松山の名前がなく、頂上801.4mとしか書いてない。あたかも皆で、名前を出すのを躊躇しているかのような雰囲気だ。金時山、矢倉山の方がぼんやりと見えている。ビリ堂の方への道はよく歩かれており、しっかりしている。ビリ堂には尺里まで1:20という案内も出てきたので、バス・小田急・新幹線の乗り継ぎを計算し始める。うまくすれば、滅多にない小田原からの「ひかり」に乗れそうなので、のんびり度を控えることにする。途中で「水源の森林づくり事業」の説明があり、林業が行われている様子が見て取れる。どのようにCO2削減に役立っているかを是非勉強したいがよく分からない。

頂上から50分で、舗装道路に出る。ウメの花や菜の花が咲いており、ミカンもできている。のどかな風景だ。明星ヶ岳がどっしりと座っている。東名の高架が見えてくる。なんとか間に合いそうだ。東名をくぐってから少し左に曲がってから下りるのがよかったらしいが、右に行ってしまい、バス停2つ分ほど余分に歩き、山北中入口バス停に出た。バスが来るまで5分ほどの余裕があった。小田急駅について、すぐに来たのが急行で、ギリギリで小田原から「ひかり」に乗ることができた。それを逃すと新大阪着が1時間半も遅くなっていた所だ。 


トップページへ      地域別索引へ      関東索引へ       年次別索引へ