2008. 07. 16 - 20 白根三山と塩見岳
どうしても行っておきたい縦走のなかでは、最後のものかもしれない南ア北部に行く。もちろん、トムラウシ、薬師岳近辺、白馬の北部、日光から皇海山など、いくらでもテーマはあるが、「どうしても」となるとこれで終わりにしてもよい。気にしていなかったが、終わってみると、3000mを超える山も今回ですべて登ったことになったようである。
同行: 単独
2008. 07. 16 広河原から白根御池小屋まで |
コースタイム
1200 甲府駅、1348-50 広河原BS、1416 大樺沢分岐、1521-28 急登終了、1543-48 水場、1558 白根御池小屋
新大阪を0730の新幹線に乗ると、甲府に1152に着き、すぐにバスに接続するので大変気楽であった。バスには、3人連れのグループとベルギーからの留学生A君の5人だけ。途中の芦安でバスが一時停車したので、運転手に40年前にはどこまでバスが入っていたかと聞く。やはり芦安までだったようで、鳳凰山に登ったのはここからであった。
広河原でバスを下り、すぐに歩き始める。肩の小屋まで登るというA君をやり過ごし、橋を渡って山荘の前から山道に入っていく。大樺沢の上の稜線はガスに包まれている。すぐに登り道となり、汗が猛然と噴き出す。ところが、林間でもあり、風も多少あるので、気分としては非常に涼しかった。なんとも矛盾した感覚であるが、いずれにしても気分がよい。ルリビタキらしい声が響き渡っている。
鳳凰方面の展望がすこし開けたあと、急登が終わったという標識がある。1時間半歩いていたので一休みとする。小屋まではもう30分もないので、バランスとしてはもう少し前のベンチで休むべきだったかもしれない。しかも、この地点からすぐに水場があり、もちろんそこでも立ち止まって、おいしい水を口に入れる。近くに咲いていたカラマツソウ、タカネグンナイフウロが目にとまる。水場からすぐに白根御池小屋となる。
すでに大勢の登山客が小屋の前で、幸せな夕食前のひと時を過ごしている。手続きを済ませてから、一番奥のよさそうな場所を陣取る。テントを張っている人は他にはいない。ふんだんに蛇口から出ている水で米を洗ってから、小屋の周りをぶらつく。地蔵岳は赤抜沢の頭に隠されるが、正面に観音岳が大きく、さらには薬師までの稜線が広がっている。かなりの種類の花が咲いており、気品のある紫色のミヤマハナシノブがある。初めてかどうかは定かでないが、少なくとも記憶にはない。ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、ツマトリソウ、イチリンハクサンイチゲ(?)、ミヤマイボタ(?)、ナナカマドなど。
生卵を使ってしまいたいので、この日の夕食はカレー。食後のお茶を飲んでいると、小屋泊まりの人が散歩で近くをぶらついている。その中のB氏が腰を下ろし、テントの様子を聞いてくる。軽いし便利にできていると、推薦しておく。熊野奥駈の話になり、B氏も2年前にやったが、かなり大変だったと言っていた。やはりこの2年の差が大きかった可能性がある。寝る準備をしていて、ヘッドランプが入っていないことに初めて気がつく。結果的には、全行程でなにも困らなかったものの、場合によっては大失敗につながるかもしれないミスであった。
白根御池小屋から観音岳
2008. 07. 17 白根御池小屋から農鳥小屋まで |
コースタイム
0527 白根御池小屋、0649-58 お花畑、0720 小太郎山分岐、0800 肩の小屋、0844-0915 北岳(3193m)、0952 八本歯のコル分岐、1015 北岳山荘、1058-1120 中白根山(3055m)、1227-41 間ノ岳(3189m)、1315-22 三峰岳(ミブダケ;2999m)、1410-22 間ノ岳、1516 三国平分岐、1528
農鳥小屋
朝起きると、よい天気になりそうな気配である。北岳も上まで見えている。4時起床で、5時半に出発する。小屋泊まりの人も何人かは先行しているようであるが、かなりの人はこれからという様子であった。
御池を通り過ぎると、すぐに草すべりという登り道になるが、期待に背かない沢山の花々が出現する。ムカゴトラノオ、ミヤマナルコユリ、ホウチャクソウのような花をつけたもの、ミヤマキンポウゲ、ミヤマハナシノブ、ニリンソウ、ウサギギク、タカネグンナイフウロ、キバナシャクナゲ、ハクサンチドリ、シナノキンバイ、クロユリの蕾など。やがて広い斜面に一面にミヤマキンポウゲを主体としたお花畑がひろがっている所に出る。まだ、1時間20分歩いただけだったが、「ここはザックを下ろさない訳にはいかないですね」とすぐ後から登ってきたB氏に声をかけて休みとする。たばこを吸って休んでいる人がいた。これからもよく顔を合わせるC氏である。小屋泊まりしながら聖まで行くらしく、食糧の詰まったかなり大きなザックを背負っている。花だけでなく、展望も少し開けている。鳳凰の左手に御座山の一帯が見えている。少し回り込むと、赤岳、阿弥陀岳も見える。
さらに小太郎山との分岐あたりまで登ると、北アルプス、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳が見えてくる。下山してきた人々が口を揃えて、「昨日はひどかったが、今日は最高ですよ」と言っていた通りである。富士山も立派に姿を表し、その左手に御坂山塊が頭の方だけ見せている。コイワカガミ、アオノツガザクラ、キバナノコマノツメ、ナナカマドといった常連が増えてくる。次に顔を見せるのは、中央アルプスと仙丈である。木曽駒の向こうに御嶽が見えているが、予備知識がないと見つけるのは少し難しいだろう。北岳の全容も初めて目の前に姿を表す。北アは完璧とは言えないが、穂高、槍、常念、蓮華、鹿島槍、五竜、白馬三山程度を指摘することができるので、まあよしとすべきであろう。
植生もどんどん変化し、ミヤマツメクサ、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、イワベンケイ、オヤマノエンドウ、イワウメなどが主役となってくる。中でもオヤマノエンドウの青紫がアクセントになっており、全体を引き締めている。これらがあちこちで群をなして、アルプス、仙丈、八ヶ岳を背景に咲きそろっているのであるから堪らない。これまで、ずっと夏山は敬遠していたので、このようなすばらしいのを見たのは、雲の平(1961)、五色ヶ原(1962)、白馬岳(1966)など、40年以上も前のことになる。北岳肩の小屋付近には、レンゲイワヤナギ、ハハコヨモギ蕾などの見慣れぬものがある。お花畑から2時間足らず歩いて北岳の頂上に達する。高山病にならないように、ゆっくりと、深呼吸しながら、こまめに水を飲みながら登ったので、今回は何の問題もなかった。頂上には10人程度の先客がいた。
頂上からの展望は第一級であるが、超一級とはいえないかもしれない。その理由は、あまりにも大きい間ノ岳によって、荒川・赤石方面がほとんど隠されているからである。恵那、中ア、御嶽、乗鞍ははっきりと、笠、穂高、槍、大天井、立山、蓮華、鹿島槍、白馬、火打、妙高はぼんやりと、八ヶ岳の後の四阿、白根、浅間も見えている。その右遠方は全く駄目で、茂来山、御座山などのあと、奥秩父となる。地蔵のオベリスクの延長上のピラミッドは小川山で、これもよく目立つ山である。先日の奥秩父山行で、もう一泊して登っておくのもよかったかもしれない。観音の左に北奥千丈、観音の延長に雁坂嶺、薬師の右に雲取。そのあとまた低山は雲に隠れ、大菩薩嶺から小金沢連嶺を経て滝子山までの1500mより高い部分が見えている。三ッ峠、御坂山塊は、途中では何とか見えていたが、北岳に来たときにはほぼ雲の中に入ってしまった。富士の右に愛鷹がかすかに見え、天子山塊の毛無山から熊森山までが見えている。もう一度雲に隠れ、七面山、十枚山、八紘嶺、大谷嶺、笊ヶ岳、農鳥の延長上に青薙山、西農鳥のうしろに大小無間山と続く。間ノ岳の左右に悪沢や赤石も見えているのであるが、マニアックな人しか分からないような見え方である。間ノ岳と塩見の間に兎岳と中盛丸山、塩見の右手には奥茶臼山から前茶臼山への稜線がきれいな弧を描いている。前茶臼山の激しい崩落が遠くからでもよく見える。その右手には、あまり馴染みのない氏乗山などを経て、恵那山に戻ってくる。完璧な展望とはいえないが、低い山が適度に見えない方が同定には楽である。一応眺め終わり、多少の行動食を摂って、ザックを置いた北側のベンチの所にもどると、先ほどのB氏やC氏も到着していた。コピーしてきた山岳同定図が用済みになったので、差しあげて、頂上をあとにする。
北岳から間ノ岳、塩見岳など
(悪沢、赤石も頂上だけ見えている)
その後も花は絶えない。主として、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、オヤマノエンドウ、イワベンケイが群落を作っているが、ハハコヨモギ、ウメハタザオ、ミヤマオダマキ、ミヤマシオガマなども彩りを添えている。途中で雷鳥を見かけた。7月下旬頃に雛がかえるのが普通だが、ここでも温暖化の影響が出ているのか、母親に連れられて3-4羽の雛が餌を探していた。北岳から2時間足らず歩いたので、中白根山で小休止して、周りの大きな景色を見ながらの食事とする。北岳のスックとした三角形とやや傾いた間ノ岳のドッシリとした山容が対照的である。塩見は小さく顔を出しているが、その他の主な山々は、すっかり間ノ岳に隠されている。
そこからの稜線に、キバナシャクナゲが初めて出てきた。イワツメクサも多い。1時間ほどで間ノ岳に着く。ここで、A君に再会する。肩の小屋から出発したのであるが、この日は熊の平までの予定で、急ぐ必要がないので、ゆっくりしているという。それ以外に、2人の若者がいた。これから三峰岳を往復するつもりだと言うと、自分たちも行ってきたばかりで、これから農鳥小屋に向かうという。間ノ岳からは南アの南部の主要山塊がしっかりと見えるようになる。農鳥と西農鳥の間に笹山、広河内岳、さらには蝙蝠岳、荒川三山、赤石岳、兎岳、中盛丸山、大沢岳などが見える。天候的には、雲も増え、透明度も低下し始め、八ヶ岳さえ見えなくなった。しかし、山岳展望地としては、北岳よりも魅力的かもしれない。
展望地としてだけでなく、山の風格としても北岳に決して劣らないように思う。遠くから見たときの立派さは、北岳以上であることがしばしばである。数mの高さの差だけで、北岳のはるか後塵を拝するような扱いは気の毒だ。
間ノ岳から甲斐駒ヶ岳、北岳
ザックを置いて、A君のあとを追って三峰岳に向かう。山頂から数分のところに、これまで全く目にしなかったミネズオウが沢山咲いていたのには驚いた。さらに下ると、チングルマの花も初めて見つかった。三峰岳も、間ノ岳の大きさに負けて、全く地味な存在である。あと1mあれば3000mとなり、多くの人からチヤホヤされるのにと気の毒になる。それにこの山は、富士川、大井川、天竜川の源になっているというスケールの大きさをもっている。これに対抗でき、一層スケールが大きいのが、乗鞍岳と甲武信岳。それらに対して、北岳からの水はすべて富士川に行く。これも、これだけの高山では珍しい存在だ。
翌日に泊まる予定の熊の平小屋が、気持ちのよい林の中にあるのを見届けて、間ノ岳に戻る。間ノ岳頂上のすぐ横に残雪が残っており、農鳥へはこれを踏んで行くことになる。今回の山行で、雪を踏んだのはここだけだ。タカネツメクサとツガザクラがある。翌日に歩く予定の三国平への道を分けるとまもなく農鳥小屋に着く。
小屋の主は面白い人で、喧嘩を売られているような気分になる。「どこから?」「白根御池から」「余り早くないな」「三峰岳に寄ってきたが」「じゃあ、まあまあだな。天気図くらい引いているのだろうな」「小屋の近くでテントを張るので、よほどのことがあると教えてくれるだろう」「そんな甘いことで山を歩くな。小屋の情報も当てにならない」といった調子である。水場で水を調達するのは無理ということであったが、1Lは無料で、それ以上は有料であげるというので助かった。何とかなる量だったが、1L貰えればなお安心である。この夜は、風があった。外にいるとほとんど気にならない程度であり、寝る時も耳栓をしていたので、はためく音は問題なかったが、テントが結構伸び縮みし、そのたびに体が上下左右から押されて寝づらい思いをした。翌日が楽な行程なので、その点では気楽であった。しかし、もっと激しい風雨はいくらでもあるので、逃げ込む小屋がないときには、よほど警戒しないといけない。
2008. 07. 18 農鳥小屋から熊ノ平小屋まで |
コースタイム
0612 農鳥小屋、0700 西農鳥岳(3050m)、0730-40 農鳥岳(3026m)、0850-0940 農鳥小屋、0932 水場、0955 沢、1143 三国平、1208 熊の平小屋
朝起きるとまだテントはパタパタ音を立てているが、雨はなく、ガスが立ちこめている状態であった。野菜たっぷりのとんこつラーメンで朝食をすませてから、農鳥へ出かける。雨具をつけ、ウェストポーチだけの軽装である。
ここも高山植物は途絶えない。ハクサンイチゲ、ミヤマダイコンソウ、オヤマノエンドウ、ミヤマシオガマ、ベンケイソウなどが多く、キバナシャクナゲ(一個所、群生している所があった)、コケモモ、ツガザクラ、ヤマガラシ、コイワカガミ、タカネヤハズハハコ、アザミの蕾、ヨツバシオガマなどがある。ガスの中なので、どのピークが一番高い西農鳥岳なのか分からない。帰りにもう一度チェックすることにして、農鳥岳へ進む。かなりの下りで、これで本当に農鳥に登るのかと思ったくらいである。
農鳥岳の頂上には、大正時代に登った大町桂月を頌える碑が建っていた。帰りは多少視界が効いてきたが、それでも西農鳥は分からない。ピークらしいものを一つ一つ登ってみたので、多分どれかがそうなのであろう。それにしても、ガスの中での感覚は危うい。先のピークの方が高いと思って、そちらに進み、うしろを振り返ると、うしろの方がはるかに高く見えるというようなことが何度もあった。小屋に近づくと間ノ岳も見え始めた。青のオヤマノエンドウと白のハクサンイチゲのカーペットの先に、三峰岳もそれなりの存在感を示している。また雷鳥の親子がいた。やはり親鳥はメスだけである。岩の上にいると本当に保護色となっており、見分けにくい。
ガスに霞む農鳥岳山頂
小屋に戻り、お茶を飲んでから、出発間際に小屋主に西農鳥のことを聞く。「そんなものはどうでもいいだろう。あの辺一帯が西農鳥なんだ」と、相変わらず突っ慳貪だ。しかし、「今日はまちがいなく雨となる。今の小康状態は一時的なもので、下手するとかなりの降りになるかもしれない」と情報を提供してくれる。やはり、素人が天気図を書くよりは、信頼できる。帰宅してから2万5千を見た。農鳥岳側から見て3つ目と4つ目のピークが3050mを超えており、地理院地図では3つ目のピークを西農鳥としている。この情報さえ持っておればもう少し自信をもって認めることができたかもしれない。
小屋をでてからしばらくは、花も少ない岩だらけの道をたどる。三国沢という大井川の源流を2750m程度の等高線に沿ってトラバースしていくのであるが、周り一面岩礫しか見えない景色は、スコットランドを思わせるスケールの大きい陰鬱さであった。小屋主が「途中に水が湧き出しているところがある」と言っていたが、50分でその水場があった。単に水が流れているのではなく、岩の隙間からかなりの水量で噴出しており、大変珍しい。この辺りになると岩だらけには違いないが、ナナカマド、タカネザクラ、コケモモ、オンタデ、シナノキンバイ、ハクサンチドリ、アオノツガザクラなどがチラホラと出てくる。水場から20分ほどで三国沢を渡るが、そこではもっと大量の水が流れていた。
歩きにくい道が終わり、三国平にでると少しホットした。間ノ岳から三峰岳を登って農鳥小屋に行くのに、前日のように三峰岳をピストンすると2時間半、三峰岳から三国平に出て、このトラバース道をたどると3時間半と大きな差があるが、その理由はこの歩きにくさにあったのだ。しばらくしてすぐに林の中の道となる。稜線歩きも悪くないが、ダケカンバ、モミ、コバイケイ、フキなどの緑の中を歩くと、安らかな気分になる。
正午過ぎに小屋につく。手続きをしていると、中のストーブの前にA君が座っていたので驚いた。雨なので、停滞したという。まずはA君のテントの側にテントを設営し、チーズやハムを肴にして、購入したビールを飲む。水場が近くて、大量に流れているのがなによりの贅沢である。そのあと、農鳥が目の前に見えるベランダで小屋主や先着していた人と話をする。ここの小屋主は、農鳥とは打ってかわって優しげな人で、「農鳥小屋の人は遠州の人で、言葉は荒いが気はよい人だ」と弁解している。「気がよいことはよく分かっていたが、やはり度肝を抜かれた」と笑っておいた。
雨も上がり、多少明るくなってきたので、乾かせるものを乾かす。コーヒーを飲んでいると、寝不足のためか眠くなってくる。寝てしまうとまずいので、早めに夕食を済ませる。また雨が降ってきた。隣のA君がテントを畳みはじめている。水が滲みてくるので、小屋に泊まると言う。これで3晩ともテントは1張りだけということになった。18時にはシュラフに入る。雨も小雨になり、風もないので熟睡できた。
この日は時間に余裕があったので、農鳥にいったついでに足を延ばして広河内岳まで行けたことに、帰宅後地図を見ていて気がついた。コースタイムは往復で3時間ほど、荷物もないので十分行くことができた。もっとも、ゆったりした1日が挟まったのも全然悪くはなかったのであるが....。
2008. 07. 19 熊の平から三伏峠まで |
コースタイム
0455 熊の平小屋、0540 安倍荒倉岳(2693)、0618 竜尾見晴?、0655-0710 北荒川岳が見える地点、0755-0800 北荒川岳(2698m)、0808 キャンプ場跡、0835-0918 巻道が終わり稜線へ、1010-13 北俣岳分岐、1028-33 北俣岳(2920m)、1054-1100 北俣岳分岐、 1135-50 塩見岳東峰(3052m)、1153-1213 塩見岳西峰、1300-05 塩見小屋、1316 塩見新道分岐、1330-40 モミ・ツガ林、1419 P2608m?、1450-1506 本谷山(2658m)、1524 旧三伏小屋分岐、1556-1607 三伏山(2615m)、1615 三伏峠小屋
この日は塩見小屋が適度の距離であるが、必須である予約ができていない。3連休の初日で混雑することは間違いない。先行して、塩見小屋に泊まるC氏に一応予約しておいてと依頼したが、多分無理であろう。三伏峠まで行くつもりで早めの出発を予定する。目覚ましが鳴る前に、少し寒くて目が覚める。3時半だったので、そのまま起きる。雨は止み、かすかに星も見えている。借りていたスリッパを若い女性従業員に返却し、5時前に出発すると、小屋主が窓から顔を出し、「気をつけて」と言ってくれる。
間ノ岳と農鳥の間から朝日が登る。今日も花の饗宴はつづく。タカネザクラ、ツガザクラ、ツマトリソウ、ゴゼンタチバナ、キバナコマノツメ、イチリンソウ、タカネヤハズハハコなど。出発して半時間ほどで大展望が広がる。目の前に近づいてきた塩見岳を撮ると、デジカメに電池切れとの表示。そろそろ無くなるかと思っていたので、驚かなかったが、やはり残念である。しっかり目で見ておこうと、周りを見回す。恵那、中ア、乗鞍、穂高、槍、その右は多分蓮華あたりまで見えていたと思う。その後、安倍荒倉岳まで1分との標識が目につき、登っておく。
ムカゴトラノオ、マイヅルソウ、ナナカマド、ミヤマキンポウゲなどが咲いているシラビの森を歩く。一本だけ蕾をつけたコバイケイソウがあった。やがて、林の中から急に岩峰の見晴らしのよい所に飛び出す。竜尾見晴という地点らしい。振り返ると熊ノ平小屋の先に鋸岳が、北アは大天井辺りまで見える。新蛇抜山を巻いているとチングルマの群生している所があった。マルバダケブキも多くなってきた。ミヤマコウゾリナかもしれないが、花はなく紫色の蕾がついているものがあった。おだやかな北荒川岳の頂上が見えた所で小休止する。だんだん日差しが強くなる。花を付けていないがミズバショウが群生しているところを通り過ぎ、北荒川岳の登りになる。途中で北アを見ると、鹿島槍、白馬までが見通せるようになっていた。仙丈、甲斐駒、富士も順に見え始める。
北荒川岳の頂上で念のためカメラを取り出してみると、驚いたことに復活していた。塩見の近景、仙丈・甲斐駒・間ノ岳を、節約しながら撮っておく。先ほどの警告が間違っていたのか、電池が回復したのか分からないが、結果的には最後までなんとか使えた。
北荒川岳キャンプ場跡も休憩によい所であったが、前回の休憩から1時間しか経っていなかったのでもう少し進むことにする。これまでのダケフキは蕾を持っているものが例外的であったが、ここに来ると数も多く、ほとんどのものが蕾をつけている。咲きそろった頃は見事であろうと想像できる。鹿の餌食にならない数少ない植物らしく、この後三伏峠の近くでも群生地があった。これまでほとんど見なかったハクサンフウロもかなり見るようになってきた。
P2719を巻き終わり、稜線に出た所で腰を下ろす。眺望がよく、濡れていたものを乾かせる日照があり、しかも木陰がある所をと探していたが、なかなかうまくいかない。この場所は、眺望と日照は申し分ないが、木陰がない。やや低いケルンのようなものの陰で我慢する。ケルンの隙間にオクヤマガラシのような白い花が咲いていた。御嶽が檜尾の左に見え、鋸も頂上が見えている。三峰岳もそれなりに立派に見えている。進む方向には、北俣岳の分岐までがしっかりと見通せる。なだらかな登りに続いて少しの急坂があり、その後は塩見まではすぐのようである。コースタイムより早目なので、安心する。バーナーを取り出して、スープ付きの昼食とする。登りの途中で、上から団体が下りてきた。この日初めて見るハイカーで、熊の平まで行くという。16人という人数なので、こちらが立ち止まってやり過ごす。
北俣岳の分岐にザックをおき、北俣岳まで寄り道をする。沢山のミヤマオダマキ、キバナシャクナゲの群落、イブキジャコウソウ(?) などの見ものがあったし、道もこれまでの遊歩道のようなものと違い、南アの山道らしい一端を知ることができてよかった。北俣岳にはなんの標識もないが、そういう点も好ましい。晴れているから間違いないことが分かるが、ガスの中ではGPSで確かめたくなる所である。
分岐点に戻り、そのまま塩見の頂上を目指す。シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、ミヤマダイコンソウ、イワカガミ、イワツメクサなどのほか、イワオウギ、クロユリ、「黄色で極小4弁の花が20個ほど集まった塊がさらに10個ほど集まったもの」を初めて見る。葉はヨモギ様。クロユリは白山に続いて、1ヶ月の間に2度も見たことになる。登り着いた東峰には、シコタンソウが群れをなしていたが、現場では名前を思い出せなかった。これまで全くなかった花が急に現れるのが面白い。地質が変化するためだろう。ここには、赤石山脈の名前の由来である赤色チャートが見られる。山頂には夫婦連れがいたが、すぐに下りていき、代わりにカメラと三脚を担いだ人がやってきた。この日の展望も悪くないが、北岳ほどの透明度がないし、電池も心配なので、パノラマ写真を撮ることはしなかった。鋸と甲斐駒の間に蓼科山が頭を覗かせている。西峰に移ってからも、靴を脱いで20分ほどゆっくりと時間を過ごす。
塩見岳東峰のシコタンソウと仙丈ヶ岳、鋸岳、蓼科山、甲斐駒ヶ岳、北岳、間ノ岳
(北岳の左は雲)
塩見小屋まではガレ場が続き、結構歩きにくい。道ばたには、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、ミヤマオダマキ、シコタンソウ、イワオウギなどが見られる。かなりの数の人達とすれ違う。頂上を往復して、塩見小屋に泊まるのであろう。塩見小屋では、到着したばかりらしい20人位の人達が小屋の人から注意事項を聞いている。定員が30人なのに大丈夫なのかと心配になる。C氏に頼んでおいた予約は通っていた。「泊まって貰ってもよいが、混みますよ。三伏まで下りられるのなら、その方がよいのでは」と気持よくキャンセルさせてくれた。小屋脇に残っていた雪で頭を冷やしながら下山にかかる。
塩見新道への道を分けた後、気持ちのよい樹林帯をゆるやかに上下しながら下っていく。途中で一度ザックを下ろし、2ピッチで本谷山まで登る。熊ノ平の主人が、「三伏までは下り下りなので楽に行ける」と言っていたが、それは間違いで、鞍部から本谷山までは200mもの登りであった。予想タイムよりかなり早くついたので、暑い所だったが、少し休む。その後、案内図にはお花畑と書いてあるところを通るが、それは開花にはまだ間があるマルバダケブキの群落のことらしい。旧三伏小屋の方へ下って、水を確保しようと考えていたが、ロープで通せんぼうしてあり、道も荒れてそうだったのでまっすぐに峠を目指す。三伏山までくると、峠のテント群が目の前に見え、翌日に歩こうかと考えていた小河内岳方面の眺めもなかなかよかったので、また一休みする。
三伏峠小屋はこれまでと一転したにぎやかさで、50以上のテントの花盛りであった。テントを使い始めて、10泊目であるが、これまではすべて一人だった。この日は遅くなるかもしれないと、米を研ぐことはせずに、ラーメンにバラ肉を入れたもので済ますことにしていた。しかし、現実には時間がたっぷりあり、ビールを飲みながら隣のテントの人とおしゃべりをしてから、テント設営にとりかかった。食後、翌日のために、水汲みに行っておく。
2008. 07. 20 小河内岳を往復し、鳥倉登山口へ |
コースタイム
0640 三伏峠小屋、0726-36 烏帽子岳(2726m)、0812-15前小河内岳(2784m)、0844-0915 小河内岳(2802m)、0940 前小河内岳、1012-25 烏帽子岳、1100-1200 三伏峠小屋、1210 塩川小屋分岐、1225-32 水場、1325-1425 鳥倉登山口BS、1620-1702 松川IC高速バスBS
周りのほとんどは塩見を目指す人達である。こちらはとくに急ぐこともないので、目覚ましもかけなかったが、5時に目を覚ました。6時にはほとんどの人が出払ってしまったが、それでも40張ほどのテントが残っている。あわてて酷暑の町に降りる気になれないので、午後のバスまでの時間を烏帽子岳方面への散歩で過ごすことにする。
この日もよく晴れているので、日焼けがひどい腕を保護するため、薄い長袖のシャツで歩く。これは正解だった。荷物がないので背中は涼しいが、それでもジンワリと汗ばむ感じである。所々で、南側の切り立った崖っぷちに出るが、下から吹き上げてくる風が実に心地よく感じられる。ミヤマキンポウゲ、ハクサンフウロ、タカネグンナイフウロ、ハクサンチドリ、ムカゴトラノオ、ズダヤクシュ、イワカガミ、ネバリノギラン、コケモモ、ツマトリソウ、ゴゼンタチバナ、カラマツソウ、タンポポの一種、緑色の花弁のキク科の植物などが目につく。シャクナゲが一本だけ花を残していた。ここでもルリビタキの声を聞く。
烏帽子岳の上には、塩見を登り終え、同じように立ち去りがたい思いの夫婦連れが憩っていた。この先には行かずに引き返すという。この頃は、日も陰りがちになっており、気持の良い山頂であった。仙丈、甲斐駒、北、塩見の山頂もガスに覆われはじめていた。この頂上にもシコタンソウ、イワツメクサがある。下りはじめると、ムカゴトラノオ、キバナノコマノツメ、ミヤマダイコンソウ、アオノツガザクラ、ヨツバシオガマ、ハクサンイチゲ、マイヅルソウなどに、花を残したショウジョウバカマが一本だけ。
前小河内岳に登り着くと、ここにも似たような気分の夫婦連れがいる。テント場で声を交わした人達で、「縦走してきたという人ですね」と覚えてくれている。彼らは、小河内岳小屋でもう一日過ごすことを考えていたが、天気もよくなさそうなので、小河内岳で引き返すという。前小河内からはその立派な避難小屋が見えており、意外に簡単に荒川岳方面とつながることを実感した。一日で中岳避難小屋か荒川小屋まで行けるようである。夫婦は先に降りていったが、すぐに追い越す。ミヤマセンキュウを初めて見る。チングルマもかなり残っている。
やがて、なだらかな頂上に達する。恵那、中アも前日までのような鮮明さではないものの見えている。中アと塩見の間の双耳峰が前から気になっていたが、二児山ということが分かる。塩見もガスがぬぐわれてきた。塩見に行った人達も喜んでいるであろう。富士もかすかに。荒川岳はしっかり見えているが、赤石はガスで見え隠れの状態である。例の夫婦が到着してしばらくすると、赤石のガスがすっかり拭い去られた。考えてみると、今回、はっきりと赤石岳を眺めたのはこのときが初めてである。
小河内岳から荒川三山と赤石岳 |
雷鳥の親子 |
あとは来た道を戻るだけである。今回3回目の雷鳥親子と対面する。今度も親鳥は母親だけで、この時期には夫婦で行動することはなくなっているらしい。烏帽子岳で少し寝ころんでみたが、日差しが強いのですぐに諦める。予定より早くテント場に戻れたので、まずはコーヒータイムとし、テントなどを片づけてから食事をはじめる。12時には出発しようと考えていたので、バーナーを使う時間がなくなってしまった。簡単な腹ごしらえだけで下山する。バス停に近づくにつれ、低山植物へと変化する。ヒヨドリバナが多く、ナデシコのようなのはセンジュガンピか。実際には、バス発車時刻の1時間も前に着いたので、峠でもう少しゆっくりすることもできた。
バスは延々と山の中を走り、大鹿村というなかなか味のある村を通り過ぎ、松川ICで下車する。何もない所だったので、10分ほど町の方に歩き、酒屋を見つけて、ビールとつまみを買う。予想通り、大変な暑さである。高速バスは大変速く、安価なので初めて利用した。しかし、連休のための渋滞であろう、1時間近くも到着が遅れた。このような不便なところはある。
涼しい夢のような5日間をもっと伸ばしたいところであった。あと数日分の食料さえもてば、聖まででも縦走できたのだ。食料がなくなれば、小屋泊にすればよいだけである。天候にも恵まれ、高山病や足腰の持病もでることなく、大変充実した旅であった。