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2007. 12. 8-10
  御坂黒岳・三ッ峠山


東京での仕事にかこつけて、二度目のテント山行を三ッ峠で試みる。当初は仕事が終わった週日に登る予定にしていたが、土日月の天気がよいようなので、急遽仕事の前に登ることに変更。コースも三ッ峠駅からでなく大石から登ることに組み替えて、週末の混雑を避けることにする。

同行: 単独

2007. 12. 08 河口湖大石

コースタイ

1210 甲府着、 1400-1530 河口湖美術館、1547大石自然生活館

朝一番で大阪を出れば、少し登ってから泊まることもありえたが、河口湖美術館にも立ち寄り、ゆっくりすることにした。この美術館は、富士山の絵画や写真を集めているのだが、最高級のものが集まっているというのではなかった。それより残念だったのは、絶好の場所にありながら、富士山が見えないという点。バスに乗って大石の湖畔まで行き、テントを張る場所を探す。自然生活館で水を調達しておき、物色していたら、馬場川の先に手頃な場所があった。夜中はかなりの寒さだった。翌朝の河口湖の最低気温は-2.3℃。



河口湖畔の夕暮れ



2007. 12. 09 黒岳、清八山、本社ヶ丸

コースタイ

0650 大石公園、0900-15 新道峠、0923 破風山(1674)、1024-42 黒岳(1793)、1114 旧御坂峠、1148-52 御坂山(1596)、1219 通称御坂峠への下り口、1318-25 八丁山(1580)、1349-1432 清八山(1593)、1456-1505 本社ヶ丸(1631)、1535 清八山

寒さで何度も目が覚めたわりには熟睡した気分でゆっくりと起きる。徐々に明けていく湖と富士を見ながら朝食を摂り、準備を終えて自然生活館まで行く。富士に朝日が射してくるまで少しぐずぐずする。それほど劇的な光景には出会えなかったが、一応、日の出に満足する。昨夜にチェックしておいた道を登っていく。すずらん峠に行く道は見あたらず、だれもが新道峠に向かうらしい。

それほどのんびりしていたわけではないが、予想より時間がかかって新道峠に着く。それまでも木の間越しに見えていた富士がすっきりと姿を見せてくれる。富士の左には御正体山と鹿留山・杓子山が並び、河口湖町の先には山中湖が微かに見え、その先の先は箱根らしい。黒岳の方に歩き始めるとだんだん西側も見え始める。太陽電池のパネルが並び、カメラを富士に向けた定点観測地点があるが、さすがに富士の姿がよいところを選んである。しかし、ほとんど雲もなく、富士の斜め後ろから日が射しているので、あまり絵にならない。



破風山手前の稜線から


特徴のない破風山を越え、先に大きく立ちはだかる黒岳に向かって冬枯れの気持ちのよい道を歩く。南アが見え始めるので、うしろを何度も振り返るが、すっきりと全体像が見えず、山の名前は分からない。黒岳との中間点あたりで、そろそろ全体が見えるようになる。聖、赤石、荒川がまず見え、白根三山には雲がかかっている。はじめて見る釈迦ヶ岳のピラミッドもすぐそこにある。黒岳に荷物をおき、早速展望台に行く。あつらえたような展望である。まず近くから言うと、破風山の先に、毛無山、十二ヶ岳、鬼ヶ岳、節刀ヶ岳が見えている。中間の距離になると、富士の右にこんもりとした大室山。毛無山の向こうに、天子山地の毛無山、雨ヶ岳。その奥は南アの南部の山々が延々と連なっている。南アは聖、赤石、荒川の他、蝙蝠岳が見えているかもしれない。塩見、白根は雲がかかっている。そのうち見えてきそうな雰囲気である。富士の左は若干視野が狭くなっているが、箱根は3つほどのピークが認められるようになっている。金時山、駒ヶ岳、丸岳と仮同定してみた。あとで写真を見ていると、伊豆半島にもピークがいくつか見えている。天城山といってまちがいないだろう。行動食を食べながら、このあたりまで眺めた頃、夫婦連れがやってきた。この日初めての登山者である。

そのあと、旧御坂峠に向かう。北側の展望もそこそこあるが、やはり木の間越しである。旧御坂峠までに、10人を越える人達と出会う。新御坂トンネルから登ってきたらしい。ここの新旧の名前は実にややこしいが、新トンネルの上が旧峠であり、旧トンネルの所にあるのが、太宰治で有名な通称御坂峠である。それはさておき、旧御坂峠には廃屋になった茶屋が残っており、御坂城があった場所という標識があった。1968年に古地図が発見されて、やっと真相が明らかになったというのが興味深い。

少し進んで、送電線のところから、はじめて南アの北部が見えた。農鳥、間ノ岳は間違いなく、そして頂上は雲に隠れているものの塩見、鳳凰三山、甲斐駒がはっきりと認められた。北岳はかなり隠れている。やがて御坂山を越えて、通称御坂峠の上に出る。すぐ下に車が路上駐車しているのが見える。ここから下に降りて、太宰治の文学記念館に寄るつもりであったが、出発が予定より1時間遅くなったので、取りやめることにした。これを優先させると、本社ヶ丸行きを諦めなければならない。その後も結構のアップダウンが続く。新道峠に出れば、あとは暢気な稜線歩きかと漠然と予想していたのとは大違いで、かなりの高低差を歩いたのではなかろうか。進行方向にあるはずの清八山というのもよく分からない。本社ヶ丸の方が分かりやすい。

送電線のある八丁峠からふたたび南アが望めた。いよいよ北岳、鳳凰三山も顔を出し始めた。もう少し行くと、標識のない八丁山のピークに達する。ここからはじめて、聖から甲斐駒までの全体を見ることができた。もう、北岳も塩見岳も頂上を見せている。そこから25分で清八山に着く。もうこの辺では人に会わないと思っていたが、頂上には8人ほどの若いグループが休んでいた。これだけの人数がいるとかなり騒がしいのが普通であるが、そんなことはなく、好ましい人達であった。笹子の方の登山口に近いということをはじめて知った。それほど快適とは言えないが、なんとかテントが張れそうである。餅を入れたスープで少し腹を満たしてから、テントを取り出して広げておいた。テントの中からこぶし大の氷の塊がでてきたのには驚いた。今朝、テントの内側に氷の膜ができていたが、気にしないで畳んでしまった。それが融けないまま、氷塊となっていたのだ。

そのあと、空身で本社ヶ丸まで出かける。本社ヶ丸は山梨百名山になっており、なかなかの展望である。先客が一人、食事をしていたので、いくつかの山を教えてもらう。左から菜畑山、丹沢の蛭ヶ岳、今倉山、御正体山、三ッ峠、富士山、御坂山塊、南ア、八ヶ岳は雲の中だが、茅ヶ岳は見えている。奥秩父、大菩薩嶺、小金沢連嶺、滝子山と続く。滝子の左の三角形は雁ヶ腹摺山だろう。すばらしい展望である。




本社ヶ丸から見た三ッ峠山と富士山

清八山に戻りながら、もう少し風が当たらないサイトがないかと物色したが、夕暮れや早朝の景色を見るには頂上以上の場所はないので、風がないことを期待して予定通りとする。多少ゴツゴツしていたので、落ち葉をかき集めて敷いておく。18時にはすべてが終わる。甲府の光が間近に見え、富士吉田の左側には首都圏の大きな光の塊が見える。テントに入っても、真っ暗闇ではないのは異常である。ちょうど航空路にあたっているのか、21時を過ぎても騒音が消えない。この山塊では静けさを求めても無理らしい。暗くなってからも、下界の明るさはそのままなのに、星空はきれいに見えている。この夜の最低気温は-10℃近かったと思う。1時間半おきくらいに目が覚め、着るものを一つずつ増やしていった。寝袋から出て座ったり、外に出ても一向に寒いという感じはしない。寝ていると地面からの冷気で寒くなるらしい。

2007. 12. 10 三つ峠

コースタイ

0700 清八山、0850-55 御巣鷹山(1775)、0912-36 三ツ峠山(1785)、1002 木無山(1732)、1010-50 昼食、1302 霜山(1302)、1243 天上山(1140)、1250-1300 カチカチ山ロープウェイ駅、1340 河口湖駅

朝起きると、放り出しておいたペットボトルの水はガチガチに凍っていた。南アは雲の中であるが、代わりに今回初めて八ヶ岳がはっきりと見えた。そしてその左に北アルプスのいくつかのピークが見えている。槍は茅ヶ岳の延長上になり、見えない。見えているのは穂高であろう。今朝も出発は遅くなった。急がないので気楽なものである。




清八山の朝(御坂山、黒岳、節刀ヶ岳)

気持ちのよい林の中を下っていく。途中で振り返ってはじめて、清八山の姿をしっかりと捉えることができた。御巣鷹山の手前のコルから頂上まで50分かかる。この北斜面に氷が着いていたら、さらに時間がかかったことであろう。御巣鷹山では例によって通信施設に占拠されており、頂点に立つことはできない。しかし、一個所だけ見晴らしのよい地点があり、徐々に晴れてきた南アを見ることができた。聖から北岳まで、塩見も含めてすっきりと並んでいる。眺望がよいと評判の三ッ峠に期待していたが、ここも360°ではない。南側は問題ないが、北側は邪魔物があり、奥秩父の一部や小金沢方面が見えないし、東側は木の小枝が邪魔になっている。リンゴをかじりながら、展望を楽しんだあと、下りはじめると、4人グループが登ってきた。この日に出会ったのはこの人達だけだ。




三ッ峠山からの展望



三ッ峠駅に下りるコースも歴史があるので捨て難い所であったが、河口湖駅までの稜線を、富士を見ながら全部歩き通すことも魅力があったので、木無山の方に足を進める。木無山はピークとも言えないもので、しかも植物保護のため一番高いところに入れないようになっている。そのあとの下り道は実にゆったりとしたもので、落ち葉の積もりフワフワで歩きやすい。10分ほど下ったところで腰を下ろし、パン、スープ、ヨーグルトの昼食とする。ぼんやりした富士山が正面に見える。鋭い姿ばかりでなく、このような富士もなかなかよいものである。そのあとも、いつになったら下るのかというような平坦な道が続く。電力会社の人があちこちに赤いテープを巻き付けているが、少し気になったテープがあったので、念のため道を外れてみた。そこが地図に出ている霜山であった。道からすぐであるが、気がつかないで通り過ぎる人が多いだろう。

ロープウェイ駅のあるカチカチ山を通り過ぎ、アジサイが植えられた道を通って町に出る。駅前で、ビールを飲みながら、名物のホウトウを食べる。麺はなかなかおいしいが、味付けが少し物足りなかった。この日は、甲府で荷物を取った後、相模湖で途中下車して、近くの嵐山でテントに泊まる予定にしていたが、出発が遅れたこと、貧しい食事に少々飽きてきたこと、翌日の仕事に備えて身支度する場所を確保する必要があることから、甲府で泊まることにした。翌朝に、車中からの展望も楽しめたので、悪くない選択だった。



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