2007. 04. 26-27 池山
連休の前に、池山尾根、空木、檜尾、檜尾尾根と歩く計画を立てたが、大地獄の手前でルートを見つけることができずに退却するはめになった。
同行: 単独
2007. 04. 26 池山小屋まで
コースタイム
1320 駒ヶ池BS、1425 三本地蔵、1436 林道終点(1365 m)、1500 篭ヶ沢岩窟への道、1508 鷹打場(1510 m)、1527 旧池山小屋分岐、1553 池山小屋(1750
m)
朝6時に家を出て、塩尻経由で駒ヶ根に着いたのが1153。随分と早いものである。急ぐ必要がないので、駅前で名物というソーストンカツを食べる。夕食用に、にぎり寿司を買ってバスを待つ。BSに登山情報を教えてくれる電話番号が書いてあったので、かけて様子を聞く。「3月までは寡雪であったが、その後かなり降ったので雪は多いし、下は氷になっている。人が入っていないので、ルートは難しい」とのこと。毎日更新される千畳敷の写真を見ていたので、大体は予想通りだが、氷は考えていなかった。駒ヶ池でバスを降りた途端、雨がパラパラと降ってきたので、雨具をつけて出発するが、15分もすると不要になる。上着やズボン下を脱いで、汗をかかない方を優先する。ヒノキの道をひたすら下を見ながら登っていく。やはり10kgを越えるザックなので、ゆっくりになってしまう。カタクリが何本か咲いている。3度目に林道と出会った所が終点。東屋もあるが、見晴らしはやっと下界が見える程度である。
旧池山小屋が沢沿いにあり、水もあるという標識が見える頃、対岸の斜面に雪が見え始める。登山道に雪が現れたと思ったら、すぐに小屋だった。遠くに見えたとき、あまりの立派さに驚いた。玄関の開け方もよく分からなかったが、戸板を一枚外して、横たえておき、中に入る。中も広くて清潔なので、快眠が保証されたようなものである。目の前の大きな山塊の奥に、稜線もなんとか見えているが、空木が見えているのかどうかは分からない。風が出てきて、木々を大きく揺らしている。小雪さえ舞ってきて、ゆっくり地図を広げる気分にならない。まずはコーヒーを作ってくつろぐことにしたが、水がない。前にある水道のようなものの蛇口をひねってもなにもでてこない。周りの雪もそれほどきれいではないので、使う気にならない。駒ヶ根で500ccだけペットボトルに入れてきた水だけが頼りだ。夕食は寿司を買ってきたので、スープ程度を作ればよいので、何とかなる。早めに食べて、備え付けの日誌に記録を残しておく。3月と4月に一人ずつが記帳しているだけで、やはり明日のトレースはあまり期待できそうにない。食事がすむと、することもないので、早めにシュラフに入る。はじめは、Tシャツと長袖長袖シャツの上にフリースを着て寝たが、だんだんと寒くなり、セーターを着込む。月の光が差し込んで、小屋の中もまっ暗ではない。さらに夜半には、それでも足りなくなり、ゴアの雨具を着込んでなんとかなる。外に出ると、傾きかけている月が出ているのに、星も沢山見える。明日の好天が期待しながら、またシュラフに潜り込む。
2007. 04. 27 池山小屋から大地獄の手前まで
コースタイム
0513 池山小屋、0553 尻無(1970m)、0607 マセナギ、0640 小ピーク、0715 この先危険の看板、0820-0900 3本のルンゼの所で右往左往、 0915-45 小コルの所に戻って昼食、1000 尾根通しに歩くが、見覚えがないので引き返す、1015 再び小コル、1025 先ほどの旧道と出会う、1055-1222 危険の標識、1303 南アの大展望、1316 マセナギ、1325 尻無、1357-1420 池山小屋分岐、1433-37 池山(1774)、1505 鷹打場、1525 林道終点、1620 駒ヶ池BS
朝起きると、案の定、好天気である。モルゲンロートの稜線が木の間越しに美しい。東川岳、熊沢岳あたりなのだろうか。寒かったはずである、小屋の前の水桶が凍っている。
避難小屋から東川岳方面のモルゲンロート
小屋から尻無までは北斜面を歩くので、雪は多い。ときどき難儀するが、アイゼンもピッケルも出さずに済ます。登り切って尾根に出ると、雪は少なくなり、風が強くなる。右手には駒ヶ岳や宝剣岳が頻繁に見えるものの、いつも木の間越しである。マセナギで、迷い尾根まで1.3
kmという標識がある。1.3 kmというのは結構長いぞと気を引き締めて登るが、確かに長かった。しばらくしてアイゼンを着けて、やっと足の緊張感がなくなる。万一、この尾根を下るなら、小屋までアイゼンだなと考える。「この先危険」という標識の前で、ピッケルも取り出す。これももっと早くてもよかったかもしれない。ストックが軽いので、ついつい使い続けた。鉄梯子も氷に覆われていて使えない所も多い。氷も青くはないが、ピッケルの石突きが跳ね返されることもしばしばであった。これまで、このような氷の道を歩いた経験はないかもしれない。
小さなコルを通り過ぎた所で、進退窮まった。正面の尾根には雪はないが、明らかにルートではない。その左手は雪渓になっていて、稜線に向かって3本のルンゼが這い上がっている。人が歩いたようでもあり、そうでもないようでもあり、分からない。赤布は一切目に入らない。まず真ん中を上がってみるが、雪のない所が見えても、やはり道ではない。岩の所に取り付こうとしたが、もろい花崗岩で、とても力が入らない。岩角で指を傷つけたらしく、いつの間にか数ヶ所から血が出ている。引き返すのも前向きでは無理で、後ろ向きのまま、そろりそろりと降りる。つぎに右手のルンゼに入ってみる。少し傾斜がゆるむ所までと思って登るが、そこにたどり着くと、なおも傾斜は厳しく、やはり進む気にならない。上が登山道であることが確かなら、無理したであろうが、違っていて、引き返すとなると、いつ滑落するが分からないような所である。少し息をついて、周りを見回していたら、10本爪のアイゼンが片方、ブッシュに引っかかっていた。滑落した人の悲鳴が聞こえるかのようであった。まあ、潮時かとコルまで引き返し、指の手当をしながら、腹に多少のものを詰める。中ア、南アがチラチラと見える。
尾根伝いに引き返していくと、見覚えがない景色が出てくる。木の梯子や赤布もあるし、方角も間違っていないのでしばらく進むが、やはり万一のことを考えて引き返す。コルまで戻り、あたりを見回すと尾根を巻く道が登ってきた道であることが分かる。いくら下りとは言え、すたすたと歩ける道ではない。慎重に凍った道を降り、警告の看板の所で、大休止とする。時間もたっぷりあるので、雪を融かしながら、昼食をとる。もう一度池山小屋に泊まることも悪くないなと思っていたので、夕食用の水も作っておく。
ここからあとはとくに気を遣うこともない。マセナギの所で、少し道を外れると豪快に並ぶ南アルプスが見渡せる展望台に出る。甲斐駒だけは見えないが、あとは全部見える。登りでは気がつかなかった。3000m群が終わり、光岳の右手には、加加森山を経て、池口岳がほぼ単一ピークとして見えている。鶏冠山、中ノ尾根山、黒法師岳で一段落する。その後、京丸山、黒石山、熊伏山と続き、もう少しなにかが見えている。
檜尾尾根の向こうに宝剣岳、木曽駒ヶ岳 |
マセナギの近くから荒川、赤石、聖 |
小屋まで来ると、なんと四ツ辻のところの水桶に、ふんだんに水が噴き出している。小屋の戸も開いていたので、連休に向けて誰かが入っているらしい。その人が栓を開けたのかもしれない。話を聞いてみたかったが、そのときにはもう町まで降りるつもりになっていたので、水を飲み、アイゼンやピッケルをしまって、池山に登る。立ち寄ってよかった。中ア、南アの両方を展望できる所であった。
池山から宝剣岳
池山からの下りは大変な笹藪で、途中で道がなくなる。方向だけでもしっかりと調べておこうと、磁石を取り出しながら下を見ると、道標が見つかった。そこまで藪をかきわけて下ると、ちゃんと立派な登山道があった。あとは、淡々と下るだけだ。BSまで降りて、駒ヶ根駅近くのホテルを予約する。
夕暮れになっても、天気はよい、ホテルの屋上から360°の展望をほしいままにする。それでも空木岳は前山の陰に少し顔を出す程度なので、分かりにくい。多分駒ヶ岳も見えていない。余った食糧があるので、夜も朝も部屋で自炊する。しかし、風呂に入り、ビールを飲みながらなので、小屋よりはましである。20時には寝た。残念であったが、無事がなによりと慰める。
(後記)
10月に再挑戦して分かった。小コルで左に足跡があったように思えたのでそちらに入って行き、ルンゼで往生したのであるが、実際は直進しなければならなかった。磁石を見なかったのであろうか。絶えず宝剣方面や南アがみえているので、直進するとすれば北に向かうと盲信していた。しかもそちらは下り坂になっており、てっきり大田切川の谷間に向かうものとばかり思っていた。左手は尾根の続きになっており、西側を目指しており、万一迷尾根の手前だとすると、急に南方向に折れ曲がるはずなので、左手を一生懸命目で探っていたのである。10月に行ったときには、迷い込んだ方に入らせないようにロープが張ってあり、直進する方向には空木岳へという立派な標識まで立っていた。足跡が一つでもあれば、分かったのにと残念であるが、要は、無雪期に行ったことのない所へ積雪期に行くのが間違っていたということである。しかし、漠然と登っていたとしたら、ちゃんと地形が頭に入っていない可能性もあっただろう。