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200
6. 02. 03  笹尾根

生藤山(990)、三国山(990)、熊倉山(966)、土俵岳(1005)、丸山(1098)
 


東北新幹線からの山展望をしているときに気になっていた笹尾根を歩く。いくつかの紀行文を読むと、三国峠→和田峠、笛吹峠→三国峠、西原峠→浅間峠といずれも東に向かって歩いている。三頭山や奥秩父などを前方に見ながら歩く方がよいと思い、逆方向にした。紀行文にあるよりは、もう少し歩けそうなので、多少長めのコースを設定した。

同行: 単独

   

コースタイム

0739 和田、0748 標識で左折、0832 尾根に出る、0853-0900 醍醐丸(867)、0951 連行峰、1010-35 茅丸(1019)、1048-57 生藤山(990)、1102-09 三国山(990)、1119-22 軍刀利神社、1134 熊倉山(966)、1226-37 浅間峠(860)、1313 日原峠(900)、1327 土俵岳(1005)、1357 小棡峠(1046)、1415-22 丸山(1098)、1525 芦瀬BS、1620 神戸BS

朝のバスの時刻を調べておいたが、藤野駅に着くと改訂されていたことが分かる。30分近く待たされたのはよいとしても、帰りのバス時刻が心配になってしまう。和田の集落でバスを降りると近くの民家の庭にいた小学生低学年の女の子が会釈をしてくれる。知らない人には近づくなというような悲しい教育が、ここまでは徹底していないらしい。道は凍っている。しばらく行くと、醍醐丸・生藤山へという標識があった。それらに登ればよいので、和田峠まで行く予定を変えて、そちらへと左折する。

しばらくは茶畑などあるが、すぐに山道になる。かなり冷えていたのでセーターを着たまま歩き始めた。20分ほどすると暖まってきたので、いつものシャツ2枚のスタイルになる。さらに20分ほどで腕まくりをするようになる。竹の林や椿の木を見ながら、落ち葉を踏みしめて登る。醍醐丸という名前の由来。「その昔、醍醐丸と茅丸という兄弟の小悪党がいて、鶴川、秋川渓谷を股にかけて悪さをしていたところ、ある日村の娘が武田藩の武士にいたぶられているのを見つけ、手にかけてしまう。そのため、大悪党としてお尋ねものになってしまう。村人の助けもあり、笹尾根へ登ったり降りたりして追っ手を避けていたが、とうとうある日、醍醐丸は山の頂で追っ手に捕まってしまう。弟の茅丸を尾根伝いに逃がしてやるが、茅丸もしばらく行ったところで捕らえられ、斬られてしまう。その場所をそれぞれ醍醐丸、茅丸というようになった。」というのは、歩きながら勝手に考えたストーリーである。

やがて太陽の光を全身に浴びるようになると峠である。左に行くと生藤山2.3 km、右は醍醐丸1.1 km、和田峠2.7 kmという位置である。これなら和田峠から歩いた方がましだったと思ったが後の祭り。折角名前の由来まで考えたので、醍醐丸まで行くことにする。同じ道を引き返すことの分かっている道の20分は長く感じる。醍醐丸では北側の展望があり、御岳、大岳、鷹巣、雲取が望めるが、南側は駄目である。立ち止まっていると冷えてくる。同じ道を戻るが、今度は目的の方角に歩いているのでむなしさがない。歩きながら富士が見えてもよいのではと左側をキョロキョロしていると、あった、あった。霞んではいるが立派な姿が木の間隠れに見えた。ああ、首都圏の人は恵まれているなと思う。登りついた峠からも見えていたが、後ろ方向なので見落としていた。「関東ふれあいの道」というらしく、標識も実に多いし、所々に木の名前を書いた札もぶら下がっている。葉や花がないと分からないのも多いので、一つ一つ読んで行く。目についたものを列挙すると、ヤマボウシ、ケヤキ、クリ、ヒノキ、マツ、スギ、ネジキ、イロハモミジ、コナラ、ヤシャブシン、ウラジロノキ、イヌシデ、ヤマザクラ、モミ、ブナ、ハクウンボク、クヌギ、マユミ、ソメイヨシノ、キハダ、アサダ、ホオ、オニグルミ。その後は所々で色々な方角の展望が開けるので退屈しない。大山から丹沢三峰が目につき、丹沢山は雲の中に隠れが、その右の蛭ヶ岳、桧洞丸、熊笹山、大室山、加入道山は見えている。大菩薩方面も見えてくる。

連行峰からもあちこちが見え、南アルプスも顔を覗かせている。大宮あたりの新幹線から見えるかどうかを知りたいが、そのような希望はかなうはずもない。その方向の見通しがよいことは間違いない。大菩薩の右にも遠い山が見える。迂闊にも広域地図を入れ忘れたので、そのときは見当がつかなかったが、帰ってから調べると国師岳、金峰山らしい。ふと気がつくと、笹の尾根を歩いている。この日は3種類ほどの笹があちこちに現れる。笹ばかりの尾根というのではないが、まあまあ笹尾根という名前でもよいかなという程度である。本日の目的の一つである茅丸につく。ここも景色がよい。多少の空腹を覚えたので、おにぎりを頬張りながら周りを見回す。途切れ途切れだが、ほぼ360°を見回せる。三頭山の右に唐松尾山から飛龍山にかけての尾根が見える。珍しくのどの渇きを覚えるので、お茶や水を結構飲む。500cc程度までに絞ってきたので、足りるかなと思うほどよく飲む。

生藤山もすばらしい展望で、ついつい足が止まってしまう。三国山ではさらに障害物がなくなり、少なくとも南から西の展望については、文句のつけようがない。朝方は霞んでいた富士山も、すっかり快晴になった青空を背景に、純白の姿ですっくと胸を張っている。御正体山、倉岳山、杓子山、九鬼山、三ッ峠山、御坂黒岳、鶴ヶ鳥尾山、扇山、滝子山、雨降山、権現山、小金沢山から黒岳に至る小金沢連嶺といわれる長大な尾根、雁腹摺山、大菩薩嶺と並ぶ。三頭山の両側の奥秩父も金峰山、国師ヶ岳、唐松尾山、雲取山と全貌を初めて見せてくれる。滝子山の左の南アルプスもしっかり見える。多分赤石と悪沢が見えている。



三国山から御正体、富士、三ッ峠、扇、滝子、権現。
扇山と滝子山の間に赤石、悪沢も見えている。


三国山から権現、小金沢連嶺、大菩薩、三頭。
大菩薩と三頭の間に金峰、国師が見えている。


日本武尊を祭神とする由緒ある軍刀利(グンダリ)神社の山宮があり、石碑に由来が説明されていた。熊倉山ではすっかり暖かくなり、また半袖になる。しかし、北側の斜面は相変わらず凍っており、何度もスリップしたあと、4度目にはとうとう尻餅をつく。腕を少しひねったが、大事には至らなかった。雪や氷が見えず、黒く見えている下が凍っているので、なかなか分かりにくい。熊倉から浅間峠までは、アップダウンを繰り返しながら、小1時間かかる。本当に上下の多い道である。浅間峠は東屋とベンチがあり、展望が全くないのでやっと落ち着いた感じになる。腰を下ろして、初めて休憩をとる。遠くの小鳥の声とかすかな笹の葉ずれの音だけの静かな時間である。

途中で降りても、どのみち最終バスになるので、土俵岳、小棡峠を経てこの近辺の最高峰である丸山まで足を伸ばすことにする。だんだん景色も霞むようになり、楽しみが減ってきて、歩くだけという感じになってきた。丸山を踏んだ後、まっすぐに小棡部落に降りる道をとる。

バスの時間が変わっていると大変なので、安全をみた。落ち葉の降り積もった道を一時間歩いて芦瀬のBSにでる。調べてきた時間と同じで、まだ1時間20分もある。待っていても寒いだけなので、公衆電話、ビールを探しながら、バス道を歩くことにする。大垣外でビールにはありつけたが、公衆電話は取り払われたとか。猪丸を越えて神戸まで来ると食堂があったので、入って食事をしながらバスを待つことにした。

コユヅリ、オオガイト、イマル、ゴウドと秋川側と同じく難しい名前が並んでいる。バスに乗ってからも尾続(オツヅ)、登下(トッケイ)などの名前が出てくる。上野原を1726の列車に乗り、高尾で乗り換え、八王子でコインロッカーから荷物を出し、新幹線で新大阪2202に着いた。世の中は信じられないくらい早くなっているなと思った。

今日の行程は上り下りが多かったので、積算してみた。概略、3350 mの高低差を歩いていた。上高地・前穂間を往復したようなものである。


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