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2005. 05. 12 御嶽山

小旅行の一環。女房殿は馬籠、妻籠でゆっくりしたいというので、一人で御嶽山登山に向かう。

同行: 単独

コースタイム

0547 馬籠、0803-21 田の原駐車場、091-914 金剛童子像、0925 8合目石室、1050 王滝小屋、1135-1205 御岳山頂(3063)、1225-30 王滝小屋、1326 8合目石室、1340 金剛童子像、1425-40 田の原駐車場、1638 妻籠

当初は馬籠の宿で一緒に朝食をしてから行動を開始するつもりであったが、天気が下り坂というので、朝食を取らずに早めに出発。コンビニで朝食分と昼食分を買い求め、少なくなっていたガソリンを補給する。寝覚ノ床の駐車場から少し川の方へ下りて、朝食にするが、シャツを2枚しか着ていなかったので、すこし肌寒く、陽だまりでも少し震える感じである。

王滝への分岐である神戸までが思いのほか長く、神戸から田の原までも結構の距離があった。御岳湖の南岸を走っていると御岳の7合目あたりが望めた。これで見納めかもしれないので車をとめて写真を撮っておく。かなり残雪があり、嬉しくなる。田の原駐車場には車は一台もない。

すぐ前の鳥居から幅広の雪道が直線状に伸びている。途中で沢山の賽銭箱があったが、財布を車においてしまったので、賽銭なしのまま、あちこちで無事を祈らせてもらう。直線道路が終わったあとはダケカンバなどの雪の尾根になる。右手に滑落すればかなり落ちそうなトラバースが一箇所だけある。八合目の手前あたりから雪がなくなりゴロゴロの岩を踏むようになる。八合目上の石室は入口が1/3ほど雪で埋まっていたが、中は十分寝泊りできそうである。やがて左手に大きな雪渓が見え始めるころ小雪がチラチラし始める。登山道が大雪渓へと入っていく所で、雪も目立つようになり、シャツ2枚では寒くなったので、ザックからレインウェアを取り出す。そのとき、急に小粒の霰が大量に降り始め、ザックや取り出していたビニール袋を叩いて大げさな音を立てはじめる。よいタイミングであった。念のためポールの代わりにピッケルを取り出す。雪の状態の見当が全くつかなかったので、ワカンもアイゼンも持ってきたが、まだ必要とも思えない。つぼ足で雪渓を登る。




遙拝所




登山道の残雪


九合目の石室も入口が2/3ほどの雪で埋まっていたが、中は問題なく使える。硫化水素のにおいが漂ってくる。多少凍結したところもある王滝小屋横の道を過ぎて拝殿で小休止。喉を潤し、地図で方角を確かめる。社務所を出ると、トレースがあったのでたどる。方角は西を向いており、おかしい。右手が火口原へ切れ込んだような尾根になっている。なにかの測量所のようなものがあったので、そこへの足跡かと得心し、引き返す。もう一度社務所の裏手に回りこむと、登山道らしきものがあった。拝殿の左手の雪が埋まっていた所から出ればよかった。

しばらく行くと二の池方面への分岐標識が出てきたので、間違いない。頂上までは雪がうっすら積もった岩の上を歩くが、登山道にはロープが張られており、迷う心配はない。ロープがないと、ルートはほとんど分らないので、磁石に頼らねばならない。七合目付近の雪の多い所でも、赤布が頻繁にぶら下がっており、迷う可能性はゼロに近かった。あまり過保護だと、登山の楽しさが半減するかもしれない。頂上では、視界が20 m程度だったので、本当に頂上かどうかさえ自信がなかった。しかし、、立派な社と神像があったので、まず間違いないと思った。帰ってから、撮った写真を案内書の写真と比較すると、正解だった。頂上小屋の前まで降りて、風をよけておむすびを1個半食べ、冷蔵庫から出したばかりのようなお茶を飲む。二の池、三の池あたりまで予定していたが、これだけ視界もきかないと行っても仕方がないので、それ以上進むことはやめて下山する。




御嶽山山頂


下り始めると、二重に手袋をしていたが、両中指の先の感覚がなくなってきた。体は薄着でも平気なのに、いつも手先が弱い。手袋をなんとか工夫しなければならない。王滝でもう一度立ち止まって、指をシャツの中に入れて暖めると、しばらくして感覚がもどってきた。大雪渓を終えたところでピッケルをザックにくくりつける。雪の道ではワカンをつけたほうがはるかに楽だとは思ったが、たいして潜るわけでもないし、着脱も煩わしいので、そのまま下った。最後の大江大神から駐車場までの直線の道がつまらなかった。駐車場にもどると車にもうっすらと雪が積もっていた。結局、誰にも会わない一日だった。結果論になるが、少なくとも、この日の条件に限れば、ピッケル、アイゼン、ワカンは不要であり、ポール1本で十分であった。

車でスキー場の下の清滝あたりまで下ってくると、霧雨で煙る斜面が山桜と新緑が味わい深い色調を見せてくれていた。御岳神社里宮もなかなかの風情であったが、折角着替えた乾いたシャツをもう一度濡らす気にもなれず、通り過ぎた。

帰宅してから調べてみると3000 mを超える山は1967年6月の富士山以来38年ぶり、ピッケル・アイゼンの登山は1971年4月の西穂高以来34年ぶりであった。外国では、メンヒ、ブライトホルンでピッケル・アイゼンも使ったし、3000 mを超える所も沢山歩いているが、国内では随分とご無沙汰していたことに改めて気がついた。東北の雪山はワカンばかりだったし、山の高度も2000 mを越すことさえ珍しいから当然かもしれない。



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