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5. 3. 26  石尊山・深高山・行道山 



桐生での会合の後かなり遅くまで飲んでいたが、翌朝の6時には自然に目が覚め、両毛線に乗って近くの低山を目指す。


同行: 単独

コースタイ

700 小俣駅、747 石尊不動寺、905-17 石尊山(486)、944-1000 深高山(506)、1040 猪子トンネル、1110-25 中手より不入(ふにゅう)までタクシー、1220-35 行道山(442)、1330 喜福寺、1339 上川田

ザックなしで肩からかけられるバッグ、山靴なしでスニーカー、雨具、食料、磁石もなし、衣類も会議に出たままの姿という最低限のいでたちで、気楽に出かけたが、結構大変な目にあった。地図がかなり当てにならなかったのだ。これまでもよくあったが、廃道のようになっていても、地図にはそのまま残っているといったことをまたもや味わった。

桐生駅のホームに着くと予定していた電車が出たところ。一旦外に出してもらい、朝食をしたが、これはかえって幸いだった。小俣駅近辺にはなにもなかったから。小俣が郷里であったF先生を思い出しながらのんびりとした田舎道を歩く。石尊不動尊の登山口から登りはじめ、しばらく歩いているうちに道がだんだん細くなり、むりやり登りつめると採石場の上に出てしまった。そこからでも道がついているように地図では読めるので、しばらく登ってみたが、とてもすなおに行けそうにない。谷を隔てて本道と思われる尾根が見えたので、もう一度下り、谷を越えると立派な登山道に出た。途中で朽ちかけた橋を渡ったのが間違いだったよう。稜線にはスギ花粉がぎっしりと敷き詰められており、水洟が絶えない。石尊山、深高山ではかなりの展望が楽しめる。赤城が今一歩のところで頂上が見えないが、ほぼその全容を見せてくれている。





町屋から石尊山





石尊山から赤城山



深高山を越えたあともコース取りに失敗した。松田町の清水、馬場のいずれかに降りようと考えていたのに猪子トンネルに出てしまった。バスが出ていくのがちょうど見えた。バスの時間は知っていたのだが、出発が少し遅れたので、無理なものと思い込んでいたが、急げば間に合っていた。仕方がないので、テクテクと歩いて下りていくと、十字路にJRの駅まで10 kmあるという標識がある。10 kmも舗装道路を歩くのは嫌なので、次のバスまでに行道山に寄ろうかと考えながら中手まで歩いてくると、後からタクシーが来たので、不入の登山口まで乗せてもらった。

運転手や町の人はもとより、不入の人さえも、そこから登山道があることを知らない。回り込んで浄因寺からの登りを勧める人ばかりであった。地図にはしっかりした道が書いてあるので、まあ行けるだろうと行道峠を目指したが、林道が途絶えると確かに道はなくなった。しばらく沢をつめてから左手の尾根に登ったが、両手に枯木を持たないと登れないくらい急な所で、靴はしっかりしておらず、腰に巻いた上着は引っかかるし、カバンは横からずり落ちるし、大変だった。尾根に出たあとは行道山の頂上までは問題なく歩けた。頂上はすばらしい見晴らしで、地元の人が2人いたので、展望談義をする。霞んではいたが、榛名、赤城、袈裟丸、前白根、晃石、馬不入、岩舟、筑波、三毳、犬伏とつづき、その右手に新幹線(間々田付近)が見えておかしくないと所期の目的をほぼ達した。袈裟丸、前白根はその人たちの指摘である。新宿のビル街も見えるとのこと。





行道山山頂から赤城山



434m峰まで戻り、適当に下りていくとすぐに道はなくなり、また登りなおし、木の枝にアルミフォイルが巻きつけてある所に出たので、そこから下りる。方向もまずまずだし、下界の松田町の町並みも見えるので安心できたが、道はまた消えていく。ここにはかなり棘のある潅木があり、かなりの引っかき傷を作ってしまう。倒れたマンサクの木に沢山の花がついていた。30分ほどで林道にでて、やっと難行から解放された。つまり、2つの山塊の上り下り4本全部がまともでなかった。バスまでの時間、食事をしたかったが食堂がなく、その代わり床屋があったので、気になっていた散髪をした。大阪には20時に戻った。






マンサクの花





喜福寺のミツマタ






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