2004. 3. 7 赤埴山
定年前の最後の恒例冬山登山。当初は男鹿山系の黒滝山と思っていたが、二人とも気が進まないようなので櫛ヶ峰になる。
同行: K1氏、K2氏
コースタイム
945 ミネロ第4リフト上出発、1013 赤埴山(1430)、1120 沼の平で引き返す、1145-1205 昼食、1325 東南稜で傾斜がゆるむ、1340 引き返す(1650 m?)、1520 赤埴山、1640 リフト下
猪苗代ミネロスキー場でまあまあの時間にリフトに乗る。「昨日は風が強く、リフトが停まったので、よかったね」と係のおばさんが言ってくれる。第4リフトの上にあるパトロール小屋で登山者カードに記入。登山者がよく来るのであろう、手慣れた丁寧な対応をしてくれる。しばらく急坂を登ると傾斜がゆるむ。霧氷をつけた低木が美しい。赤埴までは少しだだっ広く、帰りに分るかなと心配しながら登る。少し岩が出はじめたと思うとまもなく頂上だった。あまりに簡単なので、標識をみるまでは信じられないくらいだった。
赤埴山頂上
小雪模様の天気で進む方向の展望は全くない。しばらく進むと、磐梯山の沼の平の入口の岩峰が左に見えてくる。そちらの方向へ回り込むのが登山道らしいが、分かりやすいようにと小ピークに登ってから沼の平へ入っていく。使い慣れたコンパスが今日も見つからなかったので、人頼みになり、大変不安であった。正規のルートからかなり東にずれ、到達したコブは多分1406 mの地点であろう。回り込んで以前に行った東のルートから櫛ヶ峰へ登ることも考えたが、眺望が全くきかないので、それも不安でやめる。西に向って正規の登山道の方に向うことにしたが、風雪が激しく、すぐに足跡も消えてしまう。いくら頑張っても頂上までは行けないと判断し、無理をせずに引き返すことにする。もと来た道を探すのも一苦労。1406 mらしきところまでは問題なく戻れたが、その後は全く分らない。越えてきた小ピークが一瞬のガスの切れ目に見えたのでようやく岩峰の下まで戻ることができた。
沼の平を歩く
風をよけながら昼食をとり、時間があるので磐梯山の東南稜を少し登ることにする。風が強く、体感温度がどんどん下がるのが分る。堪らず手袋を3枚重ねにする。腰につけた温度計でさえ−4℃になっていたので、実際の気温は−10℃近かったかもしれない。フードをつけないでいた首周りも痛くなった。40分ほど登ったところで、両側がかなり急に切れ落ちたナイフリッジに出くわす。20 m足らずであろうか。K2氏が雪を払いのけながら道を切り拓いてくれる。その後の斜面のトラバースも少し緊張した。いつ雪面が滑り落ちてもおかしくないくらいの急斜面であった。少し傾斜がゆるみ楽な歩きになるが、時間も遅くなった。前方にちょっとした壁が立ちふさがったのを潮時に引き返すことにする。
スノーリッジを進む
東南稜の取り付きまで戻って
下りはさきほどの急斜面のトラバースは遠慮して尾根通しに行くが、なんの問題もなかった。なぜ登りに尾根を避けたのかが分らないくらいだった。ナイフリッジにさしかかると、さきほどの踏み固めた足跡は全くなくなっており、更に鋭くなったナイフが再生されていたのには驚いた。今回は先頭だったので踏み出すときは少し緊張した。しかし、下はさきほど踏み固めた道ということが分っているので、丁寧に雪を取り除くこともせずスイスイと歩けた。その後、岩峰のところを見過ごしてかなり下ってしまう。気がついて立ち止まり、左に見える小尾根に登るが、見覚えのない尾根であった。その向こうの尾根が目指すものであるという意見もあったが、元の知っているところにまず戻ろうと言って、岩峰の所に戻る。やはり、さきほど話題になった尾根が正しく、そこを下ることになったのだが、安心感をもって下れたのはやはり無駄ではなかったように思う。赤埴山を越えてからの下りが案の定、分らない。見慣れない風景の中を方角だけを頼りに下ったが、ミネロゲレンデの少し西側に出てしまった。ミネロに戻り、「警備員に下山の報告をしないといけないね」と言っているところにパトロールが通りかかり、「朝の3人パーティですね」と声をかけてきた。携帯で連絡してくれたので監視小屋まで登らずに済んだ。しっかりと現況を把握しておられるのに感心した。歩いて降りた2基のスキーリフト分は、標高差にして600mでかなり歩いた気分になった。登りに使ったリフト代800円は安いと思った。