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長時間ロスタイム  



道に迷うような山歩きが好きなので、迷った経験は事欠かない。ここでは、比較的長時間ウロウロしたケースを載せてみた。目的の山に達することができず引き返したような例も山のようにあるが、ここでは取り上げない。すべて単独行の山行だ。ピンクの線が実際のルート、青の線が迷い込んだルート。


 

トムラウシ山 (2009. 07)


天人峡温泉から白銀温泉まで5日にわたって縦走したのは、ツアー客の大量遭難があったのと同じ時だった。初日の化雲岳を越えた日と4日目のオプタテシケを越えた日は、2つ玉低気圧の暴風雨で低体温症になり遭難寸前だった。2日目も北沼では高い波が打ち寄せ、海岸に打ち寄せる波のようだった。トムラウシの頂上を越え、トムラウシ温泉への分岐点を過ぎた次の三差路で、うっかり右手に進んでしまった池のそばを通り、雪渓を渡り、半時間ほど歩いて、やっと磁石を取り出した。東に向かっているので、磁石が狂ったかと愕然とするが、やはり磁石が正しく、北沼への巻き道を歩いていることに気付き、引き返す。このロスのおかげで、天候が徐々に回復した頃にハクサンイチゲの大群落を通過することになって怪我の功名となった。

(55分のロス)



上ホロカメットク山 (2007. 06)


十勝岳温泉から、十勝岳、美瑛岳を経て白金温泉までの縦走。最初の夜を上ホロカメトックの避難小屋で過ごす。水は簡単に得られそうにないのでやや汚れているが雪渓の雪で我慢する。翌朝もまたガスであるが、分岐点の道標が見えるので、昨夕よりは多少ましである。この日は美瑛避難小屋までなので、時間があり余るくらいある。朝食をすませたのち、きれいな水が得られるかと、雪渓を下ってみる。往復で50分使ったが、とうとう水の音を聞くこともなく引き返した。下る時に気がつかなかった結構大きな支流もあり、コンパスで慎重に方向を見定めながら戻る。

(50分のロス)




中ア・袴腰山(2012. 09)

越百山から藪々の道を歩き、袴腰山の到着が15:45となる。安平路山はとても無理だ。周りは広々とした笹原で気持ちがよいが、標識はなにもなく、GPSの助けで袴腰山と知る。松川乗越まで下りてテントを張り、水を節約して食事をすれば、なんとか安平路山の水場まではもつかなと、すぐに下り始める。かなりはっきしした道を下ったが、やがて踏み跡は薄くなり、目指す尾根がうんと左手に見えてきた。とてもトラバースできるような感じではない。急坂をよじ登って元の所に戻る。再度周りを見回して、少し東側の道を下る。松川乗越が下に見え、これで大丈夫と確信したが、しばらく行くと、見覚えのある木の根っこや岩が出てきた。いつの間にか先ほどと同じ道を歩いていたのだ。重荷を背負ったまま、急坂を2度も登り降りしたのでうんざりし、あきらめて笹の上にテントを広げる。

(1時間20分のロス)



湖北・墓谷山 (2011. 03)

横山岳から鳥越峠を越え墓谷山に着く。眺望のよい頂上だったが長居をせず、14:50に下山にかかる。しばらく進むと、突然ひどい藪となる。短い距離だが、ワカンがあるととても乗り越えられなので、ワカンを脱いで藪を越えるとすぐに小ピークとなり、北側に支尾根が見えた。GPSの高度だけで目指す支尾根と判断して迷い込んだ。支尾根に入ってからも、かなり歩きにくい道で、とても正規のものとも思えなかったが、雪が詰まった所では急に歩きやすくなりどんどん下りていった。やがて目の下に沢が見え、間違いにやっと気がつく。セオリー通りに下りてきた道を引き返す。50分の下降で、尾根までの上りに1時間20分を要した。まだ明るいし、天気も上々なのでよかったが、これが雨の中だったら悲惨だった。主尾根に帰り着いて、できるだけ歩いておこうと、正しい尾根を下り、菅並までの中間あたりで暗くなったのでビバークする。

(2時間10分のロス)



湖西・武奈ヶ嶽 (2008. 01)

近江角川でバスを降り、赤岩山を経て武奈ヶ嶽に登る。比良の武奈ヶ岳ではなく高島トレイルの武奈ヶ嶽だ。武奈ヶ嶽の頂上では、雪煙が舞うほど風が強く、肌に突き刺さる。食事を終えてもまだ時間もあるので、新雪に覆われている三重嶽の方へ足を進める。数ヶ所行きつ戻りつしたものの、問題なくワサ谷コース分岐点に到着する。小さな標識が、雪からやっと頭を出している。稜線は明らかなので、ドンドンと下っていく。目印がほとんどない。3方を急な斜面に囲まれてしまった。大事を取って引き返す。正規のコースより一本南側の支尾根を歩いていたらしい。フリースを脱ぎ、気合いを入れて登り直す。ウロウロも含めて32分かけて下ったところを、24分で分岐点まで戻った。武奈ヶ嶽への登り返しもトレースがかすかに残っており、問題なかった。

(1時間のロス)

 

鈴鹿・白滝谷 (2008.. 04)

初めて鈴鹿の奥座敷に行ったが、手厳しい洗礼を受けた。西行河原でテント泊し、神崎川の右岸を遡行する。すぐに地図を紛失し、かなり行動が制約されることになった。道らしい道があるかと思えば、すぐに杣道になり、獣道になり、消えてしまうというのが繰り返される。ロスタイムを除いて、出発からほぼ2時間で気持ちよい川原に出て、小休止する。そこからツメカリ谷までも大変だった。道は分かりにくく、非常に危ない。両足だけで歩けるような所はほとんどなく、時には匍匐前進となる。そのうち、どんどんと高い所を歩く羽目になった。さんざん苦労したのち沢に下り立つ。天狗滝の滝口だった。上流に向かって歩き始めるが、すぐに道が分からなくなり、45分ほどウロウロした末、とうとう諦めて引き返す。引き返すのも楽ではなかった。よじ登ったり、よじ下ったりで、さすがにうんざりした。テントが張れそうな白滝谷出合に下り立ち、16:40にやっとねぐらを決める。

(数時間のロス)



鈴鹿・イブネ(2008. 10)


鈴鹿の奥座敷の中で最もゆったりしていて魅力的な場所はイブネだろう。イブネ北端から小峠の方向に向かって東へ下りる道を歩いてみた。ここは実にマメにテープが巻いてあり、これならいくら手強い鈴鹿でもなんとかなろうと楽観する。かなり下ってきて小沢に出会う。ところが、対岸には何の印もない。沢を渡ってしばらくあちこち歩いてみたが、まったくテープがない。前日の手強い鈴鹿に、少し気が弱くなっていたのであろう、安全策をとって引き返す。頻繁にあるテープを見逃さないように戻るが、それでも1、2度ウロウロすることもあった。後日、小峠から登ってきて迷いの原因が分かった。小沢の所で右岸に渡らず、左岸をそのまま下りるのが正解だった。

(1時間40分のロス)



鈴鹿・クラ谷(2010 04)

上水晶谷の出合のテントを出て、コクイ谷、クラ谷を登って、武平峠への一般道に出ることにした。沢谷を見送ったあとのクラ谷はすぐに小さなゴルジュがあるが、靴を濡らさずに乗り越えられ、その後はどんどんと水量が減っていくこともあり、苦労はなくなる。岩もしっかりしており、沢登りの快感を味わえる。やがて沢が広がり、かなりの規模の炭焼き跡にでる。沢が大きく逆S字にカーブしている地点で休憩。ここでもっと熟慮すべきだった。この辺で武平峠への道に移れたのだった。しかし、雨乞山という標識などを見ながら、どんどん西に向かってしまった。そして、来た方向が武平峠という標識に出会うまで、前進を続けてしまった。七人山のコルまでもう少しという所だった。ここから引き返したが、もう一度道を外し、予定しなかった長者池まで行ってしまった。

(1時間10分のロス)



台高・ホウキガ峰 (2011. 05)

ブナなどの木に囲まれている池木屋山の頂上でゆっくりと中食をとる。昭文社のコースタイムには霧の平という地名が掲載されていないが、多分4時間足らずで着くはずだ。ガスが出てきて、視界が効かなくなった。ゴアの上着を着て出発する。ホウキガ峰を過ぎてしばらく行ったP1290b+で南西に向きを変えるところを西南西に直進してしまった。サルノコシカケなどの写真などを撮りながら、下って行ったが、どうもおかしい。このためにGPSを持ってきたのだと、初めてGPSを取り出す。案の定、道から外れている。ほぼ外れた所を目指して登り返し、登山道に復帰する。大した距離ではなかったが、GPSの調整などで時間をとってしまう。

(30分のロス)



台高・霧の平 (2011. 05)


ホウキガ峰、弥次平峰を通り過ぎたあと、ピークが次々と出てくるので、どこを歩いているのかが分かりにくい。そろそろ霧の平かと思う頃に、いくつかのマーキングのある場所があった。テントも張れそうだが、「平」という感じはしない。GPSで調べると、見当をつけていた霧の平はもう少し南なので、念のため進んでみた。15分進み、少し高い所から見下ろすと、狭いコルがあったが、ここも明神平とは似ても似つかぬ狭い場所だった。実は、それが霧の平であることが翌朝通過したときに判明したのだが、その日は先ほどのマーキングの所に戻る。テントを張ったのち、東側の沢へ水を探しに行く。いくら降りても流れはない。40分も時間を使ったが徒労に終わる。米を炊く予定を変えて、簡単な夕食に変更した。

(40分のロス)





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