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ヒッチハイクの思い出
東北に住んでいた時は主に車を使った日帰り登山だった。関西に移ってからは車を手放し、公共の交通手段を使って駅から駅まで歩くことが多くなった。いずれも、ヒッチハイクとは縁遠かったが、それでもいくつかの山で人に助けられたことを思い出す。
太平山(2000. 09. 30) |
札幌から秋田に来て一泊。午前が空いたので、レンタカーを借り、仁別から太平山に登る。下山中に前岳の直前で仁別へという標識があったが、何はともあれ折角だから前岳に登らなくてはと登ったところ、ほとんど頂上らしいこともなく通り過ぎてしまったのが大失敗。どの道も仁別に通じていると錯覚して、地図を十分見ていなかった。しばらくして車も来ているスキー場の上部に着き、もう大丈夫かと直進し、やっと人の気配のする植物園にでる。登山をはじめた仁別は車でも30分以上もかかる遙か離れた所だと教えられ、愕然とする。2台の車に助けられ、駐車した所に戻る。宿に着いても、風呂に入ったり昼食をとる時間もなく、予定より遅れて会場に着く。(約13
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瑞牆山(2008. 05. 29) |
黒森からのコースで瑞牆山を目指す。初めは本谷釜瀬林道、途中から小川山林道を歩く。やがて高原野菜を作っている畑がでてくる。前方から軽トラックがやってきて前で止まり、乗せてやるという。「反対方向に行くのだけど」と言うが、それでもよいという。Tシャツ一枚で冷たい雨の中をしょぼしょぼ歩いているのを見て、気の毒に思ってくれたらしい。ありがたく乗せて貰う。車には暖房が入っていたが、かえって寒さを感じた。畑が鹿にやられて大変だと嘆いておられた。 |
天城山(2007. 02. 28) |
天城山から下りてきて、バスの出発時刻の15分前にゴルフ場に着いた。駐車場の向こうに富士山が聳えていた。遠笠山の鉄塔もすぐそこである。靴の泥を落としたり、自販機のジュースを飲んだりしながら待っていたが、一向にバスは来ない。駐車場からすべての車は消えており、携帯電話は電池切れ、公衆電話の電話機は取り外されているので少し慌てた。人里まで歩くのは構わないが、その日のうちに帰れなくなってしまう。幸いにもゴルフ場の開始準備に来ていた人の車が降りていくのが見えたので、停まってもらった。「定期バスが来ないのだが、行くところまで乗せて貰えないか」と頼み込んだところ、快く乗せてくれた。川奈まで乗せてやると言われ、これで無事大阪まで帰ることができるなと安堵した。車で走っても大室山の出発点までは長かった。こんな舗装道路を、よく歩いたものとあきれてしまった。(約25
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毛無山(2010. 02. 06) |
毛無山から下山し、バス停には定刻の20分前に着いた。すでに真っ暗になっていた。荷物の整理をしたり、体操をしたりしながら時間まで待つが、バスは来ない。5分も過ぎたので、ひょっとしたらヒッチハイクをしないといけないかと覚悟をする。富士宮方向からきた車が停まり、何をしているのかと聞いてきた。さきほど前を通り過ぎたのだが、この寒さ(−5℃)なので、心配になって引き返してきたという。イランから来たという人と日本人の二人連れ。親切な人がいるものだ。そろそろ冷えてきた頃なので、厚意に甘える。富士宮まで帰るところだという。途中で色々と話をしていて、富士宮名物の焼きそばはどんなものかと聞くと、美味しい所を知っているので食べに行きますかという。町はずれの小さな店に行く。確かにはじめて食べる焼きそばで、寄り道した値打ちがあった。富士宮で30分もJRを待ち、富士から新富士までタクシーに乗って、結局予定より1時間遅れの新幹線に乗った。(約21
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馬の鞍峰(2011. 05. 08) |
台高山脈縦走の途中で挫折して入之波に下りてくる。奈良交通に電話をすると、柏木からのバスは9:57と15:56だけとのこと。時間が余りすぎるので、柏木近くの不動窟にでも寄ろうかと考えながら、歩き始める。小雨が降ってきた。温泉旅館の上の小集落のところに出ると、コミュニティバスの停留所があった。しかし、このバスは週日しか運行されていないので、日曜日のこの日は走っていなかった。ねずみの嫁入りがつづく。うしろから来た車が停まってくれて、2時間半ほどの林道歩きに終止符が打たれた。 話し好きの人で、林業の状況がどうなっているのかなど興味深い話を聞かせてくれた。柏木を通り過ぎ、温泉もあり、食事や土産を買うこともできるという杉の湯まで送ってくれた。バスの時刻を調べると、出るばかりの時間だった。慌てて置いてきたザックを取りに走り、飛び乗った。(約14 q) |
傾山(2008. 09. 21) |
傾山から下山して駐車場までくると、3台ほどの車が止まっていた。東屋もあったが、着替えてもしかたないので、そのまま雨の中を歩き続ける。しばらくすると、雨があがり、日さえ照ってきた。後からきた車が止まり、有り難いことに乗せてやるという。駐車場から20分程度歩いた地点だったろうか。 |
宮之浦岳(2005. 04. 20) |
宮之浦岳から荒川登山口に着くとかなりの人が陽を浴びてくつろいでおられた。話を聞くと、こちら側も朝はかなりの土砂降りだったとか。予定していた定期バスが出るまで、1時間45分もあるので、尾立峠まで歩いて屋久杉ランドから来ている別のバスに乗ることにする。観光バスの運転手に聞くと、「登りばかりで300
mの標高差があるよ」と脅かされたが、ガイドブックには1時間とあるので、間に合うだろうと考えた。 |
Bryce Canyon(2007. 01. 14) |
UtahのBryce Canyonに行く。入口で気温を聞くと、-23℃という。Fairyland Loopを歩き、最後に大きな道迷いをしたが、Fairyland Pointという車道も来ている所に出て一安心する。道路は雪で完全に埋まっていたが、広い道路を歩くので心配は全くない。45分で公園のゲートに着く。巡回していたレインジャーの車が止まり、駐車場まで送ってやるという。「あと少しなので、全部歩く」と一旦答えたが、「あと1マイルはあるし、これからどんどん冷えてくるよ」と言われ、好意に甘えることにする。17時半頃に駐車場に着いた。夕暮れの景色を見るため、もう一度展望台まで足をのばす。とうとうこの日のコースでは誰にも会わなかったなと思いつつ車にもどる。ビックリしたのは、その数分間の散歩の間に急降下した体温。車を走らせながらヒーターを最強に入れても、長いこと、震えが止まらなかった。レインジャーの車に乗せて貰わずにあと30分歩いていたら、低体温症になったかもしれない。いわんや、この温度で渓谷に取り残されたら、凍死は間違いなかったろう。(約1.6 q) |