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忘れ難い山行へ  マニアックな山行へ




山の水彩画  



中学の時の最も苦手な科目が図画の時間だった。それほどなのに、山登りをやめたことをきっかけに、これまでの山行の記録をもとに水彩画を描いてみた。下手は下手なりに結構楽しい時間を過ごすことができた。



オプタテシケ山 (カブト岩付近から)
(2009. 07. 12)


天人峡温泉から白金温泉への4泊5日の縦走。この間2度も二つ玉低気圧に襲われ、低体温症で死の恐怖を味わった。化雲岳前後とオプタテシケ山前後の2日間の強風は猛烈だった上、誰にも会わなかったのでとくに恐ろしかった。同じ時にトムラウシツアー登山の参加者に多数の遭難者がでたことが大きく報道されたが、単独行だったので助かった面もあるかと思った。最終日、美瑛富士避難小屋からの下山時はやっと穏やかな天気になり、無事に山行を終えられたことに感謝した。



大雪山・美瑛富士・十勝岳 (富良野岳から)
(2007. 06. 28


最盛期には少し早かったのだろうが、富良野岳近辺ではイワウメ、エゾノハクサンイチゲ、チングルマ、エゾノツガザクラ、エゾコザクラ、キバナシャクナゲ、メアカンキンバイなどが群れをなしている。花の百名山の名に恥じないすばらしさ。天気はあまりよくなかったので、山岳展望は今ひとつだが、富良野岳からはいくつもの名山を目にすることができた。キタキツネやナキウサギといった北海道の動物も。十勝岳の下りの斜面が一面のイワウメで覆われていたのは圧巻だった。



左奥の阿寒富士と赤沼 (雌阿寒岳9合目から)
(2012.10. 27)


オンネトーで見た阿寒富士の上にかかる月、雌阿寒温泉への道のエゾアカマツの原生林、標高毎にくっきりと変化する植生、固有種のメアカンフスマの枯葉、島状に点在する這松、雌阿寒岳の噴煙を上げる火山特有の景観、雌阿寒岳と阿寒富士の頂上からの雄大な山岳パノラマと、変化に富んだ一日だった。



岩手山 (黒岩山から)
(2001. 12. 25)


盛岡で泊まった時は、朝食前のジョギングを兼ねて、近郊の低山を歩くことにしていた。黒石山のときは、道は分からないが、頂上は見えているので、どんどん登る。だんだんと夜が明けていき、岩手山が明るくなり始める。頂上は見通しが悪く、あわてて展望のききそうなところへ駆け下る。なんとかモルゲンロートに染まっている間に岩手山を拝むことができた。180゜程度が遮るものなく見える展望台で、寒いのを忘れて写真を撮る。帰宅後にそれをもとにピークを同定したら24峰にもなった。



秋田駒の横岳 (阿弥陀池から)
(1991. 11. 03)

 
八合目まで車で上り、午後の2時に女房殿、娘と歩きはじめる。頂上までは娘と二人だけで登ったが、簡単に登れたのに驚く。頂上からはいくつもの特徴のあるピークが見渡せるのが楽しい。遅い出発だったので、山頂でも阿弥陀池付近でも誰にも会わない静寂の時を過ごす。帰りに黒湯温泉に立ち寄る。

  


南雁戸岳 (雁戸岳から)
(2003. 02. 08)


冬になると毎年一緒に出かける山友達との登山。セントメリースキー場のリフトに乗って楽をしようと考えていたが、まだ動いていなかったので歩いて登る。最上神室、仙台神室、大東岳などの景観を楽しみながらゆるやかな斜面を登る。ニセ雁戸から見る頂上への斜面がかなり急で、少し心配になったが、クラストした稜線もアルミ製のワカンの爪を効かせて登り切った。帰途に南雁戸岳も考えたが、北雁戸よりさらに急に見えたので無理をせず下山。



大朝日岳 (平岩山から)
(1997. 10. 19)


朝日鉱泉に泊った翌日、鳥原山、朝日岳、平岩山、御影森山というスケールの大きな周回コースを歩く。山頂からは飯豊、月山、蔵王、吾妻などの山々を望むことができた。頂上で出会った新潟の人から、飯豊の右手に見えるのが二王子山と教えられた。13時間弱という富士山以来の長時間山行を終えて温泉に入り、大朝日岳を眺めながらビールを飲む至福の時間を過ごした。



燧ヶ岳 (尾瀬沼三平下付近から)
(1996. 07. 09)


娘との最後の山行。初日は上田代に寄り、沼山峠から、色々な花が咲き乱れる大江湿原を経て尾瀬沼の長蔵小屋で泊まる。翌日は一人で燧ヶ岳に登る。雨の中をぬかるみ、小川、雪道と最悪の条件だが休まずに歩きに歩く。何も見えなかった頂上からは南西方向の雪渓を下り、尾瀬ヶ原で家人と出会った後、尾瀬沼に戻る。最後の日は、朝早くに三平下付近まで散歩。歩くにつれて燧ヶ岳の姿が大きくなるのを楽しむ。



荒沢岳 (前嵓手前から)
(2011. 10. 25)


初日に雨になり、麓の銀山平で待機することになったので、予定していた兎岳から十字峡への縦走を諦め荒沢岳の日帰り登山となった。延々と続く鎖場を重荷を背負って登るのは大変だったろうから、よかったかもしれない。登り登りの道でやることがないので鎖の数を数えてみたら、前嵓に着いた所で40数本となった。荒沢岳の頂上からは360°遮ることのない展望で素晴らしいの一語。帰宅後に同定した山の数は62だったが、あまりなじみのない領域なので そのうち登ったものは18に過ぎなかった。この山が深田百名山から漏れているのは実に惜しい気がする。



谷川岳 (天神尾根から)
(2013. 05. 15)


初日はロープウェイを利用してゆとりがあったので、天神山にも立ち寄る。霞んではいるものの白毛門、笠ヶ岳、朝日岳などが見えた。橄欖石がごろごろする天神尾根を登るにつれ、ガスが薄くなる。これまで行ったことのなかったオキの耳を往復し、肩の小屋で素泊まりする。仙ノ倉山への縦走を考えていたが、翌日の天候は悪いというので、エビス大黒の頭の避難小屋までにして、その翌日の好天気に期待することにした。



仙ノ倉山 (平標山の家から)
(2013. 05. 17)


エビス大黒の頭の避難小屋から苗場スキー場までの行程なのでゆっくりした一日だった。予報通り、だんだんと晴れ間が広がる。仙ノ倉の頂上からは新潟方面以外の燧ヶ岳、至仏山、日光白根山、皇海山、赤城山、奥秩父、富士山、北岳、赤岳、浅間山、白馬三山などが見渡せる。万太郎-谷川-至仏はほぼ直線状に並んでいるのだが、真ん中にある谷川岳だけが見えないのが面白かった。平標山の家では小屋の女主人と話し込み、40分も長居した。小屋からさらに南下して、大源太山に向かう。標高は低いのにここでも申し分ない山岳展望が得られた。三国峠からという展望好きの夫婦連れが到着し、1時間の山談義を楽しんだ。



前女峰山 (遥拝石から)
(2011. 12. 20)


日光の宿で朝食を済ませてゆっくり出発。遥拝石までは一人のトレースがあったが、その後は消えてしまう。誰もいない唐沢小屋に荷物をおき、女峰山の頂上まで登り、暗くなる寸前に小屋に戻る。気温は小屋の外も中も氷点下10℃。シュラフに入っても寒い。どんどん重ね着をし、カイロをいくつも貼ってやっと安眠できた。朝起きると、寝る前に飲んだドリップコーヒーのバッグを床の上に置いていたのが凍っていた。湯を沸かしてかけてみたが、染みが広がっただけでまた凍ってしまい、処理するのに苦労したのが滅多にない経験。



黒檜山 (駒ヶ岳から)
(2000. 03. 18)


桐生の友人に車を借りて午後だけの雪山散歩に出かける。途中でスリップして大破した車を見て、気を引き締める。好天の土曜日なので、10組くらいが歩いていたようで、ラッセルの必要はなく、スパッツだけで大丈夫だった。ストック代わりの木の枝を現地調達、ザックもなしで半袖肌着に長袖シャツを着ただけの軽装で登ることができた。頂上からの展望は武尊山、燧ヶ岳などがなんとか見えるといった程度。駒ヶ岳を通過して下山。



荒船山 (ダムから)
(2009. 12. 23)


桐生から両毛線、高崎から上信電鉄で下仁田まで移動するが、両方とも素晴らしい山岳展望の車窓だった。公共の交通手段で荒船山に登るには、下仁田からバスで三ツ瀬まで行くしかない。いつものように一人になったバスを終点で下り、半時間ほど歩くと車登山の相沢登山口となる。艫岩、荒船山からの展望も満足できるものだった。断崖の末端まで行くのは、転落事故があったばかりなのでやめておいた。



浅間山 (浅間隠山から)
(2012. 12. 27)


レンタカーで二度上峠へ行き、両側の二つの山に登る。快晴の浅間隠山から見た真っ白の浅間山は雄大そのもの。これほどの好天なら、浅間山に登る方がよかったかもしれない。ピッケルとアイゼンが気持ちよく効きそうな斜面で、雪は締まっていて、ラッセルや雪崩の心配もなさそう。噴煙もあがっていないので頂上近くまで近づけたかもしれない。三つの日本アルプスをはじめ、100近い山を帰宅後に同定することができたほどの好展望台だった。



富士山、檜洞丸 (蛭ヶ岳から)
(2009. 02. 05)


檜洞丸から蛭ヶ岳まで、素晴らしい霧氷の中を歩く。山小屋で泊まり、翌朝外に出ると、檜洞丸の先にモルゲンロートに輝く富士山がどっしりと座っていた。それ以外にも、箱根、愛鷹、南ア、小金沢連嶺、大菩薩嶺、奥秩父、御前、大岳、近くの丹沢の峰々が見事だった。前日の曇り空の霧氷と違い、この日は太陽に輝く霧氷群で、違った趣きを堪能した。



妙高山 (大倉乗越から)
(2011. 06. 07)


妙高山から大倉乗越に向かう。踏み跡を追っていると長助池まで下りてしまった。念のため夏道の分岐点まで登り返す。道標は雪に埋もれていたが、切れ込みは見えたので、入って行く。10歩ほどの50°近い急斜面をステップを切りながら慎重に渡りきる。その直後にスリップしてかなり滑落してしまったので、そのまま撤退することを考えたが、夏の大トラバース道が終わる所が目に入り、気を取り直して登ることにした。トラバースを終わってから大倉乗越までの急斜面でも、踏み跡などはなく、かなりの苦労を強いられたが、乗越の後は問題なく高谷池ヒュッテに着く。



阿弥陀岳 (編笠山から)
(2009. 03. 15)


小淵沢から編笠山に登り、青年小屋辺りでテント泊して、その後の行程を決めることにした。滅多にないことだが、編笠山への登りで何度も立ち止まって休憩する。重い荷物、急斜面、深い雪と三拍子揃ったためだろう。山頂からは中部地方の主な山がすべて見えるかのような好展望だった。北東に一直線に下れば青年小屋なのに、樹林帯に入るとワカンでも潜ってしまう。かなりウロウロした挙句、諦めて来た道を戻った。



甲斐駒ヶ岳、北岳 (間の岳から)
(2008. 07. 17)


久しぶりの夏のアルプスで、目を奪うように高山植物が次々とあらわれ、山岳展望も申し分ないスケール。北岳からは南ア南部が大きな間の岳に隠れてしまうので、間の岳からの展望の方が優れている。展望だけでなく、山の姿としても個人的にはどっしりした間の岳の方が好きだ。しかし、間の岳から見た北岳の姿はさすがに第一級。北岳の水はすべてが富士川に流れるという珍しい山であることに今回気が付いた。日本の高山で他このようなものは知らない。



黒法師岳、バラ谷の頭 (丸盆岳から)
(2010. 05. 28)


寸又峡温泉から、黒法師岳、バラ谷の頭、蕎麦粒山、沢口山を周回するコースを歩く。バラ谷の頭でのテント泊は正面に黒法師が望める最高の雰囲気。バラ谷の頭から房小山にかけての平坦地には、獣道が縦横に走っており、分かりにくいこと甚だしい。人より獣の方が多いので、当たり前なのだが、いわゆる獣道の概念から遠い。人の歩く道は細々としているのに、堂々とした獣道に出会うと惑わされてしまう。人と獣が対等に共存しているような愉快なコースだった。



剱岳 (剱沢小屋から)
(1963. 09. 24)

剱沢小屋に入った翌日は曇りのち雪の中を頂上まで往復。その翌日は雪、みぞれ、雨で停滞。3日目は快晴。新雪に覆われた剱が朝日に照らされているさまは神々しいばかりだ。処女雪を踏んで再び剱岳へ。昨夜から剱沢入りしていた何人かのグループと前後しながら登る。前剱、平蔵のコル、カニの縦這いなどでの景色も、新雪がかぶっているだけで、これまで見たものと全く違う印象になる。頂上には足跡のない雪を踏んで一番乗りとなった。


三の窓雪渓 (劒沢から)
(1962.07. 22)


クラブの夏合宿を別山平で数日過ごす。この日は剱沢の二股から三の窓雪渓を登る。絵のように美しい雪渓である。上部に行くとニードル、チンネが横に聳え立つ。三の窓から小窓の王へ登る。白馬から鹿島までが目の前に展開し、さらには剱本峰への稜線、池ノ谷などいくら見ても見飽きない光景だった。再びコルに戻り、長次郎の頭へのガレ場の登りが2歩前進、1歩後退で大変だった。頂上を経て長次郎雪渓を滑り下りる。剱沢に下りてからの登り返しが実に億劫だった。夕日を浴びた剱岳を見ながら夕食をゆったりと楽しむ。



北薬師岳 (薬師岳から)
(2019.07. 17)


最後の北アルプスを小屋泊まりでゆったりと楽しむ。熱中している関西地方の鈴鹿の奥座敷、荒地山、丹生山系のような登山道がハッキリしない所の方が、頭を使うという点で面白いのだが、やはりアルプスの風景は雄大で、関西地方の山では味わえない。季節もよいので高山植物も沢山見ることができた。薬師岳山荘に泊まった翌日は太郎兵衛平を越えて北ノ俣岳、赤木岳まで足を伸ばし、それまでと違った角度からの景観に感激し、なんどかの雷鳥との出会いを楽しんだ。



かくね里 (遠見尾根から)
(1961. 06. 12)


初日の八方尾根では風雨がひどくなり、第3ケルンの上の雪渓で道を見失ったため黒菱小屋に引き返す。翌日、唐松小屋経由で五竜岳に登った。初日の停滞のため、鹿島槍まで行く予定が狂い、遠見尾根を経て下山。途中で仲間の一人がスリップして、かなり下まで滑って行ったが、大事に至らずにすんだ。行きそびれた鹿島槍だが、かくね里の雪渓を抱える雄姿を見ることができて満足した。



鹿島槍ヶ岳 (冷池山荘から)
(2009. 05. 09)

 
扇沢出合、冷池山荘、種池山荘でテント泊しながら、爺ヶ岳、鹿島槍に登る。鹿島槍の南峰からの展望は申し分ない。遭難者の捜索のためのヘリコプターがすぐそばを低空飛行している。できれば北峰まで足を延ばしたかったが、遭難情報に恐れをなして引き返す。種池山荘でテントを剣が望める北向きにするか針ノ木雪渓が正面に見える南向きにするかで迷った。南向きに張ったが、朝、テントから顔を出すと残月が岩小屋沢岳の左肩に沈もうとしているところを拝めたので正解だった。棒小屋沢ノ頭まで春山散歩を満喫してから引き返し下山する。



烏帽子岳 (ニセ烏帽子から)
(1961. 08. 02)


山の会の仲間と裏銀座から立山まで縦走しようという壮大な計画だったが、台風の襲来にたたられ、大幅な計画縮小となる。小屋の建設が始まっていた雲の平では、雨の中を花を愛でながら、散歩もできたが、双六池の前後ではずぶ濡れになりながらの涙の行進となる。新穂高温泉に下山して温泉入り人心地がつく。翌朝は台風一過で、初めて晴れの青空を拝めた。



槍ヶ岳 (大天井岳から)
(1967. 08. 02


仲間との夏旅行が終わり、有明から燕山荘まで登って一泊。翌日、大天井岳、常念岳に向かう。大天井岳、東天井岳から槍穂の稜線が間近に望めたのは迫力があった。何も準備していなかったのでズック靴で歩いたが、他の登山者から冷たい目で足元をジロジロと見られてしまった。ズックでとくに問題はなかったが、柏矢町駅までの13㎞ほどの舗装道路では、さすがに足に堪えてしまった。



前穂高岳北尾根 (涸沢から)
(1964.05. 06)


上高地での春山合宿の最後の日は、テント一つを残してもらい、一人で上高地でのんびりすることにした。全員が出かけたあと、ゆっくり起きると、とんでもない快晴。帰るのがもったいなくなり、もうひと歩きしようと、9時頃に出発する。岳沢から天狗沢をつめて天狗のコルへ。ジャンダルム、奥穂高岳、涸沢を経て上高地まで実に満ち足りた気分で一周した。休憩含めて9時間程度。軽装だったし、穂高山荘=涸沢間では尻セードで大幅に時間短縮しているので早かったのだろう。昭文社の地図による同じコースの歩程は16時間40分。



奥穂高岳 (西穂高岳から)
(1964. 04. 08)


沢渡から歩きはじめ、中の湯で泊まりたくなったのを我慢して釜トンネルを越える。道端の雪崩のあとを乗り越えて、雪に埋もれた上高地の木村小屋に泊まる。翌日、西穂の独標まで登り、西穂小屋に泊まる。その翌日はほぼ晴れたので、西穂山頂まで登る。5月の連休のときの景色と全く違う雪の穂高の荘厳な姿に心を打たれる。ひとしきり展望を楽しんだ後、上高地まで下り、もう一泊する。夜の大正池の散歩も心に残るものだった。美しいという言葉しか思いつかない貧弱な文才が情けない。



西穂高岳 (間の岳から)
(1972. 10. 10)

 
ジャコビニ彗星が見られるというので、空気が澄んでいる北アルプスに出かける。3連休だが、徳本小屋なら混んでいないと思ったが、大誤算。頭と足を交互にして並べられ、しかも暖房が暑すぎて、とても寝ておられない。小屋の外に出てシュラフに包まって寝た。彗星は見られなかった。翌日、上高地、岳沢を経て天狗のコルの避難小屋に14時頃に着く。どちらに進んでも小屋に着くのは暗くなるし、避難小屋なら前夜のような混雑はないだろうと、ここに泊まることにした。同じような考えの人が5-6人到着した。翌日、未踏の天狗のコル・西穂間の稜線を歩き、刻々と変わる景色を満喫した。



槍穂高連峰 (笠ヶ岳テント場から)
(2012. 07. 23)


ワサビ平から小雨がパラつく中、笠ヶ岳に向かう。少し歩くペースが落ちているようで、何人かの若者に追い抜かれる。頂上まで行ったのち、小屋で手続きを終え、少し下のテント場に落ち着く。テントの数は5-6程度。その夜は星が出ていたが、果たして翌朝は好天気なった。目の前に槍穂高のすばらしいシルエットが迫っており、さすがに日本アルプスだ。前日は一度も見えなかった笠ヶ岳の頂上も目の前だ。朝日が槍ヶ岳の左手からあがってきたのには驚いた。てっきり穂高から登るものと予想していた。この日の目的地は黒部五郎小舎なので、折角だが、頂上からの展望をスキップして、1時間でも節約することにする。



御嶽山 (乗鞍岳から)
(1962. 03. 20


位ヶ原山荘から乗鞍岳に登るが、風がきつい上にスキーのエッジが立たずに苦労した。頂上小屋でスキーをおいて、アイゼンとピッケルになると急に楽になる。もっと早くスキーを脱げばよかったのだが、そのようなことをするのに適当な場所もなかったし、気持ちの余裕もなかった。山頂からの眺めは槍・穂高がやはり圧巻である。こんな季節の単独行は初めてで、気分が著しく高揚する。頂上小屋からのスキーの下りは怖かった。技術が未熟なので斜滑降、キックターンの繰り返しで下るが、凍った斜面は抵抗が少なく、いくらターンをしても一向に高度が下がっていかなかった。



国見岳、御在所山、鎌ヶ岳 (イブネから)
(2010. 04. 23)

定年後、関西に移住してからしばらくの間は、鈴鹿の奥座敷とよばれている神崎川の上流近辺が気に入り、テントを担いで盛んに歩き回った。日本アルプスのようなしっかりした登山道を歩くのでないのが、とても面白い。沢筋の景観も変化があって素晴らしいが、イブネ・クラシという広々とした台地の広大な雰囲気も捨てがたいものを持っている。イブネから御在所方面の山々の同定が簡単なようで結構難しい。



大普賢岳、小普賢岳 (七曜岳から)
(2008. 05. 08)


念願の大峰山奥駆を5泊6日で歩く。無人小屋がたくさんあるので、テントを持たないことにした。最初に泊まった小笹ノ宿は、周辺に豊かな水が流れている別天地。日本庭園を歩いているような阿弥陀ヶ森。弥山からの大展望。芽吹き始めた新緑や可憐な春の山野草。深仙の宿からは、風雨の中で10もの峰を越える難行で、行仙宿に着いたときは低体温症寸前。シャクナゲに覆われた玉置神社に泊めてもらったときの入浴と豊かな夕食に感激。最後に熊野川を渡渉するときに転倒し、全身ずぶぬれになったのも忘れられない思い出となった。



鎧岳、曽爾高原 (兜岳方面から)
(2010. 11. 17)

 
曽爾高原のススキが素晴らしいというので計画したが、宿は満員とのことでテントを持参する。兜岳、鎧岳という個性的な岩山に登った後、済浄坊渓谷入口まで引き返し、事前に、テントを張れそうな場所をGoogle Mapで探したときに見当をつけた場所に落ち着く。色々な意味で最適だった。翌日、古光山、曽爾高原、倶留尊山に。古光山の急な下りで、ストックが木に挟まり、ロープをつかみ損ねて頭から5㍍ほど転落して大怪我したのが、忘れられない。おでこに大きなコブができたが、眼鏡が割れなかったのは幸いだった。亀池付近のススキは、雨に濡れたためか、あまり美しいとは思えなかった。



横尾、須磨アルプス (東山から)
(2025. 10. .23)


須磨アルプスは、六甲全山縦走路の途中にある300㍍程度の山塊で何度か訪れた。馬の背という所でちょっとしたスリルを味わえるというので、人気のハイキングコース。稜線途中で、南側の天井川の沢に下りたが、右俣、左俣のいずれもが困難な沢筋になっており、堰堤を越えるのに大層な苦労をしたのが懐かしい。



桶居山 (斎藤山の少し東から)
(2025. 01. 08


姫路郊外の南山や高御位山に行った時に鋭くとがった桶居山の姿が気になった。御着駅から出発して周回するコースを歩く。登るにつれ姫路方面の景色が広がる。斎藤山のすぐ下の送電鉄塔の背後にピラミッド型の桶居山への岩稜帯と須磨アルプスと言われている高御位山への景色が広がっていた。300㍍に満たない山々とは思えない大きな景色だ。高齢者にとっても、岩稜帯はそれほど危ないものではなかった。



弥山(宮島) (山頂展望台から)
(2016. 11. 24)


女房殿と厳島神社へ参詣したのち、ロープウェイで弥山に向かう。天気が回復していく瀬戸内海の景色を見ながら、弥山本堂を初めとするいくつもの御堂を巡って、弥山山頂に向かう。頂上の三角点を巨岩群が取り囲んでいる。展望台からは瀬戸の島々、広島や岩国の町などが一望でき、穏やかなひとときだった。西側への下山道をとると、一気に人の数が少なくなるが、こちらにも興味深いスポットが次々と現れ、飽きることがなかった。



次郎笈 (剣山の少し南から)
(2010. 10. 01)


剣神社で素泊まりし、翌朝早く、剣山に向かう。頂上ではすばらしい展望が広がる。なかでも次郎笈の姿は抜群。上半分はうすい茶緑のビロードをまとい、それが剣山からの稜線につながっている。下半分は紅葉と緑のスカートをはいて、実に優雅だ。近くに剣山という人気の山があるので次郎笈は割を食っているが、自分としてはこちらの山容の方が好ましいとかねがね思っている。同様の関係は、間ノ岳と北岳、蓮華岳と針ノ木岳、三峰山と高見山でも。



天狗岳 (石鎚山弥山から)
(1997. 12. 05)

 
ロープウェイを下りると、頂上付近でガスが出ているが、おおむね晴れており、積雪もたいしたことはない。石鎚山名物の4本の鎖には雪が着いており、鎖が太いこともあり、握った手がどんどん冷やされた。勾配も急なので、かなりの腕力登攀を強いられる。頂上からは、食事をしながら石鎚スカイライン、二の森、天狗岳などの眺めを満喫する。往復して帰るのもももったいないので、西之川への長目のルートを取る。加茂川上流の谷は実に美しかった。



三俣山と坊がつる (大船山から)
(1999. 05. 30)


白水鉱泉に泊まり、高山植物を楽しみながら大戸越まで休まず上がるとミヤマキリシマがあちこちに群を作っているのが見渡せる。平治岳まで登り、北側に並ぶ久住山、英彦山、両子山、由布岳、大船山の眺めを満喫する。時間が早い分空気が澄んでいる。大船山の頂上は南側が遮るものなく豪快そのもの。傾山、祖母山、遠く中央山地、阿蘇山が大らかに横たわる。目の前の久住の山並みと坊ガツルの広がり。少し東の端に行くと目の下に小さな御池に深い緑色の水が静まり返っている。山としては久住山より魅力的。



由布岳 (県道11号から)
(2006. 09. 20


午前中に仕事があるので、湯布院温泉を04:20に出て、西登山口から由布岳を目指す。整備不十分の登山道で、這い蹲るようにして、ランプで下に隠れた踏み跡を探す。正面に黒々と由布岳が聳えているのが見えたとき、ヘッドランプを消す。予定していた時間をかなり超過したので別のルートで下りはじめるが、そこも道らしきものがない。訳が分からないまま涸沢伝いに下って行くと自動車道に出た。快晴になっており、第1便のバスまで時間があるので、歩いて温泉まで下りる。刻々と姿を変える由布岳を見ながらの歩きは悪くなかった。



野底岳 (石垣島兼城から)
(2010. 01. 28)


石垣島でレンタカーをして、テント泊しながら、於茂登岳、桴海於茂登岳、野底山などの山に登る。野底山は標高282㍍という低山なのに、屹立した姿が印象的。頂上の角度は70°程度で、マッターホルン並み。丹波篠山市のトンガリ山の80°、姫路市のとんがり山の90°、立山町の尖山の110°に比べてもそのとんがり度は群を抜いている。荒川のカンヒザクラ、マングローブの群落で見たオヒルギ、メヒルギやムツゴローのようなトントンミーなど沖縄ならではの見所も多かった。



黄山 (始信峰から)
(1989. 11. 10)


前日に黄山温泉から北海まで縦走し、山水画に描かれている通りの峨々たる絶景が連続するのを満喫した。水平に歩いた記憶がないほど、階段の上り下りが連続する。しかも勾配がきつい。北海に着いたときの足の疲労はこれまで経験しなかったレベルだった。翌朝は快晴となり、日の出前に始信峰に行ったのが、二日のうちのハイライトだった。もっとも、前日の霧の中の岩峰群もなかなかの味があったので、どちらがよいかは一概に言えない。



Mt Machapuchare (Annapuruna base campから)
(2005. 11. 10)


定年後の楽しみにしていたヒマラヤのトレッキングに参加。バンコック、カトマンズ、ポカラ間の飛行機から延々と続くヒマラヤの景観に度肝を抜かれた。ポカラの郊外から歩き始めるが、たった2人のトレッカーに12人ものサポーターが同行するという贅沢な旅だった。登山中はゆったりと歩くので、高度障害もほとんどなかった。目的地のアンナプルナベースキャンプから見える山の中で最も目を引くのはマチャプチャレ。標高ではそれより高いものが林立しているのだが、なんと言っても姿の美しさでは群を抜いている。



Annapuruna South (ABC上の丘から)
(2005. 11. 10)

 
アンナプルナベースキャンプに到着後、時間と体力に余裕があったので、もう少し歩くことにする。35分休みなしに歩いてケルンのある丘まで登る。サーダーが雪の斜面をズック靴で登ってリードしてくれた。標高4250㍍程度だったろうか。今回の最高地点。そこからはアンナプルナ I 峰を初めとする8000㍍級の山々の競演を心行くまで満喫した。



Mt Kosciusko (Mt Carruthusから)
(2001. 11. 24


日本でいえば5月下旬なので、もう夏に近いかと甘く見ていたが、シドニーで聞くと、新雪まであるという。多少ましな靴と長袖シャツを購入してオーストラリアの最高峰に出かけた。案内所で一周9時間のコースを紹介され、翌日に歩くことにして途中まで様子見に行ったが、残雪の間に沢山の池塘が広がる気持ちの良い所だったのでついつい足がはかどり、天気も持ちそうなので、長袖シャツを腕まくりしたままで頂上まで行った。出会ったハイカーはみな防寒具を着ておられたので驚かれる。結局5時間半で一周してしまった。



Mt Allen、Mt Tuzo (Sentinel passから)
(1993. 09. 16)


Banffから車で1時間ほど北にあるMoraine Lakeから歩きはじめる。Larch Valleyでは3000㍍を超える10のピークがMoraineの向こうに次々と顔を見せる。鋭鋒が並んでいるが、それぞれが独立峰のようにかなり距離を置いている。落葉松の黄色と合わせて見事な眺めが続き、飽きることがなかった。Sentinel Passから見えるLefroy山の斜面からは豪快な雪崩がいくつも発生していた。



Mt Teton(Jackson lakeから)
(1989.06.30)


Yellwostone国立公園の変化に富む風景を堪能したのち、南下してGrand Teton国立公園に寄る。こちらの方が山の景色が良いだろうと期待していたが、やはり山は登らないとその良さが分からないことを痛感した。それでもJackson湖の奥に見えたTeton連峰の姿は見応えがあった。



El Capitan (Yosemite valleyから)
(2012. 10. 27)

 
いくつもの豪快な滝、個性的な巨岩を抱えるYosemite渓谷でハイキングを楽しんだ翌日、3000㍍程度の高所にあるToulumne meadowsに移動し、Lembert Domeに登る。大きな岩でできているこのドームの頂上直下は岩登り的要素があるが、日本と違いなんの警告もない。自分の責任で登ってくださいという感じで気持ちよい。ここからの景観は雄大で、渓谷とは違った味わいがあった。



Bryce canyon(Fairyland Loopから)
(2007. 01. 14)


公園の入口で聞いた気温は-23℃という。ビューポイントの一つSunrise Pointに行くと、岩の尖塔群の光景がパッと目に飛び込んできた。写真ではよく知っていたのであるが、とてつもないスケールで広がっていて、思わず息をのむ。赤褐色の岩塔の上には一面の青空、下には雪がうっすらと積もっているので、色のコントラストが美しい。そのあと、夏で4-5時間のハードコースとされているFairyland Loop Trailを歩く。尖塔が林立する中を歩いていると、誰にも会わない厳冬期で、もしなにかあれば、凍死だなと怖くなる。途中で道を間違えて1時間半ものロスをする。雪に埋もれてはいたが車道に出て、一安心する。車に戻った時は、ヒーターを全開にしても、10分以上震えが止まらなかった。



Death valley(Artists palleteから)
(1997.01.18)


Death valleyの夏は50℃近い酷暑だが、冬は快適。家族旅行で主に砂丘やゴールドラッシュ時の廃墟を車で巡った。3000㍍を超える山並みも見応えがあるが、塩が一面に広がる海抜—86㍍というBad waterも他では見ることのできない光景だった。少しだけArtist pelleteという色とりどりの岩の間を歩く。Red Cathedraという岩壁やManly Beaconという特異な形の山などを小一時間歩いただけだが、充実したひと時だった。



Tre cime(Lavaredo峠から)
(2010. 07. 19


Tyrol地方を女房殿と車で2週間ほど回った。いくつものハイライトがあったが、その一つがドロミテ地方の岩、岩、岩のドライブ。その最後を飾ったのがTre Cime。Lavaredo峠までの散策路を通り過ぎて、少しだけ谷の方へ下りて行く。ごく近くから仰ぎ見るような感じになり、迫力は倍増する。峠へ戻るため、道のないドロマイトのガレ場を登る。短い棒切れが落ちていたので、それをストック代わりに使った。周りには木は一本もないのに、どうしてそのような棒が落ちていたのか不思議だった。



Mt Similaun (Brizziseeから)
(2010. 07. 12)


Tyrol旅行で一日だけ、一人で登山をした。Martin Busch Huettに一泊する。大勢の登山者と一緒になったが、年配の女性も含め全員が大盛りのスパゲッティを注文し、すべてを平らげていたのが面白かった。翌日、標高3455㍍のKreuzspitze山に登る。山頂からの360°の展望は3000㍍を超える山が100座以上という豪勢なものだった。下山途中で立ち寄ったBrizzisee湖は大した大きさではないが、上からかなりの水量の沢が流れ込んでおり、きれいな水を湛えている。Similaun山を背景にのどかな雰囲気。


Gaissberg氷河 (Obergurglから)
(2010. 07. 13)


Tyrolの観光名所の1つであるObergurglに行く。ゴンドラを乗り継いで700mの高度差を一気に稼ぎ、2670㍍のHohe Muteまで上がる。少し高みに登ると正面に、二つの氷河が見える。温暖化のため雪も少なく、迫力に欠ける。しかし、そのあと歩いた山道では色とりどりのの花が雪山を背景に咲いていて満足した。Obergurgを出て、峠を越えてイタリアに入った時の緑豊かな風景への転換も印象的だった。


Mt Grossglockner(Franz-Joseph Hocheから)
(2010. 07. 16)

 
Tyrolの観光名所のFranz-Joseph Hoeheを訪れる。展望台からGrossglockner(3798㍍)が目の前に聳え、なかなかのものだ。Pasterzengletscherの奥にある真っ白のJohannisberg(3460㍍)も美しい。Franz-Joseph皇帝がElisabeth (Sissi)とやってきて、数時間眺め続けたというのもよく理解できる。1856年のことで、もちろん山岳道路はまだなく、ハイキングしてきたらしい。この氷河は毎年、高さで5㍍、長さで20㍍小さくなり続けているというが、少し信じられない規模だ。


Mt Jungfrau (Mt Mönchから)
(1993. 05. 16)


初めての4000㍍峰であるMönchをガイドを頼んで登る。Grindelwaldでも電車でも景色どころか、目の前のアイガーも見えない。ところが、Jungfrau Jochにでると快晴。目の前に大氷河が広がっており、ベルナーアルプスの名峰がずらりと並んでいる。高山病的な兆候もなく、苦労なくMönchの頂上に着く。季節外れのためかわれわれ以外に誰もいない。下山してケーブルの中ではしばらくボーッとしていたが、下に降りるにつれて、酸素が身体に徐々にしみわたってきた。やはり高山病の一歩手前だったことを実感した。


Mt Matterhorn(Trockner stegから)
(2000. 07. 15


2度目の4000㍍峰のBreithornに今度はガイドなしで登る。ロープウェイの終点で完全装備の2人連れ2組と一緒になる。視界もよくないので、彼らのあとを歩く。やがてガイド付きの3人組と一緒になり、同時に頂上に着く。ここにもなんの標識もないので、一人だと頂上に着いたことも分からなかったかもしれない。彼らはすぐに下山したが、こちらは時間にゆとりがあったので、1時間以上粘った。とうとうMonte Rosaが一瞬だけ顔を覗かせ、すぐにまたガスに包まれた。ロープウェイでTrockener Stegまで下りて、ビールを2杯飲みながら、ちらほら見えてきたMatterhornに目を凝らす。


Mt Liskamm(Gornergratから)
(2012.10. 27)


ZermattからロープウェイでSunneggaまで上り、Breithorn、Matterhorn、Zinalrothornなどを眺めながら食事を終える。そこから歩きはじめ、優雅な散歩気分でGornergratに行く。さすがにスイスで1,2を競う展望台のことだけはあり、素晴らしい光景が広がる。今まで見えなかったPollux、Castor、Liskam、Monte Rosaなどが一気に顔を出す。スイスアルプスの中で最も美しい山とかねがね考えているWeishornも頂上まで晴れ上がる。




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