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2019. 10. 30  鷲峰山 



京都の西山辺りから存在感のある姿を見せている山であるが、役行者とも関係のある行場が面白いというので出かけた。JRが遅れたので、大阪駅で走って環状線に飛び乗り、なんとか京阪宇治駅から予定のバスに間に合った。


同行S氏

コースタイム

0930 維中前BS、1000-05 信西入道塚・大道神社、1059-1108 休憩小屋、1133-1207 金胎寺、1219 迎え行者、1223 行場の辻、1232 東覗、1256-1300 胎内潜り、1302-07 千手の滝、1316-22 五光の滝、1330 清水谷川を渡渉、1333 護摩壇、1338-48 鐘掛、1352 小鐘掛、1412-15 平等岩、1440 行場の辻、1442 迎え行者、1454-58 金胎寺、1504-06 鷲峰山、1515 釈迦岳分岐、1544 茶宗明神社、1601-05 通泉園(郵便局前)、1645-50 維中前BS

ブルーガイドハイカーという本では、維中前BS=信西入道塚間が2kmなのに0:20、行場巡りが1:30、などとなっていた。茶宗明神社=維中前BSは0:50と他の部分はさほどおかしくなかったが、ここのタイムはガイドブックとしては不適当だろう。YAMAPでは、それぞれ0:40、1:40、0:50だった。われわれは、0:30、2:45、0:57と行場巡りを除いてまあまあ。行場巡りでは、写真を撮ったり、鐘掛で手間取ったりしたが、それでもどうしてこれほど遅かったのかが不思議だった。

宇治田原町の中心に近い維中前という変わった名のBSで下車する。維孝館中学前ということらしい。この町は、茶所の中心地で、いくつかの茶畑を眺めながら大道神社に向かう。期待していたほどのスケールのものはなかった。大道神社の前に、平治の乱で源氏に打ち取られた信西入道の塚がある。その後、舗装道路から離れて林道歩きとなるが、なんの特徴もないのに、結構の勾配の道が続き、いいかげん嫌になったころに休憩舎のある広場に着く。トイレもあり、その先には車道が走っている。少し歩くと山道になり、脇に大きなニオウシメジが存在感を示していた。名前は帰ってから調べたもので、食用にできたというので、通り過ぎたのは残念だった。金胎寺の境内に着くと大きなモミジの木があり、その下にテーブルとベンチがあった。読経の声を聞きながら、食事をとる。後で分かったがテープで流れている声だった。




信西入道の塚


 


休憩舎


 


ニオウシメジ




金胎寺入口



食後、社務所に顔を出し、入山料を払い、荷物をデポさせて貰う。ポールも邪魔かと思い、置いていこうとしたら持って行った方がよいと言われ、その助言に従うが、全く正解だった。出てすぐの所から遠方の山並みが見えた。三ヶ岳方面らしい。この日はどこからも展望がなく、ここが唯一のものだった。迎え行者という役行者像にあいさつする。頭巾を被り、一本歯も高下駄を履いているのは同じだが、歯をむき出しにして笑っているような顔立ちは女性的。右手の錫杖はなく、左手の巻物だけでなく、手首もなくなっているのはやや気の毒だ。行場の辻で指示通りに左手に進む。どんどんと下って行くと東覗と書かれた展望所に着く。前方の斜面が見えるが、たいした眺めでもなさそう。先に進んだS氏が木が繁っていてよく見えないというので、そのまま西覗に進む。ここは標識が大木に貼り付けてあったが、大木が倒れており、どこが覗か分からずじまいだった。その後の下りはかなり急で、ポールが役に立った。川のすぐそばに出たが、そのまま下流に進むのがなんとなくためらわれ、周りを見渡していると、下り立つ前に見た×印の横に、ルートを示す矢印があるのに気が付いた。登っていくとすぐに胎内潜りとなる。大した苦労はなく、反対側に出ると、規模は小さいが滝が連続して流れていた。そこを下ると先程の立ち止まった所にでる。すぐ下が千手の滝で、こちらは幾筋にも分かれて流れている見事な滝だった。高さ8bとか。その下の五光の滝は7bだが、一本の太い流れで、迫力がある。しかし、美しさは千手の滝に劣る。ここで左岸に移り、下りて行くと橋が出てくる。これを渡らずに右岸に渡渉するのが行場巡りの順路。すぐに護摩壇となり、もう一度役行者像を拝むことになる。こちらの方は錫杖も巻物も持っておられ、よく見る顔立ちだ。護摩を焚く広場のようなものはなかった。すぐに鐘掛、小鐘掛と難所が出てくる。太い鎖を握って登ろうとしたが、足がどうしても次のステップに届かない。とうとう、ずり落ちてしまったので、右側から巻いて登る。S氏はやや足が長いので、問題なく登って行った。次の小鐘掛も同じ、正面の正規のルートはかなり厄介。S氏が登った狭い岩のギャップの左側の岩も足が届かない。もう少し左側に回り込むと問題なく抜けられた。

そこから平等岩までは少し距離があった。平等岩の下に着いて、上を見上げるととても登ることはできないとすぐわかるくらいの平板な大きな一枚岩だった。右手からの巻道を登り、上に出ると太い鎖があったが、これは使われていないよう。その後で、展望台があると皆さんが書いておられたが、そこを通ることもなく、蟻の戸渡りとやらも気が付かず、気が付いたら行場の辻だった。




迎え行者


 


胎内潜り


 


小さな連瀑




千手の滝




五光の滝




護摩壇の役行者




鐘掛岩




平等岩



遅いので心配しておられた金胎寺の住職から荷物を受け取り、鷲峰山の山頂に向かう。うらさびれた本堂と多宝塔があったが、もう一つの重要文化財である宝篋印塔の場所が分からずきょろきょろしていたら、S氏がどんどん下り始めたので後を追う。多宝塔の奧にあり、そしてそこが山頂であることを後で知って悔やんだが遅かった。寄りたかった釈迦岳も、先行するS氏が振り向きもせず通り過ぎたので、諦める。これも後で調べると、好展望が得られる所とあったので、残念な気がした。あとは特段の特徴もないが、往路の林道よりは趣のある尾根道を下るだけ。集落に着くと、茶宗明神社があった。現在の緑茶の礎となる煎茶製法を開発・普及させた永谷宗円(1778年没)の功績をたたえ、1954年に集落の氏神である大神宮社に茶宗明神として合祀したものというので、ずいぶんと新しい神様である。この方法は宗円一人で開発したものではなく、宗円の功績は、衰退気味だった宇治茶の販売を江戸の「山本山」に委託して成功させ、宇治茶の名を不動のものにしたことにあるらしい。

ここから維中前まで歩いて戻ることになったが、途中にはお茶の製造・販売関係の建物がたくさんあった。その一つの店に立ち寄り、煎茶を飲ませてもらうが、美味だった。維中前までの時間はたっぷりあると思っていたが、店の女性が1時間位かかると言ったので、全部飲み終わらないうちに早々に腰を上げてバス停に向かった。ここでも茶畑を見ることはなかった。



鷲峰山の多宝塔



茶宗明神社





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