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2012. 09. 25 - 28
 越百山・奥念丈岳・袴腰山



5月頃から計画していたが、とても大変そうなので、体調が悪い、天気がもちそうにない等々の言い訳を作って延ばし延ばしにしてきた。今回も、より易しそうな聖平から光岳を経て寸又峡まで縦走する南ア南部とほぼ決めていたが、寸又川左岸道路が通行不能になっていることやこの時期にはバスも走っていないことが分かって断念。中ア南部の藪こぎ地帯を歩くとすると今年が最後のチャンスかとも思っていたので、とうとう決心した。

同行: 単独


 

2012. 09. 25 今朝沢橋から旧越百小屋跡へ

コースタイム

0835 大桑駅、0902 今朝沢橋、0946 福栃橋、1030-47 下のコル、1152-1207 展望台、1240-50 上の水場、1332 巻道へ、1355-1400 越百小屋、1505-30 越百山(2613㍍)、1543 コル、1614 旧越百小屋跡

できるだけ軽量化しようと越百小屋泊まりを考えていたが、団体が入って満員という。やむを得ず、あまり推奨されていないが、ここならテントを張ってもよいと、役場の人が言ったという旧越百小屋跡に初日に泊まることにする。テントを持って行くとなにかと安心ではある。大桑駅から今朝沢橋までは15 km程度あるので、歩くとするともう1日どこかで泊まらないといけない。日数を減らすため、本意ではないがタクシーを使う。

駐車場のある今朝沢橋まで30分で到着し、歩き始める。すぐに空木岳への道を分け、今朝沢に沿った林道を歩く。大阪から来たという人に追いつき、しばらくおしゃべりをしながら歩く。そのうち、「こちらは先が少し長いので」と言って先行する。岩の白さと淵の碧さが美しい沢やノコンギク、ミヤマアキノキリンソウなどいろいろな花を眺めているうちに福栃橋につく。


ここから山道となる。しばらくして下のコル。気持ちのよい広場なので、早速第一回の中食をとる。立ち上がって歩き始めると大阪の人も上がってこられるのが見えた。次のポイントは展望台だが、なぜこのような名前がついているのかがわからないほど、展望はなかった。御嶽山が見えるらしいが、晴れていても展望に適した場所とは言えない。そこから40分歩くと上の水場についた。荷物が置いてあり、水場の方に人影が2つ見える。こちらもザックを置いて、1Lのペットボトルを一つだけ持って下りていく。この調子なら越百山を越えて旧越百小屋跡まで行くことは難しくないので、水はほとんど要らない。

登りが終わり福栃山を巻く道へと入っていく。シラビソなどの間から越百山、南駒ヶ岳の展望が開けるようになる。しかし南駒の頂上部には雲がかかっている。水場ですれちがった2人連れも立ち止まって山を眺めておられた。枯れかけたカニコウモリ、ヤマハハコ、見事な色のゴゼンタチバナの実などがある。現代美術のような配色で有名な越百小屋が見えてくる。小屋からは越百が一応は見えているが、南駒の上は雲の中だった。


少し登っていくと、右手に崩壊地があり、そこから安平路山、摺古木山、恵那山などが見渡せる。さらに登ると紅葉の向こうに花崗岩の白い岩が点在する頂上部分が近づいてくる。シラタマノキなどが高山の雰囲気を演出する。御嶽山もやっと広々とした裾野を見せるようになってきたが頂上は見えない。




越百山が近づく



越百山の頂上には15時すぎに着いたので、ここでのビバークという線は消えた。水場の近くで泊まる方がよい。ゆっくりと周りを見回す時間もあった。まず翌日歩く予定の南越百山から安平路山への稜線に目がいく。安平路はすぐそこで、普通の山なら5時間もかからないかもしれない。摺古木山、恵那山、南木曾岳などが続き、その右手には近くの糸瀬山、御嶽山、南駒の北沢尾根の上に、独標、頂上が雲に覆われている三の沢岳、南駒ヶ岳、仙涯嶺。仙涯嶺にはガスが行き来しており、これがなかなかよい。南アは鋸岳、甲斐駒ヶ岳、北岳の左斜面あたりまでわかるがそれ以南は厚い雲の中だった。



笹薮の尾根がきれいな三角錐の安平路山まで続く。右後方に恵那山。




左に南駒ヶ岳、右に仙涯嶺


橙色に変化したネバリノギラン、チングルマの実などを見ながらコルに下る。「飯島側登山道通行止」という標識が出ている。この情報は知らなかった。なにかの折りに選択肢が狭まりそうだ。昭文社のCTではコルから小屋跡までは20分となっているが、今回は30分かかった。今朝沢橋から越百山まではCTよりかなり早かったので、すこしチグハグだ。

予定の旧越百小屋跡のテント場に着く。ひと張りするに十二分のサイズ。心配していた虫もおらず、水場にもすぐなので具合がよい。ただ今年の水は少ないらしく、沢に出てから水にありつくまでに少し下らなければならなかった。それでも水汲み時間を入れて10分というのは恵まれている。上の水場で洗っておいた米を炊き、おかずを作りながら酒を飲む。出来合いのおでん、鮭のバターホイル焼き、具を追加したみそ汁。

驚いたことにドコモが通じたので家人と話をする。ちなみに南越百頂上ではだめ。越百頂上は大丈夫とのこと。越百小屋は駄目だが、下っていって巻道が終わり、上の水場へと下る辺りで通じる。ラジオは中国語や韓国語が幅をきかせていて聞き取りにくいこと甚だしい。なんとか翌日は好天であることを確かめて寝る。月齢10程度で明るく、夜遅くになると隠れてしまい、星空がすばらしくなる。


2012. 09. 26 南越百山、奥念丈岳、袴腰山

コースタイム

0555 旧越百小屋跡、0635 コル、710-37 南越百山(2569㍍)、0820 コル、0927-42 コケのあるピーク、1056-1129 中食、1225-30 奥念丈岳(2303㍍)、1255 ピーク(39’17”)、1321 ピーク(39’13”)、1330 西南西から南南西へ(39’11”)、1404 ピーク(39’04”)、1432 ピーク(38’58”)、1545-1600 袴腰山(2239㍍)、1635 間違った道を下って戻ってきて再出発、1710 また引き返し袴腰山で幕営

前日下りてきた道をしばらく登ると夜明け前の南アのすべての3000m峰がずらりと見える。塩見の右に富士山も密やかに頭を出している。コルから南越百への道で早速間違ってしまい、CT10分を35分もかけてしまう。山腹を巻くように登山道がついているのに、尾根への道に引きずり込まれたため。シャクナゲやハイマツと格闘するうちに尾根の東側につけられた立派な山道が目に入り、そちらに下りていく。しかし、そこからの歩きやすい普通の道でも南越百の山頂まで10分かかったので、昭文社が悪いのか足が極端に遅いのかのどちらだろうか。


南越百山の頂上からは大展望が楽しめた。北に越百、南駒、仙涯嶺がどんと構え、中アではそのほかに独標が越百と南駒の間にわずかに顔を出していた。蓼科山に始まる八ヶ岳連峰、入笠山・釜無山、鋸岳から中の尾根山に到るすべての南アのピーク(それ以降も見えているが、すぐには山名はわからない)、この日に歩く予定の奥念丈岳、袴越山、安平路山。その後に恵那山、南木曾、伊吹山、能郷白山、白山、御嶽山。乗鞍岳は左裾がかすかに。少し下り始めると乗鞍岳の頂上部分も見え始めるが、それ以上の北アルプスは見えない。



南駒ヶ岳と仙涯嶺を背景に南越百山山頂

いよいよ、本格的な笹薮の核心部へと入っていく。40分ほどの笹こぎでコルに着く。P2454もクリヤーして下り始めた所で分からなくなる。迷った人のHPを見ていたので注意しながら下りたにもかかわらずである。道をはずしたことが明らかになったので、かなりの距離を赤テープの所まで引き返し、丹念に道を探したが見つけられなかった。尾根通しに南西に下ればよいと多寡をくくって歩き始めたが、やはり道があるかないかでかなり違う。しばらくしてGPSでチェックすると尾根のすぐ東側にいることが分かった。右手へトラバースしていくが、これがやはり結構厄介。10分ほどで尾根に着いたが道はない。仕方なく南西へと下っていくと知らないうちに道の上を歩いていた。面白かったのは、足を滑らせて尻餅をついたとき。前にズズーっと神戸のルミナリエのような見事なアーケードがあった。上から見ていると道があるのかないのかはっきりしないが、下から見ると実に立派な道になっていた。もう一つ面白かったのは、笹薮が背丈をこえるような高さになったとき。いかにも大変そうだが、実は逆で、大変楽になる。普通の姿勢で笹をかき分けるだけで道を見つけることができるからだ。かがむ必要がない。



これでも登山道

福栃山が見えるなど、所々では展望もあるが、ほとんどは下を見ているので楽しみが少ない。尾根が南西から南へと方向転換する所には笹がなく、久しぶりに土の上を歩いた。シラビソが適度の木陰を作っており、下にはコケが生え、なんとも落ち着いた気分にさせてくれる。おやつを口に入れ、少し休む。20分足らずで木曽側が大きく崩壊したガレ場に下り着く。ここも笹のない所でホッとする。ガレ場から1時間ほど笹薮を漕いだが、奥念丈岳まではまだまだありそうなので、昼食をとることにする。暑さもかなりのものなので、消耗する前に食べておきたかった。奥念丈までさらに1時間を要した。頂上では高い木や烏帽子岳が邪魔をして、白根三山以北はすっきりとは見えないが、それより南側はきれいに見える。

南越百から奥念丈まで休憩時間を除いて4時間かかったことになる。帰ってからGPSのトラックを見ると、あちこちで軌跡が乱れているが、非常に大きなロスはP2454後の一度だけなので、CTの2時間20分に比べてかなり遅い。最近、老齢化による速度の低下傾向が気になっているが、ますます顕著になってきたらしい。疲れたわけでもないのに早く歩けないのだ。この調子では安平路小屋までとても行けそうにない。浦川山でも狭いが平地があるらしいので心配はしていない。そんなことになるなら、朝の出発前にもう一度水汲みに行っておけばよかった。真水 0.7L、ポカリスエット 0.5L、煎茶 0.2L、野菜ジュース 0.2L、ゼリー飲料 0.1L程度が全財産だ。朝食は多少不便でも、安平路山を越えればすぐに水場があるので、何とかなるだろう。

その後も遅々として進まない。ピークに来るたびに一応GPSの記録を残していたが、地図上で予想しているのに比べてはるかに進行程度がのろい。奥念丈を出て、南南西へ屈曲するピークまで1時間かかっているが、直線距離で約 400 m進んだだけなので、時速 0.4 km。奥念丈から袴腰までの合計タイムは3時間15分。CTは1時間30分。とくに休憩をしていないので、道を見失ってウロウロしたロスタイムと老齢化による遅れだけでこれだけの大差となった。袴腰山の到着が15:45となったので、浦川山さえ無理のようだ。周りは広々とした笹原で気持ちがよいが、標識はなにもなく、GPSがなければ、袴腰山にいることも分からなかっただろう。浦川山の手前の松川乗越でテントを張っても、翌朝なんとか水場にたどりつけるかなと、すぐに下り始める。

少し東の方へ行き、かなりはっきしした道を下ればよいらしいが、どうもおかしい。沢状になった所にあるしっかりした踏み跡を下っているのだが、やがて道形は薄くなり、目指す尾根がうんと左手に見えてきた。とてもトラバースできるような感じではない。これはおかしいと、急坂をよじ登って元の所に戻る。35分のロス。再度周りを見回して、少し北側にそれらしき道があったのでそれをたどる。松川乗越が下に見え、これだと確信する。しかし、しばらく行くと、見覚えのある木の根っこや岩が出てきて、いつの間にか先ほどと同じ道を歩いていることに気がつく。ここで戻ればよかったのに、「こんなにしっかりして道なので、先ほどは執念が足りずに見つけられなかったのか」とさらに下る。やがて、やはり同じ判断を下さざるを得なくなり、またよじ登って頂上に戻る。もう一度35分のロスとなった。重荷を背負ったまま、意味のない急坂を2度も登り降りしたのでうんざりする。もう遅いので、もう一度道を探すのはあきらめてここに泊まるしかない。周り一面は笹原で平坦な所は全くない。テントを広げて、適当に笹の上に置いてみる。マットを広げる必要がないのはよいが、4隅に重いものをおいても全然落ち着かない。辛うじて見つけられる地面にバーナーを置いて炊事を済ませる。昨日の残りご飯とレトルトカレーに、その他を追加してと思っていたが、やはり疲れているのだろう、カレーだけで終わった。カレーを温めたお湯を捨てずにコーヒーを淹れるのに活用し、水を節約したのはグッドアイデアだった。今夜も月が出ているよい天気なので気持ちはゆったりしている。夜中に起きてテントの扉を開けてびっくりする。目の前に笹の大群が押し寄せてきた。急に成長するはずはないので、テントが傾いて動いたのだ。




笹の上のテントと月


2012. 09. 27 袴腰山から旧越百小屋跡へ

コースタイム

0640 袴腰山、0700-25 道迷いののち尾根に戻り休憩、0800 コル、0820 2200㍍付近、0833-54  北東から北北東へ、0950 北から北東へ、1056-1129 奥念丈岳、1147-52 ピークで電池交換、1250-55 休憩、1330-44 ガレ場、1416-33 コケのある無笹地点、1500-03 好展望のP2456、1520 コル、1530-35 休憩、1625-40 南越百山、1653 登山道へ、1658 コル、1723 旧越百小屋跡

同じ道を戻るにしても、前日の経験が生かされるとも思えないし、水も心配なので、4時に目覚ましをかけておいた。聞こえなかったのか起きたのは5時半。この日も快晴。消耗しない程度の適当な日差しで、水バテにならないことを祈るだけだ。ザックに荷物を詰めたが、最初から道が分からない。空身で周りを徘徊し、漸く昨日登ってきた道をみつけた。

しばらく明瞭な足跡をたどっていたが、かなり下ってから間違いであることに気づく。北東に進まねばならないのに北北東へ下っている。目的の尾根は右手遠くにあり、トラバースはありえない。正面に福栃山から越百山への稜線がすぐそこといった感じで朝日を浴びていた。急坂を登り返し、テープのところに出る。25分のロス。しかし、ここでもテープからの道を見つけることができない。道がないはずはないのだが、見つけられない。目標とする鞍部ははっきり見えているので、それに向かって笹を漕ぎ下りる。道があろうとなかろうと、同じ笹漕ぎと思うが、やはりそうではない。しばらくしてコンパスで確かめると、知らない間に右の方へずれ、東方向に歩いていた。頭を上げると確かに尾根はかなり左手にある。いやなトラバースを済ませ、コルに着いたのは8時。北北東への屈曲点付近(39’00”)に出たのは出発してから1時間40分後。少し休む。袴腰山から直線距離にして400 ㍍ちょっとといった程度なので、時速にすると0.24 km/h。その後は比較的スムースに奥仙丈岳に戻り着く。袴腰から奥念丈まで合計3時間30分。CTは2時間。縦走を続けなかったのは正解だった。色々な人のHPを参考にしたが、皆さんほとんどはCT程度で歩いておられる。ただし、ほとんどは元気いっぱいの若者か、せいぜい中年程度の人しか歩いていないようで、そのような人達の記録を参考にしてはいけないということかもしれない。





この日も笹、ささ、ササ。赤いリボンが登山道であることを示しているが。

奥念丈岳では太陽を遮るものがないので、前日同様通り過ぎようとした。しかし、これだけの展望のある場所もこれからあまりないので、小休止して中食をとることにする。わずかな木陰でなんとかエネルギー補給をしておく。頂上を出て20分してGPSの電池を交換する。そのとき、奥念丈にウェストポーチ用の小さなペットボトルを忘れてきたことに気がつく。貴重な100cc程度のお茶が入っていたが、40分も使って取りに戻る気にはなれない。

その後は何とか目処も立ってきたので、ガレ場、コケやイワカガミのあるピーク、南アのパノラマが抜群にすばらしいP2454などで頻繁に休みながら南越百山に戻る。最後のコルから南越百までは150㍍の登り。それをこなしてハイマツの向こうに花崗岩の配置された庭園のような頂上部が見えたときはさすがに嬉しかった。南越百山の頂上でゆったりと最後の休憩をとる。

前日にコルから南越百への登りで道を間違えて苦労したというのに、またコルへの下りで間違えた。道は完全な尾根の上でなく、少しだけ伊奈側をトラバースするようにつけられているのに、尾根通しに下り始め、ハイマツとシャクナゲの洗礼を受ける。右手に登山道が見え、そちらに何とか降り立つ。コルまで20分近くかかってしまった。そこからは3度目の道なので、気楽にテント場に向かう。少し遅くなったが、明るいうちに水を汲めそうだ。テント場に着き、ザックを下ろし、あるだけの容器をもって沢に向かう。まず、水をすこし飲んだあと、手、顔、頭、足を洗い、濡らしたタオルで身体を拭く。そのあと水を汲んでいると暗くなり、急に冷えてきた。テント場に戻ってすぐにシャツを2枚にし、テントを張る。ここは携帯が通じるので、家に1日遅れることを連絡できたので本当によかった。コーヒーを飲んで、しばらくノロノロとしていたが、食事もしないといけないので、予備の棒ラーメンを煮て、義務のような感じで食べる。

コルに「飯島側登山道通行止」という標識が出ていたので、翌日は同じ道を引き返すしかない。しかし帰宅後に、ネット検索をしているとほぼ同じ時にここを歩いた人の記録があった。とくに問題がなさそうだった。しかし、伊奈側に下りると帰宅するのがかなり厄介になるので、大丈夫であることを知っていても多分選択しなかっただろう。


2012. 09. 28 旧越百小屋跡から今朝沢橋へ

コースタイム

0700 旧越百小屋跡、0739 コル、0800-0900 越百山、0940-47 越百小屋、1000-06 巻道が終わったところ、1038-1138 上の水場、1153 展望台、1222-30 上のコル、1241-1326 下のコル、1353—1423 福栃橋、1500 今朝沢橋

この日も快晴で青空に紅葉が映えて気持ちがよい。南アは頂上部はずっと雲に隠れている。コルで前々日の間違った理由を調べておく。南越百への尾根筋に登る道がしっかりしているのに対し、正規のトラバース道が目立ちにくい角度にあった。越百から下りてきて直接南越百に向かうのなら苦労なく正規の道に入っていけたかもしれない。

越百に向かう道では、南駒と仙涯嶺がよい形に聳えているのが楽しめる。頂上のすぐ下にはガンコウラン、チングルマ、アキノキリンソウなどの庭園があり、前日の笹薮とつい比べてしまう。やはり山は楽しくないといけない。
越百の頂上では、小屋泊まりの人はとっくに通り過ぎたのだろう、誰もいない。列車を遅らせても構わないので、1時間もゆっくりする。やはりかなり暑いので、大きな花崗岩の陰に入って寝ころぶ。青い空、白い岩、緑のハイマツのコンビネーションが絶妙だ。なんと優雅な時間だろう。色々な山の本で、「トカゲを決め込んで1時間も昼寝をした」といった話を読み、そんなゆったりした時間を持ちたいものと羨ましかった。貧乏性なのでなかなか実現しなかったが、やっとそのような時間がもてた。

前々日には見えなかった北アルプスがよく見える。乗鞍、笠、抜戸、穂高はすぐに分かるが、それ以外は帰宅してからの同定となる。抜戸と穂高の間には薬師と双六が見えているようだ。穂高・槍は難しい。左から西穂、奥穂、北穂、中岳/大喰、前穂/槍といった順に並んでいるはずだが、詳細は見て取れない。南アはやはり2900m以上に雲がかかっている。光岳より右側は明瞭に見えており、そのあとぐるりと北アルプスまで途切れることがない。


漸く腰をあげて下山に取りかかる。越百小屋に寄ってどこでドコモが通じるかを教えて貰う。小屋から下っていって上の水場の手前で通じるとのことだった。たしかにその通りで、巻道が終わり下り坂になったところで通じた。タクシーに来て貰う時間を伝える。その後、坂を下りながらチラチラと槍の方向を見る。多少頂上より右側が見えたかなと思うがそれほどの変化はなかった。せいぜい西岳までだろう。水場の所でまた休む。水は必要ないので、休憩のみ。バーナーを取り出してスープを飲み、軽食をとる。最後にもう一度お茶を飲んで、1時間もゆったりする。上のコルで少し止まり、下のコルでまたまたお湯を沸かしてタクシーの時間をにらみながらの長時間の休憩。大きな樹の陰に座るが、どんどん太陽が動き、そのたびに位置を変えなければならないほど暑い。しかし、気持ちのよい広場だ。

下り始めてすぐに20人近い団体とすれ違う。譲ってくれたので脇を駆け下りる。大人数にしては少し無理な行程ではなかろうか。CTで歩けたにしても小屋への到着は17時になる。下の水場で一口だけ水を飲み、30分もしないうちに福栃橋。もちろん川原に下りて、またまた長時間の休憩。手、頭を洗い、身体を拭き、砂地に寝ころぶ。川の流れの音、水の躍動、周りの草花、いずれも笹の山にはなかったもので、これこそが山の楽しみだと改めて思う。もちろんあれだけの笹山も珍しいので、滅多に経験できない山を歩けたことは素直に嬉しい。全部を踏破できなかったことを残念に思う気持ちは全くない。笹山とはいえ、一応は道があるので、本当の藪こぎに比べると、楽な方だろう。以前に福島の川桁山で、最初から道をはずして登ったときのことを思い出す。あのときは、筆記道具にはじまり、眼鏡のツル、バンダナ、眼鏡、時計とつぎつぎに失い、下山するとズボンのベルトまでなくなっていた。




福栃橋の下の清流

駐車場に戻ったのは15:00。タクシーは15:30の約束だったので、しばらく木陰で汗をさまし、駐車場に行く。すでにタクシーは待っていた。登山口から大桑駅までは15 km程度なので、歩いても十分この日のうちに帰ることができた。しかし、来るときも意に反してタクシーを利用したので、帰りも我をはらずに楽な方法を選ぶことにした。そのおかげで、時間に余裕ができ、1時間もの休憩を何度もとることができた。このようなゆったりした時間は初めてで、いつまでもよい思い出として残るだろう。タクシーの運転手にコンビニや工芸品の店のことを聞くと、気さくに立ち寄ってくれた。どこへ行ってもタクシー料金は均一なのでそういう勝手なお願いができる。最後に下ろして貰ったJR野尻駅の駅前広場から、麦草岳、木曽駒ヶ岳、三の沢岳などをゆっくりと見ることができ、山座同定の参考になった。中央線の車窓からはチラチラと見えるだけなので、なかなか確信がもてなかった。



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